第66話 縄張り re


 超高層建築群を右手に見ながら、我々は廃墟の街を進んでいた。

 拡張現実で表示される地図から視線を動かすと、青紫色のツル植物が絡みつく横断おうだん歩道ほどうきょうが見えた。その歩道ほどうきょうからは複数の人間の死体が吊るされていた。遺体は激しく損傷していて、足元に広がる血溜まりで数時間前までは生きていたことが推測できた。


「レイラ……もしかして、あれは死体ですか?」

 顔をしかめるミスズにうなずく。

「ああ。どうやら気づかないうちに、レイダーギャングの縄張りに接近していたようだ。すぐに進路を変えよう」


 我々の上空を飛んでいた〈カラス型偵察ドローン〉の映像を確認して、それから〈七区の鳥籠〉に向かうための新しい移動経路を設定した。


 廃墟の街を移動するのに使用していた車両は〈ウェンディゴ〉と呼ばれる多脚の軍用規格の大型〈ヴィードル〉だ。ヴィードルとは多脚車両の名称で、旧文明期に建設現場や森林作業などの難所で、建設用の機械人形と一緒に運用されていた車両のことだ。昆虫にも似た形状から、甲虫類のビートルをもじったヴィードルの名で呼ばれていた。


 通常のヴィードルは自動車ほどのサイズで、車体中央にある球体型の操縦席を中心に左右合わせて六本の脚がついている。ヴィードルには様々な種類があり、建設現場などで使用される作業用の車両や、過酷な環境での運用を想定した軍用規格のモノ、そして行商人などが使用する大型のヴィードルが存在している。


 大型ヴィードルはコンテナを積んだ大型トラックほどの大きさがある。その車体にも異なる種類が存在する。多くの人間が乗りこむように設計された箱型タイプのモノがあれば、操縦者だけが乗り込める小さな車体に、大きなコンテナを車体後部に積んでいる車両も存在する。


 それらの車両は組合に所属する行商人たちが好んで使用していた。例えば交易のための荷物の運送や、各地に点在する鳥籠を行きかう交通車両としての役割も与えられていた。


 我々が使用する〈ウェンディゴ〉は他の大型車両と異なり、複合装甲に覆われた太い脚が四本だけしかなかった。しかしそれは造られたときから変わらない輝きを放ち、さびひとつなく、広い可動域を持つ関節の隙間から見える内部を構成するパーツには〈人工筋肉〉が使われている。


 筋繊維のかたまりである〈人工筋肉〉の素材には、旧文明期に家畜用に改良を加えられた〈クジラ〉の亜種が使われているとカグヤに教えてもらった。食用にされたモノと、工業用に使用されたモノが存在していたらしい。


 クジラの亜種だが、その時代に創造された〈人工生物〉は動物として分類されていなかった。それらは製品として造られ調整されていた。それは意思も持たず栄養剤を与えられ、決められたコースをひたすら泳ぎ筋肉を成長させる。そうして造られたモノを工場で処理して、筋繊維を工業製品として使用していた。


 〈ウェンディゴ〉に使用されていたのも、そうやって製造された〈人工筋肉〉のひとつだが、さらに特殊な改良が加えられていた。通常、人工筋肉は消耗品として扱われる。酷使し熱を持った筋繊維はやがて劣化して使い物にならなくなるからだ。しかしウェンディゴの筋繊維は、旧文明の特殊な〈鋼材〉を取り込むことで自己修復を繰り返し、整備を必要としなかった。


 〈人工筋肉〉のもとになる亜種の〈クジラ〉がどのような生物だったのかは、私には想像もできなかったが、それでも時折ときおり、私はその哀れな生物のことを思って背筋が冷たくなった。暗い海の底を、口と消化器官と肛門しか持たない出来損ないの〈人工生物〉が泳いでいる。その鮮烈なイメージは、まるで熱にうなされて見る悪夢のように私の脳裏にこびりついていた。


 装甲車にも似た〈ウェンディゴ〉の車体は白く塗装されていて、押し潰されたように平べったい。車体後部には、日の光を吸収して反射しない特殊な装甲を持つ真っ黒なコンテナが積まれている。


 そのウェンディゴの車内から私は廃墟の街を眺めていた。車内には旧文明期の技術が採用されていて、壁を透かして外の景色が見えるようになっていた。


 放置されて朽ちていく車列が残る交差点の先には、これといった特徴のない建築物があって、そのすぐとなりには〈旧文明期以前〉の建物が建っていた。壁の一部は崩落していて、むき出しの鉄骨は折れ曲がり、その鉄骨の先には巨大な垂れ幕がかかっていた。


 風に揺れる真っ赤な垂れ幕には、ピラミッド型のシンボルマークと瞳の絵だと思われるモノが白いペンキで雑に塗られていた。


「ウミ、ここで止まってくれないか」

『承知しました。何か気になるモノでも見つけたのですか?』

 ウェンディゴを停車させながらウミが言う。

「ああ、〈不死の導き手〉に関係する建物かも知れない。〈ワヒーラ〉を使用できるか?」


 ワヒーラは小型のヴィードルにも見える〈車両型偵察ドローン〉の名称で、脚が四本あり機体の中心には円盤型の回転式レーダー装置が取り付けられている。

『コンテナ内部は〈空間拡張〉技術によって、外部の空間と完全に隔離されています。各種センサーを使用するさいには、コンテナ内部からワヒーラを動かす必要があります』


「やってくれるか?」

『命令してくださればいいのです』と、ウミのりんとした声が聞こえる。

「頼むよ」

『……承知しました』


 ウェンディゴを操作している〈ウミ〉は、横浜の海岸線を探索中に見つけた特殊な人工知能のコアに宿る〈生命体〉で、旧文明期に活躍した兵器だとも言われている。南極海の底から回収されたとウミは話していたが、詳細については分かっていない。


「レイ、どうしたんだ」と、一緒に来ていたジュリが言う。

「気になることがある、ジュリはこのまま車内に待機していてくれ」

「いいけど、危険そう?」

 見上げるジュリに私はうなずいた。

「わからない、だから確認しに行く。ミスズも一緒に来てくれ」


「姉ちゃんも行っちゃうのかよ」

 不満を口にするジュリにミスズは微笑んで見せた。

「ジュリはウミとお留守番です。でも安心してください、すぐに戻りますから」

「うん……」


 ガンラックからアサルトライフルを手に取ると、弾倉を抜いて残弾数を確認しながらカグヤにたずねた。

「カグヤ、周辺の状況はどうなっている?」

『上空にいるカラスから受信している映像からは、レイダーの姿は確認できないよ』


 車内に投影されているホログラムディスプレイで街の俯瞰ふかん映像えいぞうを確認しながら言う。

「それなら、ワヒーラが狙撃される心配はないか……」

『うん。建物内に潜んでるかもしれないから、絶対じゃないけどね』


 コンテナの後部ハッチが開くと、ワヒーラは外に出てウェンディゴの脚の間に隠れてレドームにも似た円盤型の装置をゆっくりと回転させる。

『建物の中に複数の反応がある。たぶん〈人擬き〉だね』

 ワヒーラから受信する情報によって、建物内部が透けて見えるサーモグラフィーが表示される。人型の生物が動く様子がハッキリと確認できた。


「人擬きか……でも数は少ないみたいだな」

「でも人擬きは殺せないんだよな」と、ジュリが不安そうに言う。


 人擬きは旧文明期から現在まで生き続ける不老不死の化け物のことだ。変異して間もない人間の原型を保った個体や、四足歩行する〈追跡型〉と呼ばれるみにくい姿の個体、それに大きな身体からだを持つ〈巨人型〉などが確認されている。


 それらの人擬きは〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈仙丹せんたん〉によって誕生した化け物だとされている。一度は殲滅寸前まで追い込まれたが、後の時代に再出現することになる。


 人擬きを産み出した人間が消えた世界で、彼らは今も地上を彷徨さまよいながら人々を襲いい殺している。基本的に人擬きは殺すことができない。だから人擬きとの戦闘時には、彼らを無力化することだけを念頭ねんとうに戦う必要がある。手足を潰したり、頭部を破壊したりとやり方は何通りもあった。


「大丈夫だ。俺とミスズは人擬きを殺せる武器を持っている」

 ジュリは私のハンドガンにちらりと視線を向けて、それからうなずいた。

「でも気をつけてくれよ」

「ああ、わかってる」


「準備はいいか、ミスズ?」

 彼女は素早く装備の状態を確認すると、琥珀こはく色の瞳を私に向けた。

「行けます」


 バックパックを手に取ると搭乗員用ハッチを開いた。片手でしっかりとライフルを構えながら、私はゆっくりウェンディゴから降りた。それから開けた道路を離れて建物の陰に入ると、その場で待機した。

 ライフルを構えたミスズが出てくると、ウェンディゴの陰に隠れていたワヒーラも彼女のあとに続いた。


 我々が離れるとウェンディゴは周囲の景色をスキャンして、装甲の表面に色相と質感を再現して表示した。すると車体は周囲に溶け込むようにして認識しづらくなる。それは〈環境追従型迷彩〉と呼ばれる旧文明の技術だ。


 環境追従型迷彩はウェンディゴに備わる機能のひとつで、周囲の景色を瞬時に認識し、環境に適応できるカモフラージュパターンを生成する。完全に敵の目から隠れることはできない。しかし隠密効果は高く、遠目から見れば周囲と同化して透明になっているように見えた。


 ワヒーラがやってくると、車体側面の専用スペースにバックパックを取り付ける。それからライフルを構えて、上階から死角になるように歩道を進み、目的の建物に接近する。


 建物周辺の歩道にはゴミと人骨が転がっていた。向かいの建物には自動車が衝突したまま放置されていて、車の窓からは生い茂る雑草が飛び出している。


 垂れ幕がかかっている建物の下までやって来ると、ガラスのないショーウィンドーから建物内部を確認する。崩れかかった廃墟は旧文明期以前のモノで、かつて飲食店として利用されていたのか、原型がほとんど残っていないテーブルとイスが至るところに転がっていた。


「レイラ、人擬きです」と、ミスズが小声で言う。

 私はうなずくと、床に散乱するゴミや瓦礫がれきで大きな音を立てないようにして移動する。射撃のための最適な位置に到着すると、ライフルを背中に回して太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。人擬きは地面に横たわる人間の死骸を食べることに必死で、我々の存在には気がついていなかった。


 人擬きに照準を合わせると、躊躇ためらうことなく銃弾を撃ちこんだ。銃声は些細ささいなモノで、射撃による反動もほとんど感じなかった。

 背中を撃たれた人擬きは、死骸の血液に濡れた顔を上げて一瞬動きを止めた。その人擬きの頭部に弾丸を撃ちこんだ。化け物の頭部から飛び出した弾丸は、脳の一部と骨片を撒き散らしながら壁を貫通して小さな穴を残して消えた。


 私は身を低くしたまま、周囲に動きがないか確認する。

 異常がないことを確認すると、ミスズと視線を合わせて合図を出した。彼女はうなずくと、すでに照準を合わせていた人擬きに攻撃を行う。


 存在が確認されていた人擬きには、カグヤが事前に標的用のタグを貼り付けていて赤い線で輪郭りんかく縁取ふちどられていたので、遮蔽物しゃへいぶつを透かして倒れる人擬きの姿が私にも見えた。


 我々が使用しているハンドガンは、軍の検問所跡を探索したさいに見つけたモノで、〈秘匿兵器〉と呼ばれるたぐいの強力な武器だった。通常兵器では人擬きを殺すことはできないが、この武器によって撃ちだされる強力な弾丸なら、人擬きを完全に殺すことができた。


 その後も我々は人擬きに見つかることなく、建物内の化け物を順調に殲滅せんめつすることができた。けれどこれで終わりではない。数は少ないが上階にもまだ人擬きが残されている。

 しかし上階に向かう前に、人擬きが食べていた死骸の確認を行う。


 その死骸はピンク色に髪を染めた略奪者のモノだった。薄汚れた格好に、さびぎだらけの貧相な装備。おそらく近くにある略奪者の縄張りから出てきた者たちが、人擬きの襲撃にあったのだろう。


 我々が処理した人擬きも文明崩壊時から生きていた個体ではなく、人擬きの攻撃で感染し化け物に変異した個体だった。それらの人擬きの装備も略奪者たち同様、貧相なモノだった。


 建物内にワヒーラを入れると、物陰に隠れるようにして待機させた。もちろんレーダーは起動したままだ。ちなみに簡易的な地図はワヒーラが作成したモノだ。


『レイラ』

 ミスズの小声が内耳に届くと、拡張現実で視線の先に表示させていた地図でミスズの位置を確認して、それから彼女のもとに向かった。


 暗がりにしゃがみ込んでいたミスズのそばには、人擬きに殺されたと思われる人間の死骸が転がっていた。

「……不死の導き手だな」

「これを見てください」

 女性は教団が身につける特徴的な紺色のコートを着ていて、袖から見える腕は人工皮膚に覆われた義手だった。


「人擬きの攻撃で死んだと思っていたが、違うようだな」

「レイダーたちの襲撃でしょうか?」

 ミスズは女性のコートをめくり血に染まるシャツを見たあと、腹部の傷を確認する。

「これは銃創ですね」


「ああ、おそらく――」

 突然、銃声が聞こえると我々はすぐに身を低くした。

『大丈夫、近くにあるレイダーの縄張りから聞こえてくるものだよ』

 カグヤの声に反応して天井に視線を向けた。


 天井を透かして赤く縁取られていた人擬きの輪郭りんかくが見えた。それまでほとんど身動きしなかった化け物は、銃声に反応して建物を徘徊し始めていた。

「ミスズ、念のためシールドを使ったほうがいい」

「分かりました」


 ミスズが握るハンドガンの形状が変化する。銃身が十字に開くと、群青色の塗料が染み出してしたたり落ちる。けれど地面に触れる寸前、それは気体に変化してミスズの周囲を覆う濃い蒸気に変化し、やがて透明度の高い群青色の膜になって彼女の身体からだを覆っていく。


 ミスズの準備ができると遺体を一瞥いちべつして、それから上階に向かう。するとひしゃげた防火扉の先に人擬きの姿が見えた。


 防火扉を破壊したモノの正体が気になったが、まずは人擬きとの戦闘に専念することにした。その場に膝をつくとハンドガンを構える。


 ミスズの射撃で人擬きがテーブルを倒しながら床に転がると、音を聞きつけた別の個体が通路の奥から走ってくるのが見えた。私は冷静に、そして的確に射撃を行っていく。


 射撃によって頭部が破裂はれつして、そのまま壁に衝突する人擬きや、瓦礫がれきつまずいてほこりを立てながら転がる人擬きを見ながら、ワヒーラから受信する情報とカラスからの映像を確認しながら戦う。


 最後の一体をミスズが殺すと、我々はしばらく周囲の安全確認に努めた。略奪者の縄張りに目立った動きはなく、気づかれることなく建物を制圧することができたようだ。


「ミスズ」と、私は小声で言った。「不死の導き手の情報になりそうなものが建物内に残っているのかもしれない。なにかないか手分けして探そう」

 ミスズは自身の周囲に展開していたシールドを解くと、コクリとうなずいた。

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