第84話 異界の女神 re
それが別の世界からやってきた生物なのか、元々〈混沌の領域〉に生息する化け物だったのかは分からなかった。けれど石像から産み落とされるように、次々と湾曲した鏡のような穴から
あっと言う間に
その生物の眼を見てゾッとした。その眼にはそこはかとない知性を感じさせるモノがあったからだ。人間の目に似て
あるいは、人間が彼らに近い種族なのかもしれない、それは分からない。しかし私の中で、
グロテスクな化け物に対する怒りの感情に身を任せるように、何も考えずにハンドガンの銃口を化け物に向けた。
ホログラム投影された照準器が浮かび上がると、
けれど今回のそれは、普段のモノと様子が異なり濃い紫に変化して、しだいに黒い輝きを放つようになった。
銃口の先に出現した天使の輪にも似た輝く輪は、まるで脈打つように赤黒くなっていく。
爬虫類に似た獣は、銃口の先に浮かび上がる赤黒い輪を見ると、足を止めて、互いに目配せして何かを確認し合った。
それから化け物は、まるで笑うように、ニヤリと口元を
しかし
「偉大な神々よ。混沌の化け物よりも恐ろしいモノが世界に
私は両手でしっかりハンドガンを握ると、射撃の反動に備えて引き金を引いた。
音もなく発射された光弾は、黒い閃光となって石像のシールドを突破し、数十体の混沌の生物をまとめて
一瞬の静寂のあと、雷鳴を思わせる地響きと共にはるか遠くに見えていた遺跡群が
爬虫類の化け物は
しかし
ホルスターにハンドガンを収めると、肩に
「もう終わりなのか?」
「無限に使える攻撃じゃないからな」
「石像を破壊するために、力を温存するつもりか?」
「ああ」
「それまでに死ななければいいけどな」と、青年は化け物の群れに剣先を向けながら言う。
〈重力子弾〉で混沌の化け物の数をだいぶ減らせたと思っていたが、空間の
『ハク。たたかう』
可愛らしい声でそう言うと、トカゲにも似た化け物に向かって糸の塊を吐き出し始めた。強酸性の糸で
それを見ていた青年は駆け出すと、動けなくなった化け物の首を次々に
と、私の意識がそれた瞬間を狙って、
至近距離だったからなのか銃弾は効果を発揮してくれたが、少しでも距離があると、途端に殺傷力が失われてしまう。化け物が持つ厚い
アサルトライフルの最後の弾倉が空になると、私も抜刀して化け物との戦いに備えた。刀身は日の光を反射して輝きを放ち、草模様の美しい装飾は金色に瞬くように輝いた。
化け物の長くて太い尾から繰り出される攻撃をギリギリで
もちろん、その長剣は私を剣術の達人にはしてくれなかったが、剣術を知らない私でも簡単に扱えるほど軽く、そして鋭かった。
しかし
化け物の集団はたてがみを震わせながら、〈深淵の娘〉であるハクに襲いかかる。けれどハクは群れの中心に飛び込むと、まるで舞い踊るように、鋭い鉤爪で化け物の
圧倒的な力の差を見せつけられてもなお、化け物どもはハクに反撃を試みようとするが、糸に絡めとられ、次々に拘束されていった。私は化け物が動けなくなった隙を突いて、その背に飛び乗ると剣を深く刺し込んで殺していく。
化け物は口から赤黒い血液を吐き出すと、まるで
しばらくの戦闘のあと、遺跡の広場は
その死骸からは、血と糞尿の
どれだけ仲間が殺されようと、化け物の戦意が失われることはなかった。それは生き物に対する憎悪からくるモノなのか、あるいは本能的な怒りが成せることなのかは分からないが、化け物は死に物狂いで我々に襲いかかってきていた。
全身の鳥肌が立つような
言葉の意味は分からなかった。しかし美しくも複雑な言語に耳を傾けていると、自然と言葉が意識に沈み込んでいく。そうしてハクと念話をしているときのように、言語を理解できるようになった。
『――昆虫族の偉大な女神よ。古の盟約により、我、御身をこの異界へと召喚する』
その瞬間、世界のありようそのものが揺らいだような気がした。私は迫りくる化け物に剣を突き立てると、青年の言葉に意識を向けた。すると風に吹かれて揺れる木々の枝や葉が立てる音や、
時が止まったかのように、私の意識はこの世の
悪意が
闇に捕らわれてしまわぬように、髪の毛一本でも
闇に
ずっと深い闇の奥から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
そして誰かが耳元で
ゆっくりと
「やはり貴様は悪魔の
青年の言葉に顔をしかめる。
「どういうことだ? 何をしたんだ」
「神が降臨できる空間を、この異界に再現したのさ」
空間に不自然な
グロテスクな肉塊の周りに漂っていた黒い煙は、肉塊に吸い込まれるようにして取り込まれ、徐々に皮膚に変わっていった。それは姿を変化させながら、我々に向かって真っ直ぐ歩いてきた。
煙から生じたのは我々よりもずっと背が高く、
〈神々の子供〉を自称する青年が召喚したのは、恐らく異界の女神なのだろう。〈混沌の領域〉で行われる数々の現象を――我々の世界の理屈で説明することのできない現象について語るのは難しい。不可思議で物理法則を無視したモノも多く見てきた。だから深く考えるだけ無駄なのかもしれないが、その一連の出来事に私は驚愕し言葉を失った。
昆虫族の女神と呼ばれた女性は我々のすぐ目の前にやってくると、私の目をじっと見つめた。女性の瞳は昆虫が持つ複眼そっくりで、不思議な輝きを放っていた。
それから女神は、青年に向かって言葉をかけた。
それは美しい響きを持った言語だったが、彼女の言葉はまったく理解できなかった。
女神は私にちらりと視線を向けて微笑むと、綺麗な唇からそっと息を吐き出した。それは炎に変わり、私の
熱を感じられないのだ。しかし私が驚いたのは、炎の中に文字が見えたときだった。炎は踊るように文字を
女神は笑顔を見せると、もう一度ゆっくり私に話しかけた。
「わからない」私の口から出てきた言葉は私の知らない言語だった。
「ナオイ」と、私は返事をしていた。
女神はうなずいた。それから、遠くの遺跡を指差した。
『テニュバ、プロルヲフォリ、デエシラ』
彼らから、森を守らなければいけない。と、美しい女神は言った。その言葉を聞くと、私は遺跡の広場を埋め尽くしていた醜い化け物に視線を向けた。
「アエシラ、クェノ?」
あの化け物は何者だ? と、自然に言葉が出てくる。
『カトン・ノ・ソウタイ、イニキ』
敵だ。と、女神は言う。
青年も女神と会話していたが、早口で理解できなかった。私は女神の、その美しい姿を注意深く眺めることにした。すると女神の
目を細めて注意深く見つめていると、彼女の透き通るように綺麗な肌に突然、深い傷ができて血液が流れ出るのが見えた。けれどそれはほんの一瞬の出来事で、瞬きのあと、それらの傷痕を見つけることはできなくなっていた。
女神は長い腕を伸ばし、私の胸に触れる。それは不思議な感覚だった。冷たく、それでいてほんのりと暖かい手だった。
『ヴェンゼ』
風。と、美しい女神は呟いた。
すると遺跡を囲む深い森から風が吹き込んできて、私の
その蛮行を見ていると、化け物に対して言い知れない怒りを感じた。それはあまりにも
化け物どもを皆殺しにしてやる。そういった考えに心が支配されていく。
「感情に
感情を落ち着かせるように深呼吸すると、女神に視線を向ける。彼女は徐々に
灰色だった世界に色が戻ると、止まっていた時が動き出した。私は化け物に襲いかかるハクを見て、それからとなりに立っていた青年に
「あれはいったい何だったんだ?」
「俺の
青年は得意げな笑みを作る。
「これから何が起きるんだ?」
「援軍が来てくれる」
「援軍?」
青年は後退り、腰に下げていた袋を勢いよく化け物どもの中心に向かって放ると、石畳に手をついた。そして一瞬で造り出した白銀の矢を石畳から引き抜くように持ち上げ、素早く弓に矢をつがえると、空中に放り投げていた袋に向かって矢を射った。
袋が空中で爆ぜると、緑色の粉が化け物の上に降りかかるのが見えた。
「下がれ!」と青年は叫んだ。
私とハクが後方に下がると、巨大な甲虫が地響きと共に姿を見せた。
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