第126話 渓谷 re


 風に乗ってさいが渓谷に吹き下ろすと、日の光を反射してキラキラと輝くのが見えた。

「ウミ、ウェンディゴの被害状況は?」

『損傷軽微です』と、彼女のりんとした声が車内のスピーカーを通して聞こえてきた。

 ホログラムディスプレイが投影されると、ウェンディゴの損傷個所を確認する。

「装甲に少し傷がついただけで、人工筋肉に損傷はないみたいだな……」


『難しい状況で、ウミがなんとか姿勢制御してくれたおかげだね』

 カグヤの言葉にうなずくと、天井を透かして見えていた渓谷を仰いで、切り立った崖の奥に見える青い空を眺めた。赤茶色の岩肌にそらの青がみょうえる。


「ずいぶんと深い場所まで落ちたみたいだな」

『汚染物質で満ちた濃霧のうむの中に落下しなかったのは、不幸中の幸いだね』

 カグヤの言葉で、深緑色の濃霧のうむの中に巨大な生物の影を見ていたことを思い出す。

「たしかにそうなのかもしれない。あんな化け物が潜んでいる場所には近づかないほうがいいだろう」と私は溜息をついた。

「それで、カグヤ。そっちの様子はどんな感じだ?」


 偵察ドローンを遠隔操作しながら、周囲一帯の様子を確認していたカグヤが言う。

『徘徊型自爆ドローンの姿は確認できない。それに襲撃者の姿も見えない』

 ドローンから受信する俯瞰ふかん映像えいぞうには、黒煙を上げながら炎上しているヴィードルの残骸が散らばっているのが見えていた。それらの車体は、我々の護衛のために〈紅蓮ホンリェン〉が派遣してくれた警備隊の武装ヴィードルだった。


 カグヤから受信した映像を注意深く確認しながらたずねる。

「徘徊ドローンは残らず自爆したのか?」

『ううん。全機の自爆は確認できなかった』とカグヤは否定する。

「明確な攻撃の意思を持って俺たちのことを執拗しつように付け狙っていたみたいだけど、カグヤはどう思う?」


『意図的に私たちを谷底に追い込んでいたし、〈紅蓮〉が護衛につけてくれたヴィードルを真っ先に攻撃していた。明らかにこっちの状況をリアルタイムに確認しながら、ドローンを遠隔操作していた人間がいると思うよ』

「フーチュンの仕業だと思うか?」

『思うよ。私たちが砂漠にいることを知っているのは、〈紅蓮〉の関係者と一部の行商人たちだけだからね』


「面倒なことになったな……」と、私はうんざりしながら溜息をついた。

『そうだね。あのとき、フーチュンを殺しておけばよかったんだ』


 視線を動かすと、黄土色の渓谷を見つめる。

『護衛してくれていた警備隊には申し訳ないことをしたね……せめて〈紅蓮〉には、彼らの死を知らせてあげるべきだと思う』

 カグヤの言葉にミスズが答える。

「私がイリンさんに連絡をしておきます」


「お願いできるか、ミスズ。それから俺たちは無事だから、支援は必要ないって伝えてくれるか?」

「わかりました」


『でも実際には無事じゃなかった』とカグヤが言う。

『私たちは谷底に落とされた』

「いいんだよ。俺たちを助けるために〈紅蓮〉の人間が派遣されるなんてことになったら、その部隊にフーチュンの手下がまぎれ込む可能性もある。それに、これ以上〈紅蓮〉の派閥争いには関わりたくない」


『あぁ……それもそうだね』

「それより、さっきから姿を見せないペパーミントとナミが心配だ。二人は無事なのか」

『大丈夫だよ。車体は揺れたけど、怪我するような激しい揺れじゃなかったし』

「二人はコンテナで何をやっているんだ?」

『戦闘用機械人形の整備をしてるみたい』


「ウミの機体を整備しているのか?」

『うん。機体のラジエーターを、砂漠に特化した冷却性能の向上したものに交換してる』

「ペパーミントは戦闘を想定して行動しているのか」

『私も襲撃は終わってないと思う。あの程度の攻撃で済んでくれたらよかったんだけど、突発的に発生するトラブルは、往々にして複雑化する傾向にあるし……』


 強風が吹きすさぶ渓谷を進むと、赤錆色の岩肌が目につくようになる。

『ねえ、レイ。この先に何かいるみたいだよ』

 カグヤの言葉に首をひねる。

「〈紅蓮〉の人間か?」

『待って、確認する』


 カグヤは偵察ドローンの熱光学迷彩を起動して渓谷の先に向かう。私は〈ウェンディゴ〉のコクピットに入ると、コクピットシートに座りながら全天周囲モニターに渓谷の映像を拡大表示した。


『レイラさま、ドローンの視点映像を表示します』

 ウミの声が聞こえると、モニターの一部に映像が表示される。ドローンの視点の先には、岩陰に隠れるようにして焚火たきびにあたっている得体の知れない者たちの姿が映し出される。彼らがドローンの存在に気がついている様子はなかった。ただ黙り込んだまま焚火の炎が揺れるのをじっと見つめていた。


 その場にいた者たちは、いずれも黒緑色のボロ布で身体からだを包み込んでいて、それ以外の部分には汚れた包帯のような布切れを巻いていた。地肌を見せないのは、強い日差しから肌を保護するためなのかもしれない。


「〈紅蓮〉の人間には見えないな……」

 彼らの身形みなりは決していいとは言えなかった。ボロ布はり切れ汚れていて、頭部を覆う布の奥は暗く、顔がハッキリと確認できなかった。肩から下げている小銃は、やけに細長くいびつな形をしていた。何者なのかは分からなかったが、略奪者や盗掘者の可能性もあるので注意はおこたらないようにする。


『レイ、ウェンディゴの存在に気がついたみたいだよ』

 監視のためなのか、彼らの内のひとりが高く切り立った岩上に座っていて、彼らがいる場所に向かって進んでいたウェンディゴに顔を向けていた。しかしその人物は、先ほどまで覗き込んでいた双眼鏡のようなモノを下ろすと、我々に興味を失ったように焚火にあたりに戻った。


 その際、その何者かは少しも躊躇ためらうことなく岩上から飛び降りた。普通の人間なら足を骨折し大怪我をするような高さだったが、その何者かは普通に着地してみせると、何事もなく歩いていた。


「少なくとも、俺たちと敵対する意思はないみたいだな……」

 ホッと溜息をつくとコクピットシートの背にもたれた。すると私の姿勢に合わせてシートの形が変化して、身体からだを優しく包み込んでいった。


ひとみの能力を使っても、彼らから敵対的な意思は感じ取れないの?』

 カグヤの言葉にうなずく。

「と言うより、なんの意思も感じられないんだ」

 感情を視覚情報として読み取ることができる瞳は、なんの変化も捉えていなかった。


「意思を感じない?」と、いつの間にかコクピットシートの背後に立っていたペパーミントが言う。「それってアレが感情を持っていないってこと?」

 私の肩にかかるペパーミントの黒髪からは甘い香りがしていた。

「どんな生物にも感情はあると思う。俺に何も見えていないのは、瞳の能力を上手うまくコントロールできていないからだよ。それより、ペパーミントが怪我をしていなくてかった。一緒にいたナミも無事か?」


「大丈夫だよ。コンテナ内の〈空間拡張〉は、外部の影響を受けない」

『それに』と、カグヤの声が聞こえる。

『そもそもあの程度の揺れじゃペパーミントは怪我なんてしないよ』

「それは私が〈人造人間〉だから、心配する必要はないってこと?」と、ペパーミントは私に青い瞳を向けた。


「カグヤに他意はないよ。率直な感想を口にしただけだ」

「そう」ペパーミントは素っ気無く言うと、渓谷に視線を向ける。

「それで、レイはあれをどうするつもりなの?」


「攻撃の意思はないみたいだし、話をしてみるよ」

「どうして?」

「渓谷の出口を知っているかもしれない」

「そんなの偵察ドローンに探してもらえばいいじゃない」


 全天周囲モニターに表示されていた現在時刻をちらりと確認する。

「ドローンはもう使っているよ。でもそれだけだと時間がかかり過ぎる。日が落ちるまでに、砂漠地帯を離れたい」

「でも大丈夫なのかな?」と、ペパーミントは不安そうに言う。

「攻撃の意思があるのなら、すでに何かしらの行動を起こしているはずだ」


 コクピットを離れると、手早く装備の確認を行う。ウェンディゴの近くにいるつもりだったので、バックパックは持っていかない。なにかあれば〈ワヒーラ〉を呼び出せばいいと思っていた。〈ワヒーラ〉の収納スペースには医療キットをはじめ、探索で必要な装備を一通り揃えていたからだ。


「ヌゥモ、一緒に来てくれるか?」

 ヤトの戦士は私の言葉にうなずくと、銃器の保管棚からレーザーライフルを手に取る。

「ミスズとナミはウェンディゴで待機していてくれ」

「わかりました」とミスズはうなずいた。

「問題が起きたときに、すぐにレイラの支援ができる準備はしておきます」

「ああ、頼んだよ」


「ねぇ、私は?」と、ペパーミントは腰に手を当てて言う。

「そんな格好じゃ戦えないだろ。ペパーミントはウェンディゴで大人しくしていてくれ」

 チャイナドレス姿のペパーミントは自身の胸元に視線を落とすと、何も言わず席に座った。


 搭乗員用ハッチから外に出ると、すぐにガスマスクの形状を変化させた。が、目元は隠さなかった。鬼のような容姿で彼らを刺激したくなかったからだ。


「気をつけてくれ、ヌゥモ」と私は歩きながら言う。

「ジョンシンの話では、ずっと昔から砂漠で暮らしている者たちがいるそうだ。彼らは〈紅蓮〉の人間には無関心だと言われているが、ひとたび敵対すると執拗に攻撃をしてくるみたいだ」

「レイラ殿は、彼らがその〈砂漠の民〉だと?」


「そうだ。俺たちは砂漠の〈採掘権〉も持っていて、これからもこの場所に世話になる。だから敵対する勢力は増やしたくない」

「わかりました」

 ヌゥモはうなずくと、ガスマスクの形状を変化させて頭部全体を覆う。それから長剣のつかに手をのせた。


 意識して足音を立てながら接近すると、彼らは一斉いっせいに顔をあげた。

 私は敵意がないことをしめすために、胸元まで手を上げてから言う。

「道に迷っているんだ。できれば助けを借りたい」

 すると彼らの口元からカチカチと固いモノがこすれるような音が聞こえた。


「ドコ、イク」と、カチカチと音を鳴らしながら彼らのひとりが言う。

 それは妙にくぐもった不明瞭な声だった。

「渓谷を抜けたい」

 彼らの顔はフードの影になっていて隠れて見えなかった。


「サキニススム、アナ、アル。オオキナ、アナ、ダ」

「大きな穴……もしかして洞窟か?」

「アナノサキ、スナ、アル」


 彼らの声が聞こえるとき、決まって何かをカチカチと鳴らす音が聞こえた。身体からだまとっているボロ布の中で何かを叩いているようには聞こえなかった。その音は口元から聞こえていた。


「ミロ」

 そう言うと彼らの内のひとりが、まるでタールで塗り固められた枝のようなモノを使って地面に渓谷の地図を描いていった。彼らが持っていたモノは小銃だと思っていたが、何か別のモノだった。


「ありがとう」

 彼らに頭を下げて感謝すると、砂の上に描かれた地図を偵察ドローンに記録させる。

「ミズ、ダ。ウケトレ」

 ボロ布の奥から、革製の水筒を持った腕が伸びると、私は驚いて、しばらく茫然ぼうぜんとした。


「イラナイ?」と、彼はカチカチとあごを鳴らした。

「……いや」と、私は頭を振った。

「大丈夫だ。親切に感謝する」

「ワカッタ」

 彼はカチカチと大顎を鳴らすと、ボロ布のなかに腕を隠した。


 彼らに丁寧に感謝したあと、私とヌゥモはウェンディゴに引き返した。するとヌゥモが緊張した声で言う。

「レイラ殿、彼らは〈インシの民〉と呼ばれる種族です」


 正体不明の生物のそばを離れると、ヌゥモが不意にそんなことを言った。

「インシの民?」

 私は振り返ると、焚火にあたる者たちの姿を確認する。


 先ほどボロ布の中に見えたのは、二本の足で立つ異形の昆虫だった。太く強靭な脚の関節は人間とは逆の方向に曲がっていて、体表のほとんどが鈍い光沢を帯びた甲殻に覆われていた。腕は全部で四本あって、その先には四本の指がついていた。


 ガスマスクの形状を変化させて、補正のかかった視覚で頭部を覆っていたボロ布の奥を確認した。先ほども一瞬だけ確認できたが、ヌゥモが〈インシの民〉と呼んだ者たちは、触角のないミツバチに似た頭部をしていながら、スズメバチのような恐ろしい大顎を持っていた。カチカチと音を鳴らしていたのは、彼らの大顎だったのだ。


 再び歩き出すと、私はヌゥモにたずねた。

「ヌゥモが知っているってことは、〈インシの民〉は異界の生物なのか?」

「そうです」

「なんでそんなモノが砂漠にいるんだ?」

「わかりません」


『けどさ』とカグヤが言う。

『あの種族からは〈混沌の兵隊〉に見られるような、恐れ知らずの狂暴性は感じられなかった』


「〈インシの民〉には〈戦士階級〉に属する者たちが存在します。戦士は一般的に狂暴で、本能的に戦うことを好み問答無用で襲いかかってきます」

『あれは戦士階級じゃなかったの?』

「それが……」とヌゥモは困ったように頭を振った。

「彼らは明らかに戦士階級に属する〈インシの民〉でした」



 我々は〈インシの民〉に教えられた洞窟に向かって渓谷を進んでいた。

「インシの民だっけ?」とペパーミントが言う。

「あの昆虫種族が言ったことを、レイは信じるの?」

「この先に洞窟らしきモノがあるのは確認できた」

「けどインシの戦士だ」とナミが言う。

「あいつらは戦うことしか知らない種族だ。本当に言葉をわしたのか」


「そのときの映像は見せただろ」

「そうだけどさ……さっきのあれは、〈インシの民〉の〈知識階級〉に属する者たちの可能性もあるんじゃない?」

「ナミはヌゥモの言葉を疑うのか?」

「疑わない」と、ナミは頭を横に振った。


「戦士階級に属する者たちは、そんなに狂暴なのか?」

 私の問いにヌゥモはうなずいた。

「あれは理性と言うモノをほとんど持ち合わせていません。戦士階級よりも高位に属する者たちが存在しますが、彼らは戦争によって征服した種族と異種交配することで、自身の複製を造り出すと言われています」


「複製?」とペパーミントは言う。

「子供じゃなくて?」

 ヌゥモは否定するように頭を振った。

『そもそも異種交配って時点で色々とおかしいけどさ』とカグヤが言う。

『ねぇ、ヌゥモ。その複製はどうして狂暴なの?』


「彼らは使い捨ての戦士になるために、産まれて数日で成体になります。それができるのは、母体の生命力を奪うからだと言われています」

『他種族を征服したうえで虐殺も同時に行うのか……』

「胸糞悪い種族だ」とナミが言う。

「そして彼らは、様々の技術や能力を生まれながら有しています。しかし代わりに自意識と呼ばれるモノを持ちません」


「自意識……」と、私は思わずつぶやいた。

「もちろん彼らは道徳心や自制心などというモノは持ち合わせていません」とヌゥモは続けた。「他者を殺すことだけを目的に産み出される怪物です」

「自我を持たないから彼らは狂暴なのね」と、ペパーミントは言う。


『そんな種族が、ひっそりと砂漠で生きてきた?』とカグヤが疑問を口にする。

「何もかもが奇妙だ。そもそも異界の生物がどうしてこんな場所にいるんだ」

 私の質問に答えられる者はいなかった。

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