第50話 糸 re


「今日は、ジャンクタウンまで行くのですか?」と、ミスズはヴィードルに乗り込みながら言った。

「その予定だよ。軍の検問所跡で手に入れていていた物資があっただろ?」

 後部座席に座ると、コンソールディスプレイを見ながらシステムチェックを行う。

「毛布や放射線防護服ですね」

「ああ、ミスズがほしがっていた物資だ。あれをクレアの診療所に届けようと思っている」


「……えっと、レイラにお願いがあります」と、彼女は振り向きながら言う。

「うん?」

 ヴィードルのシステムチェックが終わると私は視線を上げた。

「クレアさんとも連絡が取れるようにしたいです」

「そう言えば、情報端末に彼女の連絡先を登録していなかったな」


『クレアの端末に接続できるようにしておくよ。彼女は医療組合に所属しているから、なにかあったときには、きっと頼りになるからね』

 カグヤの言葉にミスズは笑みを見せた。

「ありがとうございます」

『気にしなくてもいいよ。それより気になったことがあったら、どんどん言ってね。クレアとの通信もそうだけど、言わないとレイはいつまでも気がつかないから』


「ずっとひとりで行動していたからな……気が回らないことがあるのかもしれない」

 そう言って肩をすくめると、ゆっくり開いていく隔壁かくへきに視線を向けた。

 拠点を囲む防壁の門が開くと、我々は視線の先に広がる光景に驚いてしばらく言葉をなくしてしまう。


「レイラ……あれって蜘蛛くもの糸ですよね?」

 ミスズの言葉にうなずいて、それから〈カラス型偵察ドローン〉に頼んで上空から拠点の様子を確認してもらうことにした。カラスが晴れ渡った空に向かって飛んでいくと、カラスから受信する映像を全天周囲モニターに表示した。

「ハンドガンを試射するために地上に来たときには、こんなモノ何処どこにもなかったよな」

「はい……ありませんでした」


 どうやら保育園の拠点を中心にして、周囲一帯に蜘蛛くもの糸が張り巡らされているようだった。その糸に日の光が反射して、まるで雪が降ったあとみたいに廃墟の通りは白銀色に輝いていた。


「あの白い蜘蛛くもの仕業でしょうか?」

 振り向きながら、そう口にするミスズの表情には恐怖が浮かんでいた。

「おそらく」

『私もそうだと思う』と、カグヤも同意した。『〈守護者〉のカインも白蜘蛛くもの存在に気がついていた。それに元々この地区には蜘蛛の変異体は生息していなかった』


「どうしますか……レイラ?」と、ミスズは眉を八の字にした。

 上空を飛んでいたカラスの眼を介して、周辺一帯の様子を確認していく。

「まずは蜘蛛くもに対処して、安全を確保しなければいけないみたいだ」

「そうですね……」


 保育園内にある駐車場に戻ると、クレアに届ける予定だった物資が入った小型コンテナをヴィードルから外した。

「悪いな、ミスズ。ジャンクタウンに行くのはまた今度だ」

「いえ、大丈夫です。まずは蜘蛛くもの様子を確かめるのが先決ですから」

 彼女の言葉にうなずくと、ヴィードルに乗り込んだ。


『でも、これからどうするつもりなの?』と、カグヤが言う。

 私は廃墟の街で出会った奇妙な〈守護者〉のことを思い出しながら言った。

「〈ハカセ〉に会いに行こう」

「蜘蛛を観察かんさつしていた〈守護者〉のことですね」と、ミスズが反応する。『たしかに有益ゆうえきな情報が得られると思います。ですが、今日もあの場所にいるのでしょうか?」


『それなら大丈夫だと思うよ。あの場所で蜘蛛を観察するのが〈ハカセ〉の仕事みたいなモノだったし、きっと今日もいる』

 なぜかカグヤは自信満々だったが、我々には他にあてがなかったので、とにかくハカセに会いに行くことにした。

 ミスズの操縦でヴィードルが動き出すと私は言った。

「今は蜘蛛くもの巣を安全に通り抜けられるように集中しよう」


 我々は蜘蛛の糸が張り巡らされた街を慎重に進んだ。

 廃墟が連なる通りは不気味さを増していて、我々に重くのしかかっているようだった。

「レイラ、なにか動きは確認できましたか?」

 ミスズの言葉に頭を横に振る。

「ダメだ。この巣の中ではヴィードルの動体センサーは使い物にならない」


 白蜘蛛が吐き出したと思われる白銀色の糸に含まれるなにかが作用しているのか、動体センサーはまるで役に立たなかった。至るところに糸が張り巡らされている蜘蛛くもの巣に入ってしまうと、上空にいるカラスの眼も役に立たなくなる。

 自分たちの目を使って周囲の動きを確認する必要があったが、張り巡らされている糸の所為せいで視界が悪く、通路を塞ぐ糸に接触しないで進むことさえ困難だった。


「俺が糸を切断してくるよ」

「ダメですよ、レイラ。それは危険過ぎます」

 頭を振って黒髪を揺らすミスズにカグヤが同意する。

『そうだよ、レイ。この間のこと、もう忘れたの?』

 体内にある〈医療ナノマシン〉のおかげで、蜘蛛にまれた首の傷は癒えていた。傷跡さえ残っていなかった。けれど蜘蛛に捕まったときの恐怖は、いまだ首筋にくすぶっているような気がした。


「それなら射撃でどうにかするか……」

 防弾キャノピーが開くと、ハンドガンで蜘蛛の糸に対処することにした。

 ライフルを使用しなかったのは銃声を気にしたからだ。おそらく白蜘蛛は我々が近くにいることに気がついている。それでも蜘蛛を刺激しないように注意を払う。それに、ハンドガンの銃弾でしか糸に対処できないと考えていた。


 白蜘蛛の糸は、他の蜘蛛の変異体が使用する糸よりも強度があり、通常の弾丸で対処することができない。そのことは以前、手に絡みついた糸で検証済みだったので分かっていた。またナイフの刃では糸を切断することはできなかった。〈シン〉が使用する特殊な刀を使って、やっと手に絡みつく糸を解くことができたくらいだ。


 弾倉に装填されていた従来の通常弾を使用して射撃を行う。その際、ハンドガンの上部に左手をかぶせるようにえて、薬室から排出される薬莢を回収していく。地面で立てる薬莢の音を気にしていたという理由もあるが、拠点のリサイクルボックスに放り込むと、旧文明の特殊な〈鋼材〉として再構築されることがわかっていたので、なんとなく回収していた。

 スカベンジャー(廃品回収業)として生きてきた所為せいなのか、有効活用できるモノを捨てることに躊躇ちゅうちょするようになっていた。


 時間をかけて静寂に支配された通りを進むと、蜘蛛の糸が見えなくなる。

 カラスから受信する映像でも分かっていたが、どうやら蜘蛛の糸は保育園の周囲にだけ張り巡らされているようだ。そのおかげで拠点は近づきたくない場所になっている。逆に考えれば、略奪者や人擬きの心配をせずに済むのだから、拠点が安全になったとも言える。


『安全になったとか、考えてそう』

 カグヤのつぶやきに肩をすくめる。

「いや、考えてないよ。それより、ハカセの居場所は分かっているよな」

「それは大丈夫です」と、ミスズが答える。「この間、しっかり地図にしるしをつけておいたので、廃墟の街で迷うこともないと思います」


 ヴィードルはツル植物に覆われた〈航空戦艦〉の残骸を横目に見ながら、廃墟の街を進む。墜落の際に二つに折れたと思われる船体の間に、昆虫の変異体がれているのが見えた。生い茂る雑草の間をうムカデのような生物もいれば、紫色の鞘翅しょうしを持つ奇妙な甲虫が草の間を移動しているのも見えた。


『気をつけて、ミスズ。前方に敵性生物がいるよ』

 カグヤの声に反応してカラスから受信していた映像を確認すると、たしかに人間の集団が見えた。

「どうしてあの集団が敵だと思ったんだ?」

『隊商を護衛ごえいする傭兵は、周囲に自分たちの力を誇示こじするために、武器を見せびらかしたりするけど、あんな風に奴隷を拘束したりしない』


 全天周囲モニターに表示される映像を確認すると、大型ヴィードルのコンテナに錆びたくさりでつながれた人間の姿が見えた。生きている者もいたが、ほとんどの人間は手足を失い、腹部から内臓が飛び出ている死骸だった。

「ひどい……どうしてあんなむごいことが」

 ミスズが言うように、その集団は異常だった。


 奴隷に対する行いもそうだが、その高価な装備も異常だった。大型ヴィードルは見たことのない軍用規格の戦闘車両で、白い装甲には錆びが一切なく、黒色のコンテナも特殊な素材で造られているのか、日の光を吸い込んでいるかのように、光を反射させることがなかった。他のヴィードルと違って車体に丸みがなく、装甲車にも似た車体に蜘蛛の脚を思わせる脚が生えている。


『見て、レイ』

 カグヤが拡大表示した映像がモニターに映し出される。

「あれは国旗だな……日本にアメリカ、それにイギリスもある」

 白い車体の側面に小さな国旗の標章ひょうしょうが見えた。配色は白と黒、それに灰色だったが、たしかに知っている国旗だった。


「不自然な集団ですね……」

 ミスズはそう言うと、建物の壁面を移動して、低い建物の屋上に向かって飛んだ。

「高価な装備を所持しているのに、それを扱っている集団はレイダーギャングと変わらない恰好かっこうをしている」

「どこかの組合に所属している傭兵でしょうか?」

「たとえそうだとしても、あんな危険な連中は放って置くことはできないな」


 カグヤの溜息が聞こえる。

『どうしてレイはそうやって、すぐに厄介事に首を突っ込みたがるの?』

「連中の進行方向には、この間、俺たちが医療班の護衛でおとずれた集落がある」

 鳥籠の警備責任者だった女性の顔が浮かぶ。頑固で嫌味な女だった。だけど家族思いの女性でもあった。彼女がならず者の集団に鳥籠を好きにさせるわけがなかった。


「戦闘になりますか?」

 不安そうに言ったミスズの質問にカグヤが答える。

『十中八九、戦闘になるだろね。でも集落の戦力だと、あの危険な集団を相手にするのは難しいと思う』


 鳥籠の警備隊は訓練され鍛えられているように見えた。けれどそれは、略奪者や小規模の人擬きが相手に戦える程度のものだった。戦闘慣れしていて高価な武器を所持した傭兵が相手では分が悪い、どうやったって彼らに勝ち目はないだろう。


「俺たちで始末しよう」

 私の提案に、ミスズも同意してくれた。

「そうですね。ここでやっちゃいましょう」

『報酬ももらえないのに、なんでそんなことをするのかな』

 カグヤは乗り気じゃない、けど報酬は得られるはずだ。


『たしかに連中の装備は魅力的だけどさ、私たちに勝ち目があるとは思えない。レイのハンドガンを使えば楽勝だと思うよ。でも……たとえば〈重力子弾〉とか使ったら、装備もダメになって手に入れられなくなる』と、カグヤは不満を口にする。

「あれを使うんだよ、カグヤ」

 私はそう言うと、拠点の周囲に張り巡らされている蜘蛛の糸を指差した。遠く離れていても、日の光を反射する糸の輝きが見えていた。

『あの蜘蛛を利用するのか……それなら、私たちだけでもやれるかもしれない』


「ミスズはヴィードルで連中の動きを牽制けんせいしてくれ」

「レイラはどうするのですか?」と、彼女の琥珀こはく色の瞳が不安で揺れた。

「あの白蜘蛛を誘き寄せる。本当に俺たちを追って来ているのなら、蜘蛛の狙いは俺のはずだからな」

「危険過ぎます」


「危険は承知だよ。でも白蜘蛛を戦闘に巻き込まないと、俺たちに勝ち目はない。そうだろ?」

 ミスズは私の目をじっと見つめて、それからうなずいた。

「なにかあれば、すぐに連絡をお願いします。今度は絶対に守りますから」

「分かってる」


 コクピットから飛び降りると、装備の確認をしていく。バックパックは置いていくことにした。持っていくのはアサルトライフルにハンドガンだけだ。ライフルは銃声で傭兵を誘い込むために使用する。

「それでは、行ってきます」

 ミスズを乗せたヴィードルは建物を飛び降りた。私もすぐにとなりの建物に飛び移ると、集団の側面に回り込む。


 傭兵団だと思われる武装集団の装備はいびつだった。大型軍用ヴィードルを所持しているかと思うと、その横では旧式のアサルトライフルだけを装備した軽装の男たちが歩いている。そしてそんな彼らの後方を守るようにして、武装が施された作業用パワードスーツを装着した男たちの列が続く。


 連中の先頭を歩くのは、一目で人体改造されていると分かる傭兵だ。明滅を繰り返す義眼や、ゴテゴテとした義手を見せびらかして歩いていた。


 集団の中心には、ボロ切れを身に着けた奴隷の集団がいる。彼らは互いを鎖で拘束され、歩くのにも苦労していた。おそらく奴隷も戦闘に巻き込むことになるが、仕方がない。多くを救うために犠牲になってもらう。我々は正義のスーパーヒーローではない。今の私にできることには限りがある。


 パワードスーツを装着した女性の額に照準を合わせると、ミスズに合図を送る。

 重機関銃の特徴的な銃声が周囲にとどろいて、軽装の傭兵たちの身体からだをズタズタに引き裂いていく。パワードスーツを装着していた女性も狙撃によって倒れる。得体の知れない武装集団は攻撃に反応して、すぐさま反撃を開始する。周囲の建物からも武装した傭兵たちがぞろぞろと姿を見せる。


「後退する」

 となりの建物に飛び移りながら、アサルトライフルによる射撃を断続的に継続した。集団は悲鳴を上げ、怒りにわめき、にくしみを弾丸に込めた。けれど彼らの攻撃が私に命中することはなかった。ただでさえ持久力のある身体からだが、旧文明の特殊な〈鋼材〉を取り込んだことで身体しんたい能力が飛躍的ひやくてきに向上していた。


 白蜘蛛の糸が見えてくるとライフルを背中に回し、糸の間をうように走った。傭兵たちは廃墟の街に広がる光景に戸惑っていたが、すぐに私の追跡を始めた。


 ミスズを追う大型ヴィードルの動きは遅かったが、道路から伸びるようにして廃墟に絡みつく糸を気にすることなく進んでいた。気の毒なのは、ヴィードルのコンテナに鎖でつながれていた奴隷たちだ。糸に絡みついて身動きが取れなくなり、そのまま前進するヴィードルに引っ張られ、手足や頭部が千切れていった。彼らの上げる断末魔を聞きながら私は足を止めた。


『やっぱり来ていたんだね』

 目の前にあらわれた白蜘蛛を見ながらカグヤに答える。

「そうだな……連中は追ってきているか?」

『うん。ミスズが誘い込んでる。近くまで来たら合図する』


 ハエトリグモのぬいぐるみを思わせる姿をした白蜘蛛は、パッチリとした大きな眼を私に向けていた。攻撃の意思があるのかは分からない。自動車よりも一回り小さく、それでいて脚が長い蜘蛛を前にして身体からだは強張る。〈深淵の娘〉たちの習性しゅうせいについて、〈守護者〉のカインに聞いていればかったと後悔した。


「レイラ!」

 ミスズが私と白蜘蛛の間に割って入る。

 ヴィードルに飛び乗ると、ミスズは減速させることなく通りを走った。後方を確認すると、白蜘蛛の姿に驚いた傭兵たちが、躊躇ためらうことなく射撃を行うのが見えた。重機関銃の弾丸が通用しないのに、彼らが使用するライフルの弾丸に効果があるとは思えなかった。傭兵たちは長い脚で蹴られ、蜘蛛が糸を使って器用に飛ばした瓦礫がれきに潰されて死んでいった。


 パワードスーツを装着した男が白蜘蛛に向かって、ロケットランチャーを構えるのが見えた。私はハンドガンの銃口を男に向けると、容赦ようしゃなく弾丸を撃ちこむ。


 銃弾が男の胸部を貫通すると、止めとばかりに蜘蛛が投げた瓦礫がれきが男の顔をグシャリと潰した。男の死に際に放たれたロケット弾は蜘蛛の糸に絡みついて爆発した。興味深いことに、爆炎に呑まれた糸が炎上することはなかった。


 白蜘蛛はその勢いのままに武装集団を虐殺していった。

「離脱します、レイラ」

 ミスズの声を聞きながらコクピットシートに身体からだを埋めると、震える息をそっと吐き出した。深淵の娘と対峙したことで、ひどく緊張していた。

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