第84話 異界の女神 re


 爬虫類はちゅうるいにも見えるみにくい生物は、大きな口と牙、そしてずるずると地をう巨大な身体からだを持つ原始的な化け物でもあった。


 それが別の世界からやってきた生物なのか、元々〈混沌の領域〉に生息する化け物だったのかは分からなかった。けれど石像から産み落とされるように、次々と湾曲した鏡のような穴からい出る化け物が我々に対して悪意を抱いていたのは明白だった。


 あっと言う間にれになった化け物は、よだれを垂らし、激昂げきこうしながら我々を殺そうと突進してきた。


 その生物の眼を見てゾッとした。その眼にはそこはかとない知性を感じさせるモノがあったからだ。人間の目に似て狡猾こうかつで残忍な眼だ。もちろん、その化け物は人間に似ても似つかない容姿をしていた。けれど彼らが持つ知性やいやらしさからは、人間に近い種なのかもしれないと思わせる何かがあった。


 あるいは、人間が彼らに近い種族なのかもしれない、それは分からない。しかし私の中で、おぞましい生物に対する激しい怒りや憎しみの感情が胸の内から噴出ふんしゅつするのが感じられた。それは同族嫌悪にも似た感情だったのかもしれない。


 グロテスクな化け物に対する怒りの感情に身を任せるように、何も考えずにハンドガンの銃口を化け物に向けた。


 ホログラム投影された照準器が浮かび上がると、みにくい化け物をレティクルの中心に合わせる。するとハンドガンの形状が変化して、十字に開いた銃身内部にいくつもの青白い光の筋があらわれ、銃口に向かって移動していくのが見えた。


 けれど今回のそれは、普段のモノと様子が異なり濃い紫に変化して、しだいに黒い輝きを放つようになった。


 銃口の先に出現した天使の輪にも似た輝く輪は、まるで脈打つように赤黒くなっていく。

 爬虫類に似た獣は、銃口の先に浮かび上がる赤黒い輪を見ると、足を止めて、互いに目配せして何かを確認し合った。


 それから化け物は、まるで笑うように、ニヤリと口元をゆがめた。銃器を知らなくても、私が攻撃をしようとしていることを化け物は感づいていたのかもしれない。しかし石像の周囲に展開されていたシールドのようなモノで、その攻撃から守られると思ったのだろう。


 しかし深紅しんくの瞳をも持つ青年は違った。彼は私の側から離れるように後退こうたいすると、いつにも増して顔を白くしながら言った。

「偉大な神々よ。混沌の化け物よりも恐ろしいモノが世界に具現ぐげんしようとしている!」


 私は両手でしっかりハンドガンを握ると、射撃の反動に備えて引き金を引いた。

 音もなく発射された光弾は、黒い閃光となって石像のシールドを突破し、数十体の混沌の生物をまとめて融解ゆうかいさせた。


 一瞬の静寂のあと、雷鳴を思わせる地響きと共にはるか遠くに見えていた遺跡群がぜるのが確認できた。爆発の轟音と共に森と大地の一部がえぐられるように削れ、空中に飛ばされた瓦礫がれきが地上に次々と落下してきた。衝撃で吹き飛ばされた円柱は、不運な化け物の頭を潰しながら地面に深く突き刺さっていった。


 爬虫類の化け物はうなり声や叫び声をあげて騒ぎ出した。その騒ぎを無視して、生物が密集していた場所に向かって射撃を続けた。火山雷にも似た閃光が走るたびに、凄まじいエネルギーによって生じた衝撃波があたりにとどろいて、すべてを容赦なく破壊していった。


 しかしたかぶる気持ちをなんとか落ち着かせると引き金から指を外した。このまま無作為に〈重力子弾〉を撃ち続けて、石像を破壊するための手段を失うわけにはいかなかった。石像を探すため素早く視線を走らせたが、石像は生物の大群に呑み込まれていて、その姿を完全に見失ってしまっていた。


 ホルスターにハンドガンを収めると、肩にげていたライフルを構えた。どこか安堵あんどしているようにも見えた青年が、月白げっぱく色の髪を揺らしながら言う。

「もう終わりなのか?」

「無限に使える攻撃じゃないからな」


「石像を破壊するために、力を温存するつもりか?」

「ああ」

「それまでに死ななければいいけどな」と、青年は化け物の群れに剣先を向けながら言う。


 〈重力子弾〉で混沌の化け物の数をだいぶ減らせたと思っていたが、空間のゆがみからい出てきているのか、化け物の数は増える一方で、減っているようには感じられなかった。


『ハク。たたかう』

 可愛らしい声でそう言うと、トカゲにも似た化け物に向かって糸の塊を吐き出し始めた。強酸性の糸で身体からだを溶かされる化け物もいれば、ねばりのある糸で足を取られて身動きできなくなる化け物もいた。


 それを見ていた青年は駆け出すと、動けなくなった化け物の首を次々にねていった。不思議なことに青年が使用していた長剣は化け物の血液に濡れることがなかった。まるで血液そのモノを吸っているかのように輝く刀身は、常に綺麗な状態が保たれていた。


 と、私の意識がそれた瞬間を狙って、爬虫類はちゅうるいじみた化け物が飛びかかってくる。横に飛び退いて化け物の牙を避けると、そのままセミオート射撃で弾丸を撃ち込んでいった。


 至近距離だったからなのか銃弾は効果を発揮してくれたが、少しでも距離があると、途端に殺傷力が失われてしまう。化け物が持つ厚いうろこが鎧のように機能しているのだろう。


 アサルトライフルの最後の弾倉が空になると、私も抜刀して化け物との戦いに備えた。刀身は日の光を反射して輝きを放ち、草模様の美しい装飾は金色に瞬くように輝いた。


 化け物の長くて太い尾から繰り出される攻撃をギリギリでかわすと、両手でしっかりと握っていた剣を素早く振り下ろした。刃はいとも簡単に、うろこに覆われた化け物の身体からだに傷をつけることができた。それは北欧神話に登場する〈フレイ〉が使用していた宝剣を思わせた。


 もちろん、その長剣は私を剣術の達人にはしてくれなかったが、剣術を知らない私でも簡単に扱えるほど軽く、そして鋭かった。


 身体からだを斬りつけられた混沌の化け物は苦痛に悲鳴をあげ、怒りと憎しみに真っ赤な口をあけて威嚇いかくしてみせたが、その間にもヌメリのあるドス黒い血液は遺跡の石畳に血溜まりを作っていった。


 しかしおぞましい化け物は、その巨躯に驚異的な生命力を宿していて、かなりの深手をものともせず、攻撃の手を緩めることはなかった。


 化け物の集団はたてがみを震わせながら、〈深淵の娘〉であるハクに襲いかかる。けれどハクは群れの中心に飛び込むと、まるで舞い踊るように、鋭い鉤爪で化け物の身体からだをズタズタに切り裂いていった。


 圧倒的な力の差を見せつけられてもなお、化け物どもはハクに反撃を試みようとするが、糸に絡めとられ、次々に拘束されていった。私は化け物が動けなくなった隙を突いて、その背に飛び乗ると剣を深く刺し込んで殺していく。


 化け物は口から赤黒い血液を吐き出すと、まるでおぼれる魚のように四肢をめちゃくちゃに振ってゆっくり絶命していった。


 しばらくの戦闘のあと、遺跡の広場は惨憺さんたんたるありさまになる。石畳は〈重力子弾〉の衝撃波によってぜ、土が剥き出しになっていて、金で装飾された美しい円柱のほとんどが崩れ、臓物ぞうもつが飛び出た化け物が至るところに転がっていた。


 その死骸からは、血と糞尿のざった臭いがあたりに漂っていた。しかしそれでも、爬虫類じみた化け物からの攻撃は止まなかった。


 どれだけ仲間が殺されようと、化け物の戦意が失われることはなかった。それは生き物に対する憎悪からくるモノなのか、あるいは本能的な怒りが成せることなのかは分からないが、化け物は死に物狂いで我々に襲いかかってきていた。


 全身の鳥肌が立つような怖気おじけが走ると、深紅しんくの瞳を持つ青年に視線を向けた。すると彼がつぶやくように、小声で何か呪文のようなモノをとなえているのが聞こえた。


 言葉の意味は分からなかった。しかし美しくも複雑な言語に耳を傾けていると、自然と言葉が意識に沈み込んでいく。そうしてハクと念話をしているときのように、言語を理解できるようになった。


『――昆虫族の偉大な女神よ。古の盟約により、我、御身をこの異界へと召喚する』


 その瞬間、世界のありようそのものが揺らいだような気がした。私は迫りくる化け物に剣を突き立てると、青年の言葉に意識を向けた。すると風に吹かれて揺れる木々の枝や葉が立てる音や、いずるように動く化け物が地を蹴る音、そして断末魔、そういったすべての音が遠ざかり消失していくような奇妙な感覚にとらわれる。


 時が止まったかのように、私の意識はこの世のことわりから離れ、何も存在しえない暗闇の世界へと落ちていく。


 悪意が蔓延はびこる薄暗い洞窟に踏み込むように、私は慎重に、しかし決して恐れを抱くことなくその暗闇を進んだ。闇は恐怖に敏感びんかんだ。


 闇に捕らわれてしまわぬように、髪の毛一本でもつかまれてしまわぬように、心を、そして身体からだを闇の奥にもぐり込ませる。深淵しんえんに取り込まれ、帰り道を失ってしまわぬように細心の注意を払いながら。


 何処どこからともなく声が聞こえてくる、それは深紅しんくの瞳を持つ青年の声ではなかった。おぞましく、それでいて美しい響きを持った声だった。言葉の意味は理解できない。しかし言葉の響きに含まれる深い憎悪に、私の心はとらわれ、おびえ、その声から逃れるために、死すら望む。しかしそれでも私は歩みを止めることはしなかった。


 闇にとらわれてしまわないように、恐怖に打ち勝つために、ひたすら前に身体からだを進めた。


 ずっと深い闇の奥から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 そして誰かが耳元でささやくのが聞こえた。その刹那せつな、暗闇にすっと意識が落ちていくのを感じた。やがて身体からだに感覚が戻ってくるのが分かった。


 ゆっくりとまぶたを開く。血液すら凍りつかせる風が吹くと、周辺一帯の空気が冷たくなり、吐き出す息が白くなった。目に映るものは色を失くし、時間すら静止しているのか、化け物のれはピタリと動きを止めていて、ハクは跳躍した姿のまま空中に留まっていた。


「やはり貴様は悪魔のたぐいだな。俺以外に認識できるような空間じゃない」

 青年の言葉に顔をしかめる。

「どういうことだ? 何をしたんだ」

「神が降臨できる空間を、この異界に再現したのさ」


 空間に不自然なひずみみが生じるのを感じた。すると何もない場所に、拳大の球体状の黒い穴が生じた。そこから黒い煙が立ち昇るのが見えた。漂っていた煙はゆっくりと形を変化させていく。やがてその煙の中から、ヌラヌラとした粘液に覆われた赤黒い肉塊が出現するのが見えた。


 グロテスクな肉塊の周りに漂っていた黒い煙は、肉塊に吸い込まれるようにして取り込まれ、徐々に皮膚に変わっていった。それは姿を変化させながら、我々に向かって真っ直ぐ歩いてきた。


 煙から生じたのは我々よりもずっと背が高く、妖艶ようえんな肉体を持った美しい女性だった。何も身に着けていない女性は美しく、そして同時に背筋が凍るほど恐ろしかった。女性の耳の先は鋭くなっていて、どこか〈混沌の子供〉を思わせた。


 〈神々の子供〉を自称する青年が召喚したのは、恐らく異界の女神なのだろう。〈混沌の領域〉で行われる数々の現象を――我々の世界の理屈で説明することのできない現象について語るのは難しい。不可思議で物理法則を無視したモノも多く見てきた。だから深く考えるだけ無駄なのかもしれないが、その一連の出来事に私は驚愕し言葉を失った。


 昆虫族の女神と呼ばれた女性は我々のすぐ目の前にやってくると、私の目をじっと見つめた。女性の瞳は昆虫が持つ複眼そっくりで、不思議な輝きを放っていた。


 それから女神は、青年に向かって言葉をかけた。

 それは美しい響きを持った言語だったが、彼女の言葉はまったく理解できなかった。


 女神は私にちらりと視線を向けて微笑むと、綺麗な唇からそっと息を吐き出した。それは炎に変わり、私の身体からだを包み込んでいった。あっという間の出来事にひどく混乱したが、すぐに炎が普通ではないことに気がついた。


 熱を感じられないのだ。しかし私が驚いたのは、炎の中に文字が見えたときだった。炎は踊るように文字をかたどり、やがて私の身体からだみ込んでいった。


 女神は笑顔を見せると、もう一度ゆっくり私に話しかけた。

「わからない」私の口から出てきた言葉は私の知らない言語だった。


「ナオイ」と、私は返事をしていた。

 女神はうなずいた。それから、遠くの遺跡を指差した。

『テニュバ、プロルヲフォリ、デエシラ』

 彼らから、森を守らなければいけない。と、美しい女神は言った。その言葉を聞くと、私は遺跡の広場を埋め尽くしていた醜い化け物に視線を向けた。


「アエシラ、クェノ?」

 あの化け物は何者だ? と、自然に言葉が出てくる。

『カトン・ノ・ソウタイ、イニキ』

 敵だ。と、女神は言う。


 青年も女神と会話していたが、早口で理解できなかった。私は女神の、その美しい姿を注意深く眺めることにした。すると女神の身体からだに違和感を覚えた。


 目を細めて注意深く見つめていると、彼女の透き通るように綺麗な肌に突然、深い傷ができて血液が流れ出るのが見えた。けれどそれはほんの一瞬の出来事で、瞬きのあと、それらの傷痕を見つけることはできなくなっていた。


 女神は長い腕を伸ばし、私の胸に触れる。それは不思議な感覚だった。冷たく、それでいてほんのりと暖かい手だった。


『ヴェンゼ』

 風。と、美しい女神は呟いた。


 すると遺跡を囲む深い森から風が吹き込んできて、私の身体からだを包み込んでいった。それと同時に負の感情が、わずかな記憶と共に、私の中に流れ込んでくるのがわかった。トカゲに似た化け物が森を焼き、小さな昆虫や、森の生き物を殺していく光景を見た。


 その蛮行を見ていると、化け物に対して言い知れない怒りを感じた。それはあまりにも鮮烈せんれつで激しい感情で、胸の中で感情が破裂しそうになっていると感じたほどだった。

 化け物どもを皆殺しにしてやる。そういった考えに心が支配されていく。


「感情にまれるな」と、青年は言う。「それは貴様の記憶や感情じゃない」

 感情を落ち着かせるように深呼吸すると、女神に視線を向ける。彼女は徐々に輪郭りんかくを失い、存在そのモノが揺らいでいた。やがて優しい微笑みを残すと、黒い煙は風に散らされて消えていった。


 灰色だった世界に色が戻ると、止まっていた時が動き出した。私は化け物に襲いかかるハクを見て、それからとなりに立っていた青年にたずねた。

「あれはいったい何だったんだ?」

「俺の身体からだに流れている始祖しその血によって起きた奇跡だ」

 青年は得意げな笑みを作る。


「これから何が起きるんだ?」

「援軍が来てくれる」

「援軍?」


 青年は後退り、腰に下げていた袋を勢いよく化け物どもの中心に向かって放ると、石畳に手をついた。そして一瞬で造り出した白銀の矢を石畳から引き抜くように持ち上げ、素早く弓に矢をつがえると、空中に放り投げていた袋に向かって矢を射った。


 袋が空中で爆ぜると、緑色の粉が化け物の上に降りかかるのが見えた。

「下がれ!」と青年は叫んだ。

 私とハクが後方に下がると、巨大な甲虫が地響きと共に姿を見せた。

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