第116話 隠蔽 re
建物屋上には白骨化した人間の骨が散乱していて、その周囲には黒い染みができていた。死体の
するとカグヤの困惑した声が内耳に聞こえた。
『見失ったの?』
どうやら上空から監視していたカラスが敵の姿を見失ってしまったようだ。
「ここまでは順調に追跡できていた。それなのに男の反応が急に消えたのか」
視線の先に拡張現実で表示されていた周辺一帯の地図を確かめる。
『男の反応が消えたときの様子を表示する』
カグヤの言葉のあと、記録されていた映像が表示される。すると道路を移動していた男が突然、なにもない場所で消える姿が確認できた。
「どうなっているんだ?」
顔をあげて男が消えた場所に視線を向けるが、とくに何も見当たらない。建物の間に空き地があるだけだ。
「地下に
『地下に潜っても、〈ワヒーラ〉の索敵能力なら追跡できる。だからその可能性はないと思うよ』
「レイラ殿」と、ハクと一緒にやってきた〈アーキ・ガライ〉が言う。
「敵はどうなったのですか?」
彼女の
「見失った」
「そうですか……」
アーキはハクの
「どうした、ハク?」
じっと空き地を
『におい、する』
「臭い?」アーキは自分自信の戦闘服の匂いを嗅ごうとした。
『アキ、ちがう』
「他に誰かの臭いがするのか?」
『ん、てき、におい』
そのときだった。突然、側頭部に強い衝撃を受けて私は
「レイラ殿!」
アーキが駆け寄ってくるが、素早く彼女を抱き寄せると地面に押し倒す。
「狙撃だ。身を低くして顔を出すな」
「わ、分かりました」
彼女から離れると、すぐ近くに来ていたハクに身を寄せる。
「ハクもそのまま身を低くしていてくれ」
『ん』
『レイ、大丈夫?』
カグヤの言葉に反応して、フェイスプレートで覆われていた部分に手を当てる。
「マスクが
『よかった。面頬の仕様書で能力は知っていたけど、それでも軽い
「大丈夫だ、それよりマスクはどうなってる?」
『損傷はないみたいだね』
「損傷がない?」
『マスクの装甲に食い込んだ弾丸を吸収、分解してそのまま損傷箇所の修復に使用したみたい』
「めちゃくちゃだな」と私は呆れる。
『でも、そのおかげでレイは怪我をしないで済んだ』
「そうだな」
弾丸を受けた箇所に触れると、修復された箇所に、かさぶたのように残っていた素材が装甲の表面から
腹這いになりながら、狙撃銃の照準器を覗き込んでいたアーキが言う。
「レイラ殿」
「何か見つけたのか」
「はい。男の姿がちらちら見えています」
「カグヤ、アーキが見ている映像を共有できるか?」
『うん。すぐに表示する』
拡張現実のディスプレイに表示された映像には、とくに何も
「なにも――」そう言いかけて私は口を閉じると、注意深く映像を確認する。
強風が吹くたびに、空中に浮かぶライフルの銃身と、その小銃を構える男の頭部が
『シートだ!』とカグヤが言う。
「シート? 何のシートだ?」
『たぶん、特殊な技術でコーティングされたシートで建物全体を覆っているんだよ』
「……もしかして迷彩効果がある
『うん、はじめから男を見失ってなかったんだ。私たちの拠点を監視していた連中の隠れ家は、きっとあそこにあるんだよ』
カグヤの言葉について考えながら、しばらく視線の先にある不自然な光景を眺める。
「アーキ、この場所で敵の注意を引きつけてくれないか?」
「レイラ殿は、あの幻影の中に入る気なのですか?」と、彼女は不安そうに言う。
「そうだ。だからアーキはここで敵の狙撃手に対応してくれ、相手を殺せる
「承知しました」
「頼んだよ」私はそう言うと、建物の反対側に向かって駆け出した。
背後から銃声が聞こえたが気にせず建物を飛び降りた。着地の瞬間にハクに
『いっしょ、いく。はやい』
「ありがとう、ハク。そのまま遠回りして空き地の反対に行こう」
『ん』
「カグヤ、〈ワヒーラ〉は近くまで来ているのか」
『うん。後方で待機させていたけど、今はアーキがいる建物の近くまで移動させてる』
カグヤの言葉のあと、〈ワヒーラ〉の位置情報が地図上に表示される。
「そこから索敵するのか?」
『そうだよ。アーキの掩護と、それから敵が隠れている建物の詳細な情報を取得できるかやってみる』
「了解」私はそう言うと、通りを
「ハク、そのまま人擬きの横を通ってくれ、人擬きは俺が斬り殺す」
『りょうかい』
人擬きは感染して間もない個体なのか、泥だらけの戦闘服を着ていて人間だったころの面影が残っていた。しかし片腕を失くしているにも
その人擬きの横を通り過ぎるのと同時に、右手首から〈ヤトの刀〉を出現させると、人擬きの胴体を両断した。人擬きは二つに裂けても、しばらくジタバタと暴れながら
刀を右手首の刺青に戻すと、ハクのフサフサとした体毛に掴まる。
『レイ、もうすぐ』
ハクはそう言うと、空中に跳び上がりながら建物の外壁に糸を吐き出した。それから
「楽しかったよ、ハク」
私はそう言うと、ハクの背中を撫でた。
『たのしい、すき』
ハクは腹部を揺らすと、地面をトントンと叩いた。
ハクの仕草に思わず笑みを浮かべたが、すぐに顔を引き締めた。
「ハク、敵拠点に静かに潜入するぞ」
『ん。ゆっくり』
〈ワヒーラ〉から受信していた周辺地図を確認したあと、空き地にちらりと視線を向けた。建物を
「見えるか、カグヤ。あそこが出入口だ」
『うん。シートに付着した男の血痕も確認できた』
カグヤがそう言うと、シートに付着した男の手形が赤い線で縁取られる。
「シートの切れ目は上階に続いているな」
『うん。ハクには上階から侵入してもらおう』
「ハク、透明なシートの切れ目に、大きな窓が浮かんでいるのが見えるか」
風に吹かれて
『まど、ある』
「俺は下から侵入するから、ハクは上階の窓から静かに侵入してくれ」
『殺す?』と、ハクの強い感情がハッキリと伝わる。
「とりあえず建物内にいる人間はハクの糸で捕まえてくれ。それでもハクに攻撃をしようとしたり、抵抗したりするようだったら殺してもいい」
『ん。わかった』
ハクは空中に浮かぶ不自然な窓に向かって飛びつくと、音も立てずに建物内に侵入していった。すると廃墟の街に銃声が響き渡る。射撃音は建物に潜んでいた狙撃手の位置から聞こえた。
「アーキ、そっちは大丈夫か?」
『はい、問題ありません。敵は私を誘い出すつもりなのでしょう』
「誘うか……アーキは美人だから、きっとデートがしたいんだろ」
『
「そうだな。気をつけてくれよ」
『大丈夫です、顔は出しません。敵が私の顔を見るのは、おそらく死ぬときだけです』
銃声が鳴るタイミングを見計らって建物に接近した。するとシートの一部が機能していないことが分かった。
『映像が荒いね。シートのナノコーティングは完璧じゃないのかも』
カグヤの言葉にうなずくと、厚手のシートに触れる。ひどく汚れていて、完璧な光学迷彩とは程遠いモノだった。しかし〈ワヒーラ〉の助けがなければ、空き地に建物があることに気がつかずに、この場を通り過ぎていたことも事実だ。
「敵が何をしてくるか分からない。だから
『わかってるよ』
シートの隙間に身体を入れると、廃墟の窓から室内に侵入する。
建物は建設途中に放棄されていたのか、
そのシートには上階から伸びるケーブルが接続されていた。薄暗い室内に私の目はすぐに順応したが、マスクの光センサーも環境に反応してナイトビジョンに切り替わった。視界は良好で、周囲の色相が完全に再現されていた。それはマスクの映像を切り替えなければ、暗闇にいることさえ忘れるほどの完璧な再現だった。
天井に視線を向けると、小銃を手に
ハクは巡回していた人間の背後に忍び寄ると、長い脚を使って人間を
前方に視線を戻すと、柱の陰に隠れていた人間の輪郭線を見つめた。その人間はナイフを握っていて、私が通り過ぎるのを今か今かと待ち続けているようだった。その柱にハンドガンの銃口を向けると、隠れていた人間の太腿を撃った。柱を貫通した弾丸は敵の太腿に食い込んだ。
ナイフを取り落としてその場に屈みこむ男の顔面を蹴り上げると、男は気を失ってその場に倒れた。男は腕からも血を流していた。
『アーキが狙撃した男だね。私たちの尾行に気がついていたんだよ』
カグヤの言葉に思わず呆れる。
「追跡に気がついていたのに拠点まで逃げて来たのか」
『拠点はシートで
男は太腿からも多量の血液を流していた。放っておけば失血死するだろう。私は倒れている男を
階段に潜んで奇襲してきた人間を
『仕込み刃!? 気をつけて、レイ。この女は人体改造してる』
「わかってる」
後方に飛び
彼女に向かって撃ち込んだ弾丸は、驚くような反射速度で
生命力、あるいは魂と表現できるモノが、刀身を伝い私のなかに流れ込んできた。快楽に
階段を上がると、柱の向こうから出鱈目に銃が乱射された。相手は特殊な光学迷彩を使っていて、私は敵の存在に気がついていなかった。もしも敵意を感じ取ることのできる瞳を使用していたら、こんな事態にはならなかったはずだ。
すると無防備だった私を
「殺す気はない」と私は言って女に銃口を向けた。
「だからそこで大人しくしていてくれ」
女は何度かうなずいた。
突風が吹いてシートが
「大人しくするのは、お前――」
狙撃銃の銃口を私に向けた男の頭部が弾けた。
『仕留めました』と、アーキの声が内耳に聞こえた。
「ありがとう、アーキ。助かったよ」
『いえ、楽勝です』
「結局、こいつは美人の顔を見ずに死んだか」
『美人って私のことですか?』と、アーキの声が聞こえる。
「他に誰がいる?」
『いえ、あの……』
「狙撃手はもういない、アーキもこっちに来て手伝ってくれないか」
天井を透かして見えている人間の輪郭線を目線で追う。
『えっ、分かりました。すぐに向かいます』
天井に見えていた人間の輪郭線に照準を合わせるように、ハンドガンの銃口を動かす。それから敵対者に向かって射撃を行う。弾丸は天井を突き抜けて、上階にいた敵対者の
「ハク。さっきは助けてくれて、ありがとう。痛くなかったか?」
『ハク、いたい、ない』と、ハクは腹部を震わせる。
「そうか……ハクは敵を何人捕まえたんだ?」
『さん?』と、ハクは
「三人か?」
『しんだ。かもしれない……』
「死んでいたら仕方ない、連中は俺たちを殺そうとしたんだ。とりあえず俺は上にいる連中を片付けてくるから、ハクも捕まえた人間をこの場に連れてきてくれるか?」
『ん、わかった』
ハクの後ろ姿を見ながら、床に座り込んでいた女に言う。
「あの白蜘蛛に殺されたくなければ、無駄な抵抗はするなよ」
「う、うん」と女はうなずいた。
抵抗の意思を見せない女をその場に残して、階段に向かった。
「レイラ殿、何処へ?」
階段を上がってきていたアーキに会うと、女の見張りを頼んだ。
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