第91話 美の化身 re


 身体からだまとわりつくようなドロリとした暗闇のなか、我々は石像の周囲をぐるりと歩きながら、注意深く周辺一帯の様子を観察していた。


 暗闇の向こうからは相変あいかわらず敵意は感じられないが、闇そのものが今にも襲いかかってくるような、そんな威圧感があった。私は石像の側に横たわる大蛇の死骸にちらりと視線を向けた。


 そこで奇妙な違和感を持った。その正体を確かめようと、半ば白骨化した大蛇を注意深く観察することにした。すると大蛇の顎についているはずの巨大な牙の片方が折れていて、本来あるべき場所からなくなっていることに気がついた。が、すぐに欠けていた牙は見つかった。


 その太い牙は石像の背中に突き刺さっていた。石像と交戦した際にヘビが噛みついて、そのまま石像に残したものだと推測できた。皮肉なことに、その一撃は石像を破壊することができなかったみたいだが。


 ハンドガンを構えると、ホログラムで投影される照準器のレティクルを石像に合わせた。

 銃口を向けられても石像は動かない。三メートルを超える巨躯を形成し、絶えず流動し続ける鉱石にも変化は感じられない。


 けれど石像の胴体に開いていた穴が、急に真っ暗になるのが確認できた。湾曲した鏡状の〈転移門〉は、常に世界の何処どこかを映し出していて大きな変化がなかった。だから〈転移門〉が真っ暗になるのは、何かの前兆なのかもしれないと考えて警戒することにした。


「ハク、石像が動くかもしれない。攻撃に備えてくれ」

『……ん』と、緊張したハクの幼い声が聞こえた。


 正直、戦闘に関しては私よりもハクのほうが頼りになる。しかし用心するに越したことはないだろう。弾薬を〈重力子弾〉に切り替える。

 銃身の形状が変化していくと、銃身内部に青白い光の筋があらわれて、銃口に向かって移動しながら周囲の闇を照らす。そして天使の輪にも似た青白く輝く輪が出現する。


 その瞬間、ビクリと石像が動いて、その身体からだに降り積もっていたすなほこりがサラサラと地面に落ちるのが見えた。けれど石像が何かをするには遅すぎた。私は射撃の反動に備えると、躊躇ためらうことなく引き金を引いた。


 撃ちだされた光弾は、青白い閃光を闇に残しながら石像の周囲に展開されていたシールドをつらぬくと、そのまま石像本体に直撃した。が、甲高い金属音と共に光弾は上方に軌道がらされて、洞窟の天井に開いていた大穴から空に向かって飛び出していった。


 それは一瞬の出来事だった。私は〈重力子弾〉を防げる〝何か〟がこの世界に存在していることに驚愕して、石像からの反撃に備えることなく、しばらく茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


『レイ!』

 ハクの糸に引っ張られて地面を転がるように移動して、石像からの攻撃を何とか避けることができた。嫌な予感は的中した。この石像は我々に反撃をするのだ。


「助かった、ハク」立ち上がると、すばやく後方に飛び退いた。

 ガスマスクのフェイスシールドには拡大された石像の姿が映しだされていて、石像の肩口から伸びた鉱石が、鎌首をもたげるヘビのようにゆらゆらと動いているのが見えた。それをむちのように使って反撃してきたのだろう。


 石像の両手には、いつの間にか二本の剣が握られていた。それはおそらく処刑人の剣と呼ばれる角張った大剣だった。西洋剣については詳しくないので名前は分からなかったが、鈍い輝きを放つ黒剣が危険なことは名前を知らなくても、その姿形を見ているだけでひしひしと伝わってきた。


 ハンドガンを構えると、弾薬を〈反重力弾〉に切り替えた。

 正面からの攻撃が通用しないのなら重力で捕えて圧殺すればいい。石像の身体からだに一瞬、悪意を示す赤紫色のもやが出現したのが見えた。反撃がくる。すかさず横に飛び退いてヘビのように猛然もうぜんと迫る鞭の一撃をかわした。


 けれどむちは生物的な動きで迫ってくる。

 次の瞬間、脇腹に強い衝撃を受けて視界が回る。


 雨に濡れた床に手をついて上体を起こすと、床が綺麗に切り揃えられた石畳だと気がついた。痛みに混乱して現実逃避しているのか、どうでもいいことが目についた。


 石像に視線を向けると、胸の前で二本の大剣を交差させたまま止まっているのが見えた。しかし肩口に形成された鉱石のむちは動いていて、それはハクを標的にして激しく振るわれていた。白蜘蛛は難なくむちかわしてみせていたが、反撃の糸口を見つけられずにいるようだった。


 ひどく痛む脇腹を無視して立ち上がると、素早く周囲を見渡して、むちによる攻撃の反動で手放てばなしたハンドガンを探した。短い電子音のあと、フェイスシールドに矢印が出現した。その矢印の方向に顔を向けると、闇の向こうに青い線で輪郭が縁取られたハンドガンが表示される。


 足元がふらついていたが、なんとかハンドガンを拾い上げることができた。と、そのときだった。私の正面、闇の向こうに赤紫色のもやが多数出現するのが見えた。嫌な予感がして暗闇をじっと見つめると、月の光を反射してまたたいた刃の残像が見えた。うしろにると、振り抜かれた刃を紙一重のところでけた。


 後方に飛び退いて闇に向かってハンドガンを構えると、人型の化け物が次々と姿を見せた。長い首に乗った頭部をみすぼらしい布で隠していたが、その化け物に見覚えがあった。ボロ切れの間から、スラリとしたみにくく、それでいて強靭きょうじんな手足が見えた。

 間違いない、あれは〈混沌の追跡者〉だ。


「人間、見つけたぞ!」

 化け物の一体がしわがれた声で言った。

「今度は逃がさない!」


 すっと闇から出てきたもう一体の〈混沌の追跡者〉が私に向かって曲刀を振り下ろす。咄嗟とっさに曲刀を避けて、そのまま身体からだをひねると化け物に回し蹴りを叩き込んだ。


 追跡者が持っていた曲刀にも見覚えがあった。それは深紅しんくの瞳を持つ青年の世界で、我々を襲撃した軍人が装備していたモノだ。そうだとするならば、彼らは異界を渡って私とハクのことを追ってきたことになる。


 突進してきた〈混沌の追跡者〉の胴体に、ハンドガンの銃口をあてるとそのまま引き金を引いた。私の思考電位を読み取り、瞬時に弾倉で生成された炸裂弾頭が、追跡者の身体からだを内側からズタズタに破壊する。


 くぐもった声と一緒に血液を吐き出す追跡者の手から曲刀を奪うと、そのままみにくい化け物を後方に蹴り飛ばした。


同胞はらからを殺した!」と、追跡者たちは怒りに声を上げる。

「やつを殺せ!」

「ここで仕留めろ!」


「攻撃するからだ!」と、思わず声を荒げた。

「死にたくなければ、俺とハクに構うな!」

 追跡者たちは私の言葉に驚いて、ぴたりと静かになると、また大きな声で騒ぎ出した。


「どうして我々の言葉を話せるんだ!?」と、追跡者たちは戸惑う。

「黙れ!」

 私は声を張り上げる。ハクのことが心配で気が立っていたのだ。

「皆殺しにされたくなければ、今すぐ混沌に帰れ!」


「人間風情が、我らの言葉を口にするか!」

 声を荒げた追跡者の頭部を散弾で吹き飛ばすと、他の化け物にハンドガンを向けた。

「まだやるつもりか?」


 突如、混沌の追跡者たちの背後に多数の赤紫色のもやがあらわれた。ヌッと暗闇から姿を見せる数百体を越える化け物のすべてが〈混沌の追跡者〉だった。

「まだやるつもりか? 人間」

 侮蔑ぶべつのこもった声で化け物は私の言葉を繰り返した。


 すぐに振り向くと、なりふり構わず走り出した。背後からは〈混沌の追跡者〉たちの罵声が聞こえた。私は彼らのことを無視すると、手に持った曲刀を石像に向かって投げた。石像は動かなかったが、自由自在に操るむちで曲刀を弾いてみせた。


 ハクは石像にできた一瞬のすきをついて糸の塊を吐き出した。それは毎回使用している白銀色の糸ではなく、赤黒い糸の塊で、普段よりもずっと小さな塊だった。しかしすさまじい速度で飛んでいって、石像を構成する鉱石を砕いて、その大きな身体からだらせるほどの衝撃を与えた。


 ハクの攻撃を見て、このまま石像を破壊できるかもしれないと考えた。が、すぐに現実を突きつけられることになった。ハクの攻撃によってぜた鉱石は宙に静止すると、寄り集まりながら石像の身体からだに戻っていった。石像は瞬時に自己修復してみせたのだ。


 瞬く間に修復される損傷箇所を見て気落ちしたが、そのまま石像に向かって走り、すべり込むようにしてむちの攻撃を避けると、石像の側を通り抜けてハクの近くに向かった。


 私の背後では石像の攻撃範囲内に侵入した〈混沌の追跡者〉が、太いむちによって次々に叩き潰され、臓物ぞうもつを撒き散らしながら断末魔をあげていた。


「逃げろ! 秩序の守護者がいるぞ!」

 〈混沌の追跡者〉はそう叫んだ直後に、すさまじい速度で振るわれた石像のむちによって頭部を潰された。

ひるむな! 眠っている守護者もろとも人間を殺せ!」

 〈混沌の追跡者〉は自分たちを鼓舞するようにわめき散らしていた。


 しかし石像の相手にならなかった。追跡者たちは容赦ようしゃなく殺されていった。

『むだ』とハクが言う。

「そうだな」

 ハクに同意したあと、静かに後方に下がった。


「馬鹿どもが、そこで止まれ!」

 黒いボロ切れを身にまとった〈混沌の追跡者〉が声を張り上げた。

「守護者に構うな、回り込んであの人間を殺せ!」

 追跡者たちは動きを止めると一斉いっせいにこちらを睨んだ。


「マズいな……」

 ハンドガンの弾丸を〈反重力弾〉に切り替えた。

 ホログラムの照準器が浮かび上がり、瞬く間に銃身の形態が変化していく。銃身の内部に紫色の光の筋がいくつも走り、銃口の先の空間がゆがんでいく。


 それはまるで、我々の周囲を覆う濃厚な闇を取り込んでいるようだった。

 発射の準備ができると、こちらに向かって駆けてくる〈混沌の追跡者〉たちに照準を合わせて引き金を引いた。


 軽い反動だった。銃声もほとんどしなかった。

 撃ち出されたのは紫色に発光する球体状のプラズマだった。それはゆっくり進み、やがて速度が出ると、あっという間に〈混沌の追跡者〉たちの手前に到達した。


 そして空中で静止したかと思うと、金属を打ち合わせたときのような甲高い音を周囲の闇に響かせた。その瞬間、プラズマを中心にして広範囲にわたって生み出された重力によって、すべてのモノが宙に浮きあがる。


 〈混沌の追跡者〉や、音に驚いた追跡者たちが手放した錆びた剣や槍、石像の攻撃で地面から剥がれた石畳、それに天井から吹き込む雨粒までもが宙に浮いたまま静止した。


 その不思議な光景のあと、耳をつんざく甲高い音が洞窟に響いた。

 すると空中に浮かんでいたモノが、発光する球体の中心に向かってすさまじい重力で引き寄せられて圧縮されていった。あとに残ったのは高密度に圧縮された球体状の物体だけだった。それは空中に留まっていたが、やがて地面に落下して鈍い音を立てた。


 先ほどまで騒がしかった〈混沌の追跡者〉たちは、息を呑み黙り込んでしまう。

 すると集団の中から黒い布をまとっていた化け物が歩み出てきた。

「人間……め」化け物の声は怒りに震えていた。「この屈辱を我々は決して忘れないぞ」


「お前たちが始めたことだ」と、私はすぐに反論した。

「そもそも、どうしてお前たちは俺を付け狙うんだ」

「付け狙うだと? 貴様が我々の領域に侵入した」

「侵入した? それがなんだって言うんだ!お前らに対して何かをした覚えはないぞ」


 その言葉を聞いて化け物は急に黙り込んでしまう。

 おそらく集団のおさなのだろう。黒いボロ切れを身にまとったおさの様子を見て、その背後に立っていた他の追跡者たちも大いに戸惑いを見せていた。

「……それならなぜ、我々はお前を追跡しているのだ。教えてくれ、人間よ」

 まるでき物が落ちたように、醜い化け物は落ち着いた声で言った。


『こんとん、いし』

 それまで黙っていたハクがポツリと言う。

「混沌の意思?」と、私は思わず聞き返した。


「混沌の意思だと?」と追跡者は声を荒げた。「〈混沌の神々〉のために、我々はこんな世界まで来たというのか?」

「こんな世界?」

「ああ、世界の果てだ。ここには混沌によって産み出された化け物しかいない」


 私は急な展開に戸惑いながらも、〈混沌の追跡者〉にたずねた。

「それが分かっていて、なぜ俺たちを追ってきた」

「それは……」と追跡者は言葉をにごす。


「お前らは領域に侵入した者たちを、いつもそうやって問答無用で襲っていたのか? どうして攻撃する前にお前たちと敵対する気があるのかかなかったんだ」

「我々以外に、我々の言葉を話す者が存在しなかった」

 それもそうだ。と私は肩をすくませた。


「けど、それは誰彼構わず襲う理由にはならないはずだ」

「我々は神々を妄信するあまり、混沌の意思に踊らされていたのか?」

 私は顔をしかめた。そのくだらない信仰のせいで、どれほどの命が無駄になったのだろうか?


『こんとん、いし、よわい』と、ハクは地面をベシベシと叩いた。

 ハクの言葉についてしばらく考えたあと、私は言った。

「もしかして、神々が支配する領域から離れたことで、追跡者に対する混沌の影響が弱まっているのか?」

『ん』と、ハクは腹部を揺らした。


 ハクが言葉にできない想いが、思念となって私にゆっくり伝わってくる。しかしそれでも分からないことは多かった。〈混沌の領域〉を離れてもなお、狂暴な化け物はいくらでも存在していた。


 〈混沌の追跡者〉と、それらの化け物の違いは、高い知性があることだけだった。……あるいはそれが関係しているのかもしれない。けれど私には確かなことは分からなかった。そもそも目の前の化け物が言っていることが本当なのかも怪しかった。


 そのときだった。それまで動きを見せなかった石像が急に動き出した。

 石像は一定の範囲内に近づかなければ、攻撃はおろか、追撃もしてこなかった。それが今では意思を持ったかのように動いていた。どこか不気味で嫌な感じがした。


「マズいぞ、人間!」と、〈混沌の追跡者〉が声を荒げる。

「〈秩序の守護者〉が目を覚ます!」


 次の瞬間、頭部も口も持たないはずの石像が絶叫した。

 あまりの大音響にその場にいた誰もが耳を塞いだ。


 石像が両手に持った二本の剣を地面に突き刺すと、その身体からだを形成していた鉱石が崩れるようにがれていき、地面に散らばっていくのが見えた。

 一瞬の静寂。まるで洞窟にいるすべての生命が暗がりに身を潜めて、石像の次の動きを見守っているかのようだった。不吉な予感に鳥肌が立つのを感じた。


『……レイ』

 不安そうにしているハクを安心させようとして、ハクの体毛を撫でた。が、心を落ち着かせたかったのは私だったのかもしれない。


 床に散らばっていた鉱石がパラパラと宙に浮き上がると、ひとつに寄り集まっていく。やがてそれは女性の姿を形作る。女性は何も身に着けていなかった。しかし着飾る必要がないほどに彼女は美しく、その姿を見れば、美の女神であるアフロディーテすらも嫉妬するはずだと思った。


 女性の背丈は石像のときとあまり変化がなかった。三メートルほどの体高に美しい四肢ししをもっていた。女性は驚くほど美しかったが、彼女は瞳を持たなかった。本来、瞳があるべき場所は暗く、ひどい火傷の痕でただれていた。


『カララなのか?』と、芯の通った力強い声で女性は言う。

『いや、違うな。この臭い、混沌の者か……』

 女性の声は奇妙な響きを持っていた。まるでいくつもの言語が同時に発せられているように言葉が飛び交っていたが、なぜか彼女の言葉を理解することができた。頭のなかに言葉がスッと入ってくるのだ。


 それから彼女は、地面に突き刺していた巨大な二本の剣を軽々と引き抜いた。

「人間」と、ボロ布を身にまとった〈混沌の追跡者〉が言う。

「貴様に言いたいことは山ほどあるが、ひとまず休戦だ。今は目の前の脅威に対処する」


「ああ。あんたの仲間を散々殺しておいて言うことじゃないが、たしかに今は協力してこの場を切り抜けたほうがいいみたいだ」

 我々は恐ろしいまでの美の化身に視線を向けた。

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