第122話 紅蓮の総意 re


 地下施設につながるしゃこうエレベーターが動き出すと、上方で厚い隔壁が閉じていくのが見えた。〈フーチュン〉は相変あいかわらず我々に背中を見せ、前方の壁を見つめたまま黙って立っていた。


 なにかの演出か、あるいは極度の人見知りなのか、それは分からなかったが無視されるのはいい気分がしなかった。私は彼のことを警戒して目のはしに置いたまま、周囲に視線を向けることにした。


 エレベーターの左右には紺色の磨かれた壁が見えていたが、しばらく下降を続けると状況は変化して、ぎだらけの壁に変わっていった。赤錆が浮いた鉄板や複雑に絡み合う配管、そして太いケーブルが剥き出しになって見えるようになった。時折ときおり、それらの配管の上をドブネズミが走っているのが見えた。


 どうやら〈紅蓮ホンリェン〉と呼ばれる〈鳥籠〉は、旧文明のシステムによって完璧に管理されているという訳ではなさそうだ。

 暗がりでうごめいていた無数の脚を持つ奇妙な昆虫に追いかけられていたネズミの行く末を眺めていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。


『この施設は建設途中だったのかもね』

 カグヤの言葉に同意すると、〈ウェンディゴ〉の車内で待機していたミスズたちを呼び出してもらった。搭乗員用ハッチから出てきたナミは大きな伸びをすると、興味深そうに上方に向かって流れていく壁を眺めていた。


 施設内は気温が調整されていて、砂漠の集落で感じていた暑さはなくなっていた。どこからか冷たく心地よい風が吹いて、ミスズの綺麗な黒髪をフワリと揺らしていた。ペパーミントは退屈そうに欠伸あくびをしていて、ナミはミスズに奇妙な昆虫についてたずねて、彼女を困らせていた。ヌゥモ・ヴェイはフーチュンに視線を向け、彼の動きを注意深く観察していた。


 それまで熱心に壁を見つめていたフーチュンが振り向いて言った。

「ところで、君たちは私についてどれくらいのことをなにか知っているんだ?」

 情報を大切にするものなら、自分のことを知っていて当然と言いたげな、そんな偉ぶった口のきき方だった。


「とくに何も知らないよ」と私は正直に答えた。

「少なくとも略奪者には見えない」

 フーチュンは怒りで顔を真っ赤にしたが何も言わず、それから少しの間、自身自身の手を黙って見つめながら気を落ち着かせていた。思っていたよりもフーチュンは気が短いのかもしれない。


「質問の意図が知りたい」と、私は質問した。

「ああ、そうだな」と、彼はちらりと私に視線を向けた。

「〈紅蓮〉にやってくる人間の多くは、我々について知りたがる。とくに組織について」

 彼の言葉にうなずいて、それから言った。

「鳥籠の規模に見合った大きな組織だと聞いている」


「素晴らしい組織だ。名の知れた傭兵団ですら、片手で握り潰せるほどの力も持っている」

 彼は得意げに言うと、ナミに流し目を使う。

「それで」と、私は素っ気無く言う。

「その組織であんたはどんな役割を持っているんだ?」


「あんた?」

 フーチュンは怒りがこもった表情で私をにらんで、それから足元に視線を落とした。そのさい、彼のいやな視線から私をかばうように、ヌゥモは私の前に立った。

「ヌゥモ、俺は大丈夫だよ。ありがとう」

「いえ」ヌゥモはそう言うと、長剣のつかから手を離す。


「失礼」と、フーチュンは咳払いをする。

「そう言えば、お前たちにまだ名乗っていなかったな。私の名は〈フーチュン〉だ。〈紅蓮〉の警備を任されている歴史のある氏族だ」

 私が黙っているとフーチュンは続けた。

「お前たちに分かり易く言うのなら若頭だ。それが組織でどんな意味を持っているのか分かるな?」


「立場を利用して他人をおどすことができる?」

「面白い」とフーチュンは真顔で言う。

「なにか気にさわることでもあったのか?」

 彼の言葉にうなずいて、それから言った。

「すべてだ。あんたの気取った演技も気に入らないし、この馬鹿に遅いエレベーターも気に入らない。あんたの目的はなんだ?」


「目的?」とフーチュンは眉を寄せた。

「地上の警備隊との騒動も、あんたが仕組んだことなんだろ?」

 私の言葉にフーチュンは大袈裟おおげさに驚いてみせた。

「まさか。そんなことをする理由がない」


 フーチュンはニヤリといやらしい笑みをつくって頭を振ったが、彼からは敵意を示す赤紫色のもやが立ち昇っていた。フーチュンが我々に対して激しい殺意をいだいていることは明白だった。


 音もなく動き続けるエレベーターが、壁に設置されていた装置からレーザー照射を受けて、赤い光のカーテンを通り過ぎたときのことだった。


『レイラさま』

 ウミの声が内耳に聞こえると、私は声に出さずに返事をする。

『どうした?』

『〈ウェンディゴ〉のシステムに対して、何者かが侵入を試みた痕跡を感知しました』


 フーチュンに動揺を見せないように、私は努めて冷静に振舞ふるまう。

『状況は?』

『ウェンディゴに問題はありません。侵入は未然に防ぎました。しかし……』

『しかし?』


『相手の出方を見たいとレイラさまがおっしゃっていたので、侵入された〝フリ〟をしました』

『フリ? そんなことをして大丈夫なのか?』

『問題ありません。ブログラムのおりを造り、そこにワザと侵入させました』


 ウミは私にも分かり易いように説明してくれているのかもしれないが、ウェンディゴに侵入しようとする凄腕のハッカーを騙すことができるおりがどんなモノなのか、私には理解できなかった。


『それはすごいな』

 私が感心して本心を言うと、ウミは凛とした声で、それでいて得意げな声で言った。

『造作もないことです』

『侵入者が何をしたいのか分かったら、教えてくれ』

『承知しました』


 フーチュンは腕を組むと、口の端を持ち上げる。

「なにか誤解があったみたいだ。しかし回りくどいのが嫌いだと言うのなら、率直に話そう。私もいつまでもこんな白けた演技を続けたくないんでね」

「続けてくれ」

 フーチュンは私を睨むと、ワザとらしい溜息をつく。


「〈紅蓮〉は長いこと外部との接触を絶ってきた。まるで籠城するように、なにもない砂漠で時間を無駄にしてきた」

「時間を無駄に……? どういうことだ」


 まるで喜劇の役者のように、フーチュンは私に腕を伸ばした。

「我々には人的資源があり数千の兵士を抱える戦闘集団だ。それなのにどうして砂漠に閉じこもる必要がある?」


「地上の奴隷に飽き足らず、他の鳥籠にも欲望を向けるつもりか」

「こんな世界だ。我々は団結しなければいけない、そうは思わないか?」

「一方的な支配を、人は団結とは言わない」

「そうだな」と、フーチュンは下手へたな作り笑いを浮かべた。


「おっさんはさ」と、それまで黙って話を聞いていたナミが言う。

「私たちと戦争がしたいの?」

 端末を介して翻訳ほんやくされたナミの言葉を聞くと、フーチュンの表情が変化した。

「おっさん……だと?」

 フーチュンはナミを茫然ぼうぜんと見つめ、それから私を睨んだ。


 私は肩をすくめる。

「ナミは俺の仲間だけど、部下じゃない。俺を睨んだところで、彼女の話し方は変わらないし、俺もわざわざ注意するつもりはない。あんたみたいな人間と話しているなら尚更なおさらだ」


「あんたみたいな人間か……。これだから礼儀を知らないネズミとは関わりたくなかったんだ」と、フーチュンは我々に対していだいている悪意を隠すのを止めた。


「まさかあんたの口から礼儀なんて言葉が出てくるとは思っていなかったよ。それで、あんたは何をたくらんでいるんだ」

 私はそう言うと、周囲から感じられるようになった敵意に視線を向ける。そのときだった。下降を続けていたエレベーターが急に止まると、壁面パネルや配管の隙間からライフルの銃身があらわれる。


 はじめからこの位置でエレベーターを止めることが計画されていたのだろう。我々に向けられた銃口の数は、両手で数えきれないほどだった。敵対的な勢力に狙われていることに気がつくと、ペパーミントはゆっくりウェンディゴの側まで後退して、銃口から身を隠すように生体脚の間に入る。


「ミスズ。あなたもこっちに来なさい」

 異変を察知して周囲に視線を向けていたミスズはペパーミントの言葉にうなずくと、ウェンディゴの側まで移動する。彼女のあとを追うように、銃口がゆっくりと動くのが見えた。


「勝手な真似をされては困る。そのままじっとして一歩も動くなよ」

 この状況を楽しんでいるようにフーチュンは言った。

「さて、貴様には〈イリン〉との面会を断念してもらう」


「俺をおどすつもりか」

 彼は私の言葉を無視して言う。

「イリンは貴様との面会で、ある提案を行う」

 うんざりしながら頭を振ると、フーチュンの黒い瞳を見つめる。

「イリンの提案っていうのは?」


「〈オートドクター〉の製法を開示することだ」

「製法の開示ね……俺が聞いていた話と違うな。お前たちは〈オートドクター〉がほしかっただけじゃないのか?」

「〈オートドクター〉が手に入ったからといって、〈五十二区の鳥籠〉との紛争はもう誰にも止められない。そしてその邪魔は誰にもさせない」


「邪魔か」私は鼻を鳴らした。

「そもそもあんたたちは、なんで勝ち目のない戦いを始めたんだ」

「目の前に餌がぶら下がっているんだ。いつかないほうがおかしいと思わないか?」

『餌ね……』とカグヤがつぶやく。『その争いでどれだけの死者が出るのか分からないけど、そんな風に割り切れちゃうんだね』


「鳥籠の支配権を得るために、俺を口実にして戦争を始めた。けど鳥籠との戦いは思うようにいかず状況が泥沼化すると、ある程度の権力を持つ者たちは手を引きたくなった。そう言うことか?」


「争いを始めたのは年寄りどもじゃない。俺がキッカケを作ってやったんだ。この俺がな」とフーチュンは自信満々に言う。「だから邪魔はさせない。連中の鳥籠を手に入れるまで戦いは続ける」


「理由がなんであれ、鳥籠との紛争は起きている。その争いを終わらせるために、鳥籠の権力者たちは俺を利用するつもりだったのか」

「鋭いんだな」と、フーチュンは唇を湿らせた。「まあ、そんなことは誰でも推測できることだ。年寄りどもは〈オートドクター〉の製法を〈五十二区の鳥籠〉に譲渡して、今回の事を手打にしたいのさ」


「それで。あんたの望みはなんだ?」

「決まっている。紛争の継続さ」と、フーチュンはニヤついた笑みを浮かべる。

「〈五十二区の鳥籠〉は俺たちの攻撃をなんとかしのいでいるが、傭兵組合が派遣できる人間にも限りはある。連中の資産に限りがあるようにな」


「紛争の継続は、〈紅蓮〉の総意ではなさそうだな」

「数世紀も砂漠に閉じこもって穴掘りに精を出す老人どもが、今更そんなことを考えるかよ」フーチュンは興奮しているのか、抑揚よくようのない口調で言った。


「それならこんなことをする必要はない」と私は言う。

「〈オートドクター〉の製法なんて俺は知らない。鳥籠との紛争を続けたいのなら、勝手に続けてくれ」

「いや、貴様は知っているはずだ。そしてその製法は俺がいただく」


『ぶん殴りたい顔だよね』

 私はカグヤの言葉に同意した。たしかにフーチュンは先ほどから自信たっぷりのいやらしい笑顔を私に向けていた。我々に向けられている銃口の多さが、フーチュンに自信を与えているのかもしれない。


「〈七区の鳥籠〉でお前がなにをしたのか、俺は知っている」と、フーチュンは何度かうなずきながら言う。

「俺がなにをしたんだ?」

「とぼけても無駄だ。〈七区の鳥籠〉に〝お友達〟がいることは把握している。たしか……〈ペパーミント〉とかいう暗号を使っていたな」


『ねぇ、レイ? もしかしてだけど、こいつがドローンを使っていた監視者じゃない?』

 カグヤの言葉にうなずいて、それから私は言った。

「俺たちを監視していたのは、あんただったのか」

「監視ね」と、フーチュンは腹を抱えて笑い出した。

「もちろん私はお前たちのことならなんでも知っている。貴様がレイダーギャングを潰したことも、そのときに使用していた兵器のこともな」


 フーチュンはそう言うと、太腿のホルスターに収まっていたハンドガンに視線を向けた。

「そのハンドガンは俺が預かる。それでお前にはもう用がない。蜘蛛の巣だらけの拠点に帰って、レイダーどもの慰み者にされていた女どもと乳繰り合っていろ」


 見え透いた挑発に乗せられる必要はない。うんざりして溜息をついたあと、彼に質問した。

「ひとついてもいいか? あの〈偵察ドローン〉は、あんたのモノだったのか?」

「ああ、そうだ。〈紅蓮〉の地下で発掘された貴重な〈遺物〉だったが、あの忌々いまいましい白蜘蛛に落とされた」


「そうか……分かった。俺も知りたかったことが聞けたし、もうここに用はない。俺たちを地上に帰してくれないか」

「もちろんだとも」フーチュンは笑顔になった。

「砂漠を歩いて帰ることになるだろうから、水は沢山買っていくといい。なんだったら値下げしてあげてもいい」


「歩いて?」

「そうだ。その〈ウェンディゴ〉とかいう車両も私のモノになるんだからな」

「そういうことか」と、私は思わず笑みをみせた。

「そう言うことだ」とフーチュンも笑顔になった。

「ほらさっさと、ハンドガンを寄越よこせ。そうしたらお前とその男は無事に帰してやる」


「無事に?」

「私は優しいからな。ここにいる女は私が世話をしてやる。貴様にはもったいない女だからな。それに、貴様にはレイダーの使い古しがあるだろう?」

 フーチュンの得意顔を呆れながら見ていると、ウミの声が聞こえた。



『レイラさま、〈ウェンディゴ〉に侵入を試みた者の狙いは、ウェンディゴのシステム権限を奪うことでした。にせのパスワードを造って、プログラムのおりに放り込んだところ、嬉しそうに奪っていきました』

『侵入者は出ていったのか?』


『はい。それから――』と、ウミは続ける。

『敵性生物に対するロックオンはすでに完了しています。いつでも攻撃が行えるので、そのときがきたら合図をお願いします』

『分かった。ありがとう、ウミ』


 私は周囲に視線を向けながらたずねた。

「俺たちのことはいつから監視していたんだ?」

「最初の襲撃からだ」と、フーチュンは言う。

「まさか蜘蛛の変異体を飼いならしているとはな。あの忌々しい蜘蛛同様、お前も不気味な男だ」


「監視のためのドローンはもうないのか?」

「ある訳ないだろ。貴様はネズミのくせに、あのドローンがどれほど貴重な遺物なのか分からないのか?」


 彼の言葉に肩をすくませたあと、ハンドガンを抜くと銃身を持ち、グリップをフーチュンに向けたまま彼に近付いた。フーチュンは私の行動に満面の笑みを浮かべると、ハンドガンを受け取るために腕を伸ばした。


「ウミ、やってくれ」

 ウェンディゴの車体上部、屋根の一部が左右に展開すると、配管の影や壁の隙間に潜んで者たちに対して、ウェンディゴからロックオンのためのレーザーが照射されるのが見えた。


「なんだ。どうなっている!」

 フーチュンは狼狽うろたえて、誰に言うともなく声を荒げた。

「ウェンディゴを動かす許可は出していない!」


「おい、受け取れ」

 私はそう言って腕を振り抜いた。

「へっ?」

 私からの攻撃を予想していなかったのか、フーチュンは間抜けな声を出した。


 ハンドガンのグリップでフーチュンのあごを砕いたときだった。展開していたウェンディゴの車体上部から、無数の〈超小型追尾ミサイル〉が発射された。親指ほどの大きさのミサイルは、レーザー照射されていた目標に向かってすごまじい速度で飛行し、目標に接触すると炸裂さくれつした。配管の影や壁の隙間からは、肉片や血液が噴き出し、エレベーターの床を汚した。


『一件落着?』とカグヤが言う。

「そうだな」

 私はそう言うと、倒れていたフーチュンの身体からだまたぐようにして立った。

「ウミ、ありがとう。予想外の攻撃で驚いたけど、敵は制圧できた」

『サプライズです。レイラさま』と、ウミはクスクスと笑った。


 ぼんやりとした意識で気丈きじょうに何かを話そうとしていたフーチュンに私は言った。

「あんたは俺の仲間に銃口を向けた。俺を監視していたのなら、俺がどれだけ仲間を大切に思っているか知っていたはずだ」

 私はそう言うとフーチュンの肩を踏み潰した。彼は痛みに叫び声を上げた。


「教えてくれ、どんな風に死にたい? 頭を吹き飛ばされたいか? それとも焼き殺されたいか?」

 ハンドガンの銃口をフーチュンに向けたときだった。突然、エレベーターが動き出した。


「ヌゥモ」と私は言う。「戦闘の用意を」

 ヌゥモは肩に吊るしていたレーザーライフルを構えると、姿勢を低くした。ナミに視線を向けると、もたつきながらもレーザーライフルの電源を入れて構えるのが見えた。


 エレベーターが止まった先は驚くほど広い空間になっていて、数十人の隊員がライフルを構えたまま待機しているのが確認できた。

「レイ! 無事だったのね!」

 集団から女性が走ってくるのが見えた。


「イリンなのか?」

 〈ヤン〉のお姉さんを見ながら、ハンドガンの銃口を下ろした。

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