第124話 優位性 re


 看護師がジョンシンの熱をはかっているのを黙って眺めていると、イリンが口を開いた。

「ずっと昔から、周辺一帯にある砂漠の管理は〈紅蓮ホンリェン〉に任されていたの」

「紅蓮の許可がなければ、自由に〈遺物〉の発掘作業はできないのか?」


「そうね。基本的に鳥籠の周辺で許可もなく発掘すれば、〈紅蓮〉の若者たちで結成された〈愚連隊〉に襲撃されることになる。それを生き延びたとしても、さらなる不幸が待っている」

「襲撃? それは〈紅蓮〉の指示で行われているのか」


「争いの元になりかねないから、〈紅蓮〉が主導しているなんて大々的に宣伝してはいない。けど事実上は、〈紅蓮〉の指示で愚連隊が砂漠の見回りを行っている。任務に就くのは地下街で鬱憤うっぷんを溜めこんだ若者で、砂漠を根城にしている盗賊団がけ口になっている。そして〈紅蓮〉は彼らに少しばかりの報酬と自由を与えることで、〈紅蓮〉が本来、得るべきだった資産を盗掘者から守ってもらっている」


「紅蓮の資産か……」

「私たちが生きる〈紅蓮〉には、外貨がいかを得るための手段がないから仕方がないの」

 イリンが頭を振ると、彼女の綺麗な黒髪がサラサラと胸元に流れた。

「〈紅蓮〉は純粋な核防護施設だったのか?」


「そう。だから自給自足が可能な〈食糧プラント〉や、大規模な〈浄水システム〉は備えている。けれどそれだけだった。〈ジャンクタウン〉のように物資を備蓄する施設もなければ、〈五十二区の鳥籠〉にあるような製薬工場も存在しない」

「だから砂漠で〈遺物〉を発掘しているのか……けど、それは危険なんじゃないのか。〈紅蓮〉に来る途中、レイダーたちに襲撃を受けている作業員を見かけた」


「詳しくは話せないけれど、事情があって砂漠には盗掘者もいなければ、略奪者もいなかった」

「ならどうして?」

「組織の中に、盗掘者たちを手引きしている者がいる」

「それは俺が原因だな」と、それまで黙って葉巻を吹かしていたジョンシンが言う。

「俺の死期が近いから、〈紅蓮〉の商人どもが色気いろけづいたのさ」


 説明を求めるようにジョンシンのとなりに座っていたイリンを見つめた。

「〈紅蓮〉が置かれている状況は話したと思うけれど、いくつかの組織は自分たちの利益のためだけに動いている状況なの」


「どうしてそんなことが?」

「砂漠から出土する〈遺物〉が貴重なことは昔から分かっていた。だから販売するさいに、商人たちに制限をしていた」


「遺物の市場価値を高めるために?」

「ええ、そうよ。〈遺物〉は有限で、いつなくなるか分からない。だからなんとか市場価値をコントロールしてきた」

「何が問題になったんだ?」


「昔は俺たちだけだった」と、ジョンシンは言う。

「同じ先祖を持つ同胞はらからだった。同じモノを食べ、同じ言葉を話し、同じ故郷を持っていた」


 私はイリンから差し出されたグラスを受け取ると、コニャックを口に含んだ。豊かな香りが口の中に広がる。それから私はたずねた。

「廃墟の街からやってきて〈紅蓮〉に住み着いた商人たちが、組織内に混乱をもたらしているのですか?」


「一部の商人だ。連中は組織の長であるこの俺の死を、今か今かと待ち受けている」

「まさか〈紅蓮〉を乗っ取るつもりなのですか……?」

「さすがにそれは同胞が許さないさ」と、ジョンシンは頭を振る。

「連中に対処することはできないのですか?」


「対処?」とイリンは首をかしげた。

「商人たちを捕えるなり追放するなり、やり方は幾らでもあるはずだ」

「血がつながっていなくても、私たちは同胞よ」とイリンは言う。

「身内にはなれなくても、それに似たつながりを持ちながら今まで生きてきたの。だから簡単に考えは変えられない」


 私は手に持っていたグラスを目の前のテーブルにのせると、ジョンシンの顔をしばらく眺めた。

「ところで、その〈採掘権〉はいつまで有効なんですか?」

「俺が生きている間は、誰にも文句は言わせねぇよ」

「部外者である俺が採掘権を持っていることは、いずれ問題になりそうですね」


「最善は尽くすつもりだ」とジョンシンは溜息をつきながら言う。

「レイラに対するびとして、砂漠での採掘権を譲渡しているんだからな」

「そう言えば。砂漠では金に似た鉱物も入手できますよね」


「ええ」とイリンは笑顔になる。

「私たちも最初は金のまがいモノだと思っていた。けれど製錬せいれんすると、とても軽くて強度のある鋼材に変わることが分かった。それ以来、〈紅蓮〉の拡張工事にあの鉱物を沢山使用するようになった」


「その鉱物の採掘も、俺は自由にやっていいのか?」

「もちろんだ」とジョンシンはうなずいた。「だが条件がある」

「条件ですか?」と私は顔をしかめた。

「身構える必要はない。それほど大袈裟おおげさなモノじゃないからな」

 ジョンシンは笑い、そして激しく咳込せきこんだ。痰が絡むいやな咳だった。


「大丈夫ですか?」

「なに、問題ないさ。それで条件だが、〈紅蓮〉はレイラに鉱物の製錬方法を教えることはできない」

「身内ではないからですか?」

 ジョンシンはうなずいた。

「レイラがそれでもいいのなら、砂漠で自由に採掘してくれても構わない」


上手うまい妥協点だね』とカグヤが言う。

『掘り出した鉱石は、私たちだけでは製錬せいれんできないから〈紅蓮〉で換金するしかない。結局のところ、得をするのは〈紅蓮〉だけ。そう言って組織の人間を納得させたのかもしれない』


 カグヤの言葉にうなずいたあと、私はジョンシンにいた。

「俺が鉱石の研究をして、製錬方法が分かったらどうなるのですか?」

「どうにもならないさ。俺たちは、あくまでも自分たちの資産を守っているだけだ。レイラの妨害をする気はない」

「それはよかった」


 しばらく黙り込んで思案しあんしたあと、小さな箱を懐から取り出してテーブルに載せた。

「これは?」とイリンが首をかしげた。

「開けてみてくれ」


 イリンは金属のフレームに高級感がある小さな箱を手に取るとゆっくり開いた。

「これってもしかして……」と、彼女はきつねいろの瞳を私に向けた。

「ああ、〈オートドクター〉だよ」

「その箱に見覚えがある」とジョンシンは言った。

「同じようなモノをいくつか手に入れたが、すべて効果がなかった」


「たしかにその箱には偽物が入っていましたが、その注射器は本物です。ほかに適当な箱がなかったので、それを使わせてもらっているだけです」

「なに?」と、ジョンシンは目を見開いた。

「〈七区の鳥籠〉に友人がいることは、フーチュンを通して知っていると思いますが、その友人から手に入れた最後の〈オートドクター〉です」


「最後の……」と、イリンは〈オートドクター〉を見つめる。

「〈七区の鳥籠〉で手に入る最後の〈オートドクター〉と言う意味だよ」

「どうしてこれを?」と、ジョンシンは当然の疑問を口にした。

「これを貴方に贈ろうと思っています」


「馬鹿な!」とジョンシンは険しい表情を見せた。

「どういうつもりだ!?」

「貴方に死んでほしくないからです」

「レイラの慈悲にすがるために我々が〈採掘権〉を差し出したと、そう思っているのか!」


「もちろん違います」

「なら何故だ?」

「貴方が勘繰かんぐるのも、馬鹿ばかにされたと思う理由もなんとなく分かります。けど、これは俺のためでもあるんです」


「レイのため?」とイリンは疑問の表情を浮かべた。

「正直、俺は鳥籠との争いに関わりたくない。ことが複雑になり、状況がさらに混乱したら、いずれ戦火は俺にも飛び火する」

「私たちをレイの防波堤に使うつもり?」


「あんたたちの身内が俺を争いに巻き込んだ」

「けどそれは――」

「つまりレイラは」と、ジョンシンはイリンの言葉をさえぎった。

「〈紅蓮〉に再び統制が取れたひとつの組織に戻ってもらいたいんだな?」

 ジョンシンの言葉に私はうなずいた。


「今まで他の鳥籠と争うことなく、貴方は上手うまくやってきた。現に俺は中華街の跡地に鳥籠があることも知らなかった」

「しかし状況は変わった。若い連中は地上に対する野心をあらわにし、商人たちは我々が与えた恩を忘れた」

「けど貴方は〈紅蓮〉の最高権力者です。状況を変えられる」


 ジョンシンはしばらく目を閉じて、それから言った。

「俺にどうしてほしい?」

「俺は紛争に巻き込まれたくない。それだけです」

「仮にその条件を受け入れたとして」と、ジョンシンは葉巻を灰皿に置いた。

「争いを完全に止めることは保証できない」


「わかっています。けど争いが継続したとしても、〈紅蓮〉は俺の敵にはならない」

「……それが狙いか」と、ジョンシンは笑みをみせた。

「貴重な〈オートドクター〉を贈るんだから、もちろん下心はあります」

「〈紅蓮〉の庇護下ひごかに入ることが望みなんだな?」


「そこまでは考えていません。それにしがらみもほしくありません。俺はただ争いに巻き込まれたくないだけなんです」

「俺が〈オートドクター〉で健康な身体からだを取り戻したら、レイラは俺の身内以上の存在になる。しがらみが嫌だとは言えなくなる」

「言えますよ。俺から〈オートドクター〉を手に入れたことを黙っていればいいですから」


 しばらくの沈黙のあと、ジョンシンは頭を下げた。

「わかった。こいつは受け取ろう。そしてレイラを争いに巻き込まないために、俺たちは最善を尽くそう」

「助かります」


「しかし〈オートドクター〉をレイラから手に入れたことは、いずれ公表しなければいけない。俺が完全に完治したことを内外に知らしめるためにも、それは必要な措置だからな。それに、レイラを争いから遠ざけるためにも、この〈オートドクター〉が〈七区の鳥籠〉で入手できる最後のモノであることを、〈五十二区の鳥籠〉に伝える必要がある」


「それは仕方がないですね」と私は肩をすくめた。

「それで?」とイリンが言う。

「〈オートドクター〉はどうやって使うの?」

身体からだのどこかに注射器を刺して、先端についたスイッチを押せばいいだけだ」

「それだけで本当にどんな病気も治療できるの?」


「治療されると聞いている」

「副作用はあるの?」と、今まで一度も口を開かなかった看護師の女性が言う。

「ない」と私は頭を振る。

「数日間、死んだように眠るけど、それだけだ」


「眠る?」と、イリンは高級な箱に入った注射器を見入った。

「ああ。病気や怪我の状態によるけど、少なくとも三日か四日ほどは眠り続けることになると思う」


「それからひとつ」と私は続ける。

「〈オートドクター〉の研究や複製は試みないでくれ。注射器の中にあるナノマシンは、容器に詰まっている液体から離れて外気に触れた瞬間に機能しなくなる。そうなったら貴重な〈オートドクター〉が無駄になる」


「製薬工場で複製できなかったのは、きっとそれが原因ね」とイリンが言う。

「おそらくそうだろう。今の俺たちが持つ技術では、どんな方法を試しても〈オートドクター〉は複製できない。だからジョンシンが使ってくれ」


「これが本物だという証拠はありますか」

 看護師の女性は大きな瞳を私に向けてそう言った。

「残念だけど、それを証明することはできない」と私は答えた。

「なら私は反対です」と看護師は言う。

「得体の知れないモノを体内に入れるなんて、絶対に許しません」


「たしか……」とジョンシンの声が聞こえる。

「スイッチを押せばよかったんだよな」

「あっ!」と看護師は声を上げた。

 ジョンシンはいつの間にか注射器の針を腕に刺していた。

「何ともないな」

 ジョンシンはニヤリと笑って、それから言った。

「迷惑をかけるな」


「迷惑ですか?」と私は首をかしげた。

「レイラが俺に毒を盛る理由がないことは分かっているが、俺が眠りから覚めるまでの間、レイラには〈紅蓮〉にしばらく滞在してもらうことになる」

「それは仕方がないですね。それに〈オートドクター〉が本物だと証明されると分かっているので、何も心配していません」


「最高のもてなしはするつもりだ」

 ジョンシンはそう言うと笑った。

「証明って……何かあったら遅いんですよ!」

 ジョンシンのことが心配なのだろう、声を荒げる看護師に対してイリンが言う。

「イーシン、レイは私たちの客よ。失礼な態度は取らないで」


「でも!」

「本当に眠くなってきた」とジョンシンは言う。

「イリン、すまないがあとのことは頼んだぞ」

 彼女はジョンシンに向かってうなずく。

「レイ、ホテルに案内するからそこで少し待っていて」


 ジョンシンが看護師たちの手によって他の部屋に連れて行かれていく光景を眺めていると、ヌゥモ・ヴェイが口を開いた。

「レイラ殿、よろしかったのですか?」

「〈オートドクター〉のことか?」

 ヌゥモはこくりとうなずいた。


 私はグルリと部屋を見渡す。

「カグヤ?」

『大丈夫だよ。建物のシステムには侵入していて、私たちの会話は完全に盗聴できないようにしてある』


 カグヤに感謝したあと、ヌゥモに言った。

「ペパーミントが工場から持ってきた〈オートドクター〉が、最後のひとつだって言うのは本当だ」

「それだけ貴重なモノを、ジョンシンに贈ることに本当に意味はあったのでしょうか?」

「どうだろう」と、私はグラスを手に取るとコニャックを飲んだ。

「でも俺は信じてみようと思っている」


「信じる……ですか?」

「彼らが俺に対して敵意がないことは分かっているからな。だから〈紅蓮〉が正しい選択をしてくれることを信じている」


「争いを遠ざけるために、ですか?」

「そうだ。座ってくれ、ヌゥモ」

 私はそう言うと、ヌゥモのグラスにコニャックを注いだ。


「戦いに勝利するための、基本的な条件を知っているか?」

 ヌゥモはグラスを受け取るとうなずいた。

「兵員と物資を相手よりも多く確保することです」

「俺たちは五十人足らずの組織だ。機械人形や多脚戦車、それから数千の傭兵を相手にするのは不可能だ」


 ヌゥモはコニャックを飲むと、グラスの中の液体を見つめた。

「次に重要になるのは……」と、私は考えながら言う。「兵器かな」

「相手よりも優れた武器ですね」

「ああ。俺たちにはハクを含めて、強い戦士が沢山いる。俺が使うハンドガンも強力な兵器だ。けど、たしてその優位性は俺たちだけのモノだろうか?」


「敵対勢力にも強力な兵器や戦士がいると?」

 私はうなずくとコニャックを飲んだ。

「俺たちはレイダーギャングとやっと渡り合えるだけの小さな勢力だ。一方で敵対する〈鳥籠〉は、戦争のための潤沢じゅんたくな資金をもつ巨大な組織だ」

「厄介な相手です……」


「だから戦争はできるだけ遠ざけたい。けど、それでもどうしようもないこともある。だから〈紅蓮〉を味方にしたいんだ」

「紅蓮と共に敵対勢力と戦うつもりですか?」

「紛争が俺たちにも及んだら、自然と共闘することになるだろうな」

「その布石として〈オートドクター〉を利用する……」


 私はうなずいて、それから小声でヌゥモに言った。

「それに〈オートドクター〉はたしかに貴重な代物だ。でも大量に入手できる算段は整っている」

「複製は不可能では?」とヌゥモは困惑する。

「製造方法をペパーミントが知っていたんだ。兵器工場で手に入らなかったのは、製造のための設備がないからだ」


「もしかして」とヌゥモは眉を寄せる。

「拠点の地下にある医療施設で製造が可能なのですか?」

 私は思わず笑顔になる。

「重要なのはナノマシンの製造だからな。その設計図を握っている俺たちになら、〈オートドクター〉を製造することができる」


「我々は他の組織から優位性を保ったまま〈紅蓮〉に大きな貸しを作り、さらに仲間を得ることになったのですね……」

「そういうことだ」と、私はコニャックの残りを喉の奥に流し込んだ。

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