第132話 小隊 re


 拠点地下の整備所で、西洋の悪魔にも、怒りに満ちた鬼の表情をかたどった面頬にも似た貴重なガスマスクを受け取ると、しばらくしげしげと眺めた。

「色が変化しているな……」

「色?」と、マスクの修理をしてくれたペパーミントが首をかしげた。


 以前は赤と黒に綺麗に染められていたガスマスクが、今では色が混ざり合った赤黒い暗い色に変化していた。

「ああ、それね。修復のさいに使用した鋼材の影響だと思う。でも安心して、衝撃に対する耐久性はあがっているから」

「ありがとう、ペパーミント。捨てるには惜しい旧文明の〈遺物〉だから、修理できて良かった」


 ペパーミントはうなずくと、つややかな黒髪を耳にかけた。そのさい、彼女の耳元で白銀色のイヤリングが揺れて輝いた。彼女は桃色のフード付きツナギを着ていたが、機械人形のオイルやらなにかでツナギはひどく汚れていた。しかし彼女は汚れることを少しも気にしていないのか、黒ずんだウエスで指先を拭いていた。


「でもまさか銃弾の衝撃さえ防ぐことができるマスクの装甲が、こんな風に簡単に破壊されるなんてね」

「そうだな……。この世界は恐ろしい化け物で溢れている」

 私はそう言うと、面頬に似たガスマスクを顔に近付けた。するとマスクの縁が粘度の高い液体に変化して、口元から首を包み込むように覆っていった。それから頭部全体を保護するように形状を変化させる。


 ペパーミントは私に顔を近づけると、青い瞳でマスクの状態を確認した。

「うん。問題ないみたいだね」

 マスクの形状を元の状態に戻したあと、笑顔をみせる彼女に感謝する。

「ありがとう、ペパーミント」


 ペパーミントは〈七区の鳥籠〉にある〈兵器工場〉を管理していただけあって、旧文明の装備や火器の扱いに慣れていた。知識も豊富で、各種装備の整備を問題なく行うことができた。現在、拠点の整備所では機械人形や焼夷手榴弾しょういしゅりゅうだんといった新たな装備の試作を行っている。そしてそれができるのも、彼女が拠点にいてくれるからだった。


「機械人形の整備も順調だよ」

 視線を動かすと、旧文明初期に大量生産された機械人形が、複数のマニピュレーターアームを持つ装置に解体された状態で載せられているのが見えた。機体のデザインは古臭く、鈍重どんじゅうそうな大きな胴体に蛇腹形状のゴムチューブに保護された短い手足を持っていた。

「整備している機械人形って、あの旧式の〈警備用ドロイド〉のことか?」


「そう。レイたちが〈レイダーギャング〉の拠点で鹵獲ろかくした機械人形だよ。〈アサルトロイド〉の設計図は工場から持ち出せなかったから、ここで整備することはできないけど、〈警備用ドロイド〉は問題なく整備できた。

 それほど損傷していない機体はCPUと超小型核融合ジェネレーターだけ取り替えて、装甲に使用される鋼材はリサイクルボックスで再構築して利用させてもらった。ひどく損傷していてフレームがダメになっている機体は、そのまま素材だけを流用して完全に新しいモノを製造するつもり」


 ガラスの向こうで組み立てられている機械人形の姿を眺める。

 複数のマニピュレーターアームの先から粘度の高い液体が流れ出すと、機械人形の基礎になる骨格が形作られていく。ドロリとした液体は、もう一基のマニピュレーターアームから吹き付けられる特殊なスプレーで瞬時に固まる。そうしてぼんやりと眺めている間に、機械人形のフレームがあっと言う間に完成していく。


「すごいでしょ? 材料さえあれば、この拠点でも〈警備用ドロイド〉が無限に造れる」

 となりに立ったペパーミントが得意げに言う。

「無限に……か、それはたしかにすごいな」

「もちろん同時に製造できる機体には限度があるけどね。それより、戦闘用機械人形の設計図もあるから、材料さえあればすぐに造れる」


「何が必要なんだ?」

「旧文明期の特殊な〈鋼材〉だよ。でも入手するのはとても簡単、街に出ればあちこちに倒壊した建物の瓦礫がれきが見つかる。目的の〈鋼材〉は建物の建材に含まれているから、専用の機材があれば簡単に採取することができる。でもひとつ問題がある」


『鋼材の採取か、面白い表現をつかうね』

 カグヤがクスクス笑うのを聞きながら、ペパーミントの綺麗な横顔を見ながらいた。

「それで、何が問題なんだ?」

「作業のための人員が足りていないの」

 彼女はそう言うと、小さな溜息をついた。


「それなら当てがある」

「〈ヤトの戦士〉はダメだよ。あの子たちは拠点の警備で忙しいでしょ?」

「戦士たちじゃない。〈作業用ドロイド〉の設計図を入手できるかもしれない場所に、心当たりがあるんだ」

「作業用の機械人形か……たしかにあの子たちがいてくれたら便利ね。私も工場から設計図を持ちだそうとしたんだけど、それは許してくれなかったんだ」


『戦闘用機械人形の設計図は工場の外に持ち出せるのに、作業用ドロイドはダメって、兵器工場のシステムはどんな判断基準してるんだろう』

 カグヤの疑問に彼女は同意する。


「そうね。でも戦闘用の機械人形は旧式のモノだったから、許可してくれた可能性もある。それなりのコストが必要なのに、そこまで高性能な機体じゃないでしょ。それに安価で大量生産が可能な機械人形を手に入れてしまうことを危惧きぐしているんじゃないのかな」


「システムが人間の行動を制限するのか」

「それは分からないけど……」と、ペパーミントは眉を八の字にした。「大量に機械人形が製造されると、バランスを欠くことになるから」

「なんのバランスだ?」

「各地に点在している〈鳥籠〉の勢力だよ。システムは片一方の勢力だけに加担できないようになっているから」


「それを判断しているのは、〈データベース〉なのか?」

「そうなのかもしれない……。でも本当のことを言うと、私も〈データベース〉のことは詳しくないの」

「そうか……」


『それで、その〈作業用ドロイド〉は、そんなに簡単に大量に製造できちゃうものなの?』

 カグヤの言葉に反応して、彼女は私に青い眸を向ける。

「簡単に言うと、圧倒的に工程が少ないの。戦闘用の機械人形を一体造っている間に、作業用ドロイドは三体も造れちゃうからね」


『それでも三体だけなの?』

「だけじゃない、〝三体も〟造れるの」と、ペパーミントは言う。

「材料のことも考慮すれば、そこにはとても大きな差がある」


「そういうことか」と、私は目の前で造られる機械人形の骨格を見ながら言う。

「そういうこと」と彼女は肩をすくめた。


『ねぇ、レイ。さっきミスズから連絡があったよ』

「ミスズの用件は?」と、カグヤにたずねた。

『レイが頼んでた人材のことで相談があるんだってさ』

「人材?」と私は首をかしげた。


『街を探索するときに、人員がほしいって、そう言っていたでしょ?』

「そう言えばそうだったな。ミスズの用事は?」

『食堂に今から向かうって』

「そうか。俺もすぐに行くって伝えてくれ」

『了解』


「それじゃ、俺はこれからミスズに会いに行くよ」

 ペパーミントはツナギの左右にある大きなポケットに両手を入れると、私を睨んだ。

「レイと相談しながら決めないといけないことが山ほどあるの、次はいつ来てくれるの?」

「呼んでくれたら、いつでも会いに来るよ」

「レイは嘘ばっかり言う」と、彼女は不貞腐ふてくされる。


「ペパーミントに呼ばれたときには、ちゃんと整備所に顔を出しているだろ?」

「呼ばれたときには、たしかに顔を見せてくれている」

「なら何が問題なんだ?」


『用がなくても会いにきてほしいんだよ、きっと』と、カグヤが小声で言う。

「聞こえてるから」

 ペパーミントは溜息をつくと、私のことを整備所から追い出した。


「〈人造人間〉なのに、感情のありようは人間と変わらないんだな」

 ひっそりとした廊下を歩きながら、言葉をこぼした。

『〈人造人間〉だからじゃない?』とカグヤが言う。

『ペパーミントは感情のない機械人形とは違う。誕生の方法が違うだけで、その本質は人間と変わらない。それを証明したいのかも』


「本質か……」

『そうだよ。今まで私たちが出会ってきた〈人造人間〉もそうだったでしょ。彼らは人間のように産まれてこない。でも私たちと同じように考えて、同じように生きていた』

 鳥籠で暮らす人々から〈守護者〉と呼ばれている金属の骨格を持つ〈人造人間〉たちのことを思った。


「難しいことは俺にも分からない。今さら、人間の定義に関する議論をする気もない。けど、そうだな……。人間とは異なる形態を持っているけど、彼らは人間に極めて近い種だ。それは認めるし、差別する気もないよ」


『レイが他種族に対して差別意識を持っていないことは分かってる。ただ私は……』

「なんだ?」

『ううん』とカグヤは言う。

『何でもない』

 彼女の言葉にうなずくと、エレベーターに乗りこんだ。



 食堂に向かっていると、廊下の先にミスズの後ろ姿が見えた。

「ミスズ」

 彼女は振り返ると、花が咲いたような笑顔を見せてくれた。

「おはようございます、レイラ!」


「おはよう。昨夜も地上の警備に出ていたみたいだけど、疲れは残っていないか?」

「大丈夫です。警備の状況を確認するために地上に向かっただけですから。カグヤさんもおはようございます」

『おはよう』


 この混沌とした世界をカグヤと生き抜いてきた私に初めて出来た相棒が、ミスズだった。彼女は軍隊のような組織に所属していて、特殊な任務を受けて東京にある旧文明の施設から横浜にやってきていた。

 しかし地上で人擬きの襲撃に遭い、命からがら逃げだした先で、人喰いの集団である略奪者に捕らわれてしまう。そこで偶然、彼女を救い出すことができた。それ以来、ミスズとは共に仕事をする相棒になっていた。


「どうしました、レイラ?」と、彼女は琥珀こはくいろの瞳を私に向けた。

「いや、何でもないよ」

「そうですか……。あの、それで、レイラに頼まれていた通りに、ヤトの若者たちの中でも優れた能力を持つ戦士たちを選抜して、食堂に呼び出しておきました」


「ありがとう。新しい部隊を編制するために、ミスズが選抜していた戦士の個人ファイルは参照したよ。ヤトの訓練教官をやっているだけあって、彼らの特徴をよく捉えて書かれていたよ」

「いえ」と、ミスズは恥ずかしそうに頭を振る。

「選抜するときの候補にヌゥモさんやナミさんがいませんでしたけど……何か理由があるのですか?」


「彼らにはすでに指揮しなければいけない部隊があるから、今回は外させてもらったんだ」

「そうでしたね」と彼女は納得してくれる。

「ところで、今回のことはまだレオウに話を通していないんだ」

「あぁ、それなら大丈夫です。選抜した戦士たちを部隊から引き抜くときに、事前にレオウさんに許可をもらいに行きましたから」

「そうだったのか。ありがとう、ミスズ」


 〈レオウ・ベェリ〉はヤトの族長だ。一族は私を中心に一個の組織を作り上げているが、それでもレオウに敬意を持って接していた。戦闘のさいには指揮下に置く仲間だったが、同時に対等な存在でもあった。だから一族の族長を無下にするようなことはしない。


 食堂のテーブルに数人のヤトの戦士が集まっていた。

 男性が三人に女性が二人。彼らは私とミスズが近づいてくるのを見ると、さっと席を立った。女性二人が握った両拳を胸の前で合わせる独特の挨拶を行うと、青年たちもおずおずと続いた。私も同じように挨拶をすると、自然な笑顔を作った。


「緊張しないでくれ。いつも通り、食事しながら話そう」

 戦士たちは私を見つめたあと、コクリとうなずいた。


「レイラ、私はこれで失礼します」とミスズが言う。

「何か用事が?」

「いえ、午後から訓練の予定がありますが」


「それならミスズも一緒にいてくれ。戦士たちのことはミスズが一番分かっているんだ。それに、ミスズにはまだ言っていなかったけど、この部隊の隊長はミスズにやってもらいたいんだ」

「私に……ですか?」と、ミスズは困惑する。

「重荷にならなければいいんだけど」

「いえ、重荷だなんて」彼女は黒髪を揺らした。


 ちなみに食堂で戦士たちのために食事を作っていたのは、略奪者の集団で構成された〈レイダーギャング〉から救い出していた女性たちだった。彼女たちの心の傷は完全に癒えていなかったが、それでも前に進もうと一歩を踏み出していた。


 彼女たちの支援は続けたかったので、拠点に残って働きたいと言ってくれたときには迷うことなく了承した。しかしらわれていたときの壮絶な経験によって、彼女たちは人の目に触れることに恐怖を感じていた。だから食堂の仕事をすすめた。厨房にいれば、人の目に触れる機会は少ない。徐々に環境に慣れていくにはいい場所だと思っていた。


 給仕ドロイドから暖かい食事を受け取ったあと、我々はテーブルに着いた。

「まずは自己紹介しよう。みんなはお互いのことをく知っていると思うけど、もう一度それぞれの得意分野や、部隊での役割を確認しよう」


 簡単な自己紹介を済ませたあと、彼らの目を見ながら言った。

「ミスズが部隊長として皆を率いることになる。教官をしていたからミスズのことは良く知っていると思う。探索を行う間は、彼女の指示を厳守してもらいたい」

「任せてください。ミスズさんの指示には必ずしたがいます」


 バニラ風味のアイスクリームで唇の端を濡らした女性の言葉にうなずいたあと、戦士たちの目を見ながら言う。


「ここにいる五人全員が素晴らしい戦士だということは把握している。個人の身体しんたい能力のうりょくだけでいえば、ミスズよりも優れていることは知っている」

「はい」と、青年は自信満々にうなずいた。


「だけど、この世界は一族が生きてきた世界とは異なる。戦闘様式も異なれば、不死の化け物を相手することにもなる。これまでの戦闘経験でそれを補うことができるのは知っている。でも未知の部分が多く、戸惑うことも多々あると思う」


 ヤトの若者たちは黙って私の話を真剣に聞いてくれていた。

「その分、ミスズは現代の戦闘に関してはプロフェッショナルだ。不死の化け物も相手にしてきた経験もある。ミスズを隊長として崇拝しろとは言わない。進言があれば勿論してもいい。ミスズが間違えそうになったら、それを正すことも重要だからな。盲目的な服従をする必要はない。けど理性を持って、ミスズの命令に従ってほしい」


 私はそこまで一気に言うと、戦士たちの瞳を見ながらたずねた。

「ミスズの部隊で彼女を支えてくれるか?」

 ヤトの若者たちは力強くうなずいてくれた。


 戦士たちの決意にホッとしたあと、言葉を続ける。

「部隊の最初の任務は、旧文明の工場群がある地区で行う」

「工場ですか?」と、短髪の女性が首をかしげた。

「それは機械の人形を造っているところですか?」


「ああ、それに〈ヴィードル〉のことを知っていると思うけど、あの多脚型の車両を製造している場所でもあるんだ。今回はその工場を探索しようと考えている」

「ヴィードルですか!」と、ヤトの青年が目を輝かせた。

「そこで、俺たちは大量の人擬きを相手にすることになる」


「ヒトモドキ……あの不死の化け物のことですね」

 彼女の撫子なでしこいろの瞳を見ながらうなずいた。

「そうだ。危険な場所でもあるけど、その分、大きな見返りがあると信じている」


 話を聞いている戦士たちの目には、戦闘に対する興奮と緊張が入り乱れていた。

「それじゃ」と、私は飲み物の入ったグラスを持ち上げた。

「アルファ小隊に乾杯だ。部隊の最初の任務を皆の力で乗り越えよう」


 グラスを打ち合わせてから、各々の相談事を聞きながら食事をした。拠点に対して行われる襲撃に不安は残っていたが、戦力を強化するためにも探索をする必要があると感じていた。それだけに、工場の探索は重要な仕事になると考えていた。

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