第85話 眷属 re
遺跡に向かってくる巨大な昆虫に倒された木々は瞬く間に灰へと変わっていった。その灰が雑ざった砂煙で遺跡周辺の視界が悪くなると、異変に気がついたトカゲじみた化け物は甲虫に襲いかかるため、森に向かって大群で駆けだした。
その
驚くことに化け物は鳴き声を使って意思疎通ができるのか、
それは見るに
私は化け物の首筋に剣を突き刺しながら言う。
「あの巨大な昆虫があんたの援軍なのか!?」
「違う」と、深紅の瞳を持つ青年は頭を振る。
「あの昆虫は遺跡に溢れた死骸と、俺が
私は化け物の頭部を蹴りながら、突き刺していた長剣を引き抜いた。
「なら、援軍はどこに?」
「あいつらの羽音が聞こえないか?」
青年はそう言うと、綺麗に編み込まれた
「あれはなんだ……」
空に突如あらわれた黒い雲を見つめる。
その黒々とした雲のようなモノは、次第に
昆虫の
それは巨大な
低いざわめきを立てていたのは、その美しい
奇妙な昆虫の
しばらく上空を
混沌の化け物は痛みに
蛾のような巨大な昆虫は、次々と混沌の化け物に襲いかかった。
逃げ惑う化け物に
崩れた天井から光が差し込む薄暗い神殿の壁に寄りかかるようにして、一体の古びた機械人形が動きを完全に停止した状態で放置されているのが見えた。その機械人形は戦闘用の機体で、長い間この神殿に放置されていたのか、関節部分や装甲パーツの間からは雑草が顔を出していた。
〈混沌の領域〉を調査するために、ペパーミントが送り込んだ機械人形なのかもしれない。けれどそれを確認する術も時間も我々にはなかった。
『レイ、みて』
ハクの可愛らしい声に反応して視線を動かす。
崩壊していた神殿の天井から侵入したのか、そこには巨大な
『あれ、きらい』
ハクの背中を撫でながら同意した。
「たしかに、あれはひどく恐ろしい存在に見える」
トカゲじみた混沌の化け物の中には、
爬虫類の化け物はその姿同様、おぞましく、そして
「あれがあんたの能力か?」
神殿の壁に背中をつけながら虐殺の様子を眺めていた青年に質問した。
「俺は女神を呼んだだけさ」と、絶世の美女を思わせる横顔で青年は言う。
「ならあれは女神の起こした奇跡なのか?」
「
「あの
「そうだ」
「もうひとつ
「ああ」
「俺があの異様な空間で見せられたものは、女神の記憶だったのか?」
「そうだろうな」
「あんたの世界にも、あのトカゲみたいな化け物はいたのか」
「魔物は多く存在するが、そのすべてを把握しているやつなんかいない」
「……あれは〈混沌の領域〉からやってきて、あんたたちの世界を攻撃しているのか?」
「そうらしいな」と、青年は素っ気なく答えた。「あの〈門〉は多くの世界につながっている。そこから連中がやってきていたとしても何も不思議じゃない」
「やつらの目的は?」
「残念だが、その答えを持っているのは神々だけだ」
「……〈混沌の神々〉と、あんたたちの神々とでは、なにが違うんだ?」
「質問はひとつだけじゃなかったのか?」
私は肩をすくめて、外から聞こえてくるトカゲの断末魔に耳を澄ませた。
「まぁいいだろう」と、青年は鼻を鳴らす。「けどその答えは持っていない。善人と悪人がいる、といった単純な構図じゃないからな。世界が無限に存在するように、神もまた無限に存在する」
「そうか……」と、私は気落ちする。
「どうした?」
「あの〈門〉が無限に存在する世界につながっているのだとしたら、果たして俺とハクは無事に帰れるのだろうか?」
「それに関しては心配する必要はないだろうな」
「どうして」
「言っただろ、この世界はどんな望みも叶えてくれる。貴様が帰りたいと願えば、元の世界に――それがどんな世界なのかは分からないが、きっと帰してくれるさ」
私は青年の言葉を信じることにした。他にこの世界を知っている人間なんていないのだし、考えても仕方ないことをいつまでも胸の内に抱えていたくなかった。
ハクの背中を撫でると、ふと思いついたことを口にした。
「昆虫の女神か……それならハクの母親に近い存在だったんだな」
青年は
「〈深淵の姫〉はそれ自体が〝神〟のような存在だ。そんなモノに母親がいるとしたら、それは神よりもはるかに特殊な存在だ」
「ハクが神?」と、私は驚きながら言う。
「〈深淵の母〉と呼ばれる異形の魔神が、深淵の闇から我々の世界にやってきたのは、〈神々の時代〉だったとされている」
「待ってくれ、〈神々の時代〉ってなんだ?」
「〈第一紀〉のことをそう呼ぶモノたちがいる。神々が人々と同じ世界で生活し、自由に生きていた時代だったと」
神殿の入り口に巨大な
その笑い声は年若い女性の声にも、
青年は私に
「〈深淵の母〉が記録に登場するのは、神々が自ら創り出した子どもたちと共に戦争に明け暮れていた時代だとされている。そしてその時代、絶滅に瀕した種族がいた。己の神を滅ぼされた哀れな民だ」
「それは神話なのか、それともおとぎ話の
「まさか。俺の世界で実際に起きたことだ。その
「それがハクの種族?」
「いや、最初にやって来たのは〈深淵の母〉だけだった」
廃墟の街で
「〈深淵の母〉は哀れな民の願いを聞き入れ、敵対する神々を喰らい、それを糧に娘たちを産み出した」
青年はそう言うと、ハクに冷たい視線を向けた。
「神殺しの話か。もはや神話だな」
「もっと厄介なモノさ」
私がハクのゴワゴワとした体毛を撫でるのを見て、青年は話を続けた。
「〈深淵の娘〉たちは、たちまちのうちに敵対種族の帝国を滅ぼした。住民は喰い殺され、廃墟の城塞と街だけが荒廃した国に残された」
「悲惨だな」
「〈深淵の母〉を呼び寄せた民も同様に喰い殺された。彼らの間で交わされた
「守らなければいけない民の魂を
「底知れない〝憎しみ〟さ。他種族によって奴隷にされ続けられた哀れな民の憎しみ」
「憎しみほど厄介なモノは存在しないな」
「貴様の世界を俺は知らない」
そう口にする青年の
「だから貴様と一緒にいる〈深淵の姫〉が、どこからやって来たのかなんて想像もできない。けど俺の世界は、そうやって出現した〈深淵の娘〉たちによって、さらに危険な世界に変わった。大蜘蛛は世界中のどこにでもいるからな」
「〈深淵の娘〉と亜人たちは敵対しているのか?」
「亜人だけじゃないさ。ありとあらゆる生命と敵対している。娘たちはすべてを
青年の皮肉を無視して私は質問する。
「ところで、あの空間で異界の女神は俺に何をしたんだ?」
昆虫の女神に触れられたときのことを思い出していた。あのとき、女神は〝風〟を意味する言葉を口にしていた。
不思議な現象だ。実際に体験していなければ信じられないような出来事だ。
「古の
「加護?」
「矢を反らす簡単な
「矢反らし?」
「なんだ、気に入らないのか?」
青年は顔をしかめる。
「女神に会って加護を授かっただけでもとんでもないことなのに」
「俺の世界では、矢を射る人間なんてもういないんだ」
いや、私が知らないだけで、本当は使い手がいるのかもしれない。コンパウンドボウは威力が高く、銃にも見劣りしないと言われていた。
青年は私を見て笑う。神殿の外で今も虐殺が行われていることを考えれば、それはひどく場違いな笑いに思えた。
「たしかに、そんな武器を使うやつを俺は今まで見たことがない。それは何かの魔術か?」
青年はそう言うと、私が肩に
「よく知らないけど、科学の成せる業だよ」と、私は適当に誤魔化す。
実際、私も〈重力子弾〉については何も分かっていないのだから。
「科学か。錬金術師どものやることは、どの世界でも理解するのが難しいみたいだな」
彼の言葉に私は肩をすくめた。
「けど」と、青年は続けた。「その加護は矢を反らすだけじゃない」
「他に何を反らしてくれるんだ?」
「それなりの速度で向かってくる矢が防げるんだ。飛んでくる大抵のモノから身を守ってくれるはずだ。そうだろ?」
「それはこの領域でしか効果が発揮されないのか?」
「どういうことだ?」
「つまり……俺の世界には神の概念は存在するけれど、神が実在していたなんて話は聞かないんだ」
「神のいない世界か……」
不思議だな、と青年はつぶやく。
「貴様は加護が世界を渡るのか知りたいのか?」
「そうだ」
「わからない」青年は正直に言った。「けれど、この世界で何かを願い、手に入れた者たちは、それを自分たちの世界に持ち帰っている。なら加護の効果も継続するんじゃないのか? そもそも〈混沌の領域〉に女神を召喚できたんだ。何が起きても不思議じゃない」
「願いを具現化する領域か、つくづく奇妙な世界だ」
そこで私は周辺から聞こえていた化け物の断末魔や悲鳴が聞こえなくなっていたことに気がついた。
石像の周囲に展開されていたシールドのような障壁も消えていて、
すべての
「静かだな」
「限定的に作りだされた空間の中とはいえ、この地に神が降臨したんだ。まともな生き物ならば、その残り香を感じ取って、この近辺には近づかないはずだ」
青年の言葉を聞いて、私はある神話の一節を思い出していた。
それは神々が人里に
私は遺跡に広がる静寂にゾッとして
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