第54話 ウェンディゴ re


 人工知能のコアを接続するための半透明な装置の内部に光の筋がいくつもあらわれて、先端にめ込まれた〈ウミ〉のコアに向かって収束するのが見えた。無数の光の筋が球体状のコアに触れると、わずかな抵抗があって、それからまるで薄膜を突き破るように光がコアの内部に流れ込んでいく。輝きを増すコアの内部で何かが動くのが見えると、濃い赤色だったコアが瑠璃るり色に変化していく。


『接続が完了しました』と、コクピット内に設置されたスピーカーから、ウミの響きのいい凛とした声が聞こえた。それは拠点の地下で何度か耳にしていた女性の声だった。

「それで……どんな感じだ?」

『なにもかも鮮明になりました。音も視覚も、そして匂いさえも望めば感じられるようになりました』


 人工知能のコアが抜き取られた〈家政婦ドロイド〉は、乗員室に立ったまま動きを止めていた。頭部にあるディスプレイに表示されていたアニメ調にデフォルメされた女性の顔は、今はもう表示されていなかった。


『レイラさま、〈ウェンディゴ〉の完全な操作権限を手に入れるため、コアシステムに接続する許可をお願いします』

「ウェンディゴってなんだ?」

 ウミの言葉に私は首をかしげる。


 疑問ぎもんに答えてくれたのはカグヤだった。

『この車両の名前だよ。ちょっと待ってね。……えっと、ひどい妄想もうそうにとり憑かれて人肉が食べたくなる精神せいしん疾患しっかんの名称で、人を襲う魔物の名前としても使われていた。けど本来は、ネイティブアメリカンに伝わる〈冬の精霊〉の呼び名だね』

「冬の精霊か……カグヤ、ウミに接続許可を与えてくれるか」

『了解』


 かすかな振動が感じられたあと、ヴィードルの動力源が完全に起動したことが分かった。車内が明るくなると床とフレームの一部を除いて、まるで素通しのガラスを通して外の景色が見えているように、壁が半透明になって外の様子を映し出される。窓に相当するモノがなかった理由が分かった。


 コクピットルームに搭載されていた〈全天周囲モニター〉にも、車体を中心とした映像が表示されていた。高さがある所為せいなのか、操縦席に座っていると、まるで空中に浮いているような錯覚さっかくがした。


 ヴィードルは元々、建設現場や森林作業などの足場が悪い難所で運用するために設計された車両だった。そのため、多関節の脚は左右合わせて六本ついていた。我々が所有する軍用規格のヴィードルは、それに加えて車体前方に二本の短いマニピュレーターアームが取り付けられている。


 しかし〈ウェンディゴ〉は戦闘を想定して造られた車両だからなのか、他のヴィードルと異なり、複合装甲に保護された人工筋肉の脚が四本ついているだけだった。

 車両の操作権限を手に入れたウミは、その脚の感触を試すようにゆっくりと動かしていた。動きはスムーズで、まともな整備も受けずに崩壊した世界を放浪ほうろうしていた車両だとは思えなかった。


「カグヤ、車両の整備はどうなっているんだ?」

『それに関してはあまり心配しなくても大丈夫みたいだよ。複合装甲が損傷しても、ハンドガンの弾薬を補充する要領で、旧文明の特殊な〈鋼材〉を装甲に取り込むことで補修できるみたい。多脚の〈人工筋肉〉も同様で、〈鋼材〉に加えて大量の水があれば、大掛おおがかりな整備をする必要はない』


「おそろしい技術ですね……」と、ミスズが素直な感想を口にする。

『でもね、もっとすごい情報があるんだよ』カグヤは勿体もったいぶる。


 動き出したウェンディゴが気になったのか、白蜘蛛のハクが車両の屋根に飛び乗ってきた。車内の透けた壁から見えるハクの足の付け根は、白いフサフサの体毛に覆われていて、蜘蛛くもや昆虫特有のグロテスクな感じは一切しなかった。


 そのハクが長い脚でトントンと車体を叩くと、装甲の表面に青い薄膜の波が広がるのが見えた。この現象はシールド生成装置が取り付けられたヴィードルでも確認できたモノだ。ハクはシールドの膜をじっと見つめていたが、すぐに興味を失ったのか、そのまま近くの建物に向かって跳躍ちょうやくする。


「カグヤ、そのすごい情報とやらを教えてくれ」

『まだ詳細については分かってないけど、旧文明期の〈爆撃機〉とシステムがリンクしてるみたい』

「飛行機ですか!?」と、ミスズは目を輝かせた。

『うん。ざっと確認した感じだと条件はあるけど、座標を指定してあげれば地上に対する爆撃を実行してくれるみたい』


 私は腕を組んだまましばらく考えて、それから言った。

「その爆撃機に乗ることは出来できないのか?」

『できないよ』と、カグヤはきっぱりと答える。『指示が出せる爆撃機は無人機で、そもそも人が乗れるように造られていないんだ。それに乗れたとしても、大型機体を着陸できる場所が存在しない』


 モニターの映し出される廃墟の街にちらりと視線を向けた。乱雑らんざつと建てられた建造物に、何処どこまでも広がる瓦礫がれきの山と雑木林、たしかに航空機が着陸できそうな場所はなかった。


「整備された基地がないとダメか……ところで、その爆撃機は何処どこから飛んでくるんだ?」

『詳しい情報については、あとでウミと調べるつもりだよ』

 たかぶった感情に冷や水を浴びせられた気分だったが仕方ない。旧文明の情報は厳重に管理されていて、特定の権限を持っていなければ情報は得られないのだから。


「あの……えっと、コンテナはどうなっているのでしょうか?」

 ミスズはそう言うと、車体後部のハッチに視線を向けた。

『これから後部ハッチを開放します。外から確認してください』

 ウミの言葉のあと、ウェンディゴは脚の関節を器用に動かして、高い位置にあった車体を地面スレスレまで下げた。我々はヴィードルを降りると車両の後方に向かい、黒いコンテナを眺めた。


 光を吸収し反射しない不思議な装甲を持つコンテナは、時折ときおり、生きているかのように脈動して波打っていた。それはかすかな動きで、目をこらさなければ確認できないモノだったが、〈シン〉があやつる旧文明の〈遺物〉にも、同様のモノがあることを知っていた。


『後部ハッチが開きます。離れていてください』

 ウミの声が内耳に聞こえると、ハッチが前方に倒れるようにして開いて足場に変わる。コンテナ内は不自然に暗く、内部が見えないようになっていた。近寄って確認すると、光を通さないもやのようなモノが立ち込めているのが分かった。


「これは?」と、私は誰にともなくたずねた。

『重力場を利用して創りだされた空間の歪みです』

 ウミの言葉を聞いて、私はすぐに後退あとずさる。

『特別に調整、制御されているモノなので人体に害はありませんよ』

「調整って、そもそもこれはなんのために使用されているんだ」

『コンテナ内に入って確認したほうが、より理解できるかと思います』


 私は戸惑っていたが、ハカセは普通に得体の知れないもやを通ってコンテナ内に入っていった。

「大丈夫だよな、カグヤ?」

『旧文明期に使用されていた技術だから、危険性はないと思うよ』 


 決心すると、もやのなかに入っていった。またたきのあと、私は真っ白な空間に立っていた。視線の先にはハカセが立っていて、興味深く周囲に目を向けていた。振り返ると、さきほどのもやが広がっていた。コンテナ内に広がる空間と比べれば、もやが立ち込めている範囲は狭く、コンテナの入り口とほぼ同じだと感じられた。


 するとハクにかかえられるようにして、ミスズがコンテナに入って来た。驚愕するミスズを横目に、私も周囲の観察を行う。


 その真っ白な空間は、バスケットコート二面分ほどの広さがあって、コンテナの中にいるとは思えないほど広い空間が確保されていた。しかし空間全体が真っ白で、壁との境目も曖昧だったため、実際にどのくらいの広さがあるのかは分からなかった。


 ウミの話では〈空間拡張〉という旧文明の技術が可能にしたことで、異空間に飛ばされたわけではないらしい。特殊な装置で発生させた空間のゆがみを利用して、コンテナ内の広さが確保されているとか何とかで、私には全く原理が理解できなかった。


 その空間には、小型のヴィードルにも似た車両が四機並べられていて、その奥にコンテナボックスが積み重なるように無雑作に置かれていた。


 小型の車両は媚茶色の迷彩柄で、大型バイクよりも一回り小さな機体だった。小型のヴィードルにも見えたが、脚は四本で車体の中央にある球体型のコクピットのかわりに、円盤えんばん型の白い装置が取り付けられていた。その周りには小型の発煙弾発射機が設置されていて、専用のスモークグレネードが取り付けられていた。


『回転式のレーダー装置だね。あの円盤型の装置は、アンテナを保護する〈レドーム〉みたいなモノだよ』

「この機体は偵察ドローンの一種で合っているか?」

『うん。〈車両型偵察ドローン〉で間違いないよ。軍用規格の装備品で、〈ワヒーラ〉って呼ばれていたみたい。ネイティブアメリカンに伝わる未確認生物の名前で、オオカミに似た邪悪なけもののことだね』


 ハクは退屈したのか、ミスズを抱いたままコンテナから出ていった。ハカセもコンテナよりもハクの住処すみかに興味があるのか、コンテナから出ていった。

 ひとり残った私は、その場にしゃがみ込むと車両を眺める。ドローンの脚の間にバックパックがあって、整備用の工具と予備のグレネードが収められていた。反対側に取り付けられたバックパックには、レーザーライフル用だと思われる〈超小型核融合電池〉がいくつか入っていた。


 レーザーライフルはジャンクタウンにある〈軍の販売所〉でも買えるが、高価なモノなので私は所持していなかった。それに、レーザーライフルは高価な割に、実弾系の装備と火力に差がないので興味がなかったが、静穏性せいおんせいに優れていて扱いやすいモノなので、ミスズのために購入してもいいのかもしれない。


 ワヒーラの多脚を保護する装甲の先には、鉄杭のようなモノが装着されていた。それを地面に打ち込むことで、地中の動きも確認できる動体センサーとして使用できるらしい。

『ちなみに、対機械人形用の強力なハッキング機能もあるみたいだよ』と、カグヤは言う。

いたれりくせりだな。ワヒーラの遠隔操作は可能なのか?」


『ウェンディゴの権限を手に入れた瞬間から、レイが所有者として登録された。だから問題なく操作できるよ。でもウェンディゴと違って整備が大変だよ。拠点の地下にある整備室を利用できるまでは、無茶な運用はひかえたほうがいい』


「拠点の整備室か……。警備に関する管理権限が手に入っても、結局開かなかった隔壁かくへきの先にある部屋だよな? ハカセが何か知らないか聞いてみるか……」

『それから、整備にはドローンの設計図も必要になりそうだから、軍関係の企業や基地も探索しなければいけないかも』

「それは大変そうだな……」

『でもそれだけの価値がこの〈遺物〉にはあると思う』

「たしかに」


 今度は部屋の奥に積まれていたコンテナボックスを確認しに向かう。

 箱の中身は種類別に用意された大量の弾薬だった。その他にも軍の販売所で買える戦闘服や、ガスマスク、それに汚染対策が施された防護服もあった。

「色々あるんだな」

『あまり嬉しくなさそうだね』


「廃墟の街でジャンク品を拾って、なんとかいつないでいたころだったら、飛び上がって喜んでいたと思う。でもすごいモノを色々と見てきたからな……」

『そうだね。〈ウェンディゴ〉に〈ワヒーラ〉、どっちも貴重な〈遺物〉だね』


「ミスズじゃないけど、物事が上手く行き過ぎていて時々ときどき怖くなる」

『幸せのあとに不幸がやってくるってやつ?』

「そうだ」

『大丈夫だよ。不幸なんか寄せ付けない力が私たちにはある』

「力か……俺たちには何が?」

『希望だよ』


 カグヤの直線的で純粋な思いは、なんだか恥ずかしいような気もしたが、カグヤの言うことは間違っていないとも思った。よりい選択を常にすればいいだけのことなのだ。諦めなければ、負けることも奪われることもないのだから。


『レイラさま、よろしいですか?』と、ウミのキリっとした声が聞こえた。

「どうしたんだ?」

『このままだと拠点に入ることができません』

「うん?」

 一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。


 得体の知れないもやを通って〈空間拡張〉の外に出る。コンテナのハッチは閉じられていたが、壁が透けるようにして外の様子が見えるようになっていた。いつの間にかウェンディゴは糸が張られ迷路のようなハクの巣を移動して、拠点のすぐ近くまで来ていた。


 コンテナハッチが開くと、私は外に出て、それからウミにたずねた。

「拠点敷地内にヴィードルを入れようとしたのか?」

『はい。ですが入場ゲートが狭くて通れませんでした』

「大型ヴィードルが手に入るとは思っていなかったからな……」

『この場に停車してもよろしいでしょうか?』

「そうだな。屋根がないのは気になるが。今までだって平気だったんだ。雨風くらいでヴィードルがダメになるってことはないだろ」


「不死の子よ」と、拠点に戻っていた博士が言う。「よろしければ、私が簡単な車庫を建てましょうか?」

「ハカセは日曜大工が得意だったのか?」

 彼は私の言葉にクスクスと笑う。

「それほど立派なものは建てられませんが」


「拠点に設置されている〈建設機械〉も、敷地の外は建設範囲外で何も建てられないんだ……だからハカセがやってくれるのはすごく助かるよ」

『そうだね。材料は私たちが用意するよ』と、カグヤも同意した。

 ハカセは嬉しそうにうなずいた。

 相変わらず表情は分からないけど、嬉しそうに見えた。


「あの」と、ハクから解放されたミスズが言った。「ハカセは〈人造人間〉が人類を守るために創造されたと、そう話していました。他の〈守護者〉との違いは何でしょうか? えっと、たとえば〈アメ〉や〈カイン〉さんとの違いは?」


 ハカセは髪が乱れたミスズをしばらく見つめたあと、口を開いた。

「簡単に言えば、初期型とそれ以降の違いです。新たな種として誕生した初期型と違い、それ以降に誕生した人造人間は戦闘行動を主目的として創造されました」

「戦闘行動ですか……?」

「はい」

 言葉の続きを待ったが、ハカセはそれ以上のことは言わなかった。


『気になっていたんだけど。ハカセは文明崩壊のキッカケになった終末戦争からの生き残りだよね?』

 カグヤの言葉に私はうなずく

「たぶんな」


 私はハカセの青色に発光する瞳を見つめた。ハカセがその目で何を見てきたのかは気になる。けれどハカセとの関係を壊してまで、無理に聞き出す必要もないと考えていた。ハカセはいずれ話すと言ったのだ、ならば待つしかない。


『おうち、ハク、つくる』

 白蜘蛛は私たちの側にやって来ると、防壁の周囲に糸を吐き出し始めた。

「なんと素晴らしい」と、ハカセはハクの行動を喜んでいた。「ハクさまの〝かまくら〟を骨組みにして、車庫を建てましょう」

 ハカセの目からも、ハクの寝床はかまくらに見えていたらしい。


 意気込むハカセを横目に、私は張り巡らされていく糸を眺めて、それから視線を動かす。

「カグヤ、あれってウミだよな?」

 ウェンディゴから降りてくる〈家政婦ドロイド〉の姿が見えた。

『うん、そうだね。でもどういうこと?』


 家政婦ドロイドはゆっくりと我々のもとにやって来る。

 頭部のディスプレイには、アニメ調にデフォルメされた女性の顔が映っていた。人工知能のコアを取り外した機械人形が動いていることに驚いていると、ウミからテキストメッセージが届いた。


〈私の本体はウェンディゴに接続されたままですよ〉

「なら遠隔操作か?」

 家政婦ドロイドは身体からだを斜めに傾けてうなずいた。

〈意識を転送しました〉

「ウミは同時に複数の意識が持てるのか?」


〈可能です。けれど私は意識を分けることはしません〉

「何か問題があるのか?」

〈混沌が産まれます〉

「混乱するってことか?」

 ウミは私のことをじっと見つめたあと、うなずいてみせた。


「そっか。それなら、とりあえず今日はもう帰るか」

 糸が張り巡らされた廃墟の間に視線を向けると、あかね色に染まる空が見えた。

「そうですね」と、ミスズがうなずいた。「ハカセはどうしますか?」

「私はハクさまと地上に残ります」

「そうですか」

 それから彼女は視線を動かしてハクのことを探した。


 入場ゲートを通って拠点の敷地内に入ると、私は振り返って家政婦ドロイドに冗談半分に言った。

「遅いぞ、ウミ。その調子じゃ地下に向かうエレベーターに着いたころには、婆さんになっているぞ」

 ビープ音がして、ディスプレイに映る女性が不機嫌になる。

 ウミの態度に思わず苦笑する。


「真面目な態度のウミより、小言を言うウミのほうがずっとウミらしいぞ」

 低いビープ音が聞こえた。

 ふと家政婦ドロイドの背に見える廃墟の街に視線を向けた。沈み行く茜色の太陽に目を細めながら、悪くないな、と私は思った。

 困難は常に付きまとうものだ。日常を奪われないようにしたければ、戦い続ければいい。それは今までもやってきたことだ。何も変わりはしない。

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