第64話 もう一歩 re


 〈深淵しんえんの娘〉たちによる熾烈しれつな攻撃は、シロアリの変異体を圧倒していった。シロアリのれが狩り尽くされると、〈深淵の娘〉たちはさらなる獲物えものを求めて地底に続く地割れに侵入していった。カグヤがまるで怪獣かいじゅうと表現した巨大な白蜘蛛も、地響じひびきを立てながら深く暗い地底の底へと戻っていった。


 ハクは姉妹たちの活躍を見て興奮こうふんしたのか、しきりに地面を叩いていたが、私のそばから決して離れようとしなかった。


「お母さんに挨拶しなくてもよかったのか」

『母、いっしょ』


 そのことについて私はしばらく考えてから言った。

「そうだな、離れていてもつながっている」


『つなぐ、ハク、母、おもう』

 私はうなずいた。


 地上に残されたシロアリの小規模なれも、〈守護者〉や機械人形による攻撃で狩り尽くされようとしていた。


「終わっちゃったね」

 アメは黄色いレインコートのフードを上げると、白銀に輝く頭蓋骨ずがいこつを見せた。


「俺には何が何だか分からないよ」

「この場でレイラにできることは、もう何もないよ。日が落ちる前に帰りな」


 アメが指差した青い空は、せい多面体ためんたい構造物こうぞうぶつが吐き出す雲で隠れようとしていた。

 私は空を仰いで、それからうなずいた。


「そうだな。そうさせてもらう」

「残リの昆虫ハ任せてオけ」と、カインは言う。


 多脚戦車の〈サスカッチ〉が我々の側を通り過ぎると、ビーム兵器が発射されるさいに聞こえる特徴的な鈍い音がとどろいて、シロアリの群れに向かって青白い閃光が放たれる。


 熱によって大気が揺らいて、閃光に触れた昆虫が融解ゆうかいしていく。カインはサスカッチに颯爽さっそうと飛び乗ると、機械人形の戦闘部隊を連れて、崩壊し見る影もないシロアリの巣穴へと進軍を始めた。


「バイバイ、レイラ」と、アメは手を振った。「カグヤとハクも!」

 アメがフードを下ろすと、フードの間にできた日陰の奥で赤い瞳が発光した。

「また会おう!」と、私は走り去るアメに答えた。


『帰ろう、レイ』と、カグヤが言う。

「そうだな……。ハク、帰ろう」

『ん。おうち、かえる』

 白蜘蛛は歩き出した私のあとについてきた。


 荒涼こうりょうとした大地を歩きながら、周囲に目を向ける。討伐隊とうばつたいの野営地は無残に破壊されていて、地割れによって地の底に沈んでいた。天幕に使用されていた鉄パイプの先には破れた布が風にはためき、シロアリによって虐殺された大量の人間の死骸が、黒土の上に無造作に横たわっていた。


 我々が使用していた野営地の周辺にも大量のシロアリの死骸が転がっていて、仮眠をとるために使用していたテントは何処どこかに吹き飛び、物資が入った木箱も見当たらなかった。討伐隊からの支援物資だったので大した損害にはならないが、それでも貴重な物資をなくしたことは痛手に変わりなかった。


 地割れに巻き込まれることなく最後まで奮戦ふんせんしていたと思われる傭兵の集団は、爆撃機から投下された爆弾の衝撃波で死んでいた。彼らの多くは爆発の衝撃で発生した爆風によって、周囲の瓦礫がれきや構造物に身体からだごと叩きつけられ死んでいた。


 パワードスーツを装着していた人間は飛んできた巨石につぶされていて、ヴィードルの陰に隠れて爆風から逃れようとしていた者たちは、ヴィードルと共に吹き飛び、身体からだを挟まれ、あるいは切断されて絶命していた。


 私は彼らの死に対して、なにかしらの責任を負うべきなのかもしれない。しかし爆弾が投下されなくとも、彼らはいずれ変異体のシロアリにい殺されていたのかもしれない。タラレバの話をしてもしょうがないし、言い訳に聞こえるかもしれないが、私は彼らに対して手を合わせただけで何も持ち帰るつもりはなかった。


 彼らの怒りや怨念おんねんといったモノは、すべてこの荒廃こうはいした大地に置いていく。傭兵たちは死ぬ覚悟を持って討伐隊に参加したのだから。


 荒廃した大地を駆けて、高層建築群が並ぶ廃墟の街に入った。廃墟の街を少し進むと、討伐隊の後方に待機して戦闘支援を行っていた医療班や、補給を担当していた商人たちの死体を見つけた。


 彼らは地震によって生じた地割れに巻き込まれずに、なんとか生き延びることができた数少ない者たちだったが、建物から溢れ出てきた人擬きの大群に殺されていた。


 変異して間もない人擬きの姿も確認できた。それらの人擬きの身体からだには大きな傷があったが、肌が青白いだけで、人間だったころの面影が残っていた。人擬きの襲撃を生き延びたが、傷口から感染して変異した者たちの成れの果てだ。変異が進み、あっという間に生きたしかばねに変わっていた。


 我々は移動のさまたげになる人擬きだけを確実に殺していった。人擬きになった人間の多くが、廃墟の街を永遠に彷徨さまよい続けることになる。そしてそれが人擬きになるということで、感染した者たちが逃れることのできない運命うんめいだった。


 〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を確認しながら、人擬きが多く徘徊している地区を避けて新たな進路を設定した。廃墟の街は刻々と変わり続けていた。シロアリの出現や、爆撃機による爆弾の投下、果ては〈深淵の母〉と呼ばれる巨大生物の出現。


 街は人擬きに溢れていて、混乱は当分のあいだ続くと思われた。それに、略奪者たちが身を潜めていることも気がかりだった。


 建物の非常階段を駆け上がって屋上に出る。廃墟の通りに視線を向けると、荒廃した大地につくられた巨大なクレーターとキノコ雲が残した砂煙を眺めた。今も地底の穴から戦闘音が聞こえてきていた。〈サスカッチ〉のビーム兵器から聞こえる発射音や爆発音、それに地響きだ。


 地の底から聞こえてくる不気味な音に、私の身体からだは恐怖で強張こわばる。地の底でうごめくものたちが何であるにせよ、それは人間がどうにかできるものではない。


 曇り空に視線を向けると、中空に浮かぶせい多面体ためんたいの巨大な構造物こうぞうぶつが見えた。

 宙に浮く構造物こうぞうぶつは変わることなく川の水を吸い上げていて、上空に厚い雲を吐き出していた。その雲は爆弾の衝撃で消えてなくなっていた雲に代り、空を覆い尽くそうとしていた。やがて厚い雲は廃墟の街に雨を降らせるだろう。


『レイ、ウェンディゴの反応がするよ』

 カグヤの言葉に反応して、カラスから受信している映像を確認する。倒壊した建物に埋まった航空機の残骸ざんがいを踏み越えながら、ウェンディゴが廃墟の街を進んでくるのが見えた。


「本当だ。迎えに来てくれたのか?」

『そうかもね。早く合流しよう』


 ハクと共に建物を飛び降りると、道路の端に転がるしゃれこうべを横目に見ながらウェンディゴに接近する。


 放置された車両を踏み潰しながら進んでいたウェンディゴが止まると、搭乗員用のハッチが開いてミスズが飛び出してきた。


 彼女はそのまま私に向かって飛びついてきた。彼女の勢いと体重を受けて、私は思わず尻餅しりもちをついてしまう。それでもミスズは私を抱きしめる力を緩めず、ぎゅっと背中に回す手に力を込めた。


 私はミスズのことを優しく抱きしめると言った。

「ミスズ、大丈夫だ。落ち着け」


「本当にもうダメなのかと思いました」

 ミスズの震える声が聞こえた。


「信じてくれていなかったのか」

「信じていました……だけど、信じていてもどうにもならないことがあります」

「……そうだな」


 搭乗員用ハッチからひょっこりと顔を出したジュリに手をあげると、彼女も笑顔を見せてくれた。


 ミスズは私の胸に顔を埋めたまま言う。

「もう私を置いて行かないでください。私から離れないでください」


 彼女の言葉に私は思わず苦笑する。

「……どうだろう、それは難しいかもしれない」

「見つけたんです」


「なにを?」

「私のたったひとつの光、希望です」


 ミスズは顔を上げて琥珀こはく色の瞳を私に向けた。涙ぐんでいたが、ミスズは涙を流していなかった。その眼からは確かな意思の強さが感じ取れた。私は何かを言おうとしたけれど、胸が詰まって言葉が上手うまく出てこなかった。


「……そうか」

 ミスズは綺麗な黒髪を揺らした。


「私の光と希望は、レイとカグヤさんと共にあります。私は二人を失いたくないのです」だから、とミスズは言う。「もう置いて行かないでください」


『約束する』と、カグヤが言う。『私たちは、どんなときでもずっと一緒だよ』

 安堵感からか、ミスズの瞳から涙がこぼれた。

 私はミスズを見ながら、思わず笑みを浮かべた。


「言ったでしょ、ミスズ。レイは必ず帰って来るって」

 ユウナはそう言うとミスズを抱きしめて、それから彼女をウェンディゴに連れていった。そのさい、私に視線を向けて、何度か瞬きをしていた。ウィンクのつもりなのだろう。


「行くぞ、レイ」と、ヤンが私に手を差し出した。

 私はヤンの手を取ると、立ち上がった。


「助かるよ、ヤン」

「気にするな」彼は笑顔を見せた。


「行こう、ハク」

『ん』ハクはウェンディゴの屋根に飛び乗った。


 ハッチが閉まると、私は車体後部の座席にドカリと座った。ひどく疲れていたというのもあるが、緊張の連続で精神的にもまいっていた。

『おかえりなさい、レイラさま』と、ウミの凛とした声が聞こえた。

「ああ、ただいま」


 ウェンディゴが動き出してしばらくして、向かいのシートに座っていたイーサンが言う。

「それで、シロアリの状況はどうなってる?」


 気を取り直すとカグヤに頼んで、カラスに撮影してもらっていた映像を座席の間に投影していたホログラムディスプレイに表示させた。それから映像を見ながら、あそこで何が起きたのかを皆に説明した。


 旧文明の〈遺物〉でもあるハンドガンによる破壊を見ると、ヤンとリーはひどく驚いていたが、ウミが投下させた爆弾の威力を目にして口をつぐんだ。さすがのイーサンもウェンディゴの能力を完全に把握していなかったのか、爆弾の凄まじさに言葉をなくしていた。


 〈守護者〉や機械人形が登場すると、彼らは固唾かたずを呑んで戦闘の行方を見守った。

 私はエレノアからコーヒーが入った紙コップを受け取り感謝すると、彼らに映像の続きを見せるか悩んだ。けれど共に戦った仲間には知る権利があると思い、映像のすべてを見せることにした。彼らがその衝撃をどう受け止めるのかは、彼らに任せることにしたのだ。


 〈深淵の母〉を見て、皆はしばらく黙り込んでいた。

「こいつはダメだな」イーサンが言う。


「そうだね」シンも同意した。

「まるで神話に登場する生物だ。こんなものが地の底にいると人々が知れば、パニックを引き起こしかねない」


「たしかに」リーもうなずく。

「映像を議会に提出するさいには、編集したほうがいい」


「議会?」とユウナが首をかしげる。

「忘れたの、ユウナ?」


 ユイナは妹を見て溜息をついた。

「私たちは鳥籠や組合が組織した討伐隊として派遣されてきたのよ。議会にこの場所で何が起きたのか、報告する義務があるの」


「でも、討伐隊はみんな死んじゃったよ」

「なら尚更、議会に見せなければいけない。私たちが逃げださなかったことの証明になるんだから」


 リーはユイナの言葉にうなずいて、それから言った。

「レイの武器についても同じだ。それは秘密にしたほうがいい。ハンドガンやウェンディゴは争いの火種になる。これは断言できる」


「そうだな」イーサンも言った。

「レイ、ちゃちゃっと編集してくれないか。できるんだろ」


「できるよ、どの部分を使うんだ?」

「最初の地震からだ。あの爆発はどうもあやしい。それと最後の〈守護者〉たちとシロアリの戦闘の映像だ。あれを見せれば、当分は誰もこの地に足を踏み入れないだろう」


「爆発か」壁に寄りかかっていたヤンが言う。

「たしかにあの威力だ。討伐隊とうばつたいが仕掛けた爆弾にしては、威力があり過ぎる」


「僕もあの地震は意図的に引き起こされたモノだと思っている」

 シンの言葉にイーサンは意味ありげにうなずく。


「〈不死の導き手〉の死体も地下で見つかっている。連中の関与を本格的に疑って調査したほうがいいのかもしれないな」


「あっ」と、私は思わず声を出す。

「どうしたの、レイ」エレノアがすみれ色の瞳を私に向けた。


「カインが言っていたんだ」

「カイン?」彼女のくすんだ金髪がふわりと揺れた。

「〈守護者〉のひとりだ。彼が言うには、例の覚醒剤かくせいざいが関係しているみたいだ」


「シロアリの巣穴で見つけた信者の死体の周りにも、覚醒剤の粉があったな」

 イーサンの言葉で思い出したのか、ヤンも気になっていたことを口にする。


「そう言えば、ジャンクタウンの森で商人がシロアリの襲撃にあったさいにも、大量の覚醒剤を所持したレイダーギャングの死体を見つけた」


「そいつらはどうした?」

「焼いちまったよ、覚醒剤もろとも」


「覚醒剤には、シロアリたちを興奮させる作用のある物質が含まれていたのかもしれないな……」イーサンはそう言うと、何かを考えて黙り込んでしまう。


「難しい話はさ、また今度にしようよ」退屈たいくつしていたジュリが言う。

「それよりさ、これからどうするの?」


 私はジュリを見て、それからミスズを見た。

 彼女はコクリと首をかしげた。


「そんなに難しい話でもないんだけどな」ヤンが言う。

「でもまぁ、たしかに疲れる話だ。レイの拠点にでも招待してくれよ。そこで続きを話し合おう」


「そうだな」

「ダメ!」ユウナが言う。

「レイはミスズと一緒に〈ゆりかご〉に来てくれるんじゃないの?」


「いや、それは聞いてないけど」

「でも、ミスズは来るって言ってたよ!」

「えっ、私ですか!?」ミスズは困ったような表情を見せる。


 ミスズとユウナがじゃれあっているのを眺めていると、カグヤの声が聞こえた。

『レイは間違っていなかったね』


「うん?」

『どこに行ってもよそ者だった私たちが、やっと見つけた居場所なのかも』


 私はユウナと一緒になって花のように笑うミスズを見た。ジュリはまた何かを仕出かして、ユイナに叱られていた。シンはハクが怖いのか、時折ときおり、車内から透けて見えるハクにちらりと視線を向けていたし、ウミは進行方向に出現した人擬きを、ウェンディゴの脚で潰そうと躍起やっきになっていた。


 そしてイーサンのとなりには、いつ見ても綺麗なエレノアが立っていて、ヤンとリーを交えて、何かを相談していたイーサンに優しい視線を向けていた。


「そうだな」と、私はうなずく。

「ここは俺たちがやっと見つけた居場所だ」

『うん』


 私はそっとまぶたを閉じた。

 仲間たちと相談しなければいけないことは沢山たくさんあった。問題も多く残されていた、けれど今は休みたかった。ひどく疲れていたのか、深く沈み込むように意識を手放していった。


 周囲は暗く、闇がどこまでも続いているように見えた。けれど以前まで感じていた冷たさはなく、ほんのりと暖かい場所になっていた。


 しかし振り返ると、私の背後には底なしの闇が広がっていた。けれど私はその闇を恐れることがなかった。前を向くと光に向かって歩き出した。

 闇に囚われないように、一歩ずつ前へ。

 光の中に、もう一歩。





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 いつもお読みいただきありがとうございます。

 これにて第二部は終わりです。

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 執筆の参考と励みになります。

 それでは、引き続き第三部を楽しんでください。


 ハクが活躍する〈ポストアポカリプスな日常〉も投稿しています。

 よかったら読んでみてください。

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