第三部 異界 re【web版】

第65話 依頼 re


 その日、私は〈ジャンクタウン〉の酒場で、ウィスキーを飲みながら怠惰たいだな時間を楽しんでいた。明るい時間帯だからなのか客は少なく、誰もが酒をあおりながら、しかめつらを見せていた。人生の苦しさを酒でまぎらわせようとして失敗したのか、ただ単に酒が不味まずいのか私には分からなかった。


 昼飯に何か頼もうと思っていた矢先、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『レイ、さっきから君のことをじっと見つめていた女性が近づいてくるよ』

 廃墟の街のあちこちに設置された〈電波塔〉を介して、静止軌道上の軍事衛星から届くカグヤのやわらかな声に反応してうなずくと、了解したことを口に出さずに伝える。それから腰に差していたなたつかに手をかけた。


 女性に気がついていないフリをしながら、グラスに入ったウィスキーをあおる。そして女性の足音に聞き耳を立てる。


相席あいせきしてもいいかしら?」

 女性は私のとなりに座ると、やわらかな身体からだを私の腕に押し付けた。

「返事は必要だったか?」

 私がそう言うと、女性はあおい瞳の端で笑った。


 金髪の女性はスラリとした足を組んで微笑んでみせる。整った顔立ちをしていたが印象いんしょうに残るのはそのさびしげな碧い瞳だった。そして異性の目を魅了みりょうして止まない肉体を飾るのは、文明が崩壊した世界では滅多めったに見ることのない仕立てのいいドレスで、彼女の気品さが感じられる容姿にひどく似合っていた。


「貴重な旧文明期の〈遺物〉に興味ない?」

 彼女の瞳をじっと見つめたあと、なたの柄から手を離した。

「俺は〈スカベンジャー〉だ。遺物に興味を持たないことのほうが難しい」

「よかった。あなたに打って付けの仕事があるの」

「俺に……? まるで俺が誰なのか知っているような口ぶりだな」

「ええ、知ってるわ。レイラが大量発生した昆虫を駆除するために結成された討伐隊の、数少ない生き残りだってことも知ってる」


 女性の碧い瞳から視線をそらすと、グラスにウィスキーをそそいだ。

「用心深いんだ。だからあの戦いを生き残れた」

 彼女は私の手からグラスをひょいと取り上げると、琥珀こはく色の液体を喉の奥に流し込んだ。それからなまめかしい唇を舌の先で舐めた。

「スカベンジャーのレイラ。仕事ぶりは堅実で危険な仕事には手を出さない。それに、最近になって可愛かわいらしい相棒ができたみたいね」

「……それで?」

 彼女の手からグラスを受け取った。


「レイラに仕事の依頼がしたいの」

「危険な仕事に手は出さない」と、私は女性の言葉を繰り返してみせた。

「腕がいいのは知っているわ。レイダーギャングにさらわれた医療組合の医師を窮地から救い出したのもレイラだったんだから」


「悪いけど、俺はあんたの名前も知らない」

「〈マリー〉よ。でも、依頼人の名前はあまり重要ではないでしょ?」

 彼女はそう言うと、安物の合成皮革には見えないハンドバックから、シガレットケースを取り出してオイルライターを自然に私に差し出した。


 マリーがタバコをくわえると、私は彼女のタバコに火をつけた。

「依頼人についての情報が重要になるのかは、仕事の内容で決まる」

 私の言葉に反応したのか、彼女は顔をしかめながらタバコの煙を吐き出した。

「そうね……。ごめんなさい、タバコを吸う女性はきらい?」

 頭を横に振ると、グラスに注いだウィスキーを一息に飲み干す。


他人たにんのすることにあまり関心がないんだ」

「冷たい人なのね」

「そうでもないさ」


 そう言うと、酒場の入り口付近に立ってマリーのことをじっと見つめていた男たちに視線を向けた。がっしりとした体格の男性で、おそらく外科手術によるインプラントで人体改造をしている。身体からだの重心が安定していて、背広の袖から人工皮膚に覆われた義手がちらりと見えていた。


 彼女は誰かの視線を気にするように、周囲にさっと視線を向けて、それから私を見つめた。

「でもレイラには可愛らしい相棒がいる。彼女はどうやってレイラに取り入ったのかしら」

「気が合ったのさ、それだけだ」

「その子は運がいいのね」

 私は肩をすくめた。


「それで、マリーがほしがっている〈遺物〉はどんなモノなんだ?」

 彼女は私の腕にワザとらしく乳房を押し付けて谷間を作ると、つややかな笑みをみせた。

「〈オートドクター〉と呼ばれている遺物よ」

「それは医療器具なのか?」

「そうよ。使用できる状態のモノはとても貴重で、市場に出回ることがない」


「医療組合の医師でも治療できない病気を?」

「ええ、とても大切な人のためよ」と、彼女は寂し気な瞳を私に向ける。「〈オートドクター〉はどんな病気でも治療すると聞いているわ」


 私は酒場の煙たい天井を仰ぐと、溜息をついた。

「難しい依頼だな。旧文明期の医療器具や装置は〈スカベンジャー〉たちによって病院から持ち去られていて、見つけることは至難しなんだ。それに見つけたとしても、損傷そんしょうしていて使い物にならないかもしれない」


「当てはあるの」

「軍の基地とか言わないでくれよ」

「違うわ」と、マリーは金髪を揺らした。「遺物は〈鳥籠〉にあるの」


 文明崩壊後の世界に残された旧文明期の施設、それらの〝生きている〟施設を中心にしてつくられた集落を人々は〈鳥籠〉と呼んでいた。いつからそう呼ばれるようになったのかは分かっていないが、人々は廃墟の街に点在する〈鳥籠〉で共同体をつくり、そこで生活していた。


 私が今いる〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉のように、高い防壁に囲まれた場所も存在すれば、掘っ立て小屋だらけのさびれた集落のような〈鳥籠〉も存在する。


「遺物が鳥籠にあるなら、そこで暮らす人間と直接交渉すれば、その医療器具を使わせてもらうことくらいはできるんじゃないのか?」

 私の言葉にマリーは頭を振る。

「ダメなのよ。その鳥籠には、交渉できるような人間がいないの」


「失礼だけど。マリーは交渉を有利に進められる裕福ゆうふくな人間に見える」

「お金の問題じゃない、その鳥籠に人間はいないの。ずっと昔に放棄ほうきされた鳥籠なのよ」


 グラスの中のウィスキーを眺めて、それから言った。

「汚染物質によって放棄せざるを得なかった鳥籠なのか、それとも何者かによる襲撃で放棄された鳥籠なのか、そのくらいの情報は持っているんだよな?」

「残念だけど、鳥籠についての詳細は知られていない」


 マリーの碧い瞳が曇るのを見ながら、私は率直な感想を言う。

「難しい依頼だな。物資と時間を多分に必要とする仕事だ」

「でもレイラならできる。そうでしょ?」


 私は腕を組むと、マリーを見つめていた背広姿の男性に視線を向ける。

『彼女の護衛なのかな? 店の非常口にも二人いるみたい』

 内耳に聞こえるカグヤの声にうなずいて、それから声に出さずに返事をする。

『その可能性はあるな』


 マリーは身形みなりく、どう見ても富裕層ふゆうそうの人間だった。この世界でそんな人間に出会うのは、太った人間に会うより難しかった。彼女は何処どこかの組合の長の娘か、あるいは大規模で相当な資産がある鳥籠の管理者の一族なのかもしれない。


 退屈そうにしていたマリーは私の手からグラスを奪うと、ウィスキーを注いで一気に飲んだ。顔をしかめたマリーに私はたずねた。

「報酬は?」

「他の人間と報酬は同じ、数年は働かずに遊んで暮らせる額の電子でんし貨幣かへいよ」


「他にも依頼を受けた者がいるのか?」

「大仕事だもの、当然でしょ?」と、マリーは綺麗な唇で微笑む。「でも直接、会いに来たのはレイラだけ」

「どうして特別扱いを?」


「興味があったのよ。スカベンジャーでありながら医療組合に信頼されている。それに加えて名のある傭兵団を率いる〈イーサン〉のお気に入りでもある。どんな人物なのか、会って話をしてみたくなったの」


「お眼鏡めがねにはかなったか?」

「予想以上よ、少し美形に過ぎるけれど」

 たくましい人が好みなの、とマリーは腕を絡める。


「考える時間はくれるのか?」

「もちろんよ。ジャンクタウンにしばらく滞在することになるから、いつでも会いに来てちょうだい」

「マリーは何処どこから来たんだ」


「〈七区の鳥籠〉よ」

『七区と言えば、多摩川沿いにある鳥籠のことだね』と、カグヤがすかさず言う。

「そこに住んでいるのか?」

「違うわ。そこが例の鳥籠よ、私は遠くから見物してきたの」


「つまり何処どこから来たのかは秘密ってことか……滞在先のホテルは?」

「このホテルよ」と、マリーは天井に視線を向けた。

 私はしばらく思案して、それから言った。

「報酬の他に、経費けいひも出してくれるのか?」

「依頼を受けてくれるのなら、今すぐに支払うわ」


「ずいぶんと気前がいいんだな。その金を持って俺が逃げるとは考えないのか?」

「前金を出すのはレイラにだけよ。報酬以外にも、あなたが望めば私のことを自由にしていい」

 マリーの碧い瞳をじっと見つめたが、それでも冗談を言っているようには見えなかった。


「本当の目的は? あんたは何をたくらんでいるんだ?」と、私は突き放すように言った。

「何も。ただオートドクターを手に入れるためなら、なんでもするって決めているの」

「会う人間全員に、そうやってびているのか?」

 マリーは息を呑んで顔を赤くすると、涙を零さないように私を睨んだ。彼女はその冷淡な外見に似合わず、激情的な人間なのかもしれない。


「私の事が嫌い?」

 彼女はそう言うと、私から身体からだを離した。

「あんたを嫌いになれるほど、俺は君のことを知らない」

「何がいけなかったのかしら?」

 マリーは人が変わったように落ち込んだ。


「あんたがこの依頼に必死になる理由があるのは、なんとなく理解できたよ。けど俺を試すようなことはしなくてもよかった」

「なら、どうすればかったのかしら」

 彼女の乾いた笑みを見ながら私は言った。

「誠実であればかったんだ。君は俺のことを事前に調べていたんだ、俺がどんな人間なのかも知っていたはずだ」


「でも、私は他のやり方を知らないから」

 テーブルの上で強く握られたマリーの手に、私は軽く手を重ねた。

「……悪かった」と、私は溜息をつく。「あんたがあんな言葉で簡単に傷つくとは思っていなかったんだ」

「気にしないで、私がいけなかったの。ごめんなさい」


「こんなつもりじゃなかったんだ」

 思わず言い訳を口にすると、彼女は首をかしげる。

「私たち、はじめからやり直せないかしら?」

 急に幼い仕草を見せたマリーに驚きながら、私は言った。

「君が望めば、なんでもできる」

「もうマリーって呼んでくれないのかしら」

 私はもう一度溜息ためいきをついた。


「君の本心が分からないよ。俺はまだ試されているのか」

 マリーは舌を出すと微笑んだ。

「私はレイラに誠実よ」

「だといいけど」と、私はいい加減に言った。それから態度を改める。「依頼は受けるよ。放棄された〈七区の鳥籠〉も気になるからな」

「よかった」

 マリーはあどけない笑顔を見せた。

 その笑顔が彼女の本心なのかも私には分からなかった。


 マリーが手をあげると、酒場の入り口に立っていた背広姿の男性がこちらにやってくる。彼は無骨な情報端末をふところからか取り出すと、テーブルに静かに置いた。


 その端末に〈IDカード〉を差し込むと経費として前金が振り込まれた。その前金だけでも相当な金額だった。電子貨幣が振り込まれたことを確認すると男性は頭を下げて、彼が立っていた位置に戻っていった。男性の顔は印象が薄く、彼が背中を見せるころには顔すら忘れていた。


「俺もそろそろ行くよ。仕事の準備をしなければいけないからな」

「レイラとはどうやって連絡を取ればいいのかしら?」

「情報端末はあるか?」

「あるわよ」


 マリーから端末を受け取ると、カグヤに頼んで〈接触接続〉で彼女の端末に接続してもらった。それから端末を返すと、彼女は首をかしげた。

「連絡先を登録しておいた。用事があるときに連絡してくれ」

「ええ、そうね。そうさせてもらうわ」と、マリーは微笑んだ。



 今朝から降り始めた雨は、相変あいかわらず〈ジャンクタウン〉の通りを濡らしていた。

 レインコート代わりに使用している光学迷彩を備えた外套のフードをかぶろうとしたとき、通りの先からジュリの声が聞こえた。


「レイ!」と、彼女が茶色い短髪を濡らしながら駆け寄って来る。

「目立つ行動は控えてくれって言ったはずだけど?」

「子どもじゃないんだ、俺だってそれくらいのことは分かってる」

 ジュリは十三歳の子どもらしく不貞腐れてみせた。

「そうだな」

 溜息をつくと、ジュリが羽織はおっていたレインコートのフードで彼女の顔を隠した。


 ジュリは〈ジャンクタウン〉で孤児として育ったが、たくましい子で自分自身の力だけで過酷な世界で生きていた。けれどひょんなことでチンピラに因縁をつけられ、襲われているところを私が助けて保護していた。

 ジュリを助けたときにひと悶着もんちゃくあって、それ以来ジュリはチンピラから復讐の対象にされていた。だから目立つ行動はできるだけけてもらっていた。


 ジュリを追いかけるようにしてやって来たミスズが言う。

「ごめんなさい、レイラ」

「ミスズがあやまることはないよ。ジュリは子供じゃないんだ。自分が置かれている立場が分かっているはずだ。そうだろ?」

 大人でありたいのなら、それなりの態度を取れと伝えた。しかし当の本人は分かっていないのか、子どもじゃないと言われて喜んでいた。


 私は肩をすくめると、雨で煙る大通りを見つめた。それから事後報告になることを謝りながら、仕事の依頼を受けたことをミスズに報告した。


 仕事の相棒でもある〈ミスズ〉は、東京にある旧文明の施設から横浜にやってきていた。東京は文明崩壊のキッカケにもなった紛争の影響で海中に沈んでいたが、海底に建造された施設に生き残りが存在していた。


 ミスズはそこで軍隊のような組織に所属していて、特殊な任務を受けて地上に派遣された。しかし予期せぬ襲撃にい、廃墟の街に巣くう略奪者に捕らわれてしまう。私とカグヤは偶然、彼女を救い出すことができた。それ以来、ミスズとは共に仕事をこなしていた。

 記憶を失ってから、カグヤとたった二人でこの世界を生きていた私にできた初めての仲間だった。


「私は構いませんよ」

 彼女が琥珀こはく色の大きな瞳を私に向けると、私はホッと息をついた。

「よかった」

『遠出になるから、装備を用意しなくちゃいけないね』

 カグヤの声が聞こえると、私は彼女の装備を確認する。


 ミスズはピッチリしたスキンスーツを着ていて、その上に市街地戦用の灰色のデジタル迷彩の戦闘服を重ね着していた。そして私と同様、光学迷彩を備えた外套がいとう羽織はおっていた。スキンスーツはパワーアシスト機能やナノマシンによる傷の治癒を可能とする旧文明の代物しろものだ。


「買い物なら俺に任せてくれよ」

 ジュリはそう言うと、かすようにミスズの手を握る。

「そうですね。それにしても、雨が早く止んでくれたらいいですね」

 雨は変わることなく、我々の頭上に強く降り続いていた。

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