第47話 慈愛 re


 戦艦〈タケミカヅチ〉から施設に通じる隔壁かくへきが開くと、リフトはゆっくり動き出した。

 地下にある施設に向かうのは私とシンだけだった。ミスズは双子と一緒に船内に残ることになった。


「施設は地上から出入りできないようになっているのか?」

 私の質問にシンはうなずく。

「以前はつながっていたんだけど、例の侵入者のことがあったから封鎖したんだよ」

「戦艦からじゃないと施設に入れないようになっているのか」

「そうだよ。例え誰かが施設に侵入しようとしても、〈シキガミ〉たちが警備してくれているから、今は安全になってる」


「姉妹たちが戦艦に来ない事となにか関係があるのか?」

「ううん、それは関係ないかな。姉妹たちが地下施設に近付かないのは、やっぱり気味が悪いからなんだと思う。僕もそうだったけど、まさか自分が機械から産まれてきたなんて普通は想像できないからね」


 少なくとも彼女たちは自身の出生については分かっている。記憶のない私とは違う。しかし彼女たちの気持ちも理解できる。

 シンは身体からだの周囲に浮かべていた無数のホログラムディスプレイを消去した。

「そろそろだね」


 巨大な隔壁かくへきが左右に開き始めると、旧文明期の施設で度々たびたび目にする紺色の鋼材で造られた壁が見えてきた。隔壁が完全に開くと、今度は施設側の隔壁が開いていく。施設の壁は厚みがあって経年劣化がなく、数世紀の時間の流れの中にあったとは思えないほど綺麗に輝いていた。


「行こう」

 歩き出したシンのあとについていきながら、周囲に視線を向けた。施設の床には柔らかなクッション材が全面にかれていて、自律型の掃除ロボットによって清潔な状態が保たれていた。当然のように廃墟の建物に見られるゴミや、ほこりの一切がなかった。


 壁面パネルの低い位置には、〈シキガミ〉たちが姉妹たちを育てていた頃の名残が残っていた。色彩豊かな塗料で描かれた子どものモノと思われる落書きがあちこちで見られた。不思議なことに掃除ロボットは、それらの落書きを消すことなく、絵の周囲だけを器用に掃除していた。


 それは施設を歩いていて、たまに見かけるオモチャも同様だった。片付けられないままに放置されたオモチャは、通路の端や机の下などに散らばっていたが、掃除ロボットがそれを片付けることはなかった。


 どうしても掃除が必要な場合はオモチャの状態を一旦記録したあと、床を綺麗に掃除して、それからオモチャを元の位置に戻していた。それがたとえ積み木のオモチャや、ブロックを複雑に組み合わせたオモチャでも同様だった。


「おかしいだろ」と、シンは微笑んでみせた。「掃除ロボットは、過去の〈シキガミ〉たちの指示を今も忠実に守っているんだ」

「子どもたちの記憶をとどめているのか?」

 私の質問にシンはやわらかな笑みを見せた。

「まるで繊細せんさいなガラス細工を扱うように、娘たちの記憶は大切にされているんだ」

「ずいぶんとノスタルジックなシキガミがいたんだな」

 シンは微笑んだまま何も言わなかった。


 子どもたちの遊戯室なのだろうか、他の場所よりもやわらかなクッション材が敷かれた部屋には、大小様々なぬいぐるみやカラフルなクッションが至るところに転がっていて、停止した〈シキガミ〉の姿も数体確認できた。シキガミはすべて女性タイプだったが、医療組合のドクターコートにも似た衣類を身に着けていた。


 ふと部屋の奥に視線を向けると、色取り取りのクッションに囲まれるようにして、一体の〈シキガミ〉が床に座っているのが見えた。彼女は、すぐ側の床に敷かれた小さな毛布を見つめたまま動きを停止させていた。その表情は、機械のものとは思えないほど慈愛じあいに満ちていた。


「さっきの言葉、訂正ていせいするよ。彼女たちは、本当に〈姉妹たち〉のことを想って、母親をやっていたんだな」

 シンはうなずくと、小さな笑みを浮かべた。


「目的の部屋はここだよ」

 広くて薄暗い部屋には、白銀色の巨大な筒が幾つも並んでいた。

 部屋の奥に向かっておうぎ状に広がるようにして並ぶ筒の前には、腰ほどの高さの細い円柱が設置されていて、そこには操作パネルが設置されていた。これだけの設備の操作を行う装置にしては、とてもシンプルで稚拙ちせつな装置に見えた。


 シンはその円柱のとなりに立つ。

「装置を停止させるには、このコンソールを操作する必要がある」

 端末が収納された円柱に右手をのせながら言った。

「やってみるけど、あまり期待しないでくれよ」

「大丈夫。レイラならきっとできる」シンはそう言って力強くうなずいた。


『装置は元々、別の用途で使用されていたみたいだね』と、カグヤは言う。

『クローンの製造設備じゃなかったのか?』

 私は声に出さずにカグヤにたずねた。

『クローンと言うよりは、肉体の製造設備みたいだね。このコンソールを使えば装置を完全に停止させることができるよ』

『やれるか?』

『確認してみる――えっと、操作権限に関しては大丈夫みたい。データベースに接続して操作方法を確認するから、そのまま待ってて』


「何とかなりそうだ」

 シンは安堵あんどしたのか深く息を吐き出した。

「そうか」

「気になっていたことがあったんだけど、いてもいいか」

「なんだい?」

「施設の設備を動かすために必要な素材がなにか分かるか? リアクターが施設の何処どこかに設置されていることは分かるけど、この機械は電力だけでは人間の肉体は製造できないはずだ」


 シンはうなずくと白銀色の筒の側に行き、その筒にそっと触れた。すると筒を覆っていた白銀色の鋼材が筒に溶け込むようにして消えて、中がけて見える素通しのガラスに変わった。透明度の高い液体に満たされた筒の中には、握りこぶしほどの大きさの球体が浮かんでいた。それはルビーにも似た色と輝きを持っていた。


「これが僕たちを創り出すのに使われた素材だよ」

 シンは宝石にも似た球体を眺めながら、素っ気無く言った。

「それは?」

「わからない。他のつつの中にも、これと同じものがあって、姉妹たちのクローンを創り出すときに使用される。なくなったら、代わりのモノが自動的に補充されている」


「俺はてっきり、そのつつの中で……」

「僕たちが創られる?」

 私はうなずいた。

「この筒の中でゆっくり成長するわけじゃないんだ。クローンは定められた時期が来ると、あっという間に創られて、となりの部屋に設置されている別の機械から出てくる」


「定められた時期か、誰がその時期を決めるんだ?」

「セラエノだよ」と、シンは冷たい声で言う。

「まるでデータベースに人格があるような言い方だな」

「母さんたちは、そう考えている」


「施設に侵入した男が設定したプログラムに、ただしたがっているだけじゃないのか?」

「違う。システムのログが正しければ、あの男は機械を起動しただけ」

「双子とシンの産まれに〈セラエノ〉の意思が関係していると?」

 シンはうなずく。

「それは間違いないよ」


 そんなことありえるのだろうか?

 〈データベース〉に意思があるのか?

 旧文明期には高度な人工知能が当然のように存在していて、軍の兵器でも使用されるくらいには普及していた。それならば、データベースの一部でもある〈セラエノ〉にそういった機能があっても、なにも不思議じゃないのかもしれない。


『レイ、設定できたよ。いつでも止められる』

 カグヤの声が内耳に聞こえた。

『それなら、止めてくれ』

『了解』


 警告をうながす機械的な合成音声のあと、白銀色の筒が床に埋まるようにして収納されていき、部屋の明かりが落とされた。代わりに灯った警告表示灯の薄明りのなか、シンは筒が消えたからっぽの部屋の中央に向かって歩いて行った。


「機械は停止したのか、レイラ?」

 シンは感情のこもっていない声でそう言った。実感がないのかもしれない。

「止まったよ。完全に」

「いつかこんな日がやって来ることを願っていた。夢に見てしまうくらいに。でも、その日が来たのに、ずいぶんと呆気あっけないものに感じる。想像していた結末とはまるで違う」


 シンの表情は暗くて見えなかった。けれどそれで良かったと思う。

 今この瞬間にシンがなにを感じているのかは私には分からない。それが喜びなのか、あるいは安堵感、それとも寂しさなのか。でも同時に思う。彼が感じているある種の感情は、シンだけのモノなのだ。誰かが邪魔して、介入していいものじゃない。私は薄暗闇にぼんやりと浮かぶシンの白い軍服をただ眺めていた。


「行こう。レイラ」

「もう、いいのか?」

「ああ、僕たちはやっと、この機械から解放された」


 部屋に続く扉はシンのアクセス権限で封鎖されることになった。

 つまりシンがいなければ、部屋の扉は開かなくなった。もちろん、〈不死の子供〉が持つとされる権限があれば、扉は簡単に開くのかもしれない。けれど、それを行うには戦艦を警備しているシキガミたちの相手をしなければいけなかった。そこまでして施設に侵入したがる物好きがいるとも思えなかった。


 姉妹たちはついに施設の呪縛から解放されることになった。

 それが世界にとってかったことなのか、それとも悪いことなのかは分からない。シンが言うように、データベースの意思が介入するような問題なら、姉妹たちが創り出されていたことにも理由があったはずだからだ。いずれにせよ、この場所で〈不死の子供〉について調べられることはなくなった。



「もう行っちゃうの?」と、ユウナがミスズにたずねた。

「大丈夫です。これがあれば、いつでも連絡が取れるのですから」

 ミスズの手には〈携帯情報端末〉が握られていた。

「そうだけどさ……」と、ユウナは不貞腐れてみせた。


 双子も〈電波塔〉を介して〈データベース〉にアクセスできたが、端末を使用したときと同様の操作権限しかなかったので、できることには限りがあった。しかしそれでもミスズと話をすることくらいはできる。

 シンから依頼を受けていた時点で、カグヤのネットワークにシンたちの情報が登録されて端末が接続されていたので、互いに連絡が取れるようになっていたのだ。


「今度、また会いに来ます」

「本当に?」

 ユウナは何処どこか不安そうな表情でミスズにたずねた。


「来ますよね?」と、ミスズは私に話を振った。

「都合が合えばな」

「なにそれ、レイラはネズミさんなんだから、時間はいくらでもあるでしょ」と、ユウナは言う。


「ユウナ。相手がネズミさんでも、さすがにそれは失礼だよ」と、ユイナが失礼なことを言う。

「ネズミじゃない、スカベンジャーだよ」

 私は溜息をついて、それから言った。

「ユウナがミスズに会いにくれば良い」


「レイラたちの拠点って、ジャンクタウンだよね。本当に行っていいの?」

「構わないよ。なんだったら、本当の拠点の場所も教えてあげるよ」

「いいのですか?」と、ミスズは驚いて目を丸くした。

「ユウナとユイナはミスズの友達なんだろ?」


 ミスズは花が咲いたような笑顔を見せた。

「はい。友達です」

「なら、問題ないよ」


「本当にいいのか、レイラ?」

 シンの言葉に私はうなずいた。

「ああ。それより戦艦では世話になったな。暖かい食事を頂いたのはひさしぶりだった」

「気にしないで。本当はずっと〈ゆりかご〉にいてくれても僕は構わないんだ。二人にはとても感謝してる。とくにレイラには返せないほどの借りができた」


「それこそ気にしなくていい。偶然、俺に解決できたってだけなんだから」

「それでも――」

「それなら」と、私はシンの言葉を遮る。「俺とミスズが困ったときには助けてくれ」

「そうだね。レイラはそういう人だ。ユウナの言ったことは間違っていない」

「何を聞いたのかは知らないが、こんな世界だ。絆は大切にしないと」

「そうだね」とシンは笑った。



 別れは簡単に済ませた。べつに永遠に会えなくなるわけじゃない。三人の顔が見たくなったら、〈姉妹たちのゆりかご〉まで会いにいけばいい。同じ世界に生きているのだから。


「楽しみですね。本当に来てくれると思います?」

 全天周囲モニターから視線を外して、それから言った。

「ユウナなら来るだろうな」

「クレアさんにも、ユウナを紹介しないとダメですね」

「そうだな」

「それから、家政婦ドロイドさんのことも」

「そうだな。小言を言われなければいいやつだからな」


「あとは、えっと……」

 そこまで言うと、ミスズは黙り込んでしまう。

「どうした?」

「あの、えっと、なんだか私……浮かれていますね」


 ミスズは急に落ち込んだみたいだった。

『最近のミスズはおかしい。感情的に過ぎる』

 私はカグヤに同意した。

「たしかに、ミスズにはもっと自由にいて欲しい」

「自由ですか?」と、ミスズは首をかしげる。


「思い悩んでないで、楽しいことがあれば笑えばいいし、悲しいことがあったら泣けばいい。もちろん怒ったって構わない。俺たちが好きなミスズは、なんていうか……」

『純真?』と、カグヤが助け舟を出す。

「そう、それだよ。無垢な感じ」

「純真って……なんだか恥ずかしいです」

 ミスズの綺麗な黒髪から覗く耳が真っ赤になる。


「ミスズの事だから周囲に遠慮しているんだと思うけど、そんな必要ないからな」

 私はそう言って、太いケーブルがいくつも垂れ下がった高層建築物を眺めた。

『そうだよ。この世界の人間は基本的に不幸なんだからさ。ミスズが他人の不幸を背負い込む必要なんてない』とカグヤが言う。


「……不幸ですか」

『うん。〈ゆりかご〉で暮らす姉妹たちに降りかかった運命は、すごく悲惨ひさんで、想像なんてできないくらい不幸なことだった。そしてそれは機械によって産みだされた双子にとっても同じ。でも彼女たちがミスズに向けた笑顔は偽物じゃなかったでしょ?』

「はい」


『もちろん、今の姉妹たちの笑顔の裏には、過去の姉妹たちの血の滲む苦しみと、シンの積み重ねてきた努力がある。でもさ、努力してるってことは。まだ希望を捨ててないってことなんだ。

 当の本人たちが希望を捨てないで生きているのに、ミスズが同情して悲しんでいたら、彼女たちに失礼でしょ? ミスズだったら耐えられる? 頑張ってやっと笑えるようになったのに、自分たちの努力を少しも知らない人がやってきて同情してきたら、ミスズはどう思う?』


「嫌です……とても悲しくて、悔しい、泣いてしまうくらいに」

『なら、元気を出そう。ミスズは元気なのが一番なんだからさ。それに私たちも希望を見つけなければいけないんだからさ』

「はい」


 〈二十三区の鳥籠〉から拠点がある保育園までの安全な移動経路はすでに調査済みだったので、ヴィードルは順調に廃墟の街を進んでいた。略奪者に襲撃されるようなこともなかった。


「日が落ちる前には拠点に着きそうですね」

 ミスズは全天周囲モニターに映し出されるカラスからの映像を確認しながら言った。

「家政婦ドロイドも退屈しているだろうから、俺たちが帰るのを楽しみに待っているはずだ」

「家政婦ドロイドさんですか?」と、ミスズは首をかしげた。「でも今朝もメールしましたよ」


「うん?」一瞬思考停止して、それから私は問い返した。「メールってなんだ?」

「えっと、電子メールですよ。レイラはしないのですか?」

「いや、メールなんてしないよ。そんな機能がドロイドに備わっていることも知らなかった」


「寝る前にも端末を介してカグヤさんと、それからドロイドさんと一緒に映画の観賞とかもしていますよ。この間はユウナも一緒でした」

「カグヤ?」と私は言う。

『うん? なんのこと』カグヤはとぼけてみせた。


「レイラ、あの、あれって……」

 ミスズが指差す方角に視線を向けると、多脚戦車の姿が見えた。

「あれはサスカッチだな。他に何か見えるか、ミスズ」

「人です。戦車の上に人が立っています」

 拡大表示された映像を確認する。


「〈守護者〉だな」

『あの特徴的なシカのツノは、カインで間違いね。こんなところでなにをしてるんだろう?』

 カグヤの疑問に頭を横に振った。

「わからない。ミスズ、サスカッチに近づいてくれ。彼と話がしたい」

「わかりました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る