第105話 情報屋 re


 横浜第十二核防護施設、通称〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉の通りは人間でごった返していた。緑色に髪を染めたみすぼらしい格好の略奪者にしか見えない男女や、きたならしい長髪に髭面で、顔も認識できない男たちが路地裏からこちらの様子をうかがっていた。


 そういった人間に紛れるように、護衛をともなった身形のいい人間もいて、さながら人間の展覧会を見ているようだった。


 襲撃者の生き残りから情報を手に入れてから数日、私は〈ジャンクタウン〉にやってきていた。茶色いレンガを積み上げられて建てられたあばら家には、銃撃の痕がくっきりと残り、その家の前で粗末な武器を売る商人のとなりには、尾が二本ある犬に似た獣がいてよだれを垂らしながら客を睨んでいた。


 路地に視線を向けると、廃墟の街で捕らえた人擬きを射撃の的にして客を楽しませていた店主がいた。その店主がモヒカン頭にビキニ姿の女性とニヤケながら話をしている間に、彼女の仲間だと思われるピエロの化粧をした女が、支払いに利用している店主の端末を盗んでいるのが見えた。


 私は大通りを進み〈商人組合〉の建物の前を通った。組合が入っている建物は〈ジャンクタウン〉でもめずしい鉄筋コンクリートの建物だった。ちらりと視線を動かすと、建物屋上に見慣れない集団がいるのが見えた。いずれも重武装で、装備しているのはレーザーライフルや狙撃銃のたぐいだった。


やとわれの戦闘員だね。組合はレイの報復を恐れているのかな?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、私は頭を横に振った。

「そう思っていたけど、どうも様子がおかしい」

『どういうこと?』

「連中から俺に対する敵意が感じられないんだ」


『レイの顔を知らないのかな?』

「おそらく……」

『拠点を攻撃した襲撃者たちは、レイの顔を知っていた』

「ああ、だからこそ奇妙なんだ」

『もしかしたら、組合は今回の仕事で生き残った人間の報復を恐れているのかも』


「俺に対する襲撃の?」

『うん。襲撃が失敗したことは、帰還者がいないから知っていると思うけど』

「襲撃が成功しても、はじめから皆を毒殺するつもりだったんだろ?」

『でも、全員が組合から支給された毒入りの栄養剤を飲む訳じゃない』

「報復か……たしかに商人組合から仕事を請け負った集団の中には、凶悪な傭兵団も含まれていたんだから、報復を恐れるのは不思議じゃないか」


 建物屋上に立っていた戦闘員と視線が合った気がしたが、彼の視線はすぐに買い物客で埋め尽くされた大通りに向けられた。


 商人組合の周囲を警護していた戦闘員は、黒いタクティカルヘルメットに口元を覆い隠すガスマスクを装着していた。集団は黒を基調とした揃いの戦闘服を身につけていて、その特徴的な姿は何処どこかで見かけたことがあった。記憶が正しければ、要人警護でそれなりに名の知れた傭兵だったと思う。


 そのまま立ち止まらず通りを進んだ。しばらくすると積み上げられた輸送コンテナの前で、裸に近い格好の奴隷を売りに出している奴隷商人の集団が見えてくる。このあたりの区画は、主に奴隷商人たちが縄張りにしている場所だった。


 人目を引く女性を囲んでいた群衆ぐんしゅうの間をうように進みながら、売りに出されていた奴隷を眺めた。人気があるのは労働奴隷だった。主人の代りに廃墟の街で探索を行い、〈遺物〉を回収する戦闘奴隷の数は少なかった。すでに売れてしまったのかもしれない。隊商の護衛として使い潰される奴隷だが、需要があるので、それなりの値段で取り引きされていることは知っていた。


 戦闘奴隷の多くは、脳に埋め込まれた特殊なチップで意思をコントロールされていて、死ぬまで主人を護衛する感情のない人形にされている。そんな奴隷のひとりが、感情のない瞳で私を見つめる。私は女性を一瞥いちべつすると、その区画をあとにした。


 ジャンク品や廃材でつくられた街に似つかわしくない、むしろ場違いにも思えるたたずまいをした高級ホテルの前で立ち止まる。ホテルの玄関前には黒い背広を着て、アサルトライフルを肩に提げた傭兵が立っていた。戦闘用の高価なサングラスをしていて、レンズに備わる機能を使って、生体スキャンと武装の確認を無言で行う。


 サングラスの奥でチカチカと発光していた男の義眼を見ながらたずねる。

「もういいか?」

「通れ」

 男性はしかめっ面で言った。


『ホテルも護衛をやとったのかな?』とカグヤが言う。

「かもしれないな」

『何だか鳥籠全体がおびえて緊張しているみたい』


 高価な絨毯が敷かれソファやテーブルが用意されたラウンジを抜けて、酒場に足を向ける。木製の円卓が並ぶ煙たい酒場の奥に向かって歩くと、数人の見知った人間と目が合った。彼らはあごを突き出すようにして私に挨拶した。私も彼らに挨拶をすると、酒場の奥にあるカウンターに向かった。


 バーテンダーのいないカウンターのスツールに座ると、となりでカウンターに突っ伏していた男に声をかけた。

「こんな早い時間から酔い潰れているのか?」

「少しばかり退屈していただけさ」

 イーサンはそう言うと顔をあげた。


 彫が深くえのいい顔をしていた。狼のように鋭い眼光に無精ぶしょうひげ、そしてよれよれの背広。遠目から見ればワイルドな風貌ふうぼうな格好のいいおっさんだが、今は酒臭い小汚いおっさんでしかなかった。彼は情報屋であり、名のある傭兵団を率いる謎の多い男でもあった。


 カウンターに載せられたイーサンの中折れ帽の前に、〈軍の販売所〉でジュリが事前に購入してくれていたタバコのカートンとウィスキーボトルを載せた。

「土産だ」

「ちょうど酒を切らしていたんだ。助かる」

 彼は金色の瞳を私に向けながら言う。


「そんな風には見えないけど……」

 私はそう言うと、カウンターの奥に並ぶ多種多様たしゅたような酒の瓶を眺めた。

「エレノアが飲ませてくれないんだ」


 イーサンは感謝を口にしてから、タバコのパッケージを取り出した。トントンと軽くパッケージを叩きながらタバコを一本取り出すとオイルライターで火をけ、吸い込んだ最初の煙を吐き出し、二度目に深く吸い込んだ煙を肺に入れた。


「ひさしぶりだな、レイ」

「ひどく酔っているみたいだな、こないだも会っただろ」

「そうだったか?」

 私が肩をすくめると、イーサンはグラスを取ってウィスキーを注いだ。


「ひとりか?」とイーサンが言う。

「ミスズとジュリ、それにナミって子と一緒だ」

「例の異界から来たっていう一族の?」

「そうだ」


「本当にこっちの世界に来ていたんだな」

 彼はタバコの煙を吐き出しながらつぶやいた。

「イーサンが大抵のことを知っているのは分かっていたけど、まさか〈混沌の領域〉のことまで知っているとは思わなかった」

「〈向こう側〉のことは何も知らないさ。俺たちの世界に迷い込んでくる化け物を駆除する仕事を請け負っているだけだ」


「駆除か……。〈混沌の領域〉は、傭兵の間では有名なのか?」

「いや、化け物のことは知っていても、本当に異界が存在していると信じている者はほとんどいないだろうな。大抵は異常な変異を繰り返した化け物として処理される」

「なら、イーサンはどうして?」

「古くからの言い伝えやきたりを守って暮らしている鳥籠と縁があるからな」


「言い伝え?」

「古の神々のことさ。レイが抱えている問題が片付いたら、いつか連れて行ってやれるかもしれないな。彼らは異界の化け物について面白い話をたくさん知っている」

「異界の化け物か」


「エレノア、レイに酒を頼む」

 イーサンはカウンターの内側に立っていた女性に声をかけた。〈エレノア〉と呼ばれた綺麗な女性は、私の前にグラスを出すとウィスキーを注いだ。


「ひさしぶりね、レイ」

 エレノアはそう言うと、くすんだ金色の髪を揺らした。

「ひさしぶり、エレノアはいつ見ても綺麗なんだな」

「そう言ってくれるのはレイだけですよ」と、彼女はすみれ色の瞳で私を見つめる。「ねぇ、レイ。毎回思うんだけど、それって本気?」

「エレノアが綺麗じゃないなんて言う奴は、きっと義眼の調整に失敗した馬鹿な野郎だけだよ」


 エレノアは官能的なスタイルのさを隠すように、灰色を基調としたバトルスーツを着ていた。それはパワーアシストなどの機能が盛り込まれている高性能なもので、イーサンが率いる傭兵団の標準的な装備だった。


 戦闘に重きを置いた格好をしていながら、それでもエレノアは男たちが夢想する女性だった。彼女を綺麗だと思わない人間がいるとすれば、その人間は恐らく美的センスに大きな欠陥を抱えてこの世界に産まれてきた人間なのかもしれない。


「レイはそんな風にして女性を口説くの?」

 綺麗な唇の端に笑みが浮かぶ。

「まさか」と私は苦笑する。

「気心の知れた仲だから言えるんだ。それに俺はただ感情に素直なんだよ。美しいモノにこころかれる。だからエレノアに見惚みほれてしまうんだ」


「ほどほどにしてくれ、レイ」とイーサンが言う。

「傭兵団の大事な隊員を誘惑しないでくれ」

 イーサンの言葉を聞いて嬉しかったのか、エレノアは時を止めるような、そんな美しい微笑みを浮かべる。


「そうだな。それで、何か分かったのか?」

 イーサンはタバコの煙を天井に向かって吐き出した。

「襲撃の依頼を受けたのは商人組合で間違いない」

「黒幕は?」

「横浜の中華街を知っているか?」

「ああ、知っている」


「鳥籠があることは?」

「いや、初耳だ。あの地区一帯は絨毯爆撃でクレーターしか残っていないと思っていた」

 イーサンはグラスのなかの液体を見つめて、それから言った。

「施設のほとんどは地下にあるんだ。だから知られていない」

「そこには何が?」

「台湾系の住人が多く暮らしている」


華僑かきょうっていうやつか? すまない。そういった話題には詳しくないんだ」

「まぁ国なんて概念はずっと昔になくなったからな。でも難しいことは何もないさ。〈ジャンクタウン〉の警備隊をやっている〈ヤン〉と〈リー〉もそこの出身だ。鳥籠は知られていないだけで、意図的に存在を隠している訳じゃないからな。行商人の間では有名な鳥籠だ」


「その鳥籠がどうしたんだ?」と、ウィスキーを一口飲んだあとたずねた。

「お前さんを囲い込もうとしている」

『囲い込む? それが私たちの拠点を襲撃した勢力じゃないの?』

 イーサンはカグヤの声にビクリと驚いたが、すぐにうなずいた。

「レイがいるんだから、カグヤがいるのは当然か」とイーサンは頭を振る。

「すまない、まだカグヤの声に慣れていなくてな」


 イーサンは端末を介して、耳に挟んでいるイヤーカフ型のイヤホンからカグヤの声が聞こえるようになっていた。

『気にしなくていいよ。それより囲い込むってなに? どうしてそんなことを?』

「連中の指導者が〈オートドクター〉を必要としているんだ」


『指導者……すごく偉い人なのかな?』と、カグヤはく。

「ああ、連中は〈老大〉と呼んでいる」

『〈七区の鳥籠〉に出入りできるレイから、〈オートドクター〉を入手する気なの?』

「そうだ。それにしても」と、イーサンはタバコの煙を吐き出しながら言う。「レイがあの要塞じみた鳥籠に侵入できるなんてな」



「まだ信じられないか?」

「信じてるさ。お前さんは時に不可能を可能にするからな」

 彼の言葉に私は肩をすくめる。


『でもさ』と、カグヤが会話に割り込む。

『襲撃するなんて変だよ、辻褄が合わない』

「レイを襲撃するように商人組合に依頼を出したのは別の鳥籠だ。中華街の人間じゃない」

 イーサンはそう言うと、空になったグラスをカウンターに載せた。


「もしかして〈マリー〉が関係しているのか?」

 私の言葉にイーサンはうなずいた。

「あのお嬢ちゃんが直接関係しているのかは分からないが、〈オートドクター〉を手に入れた鳥籠が、レイの襲撃に関係していることは間違いない」


「連中のために〈オートドクター〉を手に入れたんだ。感謝はされても、命を狙われるわれはない」

「それがあったんだよ。連中の鳥籠には大規模な〈製薬工場〉がある」

「つまり?」

「鳥籠の支配者たちは、〈オートドクター〉を複製するために、あの〈遺物〉を手に入れたがっていたんだ。ずっとな」


「それって……」

「そうだ。〈遺物〉が手に入って複製できる環境が揃った。工場で〈オートドクター〉を製造できるようになったら、レイの存在は目障りになる」


『オートドクターの販売を独占するために、オリジナルを手に入れられるレイが邪魔になった?』

 カグヤの言葉にイーサンは煙を吐き出しながらうなずいた。


「工場では〈オートドクター〉の複製ができたのか?」と私は質問した。

「いや、残念ながらまだ成功していない。だからレイに対する襲撃は、鳥籠の支配者たちの総意じゃないのかもしれない」


 イーサンの言葉を聞いて、私はうんざりしながら言った。

「オートドクターの複製ができない内に俺に死なれても困るって訳か」

「そうだ。だからやたらと複雑な問題になっている」

「と言うと?」

「レイを殺したい勢力と、レイから〈オートドクター〉を手に入れたい勢力。そして研究の成果によってはレイを必要とせずに、敵対するかもしれない勢力が存在する」


 イーサンがタバコの煙を吐き出しているのを見ながらたずねた。

「中華街にあるっていう〈鳥籠〉は何をするつもりなんだ?」

「状況を見守っていたが、レイが襲撃を受けたことを知って急遽兵隊を集めている」

「連中の狙いは?」

「レイを警護するかたわら、〈製薬工場〉がある鳥籠と戦争を始めるかもしれない」


「どうして俺にこだわるんだ? 製薬工場で複製した〈オートドクター〉を買えば済む話じゃないのか?」

「連中は〈製薬工場〉で〈オートドクター〉が完全に再現することができる、なんて話を信じていないのさ」

「それだけが理由か?」


「さぁな」と、イーサンは金色の瞳をエレノアに向けた。

「本当はレイをダシにして、〈製薬工場〉を支配するための戦争がしたいだけかもしれない」


「レイはモテるのね」とエレノアが言う。

 私は肩をすくめた。

「レイがいない場所で殺し合う分にはいいのかもしれないが、近いうちに中華街の連中がレイに接触してくるだろうな」


 イーサンは空のグラス越しにエレノアを見つめた。

「中華街の地下にある鳥籠か……」と私は溜息をついた。

「どんな場所なんだ?」

「歴史が古い巨大な核防護施設だ。沢山の人間を収容するための施設だったみたいだが、〈食糧プラント〉以外に特別な施設はない。今も建造が続けられていて、地下深くに拡大している」


「古い? 文明崩壊の紛争を生き延びた人間の子孫がいるとか?」

「いや、そういった人間がいるとは聞いたことがないな。けどやたらと人間の多い鳥籠だからな、何があっても不思議じゃない」


「そうか……」

 私はそう言うと、エレノアに注いで貰ったウィスキーに視線を落とした。

「製薬工場がある鳥籠は?」


「神奈川県に点在するほとんどの鳥籠は、連中の〈製薬工場〉でつくられている薬の世話になっている。俺たちが使用する頭痛薬や痛み止め、抗生物質や消毒液やらもそこから流れてくるモノだ。だから彼らには権力と資産がある。とてつもなくな」

 イーサンはそう言うと、煙たい天井をぼんやりと眺めた。


「〈オートドクター〉に関する依頼料で、何となく裕福な鳥籠だとは予想していた」

「おそらくレイが予想している数倍は資産を所有している」と、イーサンは新しいタバコに火を点けた。「だから戦争になったら、ただじゃ済まない」

『人口が多い鳥籠と、資金に底のない鳥籠の争いか……厄介だね』とカグヤがつぶやいた。


「襲撃は続くと思うか?」

「当分は落ち着くだろうな。今は中華街の鳥籠とのいざこざに集中したいだろうからな」

 私はグラスに入った琥珀色の液体を眺めて、それから言った。

「〈ジャンクタウン〉にいる妙な連中のことが気になっていたんだけど、あいつらは?」


「商人組合がやとった護衛の傭兵たちか?」

「ホテルの入り口にも背広の男たちが立っていた」

「組合のおさたちにも、いざこざの情報が入ってきているのさ、だから警戒している」


「戦争か……」

「まさかレイが火種になるとはな」

 イーサンはそう言うとウィスキーを喉の奥に流し込んだ。

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