第51話 四十九万時間前 re


 武装集団との戦闘のあと、我々は蜘蛛くもの糸が張り巡らされた拠点の周辺にある廃墟を確認して回った。

 敵対していた傭兵たちの姿を探したが、残党ざんとうの存在は確認できなかった。全員を蜘蛛の巣に誘い込めたとは考えていないが、彼らの戦力を大幅に削れたことは間違いなかった。生き残った者も、いずれ廃墟の街に潜む人擬きにい殺されるだろう。


 最初の襲撃地点に戻ると〈カラス型偵察ドローン〉を使って、周囲の索敵を行い、安全を確保しながら傭兵たちの装備を回収していった。彼らが使用していた銃器は整備がされたモノで、状態はかった。小銃の型式も新しいモノで、ジャンクタウンで売ればそれなりの報酬が期待できるモノだった。


 彼らのバックパックもまとめて回収する。携帯情報端末やIDカードも回収した。作業用パワードスーツは改造され武装がほどこされていた。装備していた人間の血で汚れていたが、大事に使っていたのか、フレームの状態はかった。拠点に持って帰りたいけど、問題は大きなフレームを運ぶための足がないことだった。


 周囲の廃墟の中から比較的高い建物を選んで、ヴィードルを使って屋上に回収した物資を運び込んだ。こうして隠しておけば、誰かに横取りにされる心配もないだろう。

 パワードスーツのフレームを建物屋上に運び込むのは大変だったが、なんとか引き上げた。バックパックの中身は、ほとんどが携帯糧食に弾薬だった。食糧品は売って、状態がいい弾薬は売らないで使うことにした。


「レイラ、あの……これは」

 情報端末を確認していたミスズが、困った表情を浮かべて私に端末を差し出した。その端末のディスプレイには裸の女性が映っていた。端末に残るデータを確認すると、ほとんどが綺麗な女性の卑猥ひわいな動画や画像データだった。恐らく旧時代の人工知能が創り出した実在しない〈デジタルヒューマン〉のモデルを使ったモノだろう。


 それが確認できると、安心してホッと息をついた。あの傭兵たちがさらった人間を陵辱りょうじょくしたような胸糞悪いデータなら、たとえ売り物になろうとも処分するつもりだったからだ。

「これは高く売れるから捨てないでくれ」と、端末をミスズに返した。

「はぁ」と、ミスズは気のない返事をしながらも、ちゃんと端末をバックパックに入れた。


 基本的に娯楽の少ない世界だ。生活に余裕がある人間なら値段が高くても買うはずだ。もっとも、そういう人間はデータベースのライブラリーにあるポルノやら何やらを簡単に入手できるので、買い手になるのはIDすら持たない人間になるだろう。


 我々は複数あるバックパックの中身を検めたあと、売れるモノと売れないモノとを分けながら、適当なバックに詰め込んでいった。売れないモノは、たとえば空のペットボトルや、汚れた衣類だ。そういうモノは拠点の〈リサイクルボックス〉に入れて、素材を回収するために使う予定だった。


 ひと段落すると、私は持参していた〈国民栄養食〉を食べながらカグヤにたずねた。

「奴らのIDカードから、身分を示すような情報は手に入ったか?」

『うん、手に入れたよ。どうやら連中は県外から来たみたいだね』

「神奈川県の外からってこと?」

『そう。彼らが所属していた組合があるのは県外にある鳥籠だった。ちなみに、その鳥籠はもう存在しないかもしれない』


「どうして分かるんだ?」と、水筒の水を飲みながらたずねた。

『鳥籠から固有の電波が発信されていないからだよ。どんな鳥籠でも電波を発している。交互に通信ができる鳥籠もあれば、救援要請を何十年も垂れ流している鳥籠もある。でも鳥籠が健在なら分かるんだ。たとえ施設に人がいなくてもね』

「つまり、彼らの鳥籠はもう存在しないのか」

『うん。だから略奪りゃくだつを繰り返しながら、放浪の旅を続けていたのかも』


「略奪ですか?」と、ミスズが首をかしげた。

 私はIDカードが詰まった袋をミスズに見せた。

「この袋に入っているIDカードは、全て違う鳥籠の人間のモノだ」

「それは彼らの持ち物ではないのですか?」

「違う」と、私は頭を振った。「電子貨幣は全て引き出されているし、IDカードの本当の持ち主はほとんどが子どもや女性だった」


 金を目的に殺して奪ったモノなのだろう。子どもや女性は奴隷商人に売られているのかもしれない。いずれにしろ、無法者の傭兵集団にできることはもう残っていない。蜘蛛の腹に収まって、消化されるのを待つ以外に。


「そろそろ行こう」

 ミスズはうなずくと、荷物の中にあったビニールシートを荷物の上に広げて、それからヴィードルに乗り込んだ。雨や日の光をさえぎる場所に荷物は隠していたが、いつ回収するために戻れるのか分からないので、シートで覆って保護した。


 ミスズが操縦するヴィードルは、順調に廃墟の街を進んでいく。

 私は後部座席のコンソールを使って、動体センサーを起動して周囲の索敵さくてきを行う。目的の建物は、高層建築群の一角にある高い建物だ。そこには我々が〈ハカセ〉と呼んでいる〈守護者〉がいて、大型の望遠鏡ぼうえんきょうを使って蜘蛛の観察をしているはずだ。


「ミスズ、この先にはハチの変異体の巣がある。迂回しよう」

「了解、進路を変更します」


 ヴィードルは建物壁面から飛び降りると、脚の先に重力場を発生させて着地の衝撃を相殺して進む。爆撃によってつくられたクレーター群に広がる湿地しっちを右手に見ながら走ると、高層建築群が近づいてきた。建物の壁面に残された色とりどりの落書きを眺めていると、ミスズはヴィードルの脚の先に重力場を発生させて建物に取り付く。


 建物の屋上に登ると、そこにいるはずの〈ハカセ〉の姿を探したが見当たらなかった。建物屋上で最初に目につくのが大型の望遠鏡だ。少し視線を動かすと草臥くたびれたヘリポートがあり、そのすぐ側には、情報端末や電子機器が乱雑に載せられたテーブルがあった。そのテーブルの近くには、ハカセのモノだと思われる杖にも似た旧文明の兵器が立てかけられていた。


「ハカセはいないのでしょうか?」

 不安そうな表情を見せたミスズに向かって肩をすくめると、コクピットから飛び降りた。そしてミスズが降りるのを手伝ったあと、二人で屋上の探索を行うことにした。


『ハカセ、今日はいないの?』

 カグヤが呼びかけて、しばらくするとハカセの声が聞こえた。

「〈不死の子〉よ、私はここです」

 望遠鏡の裏手に回ると、台座のメンテナンスパネルが取り外されていて、その中からハカセの金属で造られた骨格が見えていた。


「いやぁ、参った」と、ハカセは袖でひたいに付着したオイルを拭きながら言った。

 ハカセは修道士が身につけるような黒いローブをまとっていて、長年使用しているのか、そのローブは所々穴が開き、裾は裂けていた。臭いは気にならなかった。人と違って守護者には皮膚がなく、皮脂汚れもなければ汗も掻かないからだ。


「あんな場所でなにをしていたんだ?」

 ハカセはニッコリと笑った。〈守護者〉は皮膚を持たないので、正確に言えばハカセが笑ったのかは分からなかった。けれどたしかに笑ったような気がした。

「望遠鏡の調子が悪かったので、修理するために確認していたのです。少しばかり酷使したようです」


「ひどい環境だから仕方ないさ」と、私は周囲に視線を向けながら言った。

 屋上の隅に取り付けられた望遠鏡を覆うものはなく、日の光と雨にさらされ続けたのだろう。以前は気にならなかったが、望遠鏡は旧文明期のモノには見えなかった。ガラクタを寄せ集めて造られていて、複雑な形をしていた。ハカセの自作なのだろうか?


「どうしたものか」とハカセは途方に暮れていた。

「あの……レイラ」

 ミスズの顔を見て、私は本来の目的を思い出した。

「ハカセにたずねたいことがあるんだ?」


 ハカセはテーブルの側に置かれた古びた木製のイスに座ると、ワザとらしく項垂うなだれてみせた。望遠鏡のことで落ち込んでいるのだろう。

「構わないですよ。今の私にできることはなにもないのですから……」

「深淵の娘たちに――」


「深淵の娘!」と、ハカセは声をあげながら、勢いよくイスから立ち上がった。

 蜘蛛を観察するのが好きな〈ハカセ〉なのだから、そんな反応も期待していた。でもまさか本当にそのリアクションを取るとは思っていなかった。ミスズと私は〈守護者〉の反応に思わず苦笑した。


「深淵の娘たちを見かけたのですか?」

 ハカセは真面目な態度で取りつくろう。

『戦闘になったんだ。危うく殺されそうになった』と、カグヤが言う。

「ふむ、場所を教えてもらっても?」

 カグヤは白い蜘蛛との遭遇についてハカセに教えてあげた。


『で、そのときはなんとか撃退できたんだ』

 ハカセは腕を組んで、なにかを考えていた。

「〈重力子弾〉によって崩壊した建物が巣だった可能性がありますね。彼女は巣を失い怒っていた。しかし気になるのは、どうして単独で〈不死の子〉を襲撃したのかです。深淵の娘たちは集団で狩りをするものです。周囲に潜んでいたはずの姉妹たちは、どうして見ているだけで、彼女を助けようとしなかったのでしょうか?」


『そうじゃないんだよ、ハカセ。他の蜘蛛はそのへんの廃墟で見かける変異体だったんだ。深淵の娘はその個体だけだったんだ』

「あり得ない」と、ハカセは頭を振る。「体長から考慮しても、産まれて数年しか経っていない個体のはずです。彼女たちの習性から見ても、単独で行動するとはとても思えない」


「……あの、えっと」と、ミスズが遠慮えんりょがちに言った。「その蜘蛛は白くて、他の変異体と異なる特徴がありました。もしかしたら、それが蜘蛛の行動と何か関係があるのではないでしょうか?」

 彼女の言葉に反応してハカセの青色に発光する瞳がまたたいた。


「白だと……いや、そんなことは……最後にひめを見たのは、およそ四十九万時間前でした……もしかしたら」

「姫ですか?」

 ミスズは博士の言葉に困惑した。もちろん私もひどく困惑した。姫ということは、アリやハチの女王のような存在に変異する個体なのだろうか。


 望遠鏡の先に視線を向けると、地面に埋まるようにして斜めに大きくかたむいた巨大な鳥居とりいが見えた。幹線道路に沿って等間隔に並ぶように無数の鳥居が立っていて、鳥居の続く先に灰色のピラミッド型の建築物があった。


 その廃墟の至るところに大きな穴が開いていて、ハッキリとは見えなかったが、以前、望遠鏡で見た青い体毛を持つ蜘蛛が出入りしていた。〈深淵の娘〉と呼ばれる変異体が、ハカセの観察対象だった蜘蛛くものように、アリやハチと同様、女王を中心にした社会を築いているのなら、その脅威は計り知れない。


「名前を教えてもらっても?」と、ハカセはミスズにたずねた。

「ミスズです」

「そうですか……うむ、了解した。ミスズとやら、心配することはないですよ。たしかに〈深淵の娘〉には女王がいて、その娘たちの中から次代の女王が産まれてくると考えられています。しかし可哀想かわいそうなことに、現在は成長に必要な要素ようそが欠けています」

「姫が女王になるには、特殊な条件が必要なのですね」


『なんだか嫌な予感がしてきた』

 カグヤの言葉に私は同意する。

「そうだな」


「その条件とは何でしょうか?」

 ミスズの質問にハカセは答える。

「〈不死の子〉の血液です。けれど安心してください、私が知る限り地上に〈不死の子〉はひとりしかいません」


 私は溜息をついた。

「白い蜘蛛が俺たちを追ってくる理由が分かったよ」

「不死の子よ、もしかして血を?」

「ああ。ハカセが言うように俺が〈不死の子供〉なら、あの白蜘蛛は女王になるため、俺をい殺しに来る」


「どうしてです?」と、ハカセは首をかしげる。

「どうしてって、ハカセがそう言ったんじゃないのか」

「いいえ、殺されはしません。定期的に血液を必要とするだけです」


「血液か……。 俺たちの拠点近くに巣を張っているのも、それが関係しているのか」

「なんと!」ハカセは大袈裟おおげさに驚いてみせた。「姫の居場所が分かっているのですか?」

「というより、俺たちの拠点の近くにいるんだ。なんならハカセも一緒に来ないか。深淵の娘たちについてハカセは詳しそうだし」


 ハカセはテーブルの上からいくつかの端末を拾い上げると、それらを使い古した革製のトランクに放り込んでいった。それから小型の端末を持って私の側に来た。

「不死の子よ、ここに姫の位置情報を転送してくれますか?」

「カグヤ、頼む」

『了解。接触接続するから、端末に触れて』


 静電気にも似た痛みのあと、端末から電子音が聞こえる。

「それで、ハカセは拠点に来てくれるのか?」

「ええ、新たな観測対象です。行かないわけにはいきません。しかし少しばかり遅くなります。片付けなければいけない資料が多すぎるのです」と、ハカセは頭を振った。

「そうか。ハカセが来てくれるのなら心強いよ。でも、この場所はもういいのか?」


「終わりです」とハカセは言う。「彼女たちのことは残念ですが、深淵の娘もまた、他にるいのない貴重な生き物です」

 ハカセの視線はピラミッド型の構造物に向けられていた。

『そっか、ハカセが来てくれるなら安心だね』

 カグヤの言葉にうなずくと、気になっていたことをハカセにいた。

「気になっていたんだけど、俺の血液のなにが特別なんだ。医療用のナノマシンが好物ってわけでもないんだろ?」


「そうでしたね。〈不死の子〉は、まだなにも知らない。私も口が過ぎました。それに関しては教えられることはありません。私にその権限はないのです」

「深淵の娘が女王に進化するために、俺の血液を必要とする理由も言えない?」

「そうです」

「わかった。それで、俺は蜘蛛に血を与えるだけの存在なのか?」


「〈深淵の姫〉とは特別な〝精神的〟なつながりを得ると言われています。意思疎通も簡単になると聞いています」

「よく分からないけど敵対しないのなら、それでもいいか」

「ダメですよ、レイラ。普通に恐ろしいです」

 黒髪を揺らして頭を振るミスズがなんだか子どもっぽくて可愛かった。


 彼女の言葉に肩をすくめると、ヴィードルに乗り込みながらハカセに声をかける。

「ハカセ、俺たちはもう行くよ。近くに来たら知らせてくれ、迎えに行く」

「わかりました。〈不死の子〉よ、気をつけるのだぞ」

「ああ、ハカセも」

「神々の望みのままに」ハカセは綺麗なお辞儀をしてみせた。


 我々は急いで保育園の拠点に戻ることにした。

 日が暮れるのにはまだ時間に余裕があったが、拠点に向かうには蜘蛛の巣を越えなければいけない。白蜘蛛が敵対しないと分かっていても、そこが危険な場所であることに変わりはない。なにより、あの変異体の思考原理が分からない以上、ハカセの言葉のすべてを鵜呑うのみにすることはできない。


 我々は慎重に巣の中を移動した。蜘蛛の糸に絡みつき、動けなくなった傭兵の姿と共に大型軍用ヴィードルも確認できた。大量の糸に動きを阻まれ、完全に動きを止めたまま放置されていた。蜘蛛の問題が片付いたら、大型ヴィードルを鹵獲ろかくできるかもしれない。私は大型ヴィードルを一瞥いちべつすると、これからのことについて考えた。

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