第106話 報復 re


 歩道に敷かれたタイルの割れ目からは梅紫うめむらさき色の雑草が生い茂り、文明崩壊の混乱期に投下された爆弾の破片からは色彩豊かな花が咲き誇っていた。道路の分岐点には用途不明の太いケーブルがいくつも垂れ下がる巨大な彫像ちょうぞうが立っていた。


 その彫像は地球に似せた球体を片手で空にかかげている女性の姿をかたどったモノで、緑青ろくしょうに覆われてツル植物が絡みついていた。その植物には茄子なすこん色の大きな甲虫が止まっていて、周囲を威嚇するように鞘翅しょうしを広げている。


 軍用大型車両の〈ウェンディゴ〉は、超高層建築群を右手に見ながら廃墟の街を進んでいた。林立する高層建築群に視線を向けると、建物の屋上にホログラムで投影された巨大な猫が座っているのが見えた。


 猫は身体からだを前に倒して大きな伸びをすると、となりの建物に表示されていたキャットフードの缶詰に向かって飛んだ。寝転がりながら缶詰に抱き着いた猫がまたたき消えると、〈国民栄養食〉のパッケージで見慣れていた企業ロゴマークが表示された。それはサムライの鎧兜の背後に太陽の光が放射状に伸びる派手なデザインだ。


「キャットフードにまで手を出していたのか……」

 商品の味が気になったが、さすがにキャットフードを食べる訳にもいかなかった。

『なにか見つけたのですか?』

 スピーカーから聞こえるミスズの言葉に頭を振る。

「いや、なんでもない。それより戦闘の準備は順調にできているか?」

『はい。皆さん気合が入っていたので、そろそろ準備ができるかと』


「それなら、俺も戦士たちと合流するか」

『レイラの顔を見たら喜んでくれますよ』

「そうか?」

 モニターに表示されていたミスズは笑顔を見せると、私に琥珀こはく色の瞳を向けた。

『そうですよ。皆さん、レイラのことをすごく好きみたいですし』


 彼女の言葉に苦笑すると、遠くに見えるキャットフードの広告を一瞥いちべつした。猫は顔を洗うと大きな欠伸をして、それから廃墟の街に視線を向ける。

「ウミ、後部コンテナに行ってくるから何かあったら教えてくれ、すぐに戻ってくる」

『承知しました。このあたりは比較的安全な地域になっていますので、どうぞゆっくりしてきてください、レイラさま』

「ああ、助かるよ」


 全天周囲モニターに表示される廃墟の通りを確認したあと、車両に関する各種情報が表示されていた小型ディスプレイをひじ掛けに収納した。するとコクピットシートが回転して、背後にある出入り口に足が向けられた。フットペダルが収納されたことを確認すると、立ち上がってコクピットを出た。


 ちなみにコクピットに備え付けられている操縦桿やスロットルレバー、それにフットペダル等の消耗品は他の軍用ヴィードルと規格が統一されているため、修理が安易に行えるようになっていた。


 装甲車にも似た〈ウェンディゴ〉の車両内部は一部を除いて、まるで壁がけるようにして外の景色が見られるようになっている。それはコクピットにも搭載されている全天周囲モニターと同様の技術にも思えたが、死角をつくる装甲板や長い脚も透かして反対側にある景色を見ることができたので、もしかしたら我々が想像もできない未知の技術が使用されているのかもしれない。


 乗員室には戦闘員のための座席が並んでいる。それは向かい合わせに設置されていて、六人ほどの人間が余裕を持って座れるようになっている。ホログラム投影機や銃器等の装備保管場所も確保されていて、作戦行動に素早く移行できるようになっていた。後方にはハッチがあって、車両の後部に搭載された特殊なコンテナにつながっていた。


 乗員室に待機していたミスズと合流すると気密ハッチを開く。すると目の前に得体の知れないもやが立ち込めているのが見えた。光すら通さないのでもやの先がどうなっているのか確認することができない。以前は安全性について心配したが、人はどんなモノにもすぐに慣なれてしまう。とくに何かを考えることもなく、我々は不思議なもやの先に入っていく。


 その先は短い通路になっている。通路の両側には扉があって、目的別の部屋につながっている。右手の扉の先にはトイレと洗面台があって、左手の扉からは調理室を兼ねた作業室につながっている。

 まるでコバンザメのように壁に張り付いて掃除をしていた自律型掃除ロボットを横目に見ながら、後部コンテナに続くハッチを開く。


 すると境界が曖昧な白くぼんやりとした空間に出る。その無機質な白い空間は、コンテナ内に設置された旧文明期の〈遺物〉によって生み出される〈空間のゆがみ〉を利用して確保されている。ちなみに空間を維持するために使用されるエネルギーは、車両のリアクターやコンテナの真っ黒な外壁から取り込んだ大気の熱や、日の光によって常に充電され確保されていた。


 コンテナ内で装備の確認を行っていたヤトの戦士たちの姿が見えた。今回の作戦行動に同行した〈ヤトの一族〉は二十三人で、戦士たちのために用意された簡易型のミリタリーベッドが並んでいるのが確認できた。ベッドは三段ベッドになっていてわずかな隙間をあけて設置されている。


 壁際には四台の〈ワヒーラ〉が並んでいて、その近くには物資が詰まったコンテナボックスが置かれている。予備弾薬や食料に加えて、小銃の予備も多数揃えられていた。

 それらの物資は、今回の作戦行動のために〈ジャンクタウン〉にある〈軍の販売所〉でジュリが購入し用意してくれたモノだ。


 ヤトの戦士のためにガスマスクも購入していた。ガスマスクは顔の前面を覆う透明な防弾シールドがついているタイプのモノで、自動開閉機構も備えていた。フェイスシールドには、カグヤから得られる情報に加えて、偵察ドローンからの情報も表示できるようになっていた。汚染物質に対する効果が高く、ジャンクタウンで手に入るガスマスクの中では最上位の代物で、私とミスズも同様のマスクを使用していた。


 その他にも、バックパックとボディーアーマーも支給していた。ペパーミントから、ヤトの一族のためのスキンスーツと戦闘服を支給されていたので、これで一通りの戦闘行動が行える装備を所持していることになる。


 資金には余裕があった。〈オートドクター〉に関連する仕事で、数年は遊んで暮らせるだけの報酬をもらっていたからだ。金はしみなく使った。拠点の改修に必要な資材も揃えていた。正直、この世界では金は貯めこんでいてもいいことがない。いつ死んでもおかしくない世界だからだ。しかしだからといって散財さんざいしている訳ではない、生き残るために賢く金を使っているのだ。


 ヤトの一族は作業の手を止めると、胸の前で握った両拳を合わせて挨拶をしてくれた。私も彼らに答えるように同様の挨拶を行うと、ヤトの族長であるレオウの姿を探した。


「レイラ殿」と、レオウがヌゥモを連れてやってくる。

 戦士たちの状況を確認したあと、レオウに言った。

「あと少しで目的の場所に到着する」

「わしらの準備はできている。いつでも戦えるぞ」

 レオウはそう言うとニヤリと残忍な笑みを見せた。


「戦士たちと話がしたい、構わないか?」

 私の問いにレオウはうなずく。

「もちろんだ、レイラ殿」

 それから彼は戦士たちの前に立つ。

「レイラ殿から皆に話がある」


 周囲に集まってきた男女に視線を向ける。今回の作戦に同行した戦士たちは、この日のためにミスズと共に訓練を続けて、そのなかでも高い成績を残すことができた精鋭たちだけだった。


「出発前にも話したと思うけど、俺たちはこれから戦闘を行うことになる」

 私はそう切り出した。戦闘という言葉に興奮しているのか、戦士たちはギラついた眼を私に向ける。


「相手は凶悪なレイダーギャングだ。廃墟の街を根城ねじろにする無法者で、誰彼構わず襲う残虐な武装集団でもある。連中は戦闘のスペシャリストじゃないし装備も高が知れている。でもだからといって油断できる相手でもない。連中は覚醒剤を過度に使用していて、恐怖や痛みを感じることがない。だから人擬きのように我々に襲いかかってくるだろう」


 ヤトの戦士ひとりひとりと視線を合わせて、それから話を続けた。

「お前たちは優れた戦士だ。生まれながらにして戦うことが運命づけられた戦士だ。だけど自分たちの能力を過信して、油断するようなことだけはしないでくれ。俺はこの戦いで、ヤトの戦士を誰ひとり失いたくない」


「俺たちは〈深淵の使い手〉の戦士だ。死を恐れるようなことはしない!」

 戦士のひとりがそう言うと、他の者も声を上げて賛同した。

「そうだ! 我々は死など恐れぬ!」


 戦士たちの気持ちは理解できる。けれどこの世界の戦いは、〈混沌の領域〉でのソレとは勝手が違う。誰も剣や弓を使わないし、魔法なんてモノも存在しない。人々は火薬と鉄によって殺し合いを続けている。


「黙れ!」とレオウが言う。

「聞いていなかったのか? レイラ殿はひとりも失いたくないと言ったんだ!」

 若い戦士が黙り込むと、集団の先頭に立っていたナミが口を開いた。


「私たちは戦士だ。戦士の仕事は戦い相手を殺すことだ。殺して、殺し続けることだ! 死ぬことは許されない。私たちは〈ヤト〉さまの戦士であり、同時に〈深淵の使い手〉の戦士だ。軽々しく死を口にするな!」

「そうだ! 我々は戦士だ!」と、若者たちは声を上げた。


 レオウにもう一度叱りつけられて、やっと静かになったヤトの一族に対して、私は口を開いた。

「レイダーギャングを殲滅せんめつできたら、このあたりも少しは平和になるかもしれない。けどこれは英雄になるための戦いじゃない、個人的な報復だ。いいか、もう一度言う。これは報復だ。個人的な私怨しえんのために命を懸ける必要はない。危なくなったら後退しても構わない。あくまでも訓練の続きだと思って作戦に参加してくれ」


「レイラ殿」とナミが言う。

「私たちを信頼してくれ。必ず役に立って見せる」

「ああ、期待しているよ。俺からは以上だ」


「わしからもひとつ」とレオウが言った。

「ひさしぶりの狩りだ。思う存分に楽しめ」


 興奮するヤトの若者たちの集団から離れると、私はミスズと一緒に装備の確認を行っていく。

「ミスズはナミと一緒に行動してくれないか」

「ナミさんと一緒に、ですか?」と、ミスズは綺麗な黒髪を揺らした。

「そうだ。二人でヴィードルに搭乗して戦闘に参加してくれ。ナミにもヴィードルの操縦方法を教えたんだよな?」


「はい。ナミさんは覚えが速いので、問題なく操縦できます」

「よかった。これで俺も安心できるよ」

「レイラはどうするのですか?」


「レオウとヌゥモを連れて、敵の本拠地を強襲する」

「敵は混乱しますね」

 彼女の言葉に、私はニヤリと笑みを見せる。

「連中が混乱したら、ミスズはヤトの戦士たちをひきいて敵を叩いてくれ、素早さが肝心だ」

「任せてください」


『レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

「どうした?」

『もうすぐ現場に到着する』

「了解」

 騒がしいコンテナを出ると乗員室に移動する。


 車内から透けて見える景色の先に、青々としたツル植物が絡みついた横断歩道橋が見えた。その歩道橋の下には、複数の人間の死体が吊るされていた。遺体の損傷は酷く道路には血溜まりができていた。以前も同じ場所で見た景色だ。死体が若い男女に変わっている以外に変化はなかった。


 放置車両が多数残る道路のずっと先に視線を向けると、旧文明期の建築物が当時の姿のまま建っているのが見えた。そのとなりには〈旧文明期以前〉の建物があるが、経年劣化で今にも倒壊しそうだった。


 建物の壁面は崩れていて、き出しの鉄骨は奇妙に折れ曲がっていた。その建物には巨大な垂れ幕がかかっていた。風に揺れる真っ赤な垂れ幕には、ピラミッド型のシンボルマークと瞳だと思われる記号が白いペンキで雑に塗られている。


 その崩壊しそうな建物で、私は〈不死の導き手〉の信者に遭遇そうぐうしたことがあった。女性は負傷していて死にかけていた。私は何とか彼女を救い出そうとしたが、結局その努力はむくわれなかった。


 彼女は略奪者の狙撃によって命を落とし、我々は略奪者たちによる執拗な追撃を受けた。これから行われる戦いは、個人的な報復だ。受けた屈辱くつじょくはきっちり返させてもらう。


 我々の周囲はいつになく騒がしくなっている。いずれ保育園の拠点に対して襲撃が行われるだろう。だからこれは戦闘の演習でもある。ヤトの一族をこの世界の戦闘に慣れさせるための訓練だ。


 残念だったのは全員を連れてこられなかったことだ。襲撃を警戒してヤトの一族の半数を拠点に残してきていた。ジュリも拠点にいるので心配だったが、〈人造人間〉である〈ハカセ〉が拠点にいるので、滅多なことが起きない限り安全だろうとも思っていた。

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