第92話 石像 re


 〈混沌の追跡者〉の顔を覆い隠していたみすぼらしい布の隙間から、わずかに見えていた鋭い眼光は、彼らが〈秩序の守護者〉と呼ぶ女性に向けられていた。


 その美しい女性は自身に向けられた無数の視線に関心がないのか、少しも気にする様子を見せることがなかった。彼女は手に持った二本の大剣の感触を確かめるように、空を切るように剣をゆっくり振り下ろしていた。


 私は静かに息を吐き出すと、ハンドガンを構えて弾薬を〈重力子弾〉に切り替える。すぐに銃身の形状が変化して、銃身内部で青白い光の筋がいくつも走り、あたりをぼんやりと明るく照らし出していく。


 女性に銃口を向けると、天使の輪にも似た青白く輝く輪があらわれる。すると今まで周囲の動きに無関心だった〈秩序の守護者〉は動きをピタリと止めた。


『この気配……』と、澄んだ声で女性は言う。

『深淵の『使徒』がいるのだな。しかし、あの裏切り者の娘がいるのだ。深淵の使い手がこの場にいても、なんら不思議なことではないな』


 美しい女性から向けられる暗い眼窩がんかを見ながら、私は引き金を引いた。

 撃ち出された光弾は青白い閃光を闇に残しながら、すさまじい速度で女性に迫った。しかし予想通り、甲高い金属音と共に光弾は上方にはじかれ、洞窟の天井を貫いて大規模な崩落を引き起こした。


 女性のはるか後方で洞窟の天井が崩壊して騒音を立てる。しかし彼女はそれをまったく意に介さず、光弾をはじくために使用した大剣の状態を確かめるように、手の甲でさっと刀身をひと撫でする。


 それから突如振り向くと、大剣をよこぎに振るった。彼女の剣が振るわれた先には、闇の中を密かに移動し、守護者に対して奇襲をかけようとしていた〈混沌の追跡者〉がいた。


 彼女の大剣によって易々やすやすと切断された〈混沌の追跡者〉たちの身体からだが宙を舞った。白鼠色の肌から体液と臓物ぞうもつが飛び散ってあたりを薄桜色の血液で染める。


 〈混沌の追跡者〉は仲間が殺される様子を見て、一瞬だけひるんで動きを止めたが、美しい女性は違った。彼女は二本の大剣を使い、まるで草を刈るように追跡者たちを虐殺していった。


 暗闇に潜みながら攻撃の機会をうかがっていたハクは、行動の予備動作として身体からだを深く沈めると、女性に向かって跳躍ちょうやくしながら無数の赤黒い糸の塊を吐き出した。


 瞳を持たない女性は何かを感じ取ったのか、振り向くことなく糸の塊をけてみせた。しかし彼女がハクの攻撃を避けることは予想できていた。私が偏差へんさ射撃しゃげきを行うと、その弾丸は女性の太腿に食い込んだ。一瞬の間のあと、特殊な弾薬は彼女の太腿の内側でぜた。あらかじめ弾薬を小型擲弾てきだんに切り替えていたのだ。


 太腿から下を失くした女性は片膝をついた。

『鉄の塊を破裂させたのか。めずらしい能力だな、深淵の使い手よ』

 彼女はそう言うと、大剣を杖代わりにして立ち上がった。


 爆散ばくさんしてバラバラに飛び散った彼女の足は、肉と骨ではなくて、鉱石が寄り集まって形作っていたモノだった。周囲に散らばっていたそれらの鉱石が彼女のもとに集まると、すぐに元の足を形成し、皮膚まで完璧に再現してみせた。そのなまめかしい足には、損傷の痕はいっさい残されていなかった。


 彼女は両手に大剣を握ったまま両腕を斜め下に向けて広げた。そして我が子を抱擁ほうようする母のような、慈愛じあいに満ちた微笑みを我々に見せた。


 彼女の立ち姿は美しく、天井からし込む月の光もあいまって、偉大な芸術家たちが描く精霊せいれい降臨こうりんの一場面を思わせた。しかし我々の目の前にいるのは、聖なる者の御使みつかいではなく、我々の命をたやすく刈りとる悪夢そのものだった。


『まずは貴様だ』

 彼女はそう言うと、こちらに向かって飛んだ。一瞬で数十メートルの距離を詰めると大剣を振るう。私は身を低くして大剣の一撃を間一髪のところでかわすと、射撃を行いながら横に飛び退いた。


 しかし女性に撃ち込んだ炸裂弾頭はあまり効果がないのか、彼女は痛みを感じている反応すら見せなかった。それでも私は打開策を模索しながら、大剣から繰り出される恐ろしい攻撃を避け続けた。


 ハクは暗闇のなかを素早く移動すると、彼女の背後から無数の糸を吐きかけた。白銀に輝く糸は女性の足に絡みつき、彼女を地面にい付けた。女性が見せた一瞬のすきを突いて、私は後方に飛ぶと、弾薬を〈反重力弾〉に切り替えた。


 銃身内部で紫色の光が走るが、その光は徐々に黒くよどんでいき、銃口の先から霧状きりじょうもやが漏れ出していく。まるで陽炎かげろうを見ているように周囲の空間が歪んでいく。銃口から溢れ出る黒いもやの周りに赤黒く輝く輪が複数あらわれると、真っ黒なもやを四方から寄り集めるようにして収縮していった。


 そうして銃口の先には脈動みゃくどうする小さな赤黒い球体が浮かんだ。


 その一連の動きは、トカゲじみた混沌の化け物と交戦した際にも見られた変化だった。それが何を意味するのかは分からないが、そんなことに構っていられる余裕はなかった。


 女性は周囲の微妙な変化を感じ取ったのか、ハクの糸が絡みついていた自分自身の足に大剣を突き刺すと、そのまま足ごと糸を切断して攻撃を避けようとした。しかし遅すぎた。


 照準器のレティクルを守護者に合わせると引き金を引いた。

 強い反動に両腕が持ち上がったが、銃声はほとんど聞き取れなかった。撃ち出された赤黒く脈動する球体は、すさまじい速度で進み、一瞬で女性の胸の中央に食い込んだ。その瞬間、金属を打ち合わせたような甲高い音が闇にとどろいた。


 彼女の皮膚が透けて見えるほど球体は発光し、その輝きを中心にして、広範囲にわたってすべてモノが重力に反して宙に浮かび上がるのが見えた。彼女に殺されていた追跡者たちの死骸や、割れた石畳、天井から吹き込む雨粒が空中で静止するのが見えた。


 宙に浮かんでいた女性は大剣を手放すと、自身の胸をきむしり、胸を引き裂くようにして胸の奥で赤黒く発光する球体を見つけ出した。しかし彼女が何かをする前に、耳をつんざく甲高い大音響が洞窟にとどろいた。


 その瞬間、驚いた表情をした女性と視線が合った気がした。

 空中に浮かんでいたすべてのモノが、すさまじい重力によって赤黒い球体に向かって引き寄せられ、そして圧縮されていった。


 追跡者たちの遺体や彼女の大剣、そして〈秩序の守護者〉である彼女の美しい身体からだも、赤黒い球体に引き寄せられて、恐ろしい力で圧し潰されていった。あとに残ったのは、クレーターのように放射状にくぼんだ地面と、高密度に圧縮された球体状の物体だった。その球体もしばらく宙に浮いていたが、やがて地面に落下して鈍い音を立てた。


「やったのか?」

 近くに来ていた〈混沌の追跡者〉のおさが言う。

「分からない」

 頭を振りながら答えると、バスケットボールほどの大きさに圧縮された塊を見つめた。その物体は相当な重さがあるのか、落下した衝撃で地面に半分ほど埋まっていた。


「人間が守護者を殺した!」

 〈混沌の追跡者〉の中からそんな声が聞こえた。

「我らが宿敵を人間が殺したぞ!」と、なおも彼らは声を上げる。

「強者をたたえろ!」


「彼こそ〈深淵の使い手〉だ!」と、また声が上がる。

「〈深淵の使い手〉が、憎き守護者を滅ぼした!」


 追跡者たちが私とハクの周囲に駆けてきて、騒がしく言葉をかけ始めたが、それもつかの間のことだった。

 突然、甲高い音が洞窟に響いた。私とハクを含めた追跡者たち皆が、音の発生源である球体状の物体を見つめた。その物体には、縦に小さな亀裂ができていた。


「ハク」

 私は白蜘蛛を側に呼ぶと、一緒に球体の側から離れた。私たちの様子を見ていたのか、〈混沌の追跡者〉たちも一斉いっせいに物体から距離を取った。


 ガスマスクのフェイスシールドに拡大表示されていた球体の割れ目からは、砂状の物質がサラサラと漏れ出しているのがハッキリと確認できた。砂のようなモノは見る見るうちに量が増えていって、気がつくと球体が埋まって見えなくなるほどの量になっていた。


 やがて我々の目の前には、砂で作られた起伏が誕生した。その砂山の中から、小柄な女性が這い出てくる。彼女は〈秩序の守護者〉と同じ姿をしていたが、明らかに小柄になっていた。


『今を去るはるか昔から、今日この瞬間まで、私を殺しうる何かが存在しているとは夢にも思わなかった』


 彼女は堆積した砂を踏みながら、手足の状態を確かめていた。それから手のひらをしばし見つめて、その手を砂にかざした。すると砂が浮き上がり、彼女の手元に寄り集まると大剣を形作っていった。


『けれど、私はまだ戦える』と、女性は微笑む。

 私は素早くハンドガンを構えて、女性に銃口を向けた。

『〈深淵の使い手〉よ、貴様は少し厄介だ』


 女性の声が耳元で聞こえたかと思うと、彼女はいつの間にか私のすぐ目の前にいた。

『レイ!』

 慌てるハクの声が聞こえた。

『娘は邪魔だ』


 守護者はハクに向かって大剣を投げた。ハクは大剣を受けるために触肢しょくしの間に糸を素早く張ると、大剣の一撃を受け止めながら闇の中に吹き飛んでいった。


『貴様の相手は、あとでゆっくりしてやろう』

 彼女はつやのある声でそう言う。次の瞬間、彼女が腕を振り上げるのが見えた。私は顔を守るように腕を交差させた。すると身体からだを守るための反射的な作用なのか、ナノマシンの働きによって両腕の肘から下が石のように硬化していくのを感じた。そしてすさまじい衝撃に襲われる。


 パチンと、まるでスイッチを切るように私は意識を失った。


 気がつくと空中に吹き飛ばされていた。受け身を取ろうとして身体からだを捻ったが、目の前にあらわれた守護者に足首をつかまれ、洞窟の天井に開いていた大穴に向かってすさまじい勢いで投げ飛ばされた。


 空中に放り出されたあと落下による浮遊感、そして目まぐるしく変わる視界に顔をしかめる。するとハクの幼い声が頭に響いた。


『レイ、つかまる』

 周囲に素早く視線を走らせると、月明りに照らされて輝くハクの糸が見えた。かなりの速度で落下しているからなのか、風圧の抵抗を強く受けたが、無理やり手を伸ばして糸をつかんだ。もう片方の腕を伸ばそうとしたが、感覚がなかった。私は諦めると、糸をつかんでいた腕を、円を描くように振って腕全体に糸を絡めた。


 そして肩に強い衝撃と痛みを感じると落下は止まった。しかし今度は振り子のように、目の前の巨大な岩山に向かって進んでいった。衝突を覚悟して背中を向けたが、衝撃はやってこなかった。


『レイ、つかまえた』

 白蜘蛛の可愛らしい声が聞こえた。

「助かったよ、ハク。もう少しで死ぬところだった」


 実際、ハクが助けに来てくれなければ、数十メートルの高さから地面に落下して、その衝撃で死んでいただろう。

『レイ、まもる』と、ハクは健気に言う。

「ありがとう」

 感謝したあと、さっと視線を走らせる。


 死人めいた月の輝きで、世界は青白い光に照らし出されていた。が、同時に恐ろしい速度で雲が流れ、嵐のような通り雨を至るところで降らせていた。

 どうやら私は洞窟の外に投げ出されていて、視線のはるか下に見えている縦穴が、先ほどまで〈秩序の守護者〉と交戦していた洞窟に続く入り口なのだと分かった。


 そして私が岩山だと思っていたモノは、巨大な墨色の石像だった。その石像は周辺一帯に数えきれないほど存在していて、不気味な荒野に不規則に並んでいた。フェイスシールドの機能を使い、石像を拡大表示して確認すると、一番小さなものでも百メートルほどあって、遠くに見える巨大な像は三百メートルを優に超えていることが判明した。


 石像の造形はさまざまで、太い触手が大量に生えたガーゴイルのような奇妙な生物の像もあれば、甲殻類が持つハサミに似たモノを、いくつも身体からだに生やした異様な生物の姿をかたどった像もあった。


 またツノのような突起物を身体中からだじゅうから生やしたナメクジのような、ひどくおぞましい造形をした石像にいたっては、身体からだからしたたる粘液すら丁寧に再現されていた。


 私は振り返ると、ハクの背後に見えていた石像を仰ぎ見る。ハクが張り付いていたのは、粘液状の身体からだを持つ不気味な生物をかたどった石像だった。


『レイ、うごく』

「分かった。でも怪我をしているから、ゆっくり頼むよ」

『ん。まかせて』

 ハクは石像の上に向かって進んでいった。


 粘液状の生物をかたどった石像が、腕のように伸ばしていた粘液の先までハクは登っていった。たいらな石像の上、あちこちにある水溜まりを避けながら、私はゆっくり腰を下ろした。


 感覚のない右腕を確認すると、前腕の中ほどで骨が綺麗に折れていることが分かった。身体からだに備わる防衛機能として、皮膚が硬化することで損傷を防ごうとしたようだが、あの女性が繰り出した拳の一撃には耐えられなかったようだ。衝撃で戦闘服の袖は裂けていて、ぼろ切れのようになっていた。


 私は痛みにあえぎながら折れた骨の位置を直すと、〈混沌の領域〉を旅している間にすっかり軽くなったバックパックの中から、医療用の硬化スプレーを取り出して、右腕に吹き付けた。スプレーから噴射された液体は、肌に付着すると瞬時に固まり出した。


 これで腕が固定されるので添え木の必要はないはずだ。スプレーには痛みを和らげる成分も含まれていて、その効果もすぐに出てきた。おかげで私はしばしの間、腕の痛みを忘れることができた。


『レイ、みて』

 ハクの声に視線を上げると、タコのような生物が我々の周囲に複数いて、空中にプカプカと浮かんでいるのが見えた。


 ハンドガンを左手に握ると私は言った。

「あれは敵か、ハク?」

『ん、ちがう』


 ハンドガンの銃口を下ろすと、その不思議な生物に目を向けた。

 だこのような生物は大型バスほどの体長があり、身体からだは真っ白で、数十本ある長い腕には桃色の吸盤きゅうばんがついていた。


 その長い腕の先には金色の燦爛さんらんたるフルートがあって、化け物は青紫色の頭部にフルートの先をくっ付けていた。しかしフルートの音色はいつまでたっても聞こえてこなかったので、フルートを吹いていなかったのかもしれない。


 とにかく何もかもが奇妙で不思議なタコの化け物を、私とハクはしばらく黙って眺めていた。タコの化け物には複数の眼があって、そのジメッとした視線はこちらを探るように、我々にじっと向けられていた。


 そのタコのような化け物がいなくなると、私は立ち上がって石像のふちに向かって歩いた。

 視線のはるか下に、ポッカリと開いた洞窟の入り口が見えた。そこでは〈秩序の守護者〉と呼ばれた女性と、追跡者たちがまだ戦闘を続けているのかもしれない。

 追跡者たちとは敵対していたが、このまま私が何もしなければ、あの女性の手で全滅させられるだろう。


 私は深く息を吸い込むと、ゆっくり吐き出した。

『たすけ、いく?』と、私のとなりに来ていたハクが言う。

「そうだな……このまま見殺しにすることはできない」


 追跡者の言葉が正しいのなら、彼らは〈混沌の意思〉にしたがわされていただけのことになる。正気になったのなら、彼らと敵対する必要はない。むしろ、追跡者たちと協力して〈秩序の守護者〉の相手をしたほうがいいのかもしれない。


 私は覚悟を決めると、不吉な荒野に目を向けた。

 そこには、ありとあらゆる生命の残骸が横たわっているように見えた。

 善なるモノと、混沌の争いが終焉を迎えた地だ。

 そこは生命という生命が枯れ尽くした世界でもあった。

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