第89話 異界 re


 剥離はくりしていた意識が身体からだに馴染むまでのわずかな時間、私は茫然ぼうぜんとしながら草原にたたずんでいた。すると突然、風切り音がして矢がガスマスクをかすめて飛んでいった。私は横に飛び退いて、身を隠す場所を探したが、なだらかな起伏を見せる草原では、遮蔽物しゃへいぶつになりそうなモノは何もなかった。そのとき、背後から声が聞こえた。


「動くなよ、貴様にはあてたくないんだ」

 深紅しんくの瞳を持つ青年の声が聞こえたあと、私のすぐ近くで風切り音がして、白銀の矢が恐ろしい速度で飛んでいくのが見えた。その矢を追うように視線を前方に向けると、馬に乗った何者かの影が見えた。複数の人影は青年に次々に矢でられ、落馬していった。


 草原の向こうから馬で駆けてくる者たちも、我々に向かって数十本の矢を射るが、そのすべてがすんでのところで私の身体からだれてどこかに飛んでいくのが見えた。矢逸らしの加護のおかげなのかもしれない。


 地を揺らす馬のひづめの音が聞こえる。馬に乗った男が抜刀すると、剣身がの光を反射した。瞬く間に接近してきた男の荒い息遣いが聞こえてくる。


 しかし次の瞬間、目前に迫っていた男は胸に受けた糸の塊と共に後方に吹き飛んでいく。

『レイ!』白蜘蛛が腹部を振りながら私の側にくる。

「ありがとう、ハク」

 私はそう言うと、やっと鮮明になってきた意識で襲撃者の姿を見据えた。


 弓弦ゆづるが鳴る音が聞こえる。視線を上げると、無数の矢が私に向かって飛んできているのが見えた。すべては避けられない、私は覚悟を決めた。しかし矢は私の身体に触れる寸前、突然吹いた風の干渉を受けて逸れていく。

「やはり女神の加護か!」


 驚愕する私を余所よそに、襲撃者のひとりが近くに迫っていた。私は足に力を入れ地面を踏み込むと、腰に差していた剣を引き抜いて襲撃者と対峙する。彼は馬から半身を乗り出すようにして剣を振るった。


 襲撃者の剣を打ち弾くと、返した刃で彼の首をね飛ばした。馬は首のない襲撃者を背に乗せたままどこかに走っていく。それを横目に見ながら次の攻撃に備えた。


 前方から馬に乗った襲撃者が二人、猛然と私に向かって駆けてきた。私は剣を地面に突き刺すと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。ホログラムで投影された照準器が浮かび上がると、フェイスシールドに拡大表示された襲撃者の姿が見えた。

 襲撃者は顔に布を巻いていて、その正体は分からなかった。けれどそんなことはどうでもいい気がした。


 弾薬を切り替えてショット弾で二人の頭部を吹き飛ばすと、側面から矢が飛んできて、風に吹かれてれていった。頭部を失い落馬していた襲撃者の剣を拾い上げると、こちらに弓を構えていた襲撃者に向かって投げた。襲撃者の喉に刃が突き刺さると、彼女はそのまま落馬した。


 馬のいななきを耳にして振り返る、そこには剣を振り上げる別の襲撃者がいた。私は地面に突き刺していた剣を素早く引き抜いて、襲撃者の攻撃に備えた。襲撃者が振り下ろした刃が届く寸前、襲撃者の胸にハクの脚が突き刺さる。


 ハクの存在を感じ取って恐慌状態になった馬はそのまま駆け抜けていったが、ハクの脚で串刺しにされていた襲撃者は宙に浮いたまま残され、吐血し、驚きに目を大きく見開いたまま死んでいった。


 その間も、青年は我々の後方から矢を射って掩護えんごしてくれていた。すさまじい速度で飛んでいく矢は、私とハクの間にある空間を切り裂きながら何本も通り過ぎていった。襲撃者は十数人いたが、そのほとんどが、あっという間に死んでいった。生き残った者たちは振り返ることなく逃げていった。


「終わったのか?」

「そのようだな」と、月白げっぱく色の髪を揺らしながら青年は言う。

「ハクは大丈夫か?」

 すぐ近くに来ていたハクに声をかけた。


『へいき。ハク、けが、ない』

 白蜘蛛は青年が放った矢で致命傷を受けて瀕死の状態になっていた者たちに止めを刺しに向かった。理不尽な襲撃に対して、苛立ちを覚えていたのかもしれない。


 私はどこまでも広がる草原を眺めながら、青年にたずねた。

「それで、俺たちはどこにいるんだ?」

「こいつは俺の世界だな」と、青年はキッパリ言う。

 私は空を見上げた、太陽はひとつだけだったし、空も青かった。


「異世界には見えないな」

「異世界か……」青年は鼻で笑う。

「ついてこい。貴様が帰れる手段を探す」


「いいのか?」

「何が」

「あんたはすでに欲しいモノを手に入れた。これ以上俺とハクに付き合う必要はない」

 青年は肩をすくめた。

「これも何かの縁だ。それに、貴様はこの世界のことを知らない」

厚意こういに感謝する」


「〈深淵の姫〉を連れて歩くのは気が引けるが、これも神々の望みなのだろう」

「神々の望み?」

「そうだ。これも俺と貴様に与えられた運命のひとつなのかもしれない」

「運命については考えないようにしているんだ」

「なら、今日からは考えることだな。我々は決められた宿命から逃れられないのだから」

「宿命ね。前にもそんなこと言われたよ」


 青年は襲撃者たちの側にしゃがみ込むと、その遺体をあらためた。褐色の肌に、青い瞳、鍛えられた身体からだの襲撃者たちはシャムシールにも似た特徴的な曲刀を持っていた。

「こいつらを見て、何か分かるのか?」

「連合国の兵士だな」

「それで?」

「正規軍だ」


「その軍人が、どうして問答無用で俺たちに攻撃を仕掛けてきたんだ?」

「〈深淵の娘〉を連れているからだ」

「あぁ」と私は納得する。「やつらを全滅させなかったのは、マズかったか?」


「追手が来るな。すぐにこの場を離れたほうがいい」

 歩き出した青年の背を追いながら質問する。

「これからどこに向かうんだ?」

「平原の先に遺跡がある」

「また遺跡か」


「ああ。そこでなら、監視者の石像を確実に見つけられる」

「危険そうだな」

「いや、〈混沌の領域〉とのつながりはすでに断たれている。純粋な〈転移門〉として機能していた石像が残されているだけだ」


「つながりが断たれているか……つまり、〈門〉として機能している石像をみつけたとしても、もとの世界に帰れる保証はないんだな」

「なぜ?」

「この世界が〈混沌の領域〉じゃないからだよ」

「もとの世界に帰りたいという願いが聞き届けられないと考えたのか」

「そうだ」

「何事もやってみなければ分からない。どのみち、貴様たちには他の選択肢がない。そうだろ?」


 我々は襲撃者たちからの追跡に警戒しながら草原を進み、日が沈むころになって高い岩山に囲まれた渓谷けいこくに入っていった。そして夜になっても休むことなく歩き続けた。青年は追手に対してひどく警戒していて、渓谷けいこくを抜けるまで休むつもりはないみたいだった。


 我々は月明りを頼りに、ひな壇状の幾重にも重なった地層が綺麗なしま模様もようを刻んでいる崖に目を配りながら進んだ。


「それで、貴様の本当の望みはなんだ?」

 それまで黙々と歩いていた青年が唐突に言う。

 私はしばらく考えてから答えた。

「過去の記憶がないんだ。だから自分が本当に何を望んでいたのか分からなかったんだ」

「記憶か……」と、青年は深紅しんくの瞳を崖の上に向けた。


「自分が何のために生きているのか、戦っているのか、ずっと分からないまま生きていた」

「今は違うようだな」

「あらゆる物事には理由がある。だから俺がやるべきことも、どこかにあるような気がするんだ」


「それが貴様の願いなのか?」

「そうだ。失った記憶もいずれは取り戻すだろう。あんたが言うように、それが俺の宿命だというのなら」

「そうだな、よくよく考えることだ。そして貴様は願い続ければいい」


 日が昇るころ、長い時間をかけて雨風にさらされた地形が作りだした岩の彫刻群が見えてきた。岩の形が指に見えることから、巨人の手と呼ばれている大岩の側を通り過ぎて我々は渓谷けいこくを出た。すると視界が開いて大草原が見えてきた。


『レイ、あかい』

 興奮しているのか、ハクの心躍るような声が聞こえる。

「ああ……絶景だな」

 草原に生えていた背の高いあしにも似た赤色の草を眺めた。


 開けた視界の先、ずっと遠くに日の光を浴びて輝く山々が見えた。そこは盲目の信者たちが守護する聖地〈白金山脈〉だと青年は言う。そしてこの地が〈なげきの草原〉と呼ばれ、今はなき王朝が存在していたと言われる場所だと教えてくれた。


 見渡す限りの赤の大平原からくる開放感に満足すると、我々は遺跡に続く街道に向かって歩みを進めた。追手に対する警戒をおこたることはなかったが、眺望ちょうぼうのきく平原では、時折ときおりガゼルに似たれが姿を見せるだけで、生物の姿はほとんど見なかった。


「戦争の影響もあるが、〈なげきの平原〉を越えた先にある〈黒い森〉を嫌って、誰もこの辺りには近づかないのさ」と、青年は教えてくれた。

 ガゼルに似た生物を追いかけていたハクを見ながら青年に質問する。

「この国では戦争が起きているのか?」

「そうだ。帝国と教国が激しい戦争を続けている。すでに前線では数万人の死者が出ているという話だ」


「戦争か……ちなみにあんたは、どちらかの勢力に属しているのか?」

「今は帝国だ」と、青年は素っ気なく言う。

「以前はそうじゃなかったのか?」

「ああ」

 それについてはあまり話したくないのか、青年の口は堅くなる。だから話題を変えることにした。


「〈黒い森〉って言うのは何だ?」

「〈なげきの草原〉に、かつて王朝が存在していたことは話したな?」

「ああ、話してくれた」

「その王朝を滅ぼした種族が支配していた森だ」

「それが黒い森か。危険な場所なのか?」


「どうしてそんなことを聞くんだ?」と、青年は深紅しんくの瞳を私に向けた。

「そういった場所には、貴重な〈遺物〉が眠っているモノだろ?」

「ずいぶんとぞくなことを考えるんだな」

「言ってなかったか? 俺は〈遺物〉を探し歩いて、それを売り払って生活をしているんだ」


 彼は立ち止まると、私のことをじっと見つめた。

「貴様の世界は、〈深淵の姫〉を連れた人間でさえ、そんなことをしなければ生きられないほど過酷な世界なのか?」

 青年の言葉に私は肩をすくめた。

「世紀末だからな」

「世紀末?」


「文明が滅んだ世界だ。弱者を食い物にする略奪者と不死の化け物、それに人を襲う巨大な昆虫が跋扈ばっこする世の中だ」

「最悪だな」

「それに〈混沌の領域〉からやってくる侵入者もいる」

 考えるだけでもうんざりする状況だ。


「それでも〈黒の森〉は諦めたほうがいい。噂では古の死者たちが森を徘徊していて、貴様のように財宝を目当てに森の奥までやって来る者たちを襲うと聞く」

「死者か、それは厄介だな」

「以前、〈ランバート〉という名の強力な風の魔術師が、財宝を求めて森に入ったことがあった」

「そいつはどうなったんだ?」

「死んだよ、驚くほど呆気なく」


「魔術師って言うのは、魔法や奇跡のたぐいが使用できたんだろ。それでもダメだったのか?」

「〈黒い森〉では、神々の能力が封印されて使えないとされている」

「神々の能力……たしか血液に宿る奇跡のような力のことだったな。その能力が使えない以上、強力な魔術師も森の中ではただの人になるのか」

「ああ、それにたとえ財宝が見つかったとしても、散々な結果ということもある。伝説の財宝とやらは、伝説のままそっとしておいたほうがいいのかもしれない」


 強い日差しの中、我々は休憩を多く取りながら進んだ。

 赤色の草原は踏みつぶされるたびに透明な、ネバつく粘液を出した。それは靴底に絡み、歩くのを困難にしていた。しかしうんざりする気持ちを解きほぐすのも赤色の平原だった。


 風になびく大草原の美しさに何度か目を奪われながらも、我々は理想的な速度で距離を稼ぐことができた。このまま何事もなく街道に出ることができれば、遺跡まで二日ほどでたどり着ける距離まで来ていた。


 道中、目立った問題もなく街道に出ることができた。ここまで来れば遺跡までわずかな距離を残すばかりとなる。綺麗に石が敷かれた街道はしっかりと整備されているが、それらはあまりにも綺麗で不自然だった。


 昨日今日に作られたかのような石畳に、どうも不思議な違和感を覚えずにいられなかった。私はしゃがみ込んで石畳を注意深く観察した。石材からして特殊なモノだと分かった。


 青年が言うには、それらの石材は神々の時代のモノだと言う。試しにナイフで一部を削り取ろうとしたが、まったく歯が立たなかった。街道は神々が残した〈夢の都〉と呼ばれる都市につながっているようだ。


 移動の間、相変あいかわらず人の姿を見ることはなかった。一度だけ隊商とすれ違ったが、彼らはハクの姿に驚き、早々と我々の前から姿を消した。彼らから食料を手に入れたかったが仕方がない。


 ハクが遊びのついでに狩ってきたガゼルのような生物の肉で飢えをしのいだ。ちなみにその隊商は人間で構成されていて、亜人に出会うような驚きもなかった。我々は街道沿いの使用されていない砦で野営をして、そして次の日には何事もなく遺跡にたどり着くことができた。


「あれが目的の遺跡だ」

 青年が指差す先には、緑に呑まれた石積みの遺跡が見えた。

「城塞?」崩れた石壁を見ながら私は言う。

「ああ、古の王国のものだ」


 かつては美しかった城も、今は崩れていて見る影もなかった。その城の残骸が周辺一帯に散乱していて、神殿を支える巨大な円柱が地面に突き刺さっているのが見えた。不思議なことに、その遺跡には目的の石像が数多く残されていた。けれどそのほとんどは生い茂る草に覆われていて、死んでいるかのように動かなかった。


「すべて監視者たちの石像なのか?」

 私の問いに青年はうなずいた。

「ああ、〈混沌の監視者〉の成れの果てだ」


 かつての繁栄はんえいうかがい知ることができる城塞のほとんどは、時間の流れで風化して樹木じゅもくに覆われ砂に変わっていた。

 我々は遺跡となった城塞都市において、今も行商人たちによって使われていた街道沿いの大通りを進み、遺跡になってしまった古代都市の残骸を見ながら進んだ。


 どれほど歩いたのだろうか、廃墟の南端、広場として使われていた区画まで我々は来ていた。そこにも多くの石像がひっそりとたたずんでいた。

「ハク、動きそうな石像を見つけたら教えてくれ」

『ん、わかった』

 ハクはそう言うと、瓦礫がれきと植物の間にたたずむ無数の石像を調べにいった。


 しばらくすると、青年がマントをはためかせながらやってくる。

「〈転移門〉として機能している石像を見つけたぞ」

 遺跡に残された石像のほとんどは、胴体にぽっかりと開いた穴に何も映し出してはいなかった。青年が言うように、もう〈門〉として機能していないモノばかりだった。しかし青年が見つけ出した石像だけは、湾曲した鏡のようなものがついていて、どこかの薄暗い洞窟の光景を映し出していた。


「やっと帰れるな……」と、私はホッと息をついた。

「問題が起きなければ、だけどな」と青年は苦笑する。

「そうだな。最悪な形での出会いだったが、これまであんたにはいろいろと世話になった。感謝する。ありがとう」


「気にするな、これも俺たちの運命だ。それに俺も感謝しているよ。貴様の助けがなければ、今も〈セラエノの書物〉を探し歩いていただろう」

「俺とハクを信頼してくれたからだ」

「信頼か……誰かを信じることは簡単だ。しかし本当に信頼できる人間に出会うことはまれだ」

「分かるよ」

 私はそう言うと、周辺一帯に発生した濃い霧に目を向けた。


「転移の兆候かもしれない」と、深紅しんくの瞳を持つ青年は言う。

「貴様が帰りたい世界のことを強く思い浮かべるんだ。〈転移門〉はかならず貴様を導いてくれるはずだ」

「ああ。帰ろう、ハク」

『ん』


『バイバイ』

 青年にお別れを言ったハクを側に呼ぶと、ゴワゴワした体毛を撫でながら、〈あちら側〉の世界で待っていてくれるカグヤやミスズのことを思った。


「では、お別れだ。異界の友よ」と青年は言う。

 彼の綺麗な顔を見ながらうなずいた。

「短い間だったけど、この出会いに意味があることを願うよ」

「そうだな」と青年は笑顔を見せてくれた。


「神々が望むのなら、俺たちはいつか再会することになるだろう。それまで貴様の幸運を祈る。友よ、さらばだ」

 青年の言葉を最後に、世界は闇に包まれた。

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