第77話 ペパーミント re


「こちらへどうぞ」

 女性は綺麗な顔で微笑むと歩き出した。


 私とミスズは女性のあとを追って長い通路を歩いた。尖ったハイヒールのかかとが床に立てる音が小気味よく響いていた。彼女の動きは洗練されていた。若くて美人だが、彼女は〈人造人間〉だった。


 地上に黒い雨が降っていた時代から生きているのかもしれないと考えると、私は複雑な気持ちになった。若くて美しい女性が、自分よりもずっと長く生きているというのは奇妙な感覚がする。若くて年寄りというのもおかしな表現だが、それが事実なのだから仕方がない。


 美しい女性のそばにいると、ひどく混乱してしまうことがある。その混乱を言葉で表現することは難しい。それは例えば森の中にいるときのことを思い起こさせる。森のなかで普通の樹木じゅもくを見ても何も感じない、それは周囲に生えている多くの木と変わらないモノだからだ。


 その近くを通り過ぎるだけで、その樹木じゅもくに対して何かを感じることはないし、目を向けることもしない。他と木と同じなのだと知っているのだから、相手をする気にもならない。しかし美しい樹木じゅもくとなると話は変わる。


 森の中で美しい花が咲き誇る梅の木を見たら、誰だって足を止める。もちろん、梅の木が一本だけ他の木の中に紛れているなんてことはあり得ない。これはあくまでも例えだ。とにかく、そういうたぐいの混乱を美しい女性は与える。私は足を止めてその姿をじっと眺めていたくなるし、機会があればその美しさをたたえたくなるのだ。


 言い訳をするつもりはないが、おそらく世間一般の男性は同じ考えを持っているし、それは女性も変わらないはずだ。男性の美しい身体からだを彫刻したミケランジェロの作品群を見れば、それが理解できると思う。過去の偉大な彫刻家や美術家が、美しい人間を絶えず描いていたことにも理由はあるのだ。


 人は美しいものに魅了されるようにできている。それは摂理せつりだ。マイノリティーを引き立てようと努力したところで、どうしても変えられない事実がある。もちろん、そう言った感情を受けるがわの人間にも選択する権利はあるし、気持ち悪い視線を向けてくる人間は迷惑でしかないのだろう。


 若くて美しい〈人造人間〉のあとについて歩きながら、そんなくだらないことを考えていた。それだけ通路が長かったのだ。絶えず広告を表示するホログラムディスプレイも多く設置されていたが、さすがに同じ広告を何度も見せられると飽きてくる。私はうんざりした気持ちで女性の背中に視線を戻した。


 白銀色のイヤリングは彼女が歩くたびに照明の光を反射していて、彼女の均整の取れた美しい肢体したいが軽やかに彼女を通路の先に進ませていた。

 退屈たいくつを紛らわすために女性のとなりに並んで歩くと、彼女に声をかけることにした。


「それで、俺たちを何処どこに連れて行く気なんだ」

「あなたがほしがっていたモノがある場所」

 彼女の横顔を見つめたあと、別の言葉を口にする。

「ところで、まだ自己紹介をしていなかった。俺はレイラだ。となりを歩いているのが相棒のミスズ」


「あなたたちのことは知ってるわ。もちろん、カグヤのことも」

「監視していたから?」

「いいえ、それだけじゃない。あなたたちの存在は少しばかり目立つの」


「〈守護者〉たちの間で情報が共有されているのか?」

「されていると言えば、されているのかもね」

「君の名前をいても?」

「ペパーミントよ」


 ミスズは不思議そうな表情で私を見た。

「ペパーミントさん……ですか?」

 ミスズに向かって肩をすくめると、ペパーミントにたずねた。


「この兵器工場には人間がいるのか?」

「いないわ。工場は機械化されているし、人間の手を必要とする作業は何もない」

「他にも人造人間はいるのか?」

「ええ。人工知能も働いてくれている」


「君の意思でこの工場を運営しているのか?」

「まさか。好きなことができるのなら、とっくに旅に出てる」

「つまり、君はこの場所で働くことを強制されているのか?」

「君じゃないわ、ペパーミントって呼んでちょうだい」


「失礼。ペパーミントは誰かの指示でこの場所に?」

「違うわ。私たちは自由に生きることを許されている。だけど私はこの場所を放っておけなかった」

「どうして?」

「襲撃が後を絶たないから」

 彼女の言葉には不満そうな響きが含まれていた。


「レイダーギャングか、たしかに連中に兵器工場が乗っ取られたら大変だな」

「そうでもない。警備は自動化されているし、無法者の略奪者たちなら脅威にならないの。きっと工場にたどり着くこともできない。それに、もしも工場を占拠されるようなことがあっても、そのときには自爆をすればいいだけのこと」


「ずいぶんと薄情なんだな」

 彼女は私のことを睨んで、それから言った。

「この規模の工場なら、他の場所にいくらでもあるから」

「俺にはとても信じられないが、ペパーミントが言うんだから、それは本当のことなんだろう」


「どうして信じられないの?」

「これほどの規模の施設は見たことがないし、今の人間に管理できるとも思えない」

 ペパーミントは肩をすくめた。

「でもね、本来は工場に固執こしつする理由がないの」

「ならどうして?」

 ペパーミントは微笑むだけで、質問には答えてくれなかった。


 しばらく歩くと、行き止まりだと思っていた突き当りの壁が左右に開いていくのが見えた。白で統一されたフロアは広く、灰色の絨毯が敷かれていて奥に見える大きなガラス窓からは、薄暗い洞窟が見えていた。


 そのガラスの近くにはソファーが並べられていて、ガラスの向こうに広がる光景をゆっくり眺められるように快適な空間が用意されていた。フロアの中央には無人のバーカウンターがあったが、私はそれを無視してガラスに近付いた。


 広大な空間に奈落の底が見えるような、そんな途方もなく大きな縦穴が見えた。データベースで以前、これと同じような光景を見たことがあった。あれはたしかロシアにあるダイヤモンド鉱山か何かで、露天掘ろてんぼりによって大地に巨大な円形状の縦穴ができていた。


 ガラスの向こうにあるのも同じようなモノだったが、それは地中に掘られた縦穴だった。ずっと高いところにある洞窟の天井からは、小雨のような水滴が絶えず縦穴の中に降っていた。その縦穴を注意深く観察すると、照明のかすかな光が灯っていることが確認できた。


 ペパーミントは私のとなりに立つと、誇らしげに言った。

「工場で必要になる資源を採掘している現場よ」

「今も作業は行われているのか?」

「もちろん」

「ここで入手した資源を使って、工場で製品が造られているのか?」

「他の採掘拠点からも資源が運ばれてくるけれど、その認識で間違いない」

「この工場から、各鳥籠に品物が出荷されているのか?」


「〈鳥籠〉ってなに?」

 本当に知らないのか、彼女は眉を寄せる。

「旧文明期の施設の周囲に、人間の共同体がつくった集落のことだ」

「旧文明期って、なんだかおもしろい表現ね」

 ペパーミントはクスクスと笑った。


 ミスズはペパーミントが見せた作り物じゃない、やわらかな表情に安心したのか、彼女と一緒になって笑顔になった。

『ここが供給元で間違いないんだよね』

 カグヤの質問に彼女はうなずいた。他の〈守護者〉にカグヤの声が聞こえるように、当然のようにペパーミントもカグヤの声が聞こえていた。


「ええ。戦闘に関する物資の多くがこの場所で製造されている。たとえばレイラが装備しているモノのほとんどは、この工場で作られている」

『他にもこんな場所が?』

「あるわよ。さすがに食品関係の製品はうちでは製造できないけれど」


『知らなかったよ』と、カグヤは正直に言う。

「あなたたちは何も知らないし、知ろうともしない。いつの時代も与えられるものを奪い合い、殺し合いをしているだけ。私も同じようなモノだけど……」

 ペパーミントはそう言うと、フロアの中央にあるバーカウンターの中に入っていった。


「お酒は?」と、彼女はウィスキーボトルを手に取りながら言う。

「ありがとう、ちょうど喉が渇いていたんだ」

 スツールに腰掛けると、パックパックを足元に置いた。


「ミスズはどうするの?」と、アイスピックで氷を砕きながらたずねた。

「えっと……私は水をいただきます」

 そう言うと、ミスズは私のとなりにちょこんと座った。


 しばらくするとペパーミントはカクテルグラスをカウンターに載せた。

「どうぞ」

 ミスズはきょとんとした顔でグラスの中のオレンジ色の液体を眺めて、それから困ったようにペパーミントを見つめた。

「あの……えっと、私お酒は飲んだことがなくて……」

「カクテルジュースよ、ノンアルコール。甘いから飲んで」

 ペパーミントは微笑んだ。


 ペパーミントの背後に見える無数のボトルを眺めながら質問した。

「望みはなんだ?」

 ペパーミントはウィスキーが入ったグラスを私の前に置いた。

「望み?」

「あれだよ」と、ガラス窓の向こうに視線を向けた。「工場見学を頼んだ覚えはない」


 ペパーミントはミスズに二杯目のカクテルジュースを出すと、自身のグラスにウィスキーを注いで一気に飲んだ。

「レイラは〈オートドクター〉がほしいのでしょ?」

 彼女はそう言うと、細長い角筒をカウンターに載せる。十五センチほどの角筒は白いツルツルとした金属で造られていた。


『これは何?』

 カグヤの質問に彼女は素っ気なく答える。

「それが〈オートドクター〉よ」


 その角筒を手に取ると、筒の先端にある蓋を取り外した。

「注射器か?」

「そう。レイラがほしがっていた〈オートドクター〉で間違いないわ」

「もっと大きなモノを想像していました」とミスズが言う。

「たしかに大昔の〈オートドクター〉は大きかったらしいわね。博物館に行けば見つかるかもしれない」

 ペパーミントの言葉は冗談に聞こえなかった。


『病院で見つからない訳が分かったよ』と、カグヤがつぶやく。

「驚かないのね」

 ペパーミントは不満そうに腕を組んだ。


 私は廃墟の遊園地で死にかけたときのことを思い出しながら言った。

「以前、同じようなモノを注射されたことがあるんだ」

「そう……。あまり出回らない商品なのだけれど……」

「〈守護者〉が持っていたものだ」

「〈人造人間〉に知り合いがいるのは本当なのね。でも、不死の子供なら〈人造人間〉の知り合いがいても不思議じゃない」


 金属製のフレームに保護された注射器を手に取ると、半透明の小窓から見えていた液体を照明に透かして見た。

「この注射器はナノマシンの一種だと思っていた」

「その認識で間違っていないわよ、ただ少し特別なナノマシンってだけだから」


「この注射器でどんなことができるんだ?」

「大抵の病気や怪我を治療できる」

「一度しか使えないのか?」

「液体を注入するんだから同然でしょ」


 注射器を角筒の中に戻しながら、ペパーミントにたずねる。

「タダじゃないんだろ?」

「言わなくても分かっていると思うけど、この場所にくる人間はもういない」

 ペパーミントの顔から視線を外すことなくうなずいた。そのさい、彼女の長い睫毛や柔らかそうな唇から何かを読み取ろうとしたが、逆に何も分からなくなった。

「それで?」


「レイラの力を貸してほしいの」

「ここは兵器工場だ。力なら掃いて捨てるほどあると思ったけど」

「〈第二種秘匿兵器〉は別よ。それはこの工場にもないモノなの」


 私はホルスターからハンドガンを抜くと、カウンターにことりと載せた。

「こいつのことを知っているのか?」

「ある程度は」

 銃について何か聞けると考えて言葉の続きを待ったが、ペパーミントは微笑むだけで何も言わなかった。


 私は溜息をついて、それから質問した。

「俺たちに何をしてもらいたいんだ?」

「〈混沌の子供〉が採掘の邪魔をしている。どうやら彼らの領域につながる坑道を、偶然掘りあててしまったみたいなの」


「混沌の子供たちのことを知っているのか?」

「ええ」

 兵器工場の警備をしていた無数の機械人形を思い浮かべながら言う。

「戦力が不足しているとは思えないが」

「言ったでしょ、貴方の持つ兵器の力が必要なの」


 私はウィスキーを飲んで、それから言った。

「まさかその坑道を塞げ、なんて言わないよな」

「そのまさかよ。厳密に言えば、混沌の子供たちがやってくる〈空間のゆがみ〉を閉じてほしいのだけれど」

「壊すのは得意そうだけど」と、私はハンドガンを眺めながら言う。「何かを塞ぐことはできそうにない」


「坑道を塞ぐのは私たちでやるわ。レイラにやってほしいことは、〈空間のゆがみ〉を守護している門番を破壊すること」

「門番?」

「〈混沌の子供〉たちと一緒にやってきたゴーレムの化け物のこと」

「ゴーレムね……シキガミみたいなやつか?」

「いいえ」とペパーミントはゆっくり頭を振った。「機械人形じゃないわ。とても固い鉱物で創られた動く石像よ」


「そいつを倒せば、〈オートドクター〉はもらえるのか?」

「そうよ」と彼女はうなずく。

『動く石像か……』とカグヤが言う。『どんな仕組みで動いているんだろ?』

 ペパーミントは肩をすくめた。


「あの……」と、ミスズが遠慮がちに質問する。「空間のゆがみって何のことでしょうか?」

「そうね。まずはそこから説明しないと話にならないわね」

「そう言えば」私も思い出しながら言う。「ハカセも〈神の門〉がどうとか言っていたな」

「この世界とは異なる領域」と、ペパーミントは言う。「別の次元につながる門だと考えてくれていいわ。詳しい説明は、実際に見てもらったときに説明する」


 彼女の言葉にうなずくと、ウィスキーの残りを喉の奥に流し込んで、それからハンドガンを手に取ってホルスターに収めた。

「ペパーミントがこの場所を離れられない理由は、その〈混沌の子供〉たちの所為せいなのか?」

「ええ。〈混沌の領域〉とつながる空間のゆがみがすぐ近くにあると知っていて、それを放っておくことはできないでしょ」


「たしかにあれだけ深く掘ったんだ。混沌が溢れ出てもおかしくない」

「そういう皮肉は嫌いよ」

「皮肉を言ったつもりはないよ」

「そう」と、ペパーミントは子どものように不貞腐れた顔をみせる。


「どうする、ミスズ?」

「〈オートドクター〉のためです、やりましょう」

「決まりだな。それなら、さっさと仕事を済ませて帰ろう」

 スツールから立ち上がるが、ペパーミントは頭を横に振って綺麗な黒髪を揺らす。

「今日は疲れているでしょ。仕事は明日からにしましょう」


「仲間を待たせているんだ。早いうちに仕事を片付けたい」

「大丈夫よ。彼らも工場に招待すればいいんだから」

「地上にある兵器から攻撃されないのか?」

「攻撃なんてするわけないでしょ」と、ペパーミントは怪訝な表情で言う。


「俺たちに頼みごとをする気が合ったのなら、どうして攻撃したんだ?」

「不死の子供に対して攻撃なんてしないわ」

『された』とカグヤが言う。

 彼女は顔をしかめる。

「間違いがあったのかもしれない」


「その攻撃で死んでいたかもしれない」

「謝罪するわ。でも、どうしても警備を厳重にしなければいけない理由があったの」

 彼女の視線の先には仄暗い洞窟があった。


「それじゃ、レイラの仲間を地上に迎えに行きましょう」

 彼女はそう言うと軽やかに歩き出した。

 私は薄暗い洞窟を一瞥いちべつすると、ペパーミントの背中を見つめた。

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