第99話 砲撃 re


 ミスズたちと別れると、周辺一帯の索敵を続けながら拠点に戻ることにする。

 完全栄養補助食品である〈国民栄養食〉の壊れた自動販売機に飛び乗ると、自販機を蹴飛ばすようにして真向いにある集合住宅のベランダの柵に向かって一気に飛び上がる。


 〈混沌の領域〉で大蛇の死骸を身体からだに取り込んでから、身体能力が向上したこともあって、数十メートルの距離を軽く飛んでみせた。身体しんたい能力のうりょくに驚きながらベランダの柵をつかむ、柵は腐食していて重さに耐えられずに簡単に壊れ崩壊してしまう。すぐにもう片方の腕を伸ばすと、ベランダの縁に掴まって何とか落下を逃れる。


 身体からだを引き上げてベランダに立つと、部屋の中にたたずんでいた人擬きと視線が合った。私はすぐにハンドガンを抜いたが、化け物が襲ってくることはなかった。


 その人擬きは薄暗い部屋の中に長い間、動かずに立っていたのか、腹部から垂れ下がる赤黒い腸やら臓物ぞうもつが地面に根を張っていた。そしてそれは比喩ひゆや誇張などではなく、文字通り、ヌメリのある化け物の臓器が散らかった部屋を侵食するように、四方に伸びて根を張っていた。部屋の中央にたたずむ〈侵食型〉の人擬きは、まるで大地に根を張る樹木のようだった。


 人擬きの頭部は、かろうじて人間だったころの原形を保っていたが、腕はずっと昔に腐り落ちたのか、骨が剥き出しだった。頭部の皮膚は腐っていて垂れ下がり、唇と歯のない口からは、干し肉のような長い舌がぶら下がっていた。


 ベランダから部屋に出入りするためのガラス窓は割れていて、雨風が運んだ汚泥おでいやゴミで部屋はひどい有様だった。ぼんやりとその部屋を眺めていると、私は奇妙な違和感を覚えた。


 何処からか視線を感じる。しかし目の前にいる人擬きは床に張り付いてしまっているのか、ピクリとも動かない。ではこの違和感の正体はなんなのだろうか、そう思って視線を動かすと、部屋の奥に見えていた扉に目をめる。


 僅かに開いた扉の隙間から、キョロキョロと動く大量の瞳が見えた。黄緑色ににごった瞳のひとつと目が合うと、すべての瞳が一斉にこちらに向けられた。


 大量の瞳に睨まれた瞬間、自分自身の視界がゆっくり回るのを感じた。それと同時に吐き気も込み上げてきた。身体はふわふわと揺れて足元が不確かになっていった。ずっと遠くから、私の名を呼ぶカグヤの声が聞こえてくるような気がした。その声は頭の中で反響して、脳に突き刺すような痛みに変わっていった。


 パタンと扉が閉じられると、今まで息を止めていたことに気がついて私はあえぐようにして息を吸い込んだ。徐々に身体からだの感覚も戻り、気分もよくなっていった。


『大丈夫、レイ?』

 口の中に溜まった唾液を吐き出したあと、カグヤに返事をした。

「いや、かなりきつい……。あれは一体何なんだ?」

『わからない。人擬きかもしれないけど、見たことのないタイプだ。それに、きっとまだ扉の向こうにいる』


 耳をそばだてている怪物が、薄い扉の向こうにいると考えるだけで寒気がした。

『ワヒーラを使って調べる?』と、カグヤが心配そうに言った。

「それより、すぐにここから離れたい」

 樹木のように佇む人擬きの姿を一瞥すると、となりの建物の非常階段に飛び移った。


 索敵に特化した〈ワヒーラ〉の能力を使用すれば、あの化け物について何か分かるかもしれなかった。けれど私はあのおぞましい化け物には関わりたくなかった。建物内でじっとしていてくれるのなら、それに越したことはないだろう。


 拡張現実で表示される地図を確認すると、先ほどの集合住宅に警告と危険を示す印を残した。情報は〈戦術ネットワーク〉を介してミスズやヤトの戦士たちとも共有されるので、誤って建物に侵入して怪物に襲われることはないだろう。


 非常階段を駆け上がると建物屋上に出る。それから地図を拡大して、ナミの部隊が捕らえた侵入者がいる場所を確認した。するとカグヤの声が内耳に聞こえる。

『レイ、怪しい動きをする人間を見つけたよ』

 〈カラス型偵察ドローン〉から受信する俯瞰ふかん映像えいぞうが網膜に投射される。


 二キロほど先の建物屋上に、狙撃銃の照準器を覗き込むような恰好でせていた人間の輪郭りんかくが赤い線で縁取ふちどられていくのが見えた。私は謎の人物がいる方角、南東に目を向けると、瞳に意識を集中した。すると視線のずっと先に赤紫色のもやが立ちのぼるのが見えた。


「俺に対する敵意を持っているみたいだ」

『照準器の先にレイはいないみたいだけど、それでも敵意が感じられるってことは、レイが標的で間違いないね。どうするの?』

「どうして俺を狙っているのか吐いてもらう」


 助走をつけると、となりの建物に向かって跳躍した。着地と同時に身体を捻りながら受け身を取ると、そのまま立ち上がって別の建物に向かって飛んだ。身体は驚くほど軽く、疲れることがなかった。


「カグヤ、奴が狙っている先には何があるんだ?」

『私たちの拠点があるけど、今は〈深淵の娘〉の巣があるから、拠点の防壁も見えていないんじゃないのかな』


「連中は俺たちの拠点のことも知っているみたいだな」

『うん、間違いなく知っている。誰かにあとをつけられたのかな?』

「隊商や鳥籠の人間相手にはそれほど注意を払っていなかったから、尾行されていた可能性はあるな」

『何だかキナ臭いことになってきたね。やっぱり〈マリー〉が話していた組織が関係しているのかな?』


「断言はできないけど、関係ありそうだ。ミスズが何処にいるか分かるか?」

『ナミの部隊と一緒にいて、捕えた侵入者たちのところにいる』

「ほかにも狙撃手が潜んでいるかもしれない。ミスズとヤトの戦士たちに警戒するように言っておいてくれ」

『了解、ワヒーラを使って敵をあぶり出す』



 眼下に見えている怪しい人物は私に気がついていないのか、腹這はらばいになってライフルの照準器をじっと睨んでいた。私は男性の姿を見ながら、彼がいる建物に飛び移った。音に気をつけて着地したつもりだったが、男は半身だけ起こすと素早く振り向いて、こちらに拳銃を向けた。私は足元にちらりと視線を落とした。


 足元には、建物屋上に放置され限界まで膨れ上がった缶詰が落ちていた。視線を男性に戻すと、男は私の行動を察したのか身体を起こそうとして咄嗟に動いた。


 けれど私のほうが速かった。男性に向かって缶詰を蹴飛ばすと、缶詰を避けるため男の視線が逸れた。その一瞬の隙を突いて男の死角に回り込んだ。


 建物の屋上に設置されていた室外機の陰に入ると、間髪を入れずに銃声がして、室外機にめり込む銃弾の音が聞こえた。私はカラスの映像を頼りに、複雑に入組んだ室外機の間を走って男の側面に出た。男は気がついていないのか、前方に銃口を向けたままだった。


 ハンドガンを抜くと男性の太腿を撃ち抜いた。

 男は膝をついても尚、私に銃口を向けた。けれど遅かった。私の射撃によって彼の手は拳銃ごと破壊されることになった。腕を押さえてうずくまる男性の動きに注意しながら近づいた。特徴のない顔をした男で、見覚えはなかった。


「何者だ。どうして俺を狙っている?」

 男性はニヤリと笑みを浮かべるだけで、何も言わなかった。


 襲撃者は灰色の戦闘服に黒いアサルトベストを身につけていた。彼の背後に見える狙撃銃も整備の行き届いたいいモノに見えた。また男からは、廃墟を根城にするレイダーギャングに見られる不潔さは一切感じられなかった。男に近付くと、彼は背中に手を回してナイフを抜こうとした。


「止めておけ」と、男の額に銃口を向けた。

「雇われの傭兵なんだろ? こんな事で死ぬ必要はない。今回は見逃すから、誰の依頼で俺たちのことを探っていたのか教えてくれ」


 風の音と廃墟の街で木霊こだます銃声が聞こえた。男性は何も言わずに、口の端に嫌な笑みを張り付けたまま私を見つめているだけだった。

「どうした? なんで何も言わないんだ」

『へんなの』と、カグヤはつぶやく。


「……あ、あぁ、う」と、男性は奇妙な呻き声を漏らした。

『この人、舌がないんだ』

 カグヤの言葉に驚いて男の口に視線を向けた。


 私が銃口を下げた一瞬の隙をついて男は手榴弾を手にした。見慣れた安全ピンが地面に落ちていくのが見えた。私はすぐに後方に飛び退いたが、その必要はなかった。


 男性は手榴弾を胸に抱えて自ら建物を飛び降りた。破裂音のあと、男の一部だったモノが建物の壁面や道路に飛び散った。


「自殺したのか……?」

『どういうこと?』カグヤも事態を理解できずにいた。


 建物屋上のふちまで歩いていくと覗き込むようにして顔を出して、建物のずっと下、廃車の上に転がる男の死骸を確認する。

「カグヤ、襲撃者のことをミスズたちに知らせてくれ」


『不審な人物を捕らえたら、まずは身体検査させて、すべての武器を取り上げることを優先させる』


「そうだな、ヤトの戦士はミスズから制圧訓練を受けていた。だから捕まえた人間の扱い方について心配する必要はないと思うけど、用心するに越したことはないからな』


 そこまで言うと、私は奇妙な音を耳にする。

『……レイ?』と、カグヤも異変を察知した。


「何か来る!」凄まじい速度で〝何か〟が真直ぐ向かってくる音が聞こえた。

 轟音と共に建物の壁面に何かが突き刺さった。それは私が立っていた場所のすぐ近くだった。


『レイ! 今すぐ退避して!』

 建物の反対に向かって駆けだすと勢いをつけて飛び降りた。その瞬間だった。後方で何かが凄まじい爆音と共に炸裂した。瓦礫の間を転がりながら何とか受け身を取ると、先ほどまで立っていた場所を見上げた。


 爆風と共に舞い上げられた瓦礫が降っていたが、私が注目したのは別のことだった。濃い緑色をした煙が辺りを覆い尽くそうとしていた。


『レイ、化学兵器だ。それもひどく強力なやつだ』

 ガスマスクを装着すると収納されていたフェイスシールドを展開して、周辺地図を素早く確認した。


「どこからの攻撃だ?」

 そのときだった。空気を引き裂きながら飛んでくる飛翔体が見えた。背後の建物に着弾すると、炎と共に発生した衝撃波に吹き飛ばされた。


 ひどい耳鳴りがして何も聞こえなかった。上体を起こして周囲に素早く視線を向ける。爆発の衝撃で舞い上がった粉塵で何も見えなかったが、衝撃波だけは感じ取れたので、攻撃が続いていることが分かった。


『レイ!』と、カグヤの声はハッキリと聞こえた。

『砲撃だ。すぐに移動して!』

「クソ!」言葉を吐き捨てると走り出した。


『〈ワヒーラ〉の索敵範囲外から攻撃だった。それもすごく精度の高い遠距離攻撃』

「ミスズたちに警告を頼む」


『もう連絡した。ミスズたちは今、捕らえた侵入者を連れて移動してる』

「どこに行くつもりなんだ?」


『拠点に向かっているみたい。ミスズの位置情報を地図に表示するから確認して』

 ミスズの現在位置を示す青い点が地図の上を移動しているのを確認する。

「ハクの巣なら、砲撃を防ぐことができるかもしれない」


 ミスズの判断は間違っていない。白蜘蛛が吐き出す白銀色の糸は強度があって、廃墟に張り巡らされた糸は、砲撃から身を守るのには適しているのかもしれない。しかし攻撃によって発生する毒ガスには無力だ。


「カグヤ、ハクがどこにいるか分かるか?」

 近くに砲弾が降り注いで、爆発のあと毒ガスが辺りに充満していく。

『ハクに取り付けた発信機からの信号を表示する』

 地図を確認してハクの位置を探した。


「近くにいるな……」

 意識を集中してハクに呼びかけた。


『なぁに? レイ』

 しばらくすると可愛らしい声が内耳に聞こえて、白蜘蛛が音もなく私の側に着地した。


 ハクは〈深淵の娘〉と呼ばれる蜘蛛に似た生物だ。軽自動車ほどの体長があって、旧文明期の〈鋼材〉のように硬い体表を持っていた。〈深淵の娘〉は黒い体毛に特徴的な赤い斑模様があるが、ハクは〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊個体で、全身に生えた体毛は白く、頭胸部から腹部にかけて赤い斑模様が見えた。


 パッチリした大きな眼に、ぬいぐるみのようなフサフサとした体毛は可愛らしい印象を与えたが、恐ろしい大蜘蛛の姿を持つことに変わりない。


 〈深淵の娘〉はこの世界の人々には恐れられる存在だが、ハクと私は敵対していない。私の血液を体内に取り込んだことで、古の御呪おまじないが成立して、それでハクとの間に精神的なつながりを持つことになった。〈深淵の娘〉は謎が多い種だ。旧文明の人類と関りもあるようだったが、私は多くを知らない。


 ちなみに今までハクが何処にいたのか私は知らない。ハクは子どものように好奇心こうきしん旺盛おうせいで、廃墟の街を自由に散策していた。けれど最近ではハクの帰りが遅いので、心配するようになっている。


「ハク、お願いがある」

 白蜘蛛のやわらかな体毛を撫でると、ハクの幼い声が聞こえる。

『なぁに?』


「あの高い建物の上に連れて行ってほしいんだ」

 拠点周辺でもっとも高い建築物を指差す。

『ん。いっしょ、いく』

 ハクは長い脚で私を抱き寄せた。

「ありがとう、ハク」


 砲撃による破裂音が廃墟の建物に反響していた。そこにカグヤの声が聞こえる。

『どうするの、レイ?』

「砲撃している連中を攻撃する」

『もしかして狙撃するつもり?』

「そうだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る