第四部 謀略 re
第98話 侵入者 re
青空を仰ぎ見ていると一羽のカラスが視界を横切る。
『レイ、付近一帯の詳細な地図の作製ができたよ』
内耳にカグヤのやわらかな声が聞こえる。
『それに敵性生物の存在も確認できなかった』
「了解、引き続き上空からの監視を頼むよ。ところで、建物内の捜索は進んでいるか?」
『順調だよ。情報を送信するよ』
網膜に投射されているインターフェースに、周辺地図が表示されて、廃墟に潜む〈変異体〉や〈人擬き〉の動体反応、そして熱反応が視覚的に確認できるようになる。それらの情報は、〈カラス型偵察ドローン〉と車両型偵察ドローン〈ワヒーラ〉によって作成されていた。
すると付近一帯の構造物や廃墟が立体的に再現されていた地図に、敵性生物の姿が表示されるようになる。ぼんやりとした
カグヤはこれまでに収集していた戦闘データや、廃墟の街を探索したときに得ていた情報を参考にしながら、廃墟に潜む生物を識別して、脅威度を設定しながらタグ付けしていく。それらの情報は戦術ネットワークを介して、拠点にいる仲間とも瞬時に共有される。
『青色の線で縁取られている建物は、すでに探索が済んでいて、変異体や略奪者がいないことが確認できてる。でも探索しなければいけない建物はまだあるから〈ヤトの一族〉と協力して、建物内部の安全確認をしていくしかないかな』
「わかった。拠点にいるレオウと通信できるか?」
『問題ないよ。すぐに連絡するから、ちょっと待ってて』
道路のあちこちに散乱する
『レイラ殿、どうしたんだ?』
ヤトの一族の
「すまない、忙しかったか?」
『まさか。混沌の意思から解放されたことで、我々はいつになく退屈をしている』
「そうか」私は苦笑して、それから言った。
「これから拠点周辺にある廃墟の安全確認を行う。一族の準備はできているか?」
『もちろんだ。レイラ殿の指示通りに、戦士たちを数班に分けて部隊を編成してある。我々はレイラ殿の指示にいつでも動けるように待機している』
「ありがとう、レオウ。戦士たちが所持している〈情報端末〉に、探索が済んでいない建物の位置情報を送信しておくから、それを確認しながら動いてくれ」
『了解した。レイラ殿、他に何か?』
「大丈夫だ。何かあったら連絡するよ」通信を切ろうとして、私は慌てて言った。「悪い、もうひとつある。倒壊した旧文明期の建物を見つけたら教えてくれ」
『旧文明期の建物……それはどのようなものだ、レイラ殿?』
「建物の特徴が分かる画像も送信しておくから確認してくれ。画像を見れば、〈旧文明期以前〉の建物と見分けがつくと思う。戦士たちに支給した小銃でも、簡単に傷がつけられないくらい頑丈な外壁を持つ建物だから、どうしても区別がつかなかったら、銃弾を撃ち込んで確認してみてもいいかもしれない」
『あのライフルと呼ばれる強力な兵器でも傷がつけられない建物か……分かった。戦士たちと協力して探してみる』
「助かるよ。それと、安全確認ができた建物には印をつけておいてくれないか?」
『了解した。こちらで抜かりなく作業を進める』
通信を切ろうとすると、レオウが遠慮がちに言った。
『敵対する者を見つけたら殺しても構わないか?』
「相手が人間なら、まずは様子を見てくれ。この世界の人間は野蛮で好戦的だけど、そうじゃない人間もいるからな。だからまずは相手の意図を確認してくれ。だけど明らかに敵対する意思がある者には、遠慮なく先制攻撃をしても構わない」
『まずは相手の出方を見るのだな』
「ああ、相手が化け物の場合は自由だ。交戦規定なんて存在しないから、各自の判断で対処してくれ」
通信を終えると、上空のカラスから受信していた映像を確認しながら、大通りを離れて、薄暗い路地に入っていった。するとカグヤの声が聞こえる。
『レイは〈ヤトの一族〉のことを信用しているの?』
「どうだろうな……でも、敵意を感じ取れる瞳の能力を使っても、俺たちに対する悪意は一切感じられない。だから一族のことを信用してもいいと思っている」
■
ヤトの一族は〈混沌の領域〉と呼ばれる異界を旅したときに遭遇した集団だった。
一族は〈混沌の追跡者〉の名で知られる生物で、〈混沌の領域〉に侵入した者たちを執拗に追い、集団で狩ることを運命づけられた異形の化け物だった。
空間の
敵対し殺し合う運命にあった化け物を私と結びつけたのは、異界に存在する数多の神の一柱とされる〈ヤト〉だった。大蛇の姿をした〈ヤト〉がどのような神なのかは、正直、私には分からない。
しかし〈ヤト〉の
■
「カグヤは不満か?」
『ううん。レイが心配なだけ』
私は肩をすくめると、周囲の警戒を行いながら倒壊し横倒しになっていた旧文明期の建物に近付く。異界で手に入れた瞳の能力を使えば、建物や壁を透かして周辺の敵意を赤紫色の
人擬きからは悪意や敵意が感じられない。不死の化け物は襲いかかる対象に敵意を
『レイ、二時の方角に人擬きだよ』
案の定、敵意が全く感じ取れなかった建物から人擬きが姿を見せた。
■
ちなみに〈人擬き〉とは、旧文明期以前の人間が作り出した不死の薬〈
皮肉なことに、人擬きを作り出した人間が消えた文明崩壊後の世界で、今も地上を
基本的に人擬きを殺すことはできない。だから無力化することを念頭に戦う必要がある。手足を潰したり頭部を破壊したりと、そのやり方は何通りもあった。しかし私は人擬きを殺せる旧文明期の貴重な〈遺物〉を所持していた。
■
建物の陰から姿を見せた人擬きは、ぼうっと私に
その人擬きは変異して間もない個体で、血液や泥に汚れた戦闘服を着ていた。おそらく
眼前に迫る人擬きに慌てることなく片腕を持ち上げた。すると戦闘服の袖から右手首に
「ヤト」と、刀の名を小さな声でつぶやいた。
するとヘビだけがスルスルと移動して、手のひらの中心までやってくる。液体に変化してプツリと皮膚の表面に染み出してきた。染み出した黒い液体は空中に浮き上がると、
私に
刀身についていた粘度の高い血液は、刀身に
『何度見ても、不思議な刀だね』
「そうだな」と、カグヤの言葉にうなずく。
〈ヤト〉を日の光にかざすと、刀身は光を嫌うように
『混沌の領域か……。私もレイと行ってみたかったな』
「綺麗な場所もあったけど、ほとんど荒廃した地獄みたいな世界だったよ」
『だからだよ。レイをそんな世界にひとりで行かせたくなかった』
「もう済んだことだよ」
『分かってる』と、カグヤは
倒れた人擬きは刀の毒によって
〈ヤト〉の刀を使えば、人擬きすら簡単に殺すことができた。
倒壊した建物の側に
『旧文明期の特殊な〈鋼材〉を含んだ
「文明崩壊のキッカケになった紛争で崩れた建物か……」
『
「ああ、手伝ってくれるか」
『うん。細かい設定は私がするから、
「どこでもいいんだよな」
『うん。構わないよ』
カグヤの指示に従って、ハンドガンの銃身を
『第二種秘匿兵器、■■■■の充電、及び補給を開始します』
ノイズ混じりの合成音声が聞こえたかと思うと、建物の表面が熱を持ち、粘度の高い液体のように変化していく。そして銃身に吸い込まれるようにして、
旧文明期の建物に使用されている建材には、〈第二種秘匿兵器〉と呼ばれるハンドガンの弾薬に使用できる特殊な〈鋼材〉が含まれている。それはコンクリートに見える建物の壁面や、瓦礫の間から突き出した鉄骨にも使用されていた。
だからなのか、
通知音のあと、内耳に合成音声が聞こえる。
『■■■■の充電、及び補給を完了しました』
インターフェースに表示される残弾数を確認したあと、ズシリと重くなったハンドガンを見つめる。ハンドガンの
するとヤトの部隊によって索敵が行われて、安全が確認できた建物が増えていることに気がついた。ミスズとの訓練の成果なのだろう。ヤトの戦士は小銃を使用した戦闘にも充分に慣れているようだった。
『レイ、ヴィードルが接近してくるよ』
カグヤの声に私は視線を上げる。通りの向こうからやってくるのはミスズが操縦するヴィードルだった。
■
〈ヴィードル〉は多脚車両の名称で、旧文明期に建設現場や森林作業などの難所で、建設用の機械人形と同時に運用されていた車両のことだ。文明が崩壊した現在では、タイヤを使用した車両よりも好まれていた。
ミスズは仕事の相棒で、東京にある旧文明期の施設からやってきていた。東京は文明崩壊のキッカケにもなった紛争の影響で大部分が海中に沈んでいたが、海底に建造された施設に生き残りが存在していて、彼女はそこで軍隊のような組織に所属していた。だからなのか高い戦闘能力を有していた。
■
ヴィードルの防弾キャノピーが開くとミスズが顔を見せる。彼女は慌てているのか、琥珀色の綺麗な瞳を私に向けながら声をあげる。
「大変です、レイラ!」
「どうしたんだ?」
「〈ナミ〉が指揮するヤトの部隊が不審な者たちを捕らえました」
カラスから受信する映像を確認して、周囲に敵対的な略奪者がいないか確認する。
「侵入者か、そいつらは何者なんだ?」
「依頼を受けてレイラの調査をしていると言っていました」
「依頼?」
顔をしかめると、カグヤの不安そうな声が聞こえる。
『マリーが警告していた連中のことかな?』
「わからない。けど何か
『ところで、どうして部隊を指揮していなければいけないナミがここにいるの?」
カグヤの言葉に反応して、コクピットの後部座席に視線を送る。
「……えっと」と、ミスズが困ったように言う。
「どうしてもレイラに会いたいって言うので……」
ミスズの言葉に私は思わず溜息をついた。
「ミスズを責めないでくれ」と、ナミと呼ばれたヤトの戦士が言う。
「責めてないよ。ただミスズが責められる状況になると分かっていたのに、どうしてナミはミスズに無理を言ってついてきたんだ?」
「それは……」彼女は
彼女の名前は〈オンミ・ノ・ソオ〉で、ヤトの一族が使う古い言葉で〈波の音〉を意味する名だった。いつからか〈ナミ〉と呼ばれるようになった女性は視線を上げると、睨むように私を見た。その際、ヤトの一族の特徴である鈍色の髪が揺れた。
「どうしたんだ?」
「ミスズは〈深淵の使い手〉の家族だ。誰かが守らなければいけない」
彼女の言葉に私は頭を振る。
「俺は〈深淵の使い手〉なんかじゃない」
「でも――」
「もしも今が戦闘中で、部隊を指揮しなければいけない大変なときにナミがいなくなったら、その部隊はどうなる?」
「どうにもならない。彼らは私が抜けたからと言って簡単にやられるような連中じゃない」
『そういうことじゃないんだけどな……』と、カグヤが言う。
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