第82話 深紅の眸 re


 足元の土は固くなり、やがて滑らかな石畳に変わっていった。濃霧のうむのなか、神経を研ぎ澄まして〈混沌の領域〉に生息する危険な生物からの、いかなる攻撃にも応じられるように油断なく歩き続けた。


 光の柱に近づくごとにきりは晴れていく。出口のない砂漠を歩いているかと思っていたが、どうやら我々は何処かの遺跡に迷い込んでいたようだ。世界の形が創り直されたのか、それとも我々が転移したのかは分からない、いずれにせよ、目的の場所はもうすぐだった。


 完全に霧が晴れると、我々は石像を見失ってしまう。濃霧のうむの間に見えていた光の柱も今は消えてしまっていた。代わりに見えているのは草臥くたびれた遺跡の広場だった。そこは雑草が生い茂り、木々に埋もれた遺跡だった。


「また迷子になったみたいだ」

『……まいご』と、ハクはしょんぼりしながら言った。

「大丈夫、きっとすぐに出口を見つけられるはずだ」


 ハクの体毛に入り込んだ砂を払っていると、広場の一角に奇妙な石像が立っているのが見えた。それはタコのように、複数の触手しょくしゅを持ったグロテスクな生物をかたどったモノだ。ずいぶん古いモノなのか、大量のこけに覆われていた。


 注意深く石像を観察すると、その触手しょくしゅの先に人間の指に似た器官がついていることに気がついた。そしてそれは、遺跡の奥を指差すように同じ方角に向けられていた。


 石像を眺めて、それから無意識に包帯を巻いていた首筋に手をあてた。首の傷は深かったが、首筋に痛みや違和感は残っていなかった。

「どうしたものか……」

 手の中で金貨を転がしながら、これからの行動について思案する。


『レイ、いたい?』

「いや、もう痛くないよ」

 ベルトポケットに金貨を入れると、ハクと一緒に遺跡の奥に向かって歩き出した。


 雑草が繁茂はんもする石畳を進むと閑散かんさんとした広場に出る。その広場の中央には水の球が浮かんでいた。それは常に空中で回転をしていて、水が地面に落下することがなかった。

 以前なら水球を見て驚いていたのかもしれない、けれど〈混沌の領域〉では何が起こっても不思議じゃなかった。正直、不思議な光景は見慣れてしまっていた。


「カグヤとの通信が遮断しゃだんされていなければ、飲料水にできるか確認できたんだけどな……」

 しかし背に腹はかえられない。巨大な水の球に水筒を入れて水を補給する。水は冷たくて心地良かった。ついでに顔と手を洗った。ハクはバシャバシャと水の球を叩いて遊んでいた。


 その遺跡は見る場所、見る角度によってその形を絶えず変化させていた。

 古代ローマの街並みを思わせる壮麗そうれいな建物が並んでいるかと思うと、次の瞬間には古代中国の城壁が目の前にあらわれる。そこは各々が極端に異なる建築様式を持ち合わせて創り上げられる異界の都市だった。


 その都市で私はふと奇妙な人々の姿を見る。路地のずっと向こうに子どもの影を見たかと思うと、足枷あしかせをした囚人の影が列を成して、我々の目の前を通り過ぎていった。彼らは文字通り半透明の影だけの存在だった。


 私たちの存在を認識していないのか、私やハクの身体からだをするりと通り抜けるようにして素通りし、目的の場所に向かって歩き続けた。気がつくと我々の周囲は、そうした奇妙な影で溢れていた。


 彼らは市場のような場所で買い物をして、にぎやかに談笑だんしょうしていた。影は普通の生活を送っていたのだ。皮肉なことに誰からも認識されることのない私とハクは、都市に巣食うあわれな幽霊のように思えた。


 そこで突然、私はノスタルジアな感情にとらわれてしまう。兵器工場の地下に残してきたカグヤやミスズのことを思った。帰りが遅い私とハクのことをきっと心配しているのだろう。ウミとジュリも、ああ見えて情が深いことは知っていた。彼女たちに心配をかけないように、早く帰りたかった。


 混沌とした世界で、どれほどの時を彷徨さまよっていたのだろうか。もう思い出すこともできなくなっていた。食料はとうに尽きて、ハクが狩ってくる得体の知れない獣の肉でなんとかえをしのいでいる状況だった。


「ハク、そろそろ出発しよう」

『……ん』と、水遊びでびしょれになっていたハクが答える。


 混沌とした景色が創り出す遺跡を歩いていると、見慣れた旧文明期の廃墟が建ち並ぶ場所に出た。すると廃墟の陰から人型の生物が飛び出してくるのが見えた。青白い肌をしていて痩せ細った身体からだには、薄汚れたボロ切れを身に着けているだけだった。


 子どもほどの背丈せたけしかない奇妙な生物は単眼で、口は小さくミミズのような長い舌を持っていた。ソレは私の姿を見つけると、異様にふくれた腹部を揺らしながら駆けてきた。私はすぐさま戦闘態勢に入ったが建物の壁面に張り付いていたハクが道路に降りてくると、彼らは驚いて一目散に逃げていった。


 そのときだった。背後から男性の声が聞こえた。

「驚いたな。魔人は見慣れていると思っていたが、貴様は極めつきの危険なやつに見える」

 振り返ると廃墟の街に似つかわしくない恰好をした青年が立っているのが見えた。


 その青年は白銀色に輝く鎧を身につけていて、手には弓を持ち帯剣までしていた。白銀の弓には金色の美しい草模様の彫刻が施されていた。不思議だったのは青年のマントで、その漆黒のマントは風がないのにゆっくりと揺れていた。


 青年の綺麗に編み込まれた長髪は月白げっぱく色に輝き、繊細な芸術家の手によって創られたかのような美しい顔立ちをしていた。けれど深紅しんくの双眼からは、青年が持つ気性の激しさや意思の強さがうかがえる。


「動くなよ」と、青年は唇を舐めながら言う。「得体の知れない悪魔と殺し合いなんて、できれば遠慮したいんだ」

「……カグヤあれは人間か?」

 青年との遭遇そうぐうに驚いて、思わず通信が遮断されていたカグヤに質問した。


 青年が動くと、白銀色の鎧が光を反射して弓弦ゆづるが鳴った。

『あぶない!』ハクの声と共に風切り音が聞こえた。

 ハクは私を抱いて後方に素早く跳躍ちょうやくすると、青年と対峙した。


「〈深淵の姫〉をしたがえる悪魔か……こいつは厄介だな」

 青年はそう言うと抜刀してみせた。日の光を反射する白銀の刀身はゾッとするほど鋭く、鞘から抜いた瞬間、周囲の空気が変わるのが分かった。


「待ってくれ!」と、私は慌てながら言う。「あんたと敵対するつもりはない」

 この世界ではじめて出会った言葉が分かる人間に似た生物だ。〈混沌の領域〉についてもきたいことが山ほどあった。そこには空間のゆがみが創り出す〈門〉や、帰り道についてのことも含まれていた。だからここで無闇に殺し合いをするわけにはいかなかった。


「敵対したくない?」と青年はいぶかしんだ。

「そうだ。俺は――」

 言葉の途中で青年は私の懐に飛び込んできた。


 紙一重のところで避けた剣がアスファルトに突き刺さると、すさまじい衝撃によって地面は放射状にひび割れ陥没かんぼつする。青年はなおも攻撃の手を緩めない。それを見ていられなくなったのか、ハクが青年を攻撃しようとして脚を振る。が、青年はハクのかぎづめを剣で受け流しながら、反撃の機会をうかがう。


 青年の攻撃を避けていた私は後方に飛び退くと、ハクを掩護えんごするために素早くハンドガンを構えた。ホログラムで投影される照準器が浮かび上がると、それを見た青年が不敵な笑みを見せた。


「奇跡のたぐいか、やはり〈混沌の神々〉の使いか」

 青年はそう言うと、ひとり納得する。

「〈混沌の神々〉なんてモノは知らない」

「月の女神に仕える戦士を騙せるとでも?」


『てき、たおす!』と、ハクは眼を真っ赤にして腹部を震わせる。

「待ってくれ、ハク。あいつと話がしたい」

 ハクは姿勢を低くすると、いつでも青年に飛びかかれるように準備する。


「話だと?」

 青年は顔をしかめると、腰を低くして剣を構えた。

「なぜ攻撃してきたんだ?」と、私は青年にたずねた。

「悪魔が〈深淵の姫〉と一緒にいるんだ。攻撃しない理由はどこにもない」

「神に仕える神官にしては、ずいぶんと野蛮な行為だな」


「悪魔風情が神を語るな」と、青年は不機嫌になる。

「そもそも俺は悪魔じゃない。俺たちはこの奇妙な世界のどこかにある石像を破壊したいだけなんだ」

「石像だと?」と、青年は眉を寄せる。

「ああ。空間の歪みが創り出す〈門〉を守っている石像だ」

「つまり……貴様は流刑者なのか?」


「流刑者? 違う、俺は追放されてこの場所に来たんじゃない」

「なら〈混沌の監視者〉になんの用がある」

「監視者? それが石像のことなら、さっきも言ったはずだ。そいつを破壊したいだけだ」

 青年は黙ったまま深紅しんくひとみで私を見つめていた。


「あんたの目的はなんだ?」私はもう一度、青年にたずねた。

「俺は書物を探している」

「この場所ではきっと見つからないだろうな」


 私の言葉に反応して、青年は周囲に建っている廃墟に視線を向けた。

「そのようだな。ここにはゴミと魔物しかいなかった」

「単眼の化け物のことか?」

「そうだ。それに悪魔もいた」

「俺は悪魔じゃない」

「どうだかな」


 小馬鹿にしたような表情で笑う青年に向かって私は言った。

「あんたは鏡を見たことがないのか? その赤い目。そんな瞳を持った人間はいない。その病的に白い肌も異常だ。俺にはあんたが悪魔に見えるよ」

「俺は神々の子だ。それともお前は〈神々の子供〉たちに会ったことがないのか?」

「神? どの神だ?」

「神々を侮辱する気か?」


 青年は血の気が多いのか、私に白銀の剣を向けた。

「いい加減、その時代遅れの武器を振り回すのをやめてくれ」

「時代遅れ?」

「ああ。また同じようのことをやってみろ、次は殺す」


「さすがに悪魔は言うことが違うな」と、青年は不敵な笑みをみせる。

 そのときだった。何の前触れもなく、我々の側面にあった建物が突然崩れた。


 建物は黒い砂粒になって地面に扇状おうぎじょうに広がっていった。我々は砂粒すなつぶを避けるように後方に下がったが、砂粒は我々を追うように動き、やがて重なり合うように集合し結合していくと、ドブネズミのような真っ黒い生物に変化していった。犬ほどの体長がある奇妙な生き物のれは、我々に向かって駆けてきた。


 ハクがネズミの化け物に向かって強酸性の糸を吐き出すと、ネズミは甲高い悲鳴をあげながら溶けて絶命した。どうやらそれは幻覚のたぐいではなく、実体を持った存在だったようだ。私はライフルを構えると、フルオート射撃で奇妙なネズミを殺していった。


 砂粒のひとつひとつが生命だと思っていたが、結合した地点でひとつの生命になるようだった。その状態のネズミは銃弾でも簡単に殺せるようだったが、数が異常に多かった。れに向かってピンを抜いた手榴弾を投げ入れると、まとめて数十匹のネズミが宙を舞うのが見えた。しかしそれでもれの勢いはおとろえない。


 青年に視線を向けると、彼も問題なくネズミの大群に対処できているようだった。青年が建物に触れると、壁の表面はやわらかくなり、青年の手が沈み込むのが見えた。それは一瞬の出来事だった。


 次に青年が腕を引き抜いたとき、彼の手には白銀の矢が握られていた。青年はその矢を使ってネズミを殺し、接近されると目に見えない速度で剣を振るった。


 青年がやってみせたことは、旧文明期の特殊な〈鋼材〉を取り込んで、弾薬に再構築するハンドガンの一連の動作に似ていると感じた。しかし素手でそれをやって見せる青年の動きは、まるで魔法か何かを見せられている気分になった。


 気を取り直すとネズミの化け物に射撃を続けた。けれど殺してもすぐに別の個体があらわれ、真っ黒なネズミは減るどころか数を増やしていった。どうやら我々の周囲にあった建築物のほとんどが、その生物が擬態ぎたいしたモノだったようだ。私は素早く周囲を見回すと、古代ギリシャのパルテノン神殿にも似た壮麗そうれいな建物を指差した。


「ハク、あそこまで後退こうたいする」

『ん』

 ハクは私を抱きかかえると、神殿の屋根に向かって一気に飛び上がった。屋根に着地すると、私は青年の動きを目で追った。彼は冷静にネズミに対処していたが、今にも黒い波に呑み込まれそうになっていた。


「ハク、あいつも助けてやってくれないか?」

『いいの?』

「ああ、頼む」

『ん、わかった』


 ハクは青年に向かって細長い糸を吐き出した。糸が青年の背中に張り付いたのを確認すると、ハクは触肢しょくしでその糸を掴み、一気に青年を引っ張り上げた。彼は空中に向かって引っ張られたことで体勢を崩したが、器用に身体からだをひねると、ハクの糸を白銀の剣で切断して着地した。


「ハクに感謝してくれてもいいんじゃないか」

「そうだな……。一時休戦といこう」

 青年が険しい表情で見つめる先には、砂煙を立てながらこちらに向かってくる巨大な昆虫の姿があった。その昆虫はカメムシに似ていたが、ゾウのような巨体だった。


 芥子からし色の外骨格を持つ甲虫は、ネズミの群れに飛び込んだかと思うと、逃げ惑うネズミを捕食し始めた。真っ黒なネズミも抵抗し、巨大な甲虫に襲いかかっていたが、甲虫はネズミの抵抗を少しも気にすることなく、せっせと食事を続けていた。


「それで」と、青年は昆虫の食事風景を眺めながら言う。「さっき言っていた時代遅れとはなんだ。まさか貴様は違う時代からやってきた。とか言わないよな」

「俺も気になっていたんだ。この狂った世界は、過去の人間も引き寄せるのか?」

 私がそうたずねると青年は黙って私を見つめて、それから頭を振った。


「時間軸の違う人間に出会ったなんて話は、今まで一度も聞いたことがない……だけど、ありえない話じゃない。この領域では何が起きても不思議じゃないからな」

「この世界について、あんたは何を知っているんだ?」

「さぁな、ここが〈混沌の領域〉だってことは知っている」


 私は溜息をつくと逃げ惑うネズミを眺めて、それから青年に質問した。

「ところで、なんの書物を探しているんだ?」

 彼は話すことを躊躇ためらっていたが、それが無駄なことだと気づくと、素直に話してくれた。

「〈セラエノの書物〉と呼ばれるモノだ」


「セラエノ? データベースのことか?」

「でーたべーす?」と、青年は顔をしかめた。「セラエノについて何か知っているのか?」

「いや、まったく知らない」

 今度は青年が溜息をついた。


 奇妙なネズミがいなくなると、カメムシに似た巨大な甲虫ものっそりとした足取りで高層建築群の間に消えていった。

「俺たちの間には、いくつか勘違いがあったみたいだ」

 青年の言葉に私は頭を振る。

「一方的な勘違いだよ」


「〈混沌の監視者〉を破壊したいと言っていたな。本当にそんなことが可能なのか?」

「石像のことを言っているのなら、こいつがあればできるかもしれない」

 私はそう言うと、青年にハンドガンを見せた。

「そいつは武器なのか?」


 青年は腕を伸ばしてハンドガンに触れようとした。

「やめておけ」と、私は腕を引っ込めた。「こいつを使えるのは俺だけだ」

 青年は深紅の瞳を私に向けると、ニヤリと微笑んだあと、自身の顔を手で覆い隠すよう仕草を見せた。

「そいつはなんだ?」

「顔を守るためのシールドだ」


「どうして透明な盾を顔に」

「危ないだろ」

「危ない?」

 私は肩をすくめて、それから言った。

「質問してもいいか?」

「なんだ?」


「ハクのことだ。どうして〈深淵の娘〉について知っているんだ?」

「あの種族のことを知らないやつなんているのか?」

「ああ、少なくとも俺は知らなかったよ」


「〈深淵の娘〉は〈混沌の領域〉にも生息しているんだ。俺の世界にいても不思議じゃない。だろ?」

「空間の歪みは別の世界にもつながっている……。それなら、ペパーミントが話していたことは本当だったんだな」


 私の言葉に反応して、青年の瞳がわずかに発光するのが見えた。それがインプラント用の義眼じゃないのなら、やはり青年は別の世界に存在する人間に似た種族なんだろう。実際に、彼はコスプレを楽しんでいるだけの人間に見えなかった。弓矢を創り出した動きは魔法にも見えた。


 けど魔法……? そんなことが現実にあり得るのだろうか?

 充分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない。と、誰かが言っていたが、彼がやったことはまさに魔法にしか見えなかった。そう考えると、我々の常識が通用しない世界の住人だということを受け入れなければいけないのかもしれない。


 魔法や奇跡のような現象が、常識として受け入れられている世界が存在するのだと。


「〈混沌の監視者〉を探しているというのなら、俺についてこい」

 青年はそう言うと、神殿の反対側に向かって歩き出した。

「石像の居場所を知っているのか?」

 私も屋根瓦の上を慎重に歩いて、ハクと共に深紅の瞳を持つ青年のあとに続いた。


「ああ、知ってる」

「どうやって知ったんだ?」

「俺には月の女神がついているんだ」

「月……? 女神の加護があれば、石像の位置がわかるのか?」

「加護だって?」青年はニヤリと微笑んでみせる。「俺は直接、女神に聞いたのさ」

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