第115話 監視 re


 拠点の食堂は閑散としていて、ヤトの戦士たちの姿をほとんど見かけなかった。

 食堂に並ぶ長テーブルに視線を向けると、情報端末を睨みながら〈国民栄養食〉をゆっくり咀嚼そしゃくしている女性がひとり、にぎやかに食事をしていた集団から離れて座っていた。


 〈赤い花〉の名を持つ〈ヴェルカ・フローナ〉は、ヤトの戦士たちから距離を置かれて、いじめられている訳ではなく、〈データベース〉のライブラリーにある〈旧文明期以前〉の日本の歴史に夢中になっているだけだった。


 情報端末によってヤトの一族が使う言葉に翻訳ほんやくされているとはいえ、言語や言葉のニュアンスの違いで完全に日本語を理解するのは難しいはずだった。それでも彼女は読み物に集中していて、固形状の食品をぽろぽろとテーブルにこぼしながら端末を見つめていた。


 彼女はヤトの部隊で衛生兵として活躍し、冷静な判断力と的確な治療で負傷者の救援を行っていた。先日、彼女に渡せなかった褒美を直接渡しに行くと、彼女は感謝して受け取ってくれたが、あまり感情を表に出さないのか終始無表情だった。


 しかしカグヤがお気に入りの漫画の話を始めたら、ものすごい勢いで喋り出したので、感情がとぼしい訳でもなさそうだった。


 彼女から視線を外すと、食堂に視線を向ける。まともな料理ができるのがミスズとウミだけだったので、今まで使う機会がなかった場所だったが、戦勝祝い以降、ヤトの若者たちが戦闘糧食を持参して食堂で食事を取るようになっていた。


 主に使用していたのは、ヤトの若い女性たちだったが、最近では彼女たちを目当てにしている青年たちの姿も見るようになった。意外だったのは、隠密部隊を率いる〈アレナ・ヴィス〉が、時間があれば食堂に通っていることだった。目当ての女子でもいるのだろうか?


 ヤトの一族は基本的に、拠点の地下に自由に出入りできるようになっていたが、地下の居住区画を使用している者はほとんどいなかった。部族は地上に用意された住居じゅうきょを好んで使用していた。


 部族が施設の快適な部屋を使わない理由は、地下まで移動するのが面倒だからだと私は考えていた。しかしこればかりはどうにもできない、核防護施設なので立ち入りに面倒な工程があるのは仕方のないことだった。


 食堂の奥にある厨房では、家政婦ドロイドを遠隔操作するウミの姿が見えた。そこにジュリとヤマダがやってきて、彼女と一緒に調理をはじめる。私は時折聞こえてくるジュリの笑い声を聞きながら、テーブルを挟んで向かい合うように座っていた〈ヤン〉に視線を向ける。


「まさか〈鳥籠〉の人間がヤンに接触するとは思っていなかったよ」

「同胞だからな」とヤンは溜息をつきながら言う。

「それに、レイと付き合いがあることは知られている」

「中華街の鳥籠から来た人間は、ヤンの知り合いだったのか」

「知り合いというか……俺の姉だったよ」


「へぇ、ヤンにはお姉さんがいたんだな。そのお姉さんは?」

「レイに直接会いにこなかったのは、警戒しているからだと言っていたな」

「警戒?」と私は顔をしかめる。

「襲撃者と勘違いされて、レイと敵対するような危険をおかしたくなかったんだろうな。レイにどうせっするのか、連中はまだ決めかねているみたいだ」


「決めかねている……か、俺を囲い込むって話はどうなったんだ?」

「それは最終手段だ。今のところ、連中にレイを害する気はないだろう」

 そう口にしたヤンは〈ジャンクタウン〉の警備隊長だったが、今日は休みを取って医療組合に所属する〈クレア〉を連れて拠点に来てくれていた。


『レイと敵対したくないのは、戦争に集中したいから?』

 カグヤの問いにヤンはうなずく。

「そうなのかもしれないな。〈五十二区の鳥籠〉との争いは、日々激化しているらしいからな」

『〈五十二区の鳥籠〉か、たしか〈製薬工場〉がある鳥籠だよね?』

「そうだ」


「戦闘の状況は分かるか?」と、私はたずねる。

「鳥籠がかかえる傭兵組織と愚連隊の攻撃で、〈五十二区の鳥籠〉は相当な数の死傷者を出している」

「俺を蚊帳かやの外に置いて、本当に殺し合いをしているんだな」


「おかげで〈ジャンクタウン〉の傭兵組合はもうかっているみたいだ」

 ヤンは呆れながら言う。

「〈五十二区の鳥籠〉に雇われているのか?」

「傭兵だからな。金を出してくれるのなら、どちらにでも味方をする。そういう組織だ」


『噂には聞いているよ』とカグヤが言う。

『廃墟の街が騒がしいことになってるって、それに〈ジャンクタウン〉の販売所で買える銃や弾薬の値段が高騰しているってことも聞いた』


「武器だけじゃないさ。最近じゃ食料の値段も軒並のきなみ値上がりしている」

 ヤンはそう言うと、くせなのかボディアーマーの首元に両手をかけた。

『こんな危険な世界で戦争とか、馬鹿ばかげてるよ』

「たしかに……。でもいいこともあった」


「なにが?」と、私はヤンにく。

「レイが潰してくれたレイダーギャングだよ。連中がいなくなって、交易がスムーズに行われるようになった。レイダーに支配されていた地区を警戒して使わなかった行商人も、今では新たな交易路として、あの地区を活用してる」

「それはよかった」


「おかげで、〈ジャンクタウン〉で物資が不足することはない、隊商は絶えずやって来るからな」

「人々の生活に混乱が出ないように、ひそかに貢献こうけんできたってことか」

 思わず鼻で笑う。

貢献こうけんできたなんてもんじゃないさ」とヤンは頭を振る。


「レイはギャングを討伐したって名乗り出なくてよかったのか? 商人組合からそれなりの報酬をもらえたはずだ」

「レイダーから手に入れた戦利品だけでも、戦闘の見返りは充分にあった。それに、わずかな報酬のためにわざわざ名乗り出て、戦利品の返却を求められたくない」

「それもそうだな」とヤンは肩をすくめた。


『それで、ヤン。中華街にあるっていう〈鳥籠〉の目的はなんだと思う?』

 カグヤの言葉にヤンは険しい表情をみせる。

「〈オートドクター〉とかいう医療品だ。連中の望みはそれだけだ」

「〈オートドクター〉か……」私はそう言うと、白い天井を眺める。

「俺をそっとしておいてくれるなら、取引しても構わないんだけどな」

「そのなんとかって医療品は、もう持っていないのか?」


「〈オートドクター〉を手に入れた〈七区の鳥籠〉は、あくまでも〈兵器工場〉だからな。あの〈遺物〉が手に入る確証はないんだ」

「けど悪い取引じゃない」とヤンは言う。

「連中は義理堅く受けた恩を忘れない。身内とのつながりを大切にするからな」

「敵対したら、それだけ厄介でもあるんだろうけどな」


 食堂が急に騒がしくなって原因をたしかめようと顔を上げると、食堂に来ていたミスズとクレアが、ヤトの若者たちに囲まれているのが目に入る。ミスズは訓練の教官をしているからなのか、ヤトの一族に人気があった。とくに同年代の女性に人気があり、ミスズにあれこれと質問していた。ミスズと一緒に行動していたナミは、迷惑そうな顔で集団を見つめていた。


 集団の中でおろおろしているクレアにも、ヤトの若い子たちは質問をしていた。どうやらクレアの綺麗に編み込まれた赤茶色の髪が、彼女たちの好奇心に火をつけたようだった。


 ちなみにクレアには、略奪者たちに捕らわれていた女性たちの診療しんりょうをお願いしていた。通常、医療組合の医師を派遣してもらうには面倒な手続きや、多額の報酬が必要になる。しかしクレアは友人として拠点に来てくれていたので、そういった面倒な手続きは必要なかった。もちろん、それでも私は多少の報酬をクレア個人に支払っていた。親しき中にも礼儀あり、というやつだ。


「どうだった?」と、ヤンのとなりに座ったクレアにたずねる。

「うん。最悪も想定していたけど、さいわい彼女たちの身体からだは無事だった」

 クレアは難しい顔でそう言った。


『妊娠してなかった?』とカグヤが率直に質問する。

「大丈夫。怪我はそれなりにしていたし、ずいぶんと痩せていた。でも精神的にまいっている子が多い。……悪夢を見るからって、ずっと眠っていない子もいる」


「彼女たちの日常を取り戻すには、長い時間が必要になりそうだな」

 私の溜息に答えるように、クレアは続けた。

「でも、きっと大丈夫。あきらめないで普通にせっしてあげてね」

「わかってる。途中で投げ出すようなことはしないさ。そうだろ、ミスズ?」

「はい。彼女たちのことは私とレイに任せて大丈夫です」と彼女は微笑む。


「私もできる限りサポートする。だから何かあったときには、遠慮なく私に言ってね」

 クレアの言葉にうなずく。

「そうさせてもらうよ。ありがとう、クレア」

「気にしなくてもいいよ。私とレイの仲でしょ?」と彼女は目のはしで笑う。

「どんな関係だよ」と、ヤンが小声でつぶやく。

『嫉妬かな』とカグヤがクスクス笑う。


「それで、ヤンとの話は終わったの?」

「ああ、終わったよ。近いうちにジャンクタウンに行くから、そのときに中華街の組織に所属する人間と直接会って話をする」

「いいのか、レイ?」とヤンは驚く。

「問題は早いうちに片付けたい」


「そうね」とクレアは同意する。「彼女たちの薬も用意しないといけないから、できるだけ早く〈ジャンクタウン〉に来てほしい」

「わかった」



 ヤンとクレアが乗るヴィードルをハクの巣の外まで送りとどけたあと、拠点周辺の警備に出ていたヤトの部隊と合流することにした。廃墟の街は異様に静まり返っていた。ハクが昆虫の変異体や人擬きを狩り尽くしたことも影響していたが、奇妙な静けさほど不安な気分にさせるものはない。


 廃墟の街に重くのしかかる異様な空気に囚われないように、私は早足で移動した。

 建物屋上に向かうと、アーキ・ガライの形の綺麗なお尻が目につく。

「何か動きはあったか」と、私は彼女に小声でたずねる。

 アーキは屋上の端で腹這いになりながら、ライフルの照準器を覗いていた。


「いや……いえ、動きはありません」

 アーキの横に腹這いになると、マスクを操作して頭部全体を覆うと、マスクに備わる機能を使って目標がいる位置を拡大表示する。崩落した建物の瓦礫がれきに押し潰されていた車両のそば、何もない場所に赤い線で輪郭りんかくを縁取られた人間の姿が浮かび上がる。


「相手はひとりか?」

「はい。見つけられたのも偶然でした」

「偶然、と言うと?」

「レイラ殿に頂いた照準器の性能を確かめていました。そうしたら反応があって……」

『射撃支援ユニットの索敵範囲に敵がいたんだね』とカグヤが言う。

「はい、女神さま」


「ワヒーラのシステムに接続しておいて正解だったな」

『そうだね。赤外線監視機能も備わってるから、光学迷彩も見破れる』

「どうしますか、レイラ殿?」と、アーキは撫子なでしこいろの瞳を私に向けた。


 我々の拠点を監視していた人間の姿はぼやけていてハッキリしない。赤い輪郭線がなければ人間がいることも分からなかっただろう。

「相手は、ずっとあそこに?」

「いえ、何人かの人間が交替で監視を行っているみたいです」

「ハクの巣の監視か?」

「はい。相手は飽きもせず、ずっと同じ景色を眺めています」


『目的を聞き出すために、連中を捕まえに行く?』

 カグヤの言葉にうなずくと、周囲に視線を向ける。

「そうしたいけど、捕まえたあとに自爆される可能性がある」

『怪我だけ負わせられない?』

「前回はそれで失敗しただろ。それにひとりだけ捕まえても意味がない」


『すぐに捕まえにいかないよ。相手は負傷したら、仲間がいる場所に避難するでしょ?』

「ワザと逃がして尾行するのか?」

『うん。それで監視してる連中を一網打尽いちもうだじんにする。拠点を強襲されたら、さすがに自爆はしないでしょ?』

「それは分からないけど、試す価値はあるな」


「アーキ、狙撃を頼めるか?」

「任せてください」彼女はそう言うとスコープを覗きこんだ。

 しばらくの静寂のあと、アーキは引き金を引いた。


 銃声が廃墟の建物に反響すると、光学迷彩で姿を隠していた何者かの腕に銃弾が命中する。男の腕から血煙ちけむりが噴き出し、拠点を監視していた者の姿があらわれた。弾丸の衝撃の所為せいか、あるいは光学迷彩が使用者の動きに対応できない古いモデルだったのか、それは分からなかったが、今では男の姿がハッキリと見えるようになっていた。


『ナイスショット!』と、カグヤが言う。

「照準器のおかげです」

 アーキは謙遜けんそんすると、ボルトハンドルを操作して薬室に弾薬を送り込んだ。

『やっぱり逃げていくね』


 視線を向けると、男が腕を押さえながら走っていくのが見えた。

「あとを追う」

 そう言って立ち上がると、彼女も急いで立ち上がる。

「私も行きます」

「少し急ぐから、アーキはこの場で監視を続けていてくれ」

「ですが!」と彼女は食い下がる。


『ペパーミントからもらったスキンスーツは高性能で、身体しんたい能力のうりょくを高める機能もあるけど、それでもレイに走ってついて行くのは難しいと思うよ』

 アーキはどうしても一緒に来たかったのか、カグヤの言葉を聞いてくやしそうにした。


『アキ、いっしょ、いく』

 可愛らしい声が聞こえると、建物の壁面を登ってきたハクが長い脚をそろりと伸ばしてアーキを抱える。

「ハクも一緒に来てくれるのか?」

 突然あらわれたハクにたずねると、彼女はベシベシと地面を叩く。

『ん、いく!』


『レイ、このままだと見失うから急いで』

 カグヤの言葉にうなずくと、反対の建物に向かって跳んだ。


 建物屋上に着地すると、勢いを殺さないように駆けていく。

 振り返ると建物に糸を飛ばして、触肢しょくしに絡ませた糸を振り子のように振って勢いをつけて、建物の間を楽しそうに移動しているハクの姿が見えた。

 アーキは鷹をかたどったマスクを装着していて、その表情を確認することはできなかったが、ハクとの移動を楽しんでいるのかもしれない。

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