第二部 目覚め re【web版】
第33話 依頼 re
「だから一緒に来なくてもいいって言ったの」
綺麗に編み込まれた赤髪を揺らすクレアは不満そうに言った。
「レイは過保護に過ぎるんだよ。周辺一帯は安全になっていて、もうレイダーから襲われる心配はないって、傭兵組合から報告があったでしょ?」
廃墟が連なる通りに視線を向けていた私は、彼女の言葉に頭を横に振った。
「好きでやっているんだ。だから気にしないでくれ」
「気にするよ。レイは〈ジャンクタウン〉からずっと歩き通しでしょ? ヴィードルにずっと座っている私が、なんだか楽をしているみたいですごく気が引ける」
彼女の言葉に肩をすくめると、網膜に投射されていた〈カラス型偵察ドローン〉の映像を注意深く確認する。医療班の車列に近づく敵性生物の存在は確認できなかった。
クレアが搭乗していた車両にちらりと視線を向ける。六本の脚に球体型のコクピットがある
ちなみにクレアが乗っているヴィードルは、特別な機能を持つ軍用規格のヴィードルだった。普段は相棒の〈ミスズ〉と二人で使っていたが、今回の仕事では〈クレア〉の護衛をしていたので、今は安全性を考慮して彼女に乗ってもらっていた。
「そんなこと気にしなくても大丈夫だよ。ほら、俺の
「たしかに高価なインプラントパーツで人体改造された人間みたいなことができるけど、それでも気になるの」
「えっと……」と、ヴィードルを操縦していたミスズが琥珀色の瞳を私に向ける。「私が歩きましょうか?」
「ダメだ」と私は頭を振った。「ヴィードルの操縦はミスズのほうが
「そう、なら勝手にすれば!」クレアはそう言うと、コクピットを覆う防弾キャノピーを閉じてしまう。とうとう彼女は
私はそのことを少しも気にせず、カグヤに質問することにした。
「カグヤ、周辺に何か異常はあるか?」
『ううん、とくに異常はないみたい』と、頭の中で女性のやわらかな声が響く。
カグヤは静止軌道上の軍事衛星から――確証はなかったが、脳に埋め込まれた装置を介して、私に直接語りかけていた。
軍事衛星に搭載された〈自律式対話型支援コンピュータ〉それが〈カグヤ〉だった。荒廃した世界で目が覚めてから、ずっと一緒に生きてきた相棒でもある。頭の中を四六時中、他人に覗かれるのは決していい気はしないが、記憶を失い、右も左も分からなかった私を助けてくれたカグヤには感謝の気持ちしかない。
そのカグヤの緊張した声が内耳に聞こえた。
『待って。医療班の車列に近付く生物がいる。これは……
「ミスズ、敵が近づいてくる。クレアの保護を優先して戦闘態勢で待機していてくれ」
彼女に言葉をかけたあと、近くの建物に駆け寄りそのまま非常階段に向かって飛んだ。
錆びついた鉄柵にぶら下がると、わずかな手掛かりを頼りに
上空のカラスが得ている情報は、廃墟の街のあちこちに設置されている〈電波塔〉を経由して私とカグヤに送信される。カグヤはその情報の精査を行い、周辺一帯の詳細な情報を送信してくれる。
標的までの距離、風、温度などの環境の変化が瞬時に計算され、最適化されたターゲットマークが表示されると、猛然と駆けてくる化け物の頭部にライフルの照準を合わせて引き金を引いた。
文明が崩壊し、
人擬きは側頭部に被弾して、走っていた勢いのままに地面を転がる。けれど化け物は死んではいない、頭部に対する攻撃は、不死の化け物を無力化することしかできない。もう一度、化け物に照準を合わせて引き金を引いた。
人間が最も繁栄した〈旧文明期〉と呼ばれた時代から現在まで生き続ける化け物、それが〈
人擬きを殺す術を人々は持たない。人間にできることは彼らを無力化することだけだ。もっとも、跡形もなく消滅させることができるのなら、話は変わってくるが。
『大丈夫。もう周囲に敵性生物はいないよ』
カグヤの言葉に反応して照準器から視線を外す。
「銃声に反応するものは?」
『いないよ、医療班の人間が少し驚いただけ』
「そうか」
崩れかけている建物の外階段を使って、近くに待機していたヴィードルのもとに向かう。
『おつかれさまです、レイラ』
内耳に聞こえるミスズの言葉にうなずくと、閉じたままのキャノピーに視線を向ける。
「人擬きにはもう対処した。先行している医療班と合流しよう」
『分かりました』
ミスズの操縦で動き出したヴィードルのキャノピーは閉じたままで、クレアの表情は見えなかった。まだ拗ねているのだろう。
「クレアは、まだ怒っているのか?」と、ミスズに
『怒ってはいないと思いますよ。ただレイラに迷惑をかけているのが
「べつに気にしなくてもいいんだけどな」
『……そうですね。医療班の護衛任務は、医療組合から依頼された正式な仕事で、報酬もちゃんと出ることになっています』
「たしかに」
『でも意外でした』
「なにが?」と、カラスから受信する映像を確認しながらミスズに
『レイラは医療組合を
「
『過去になにかあったのですか?』
「そうだな……意見の
『はぁ……意見の相違ですか』ミスズは
彼女の言葉にうなずいて、それから言った。
「本当の意味で安全な〈鳥籠〉があるのかは疑問だけど……たしかに今回の鳥籠は安全だ。それでも依頼を受けた理由は、その鳥籠で旧文明の〈遺物〉が手に入れられるかもしれないからだ」
『何か当てがあるのですか?』
「ないよ。でも俺たちはスカベンジャーだ。めずしいモノや旧文明の施設に
『私にもほしいモノがあります』とミスズが言う。
「めずらしいな、ミスズは
『拠点を管理してくれている〈家政婦ドロイド〉さんの人工知能を、ヴィードルに接続できるようにする装置です』
「あぁ、たしかにそれはほしいな」
廃墟の街で生きる人々が〈鳥籠〉と呼ぶ場所は、旧文明期の施設を利用して形成された集落のことだ。医療班の目的地も、旧文明期の施設の周囲に人々が住み着いて、共同体が誕生した集落だった。
しばらくすると視線の先に、錆びついてはいたが色彩豊かな海上輸送コンテナが
雲にも届く高層建築群は、かつて人々の住まいとして使用されていたものだが、現在は入り口が廃材や泥、それに背の高い雑草に覆われていて使用されている形跡はなかった。
上層区画から降って来たモノなのか、
鳥籠に大きな影を落としている高層建築物を仰ぎ見る。きっと建物内には人擬きや、それよりもずっと
鳥籠の入り口には、数人の警備隊員が配備されている検問所が設けられていた。屈強な男たちがアサルトライフルを肩に提げ、集落の巡回警備を行っていた。警備隊員からは、その外見だけでなく、動きからも彼らの訓練が適切に行われていることが分かった。
検問所の隊員が所持する〈携帯情報端末〉でレーザースキャンが行われて、生体認証による医療班の本人確認がしっかりと行われた。
私とミスズも差し出された端末にIDカードを差し込むと、警備隊が所持する端末でスキャンされる。
「武器を所持しているな。悪いがこの場に預けていってもらう」
隊員の言葉にうなずいて
「落ち着け。俺たちは医療班の護衛としてここにいる。それを証明するデータカードがここにある」
データカードを取り出して女性隊員に手渡した。医療組合から預かっていたカードは〈IDカード〉と同様、組合の専用端末でのみ情報の書き込みができるモノになっていて、他の機関が所有する端末では情報の読み込みしかできない。データカードは主に機密情報や、組合関係者の身分を保証するさいに使用されているモノだ。
今回の護衛任務は医療組合の保証のもとで行われている。データカードにはそれが記載されている。なにか
「ゴミ拾いのスカベンジャーが、どうして医療組合の護衛を?」
警備隊の隊長だと思われる女性は
「……たしかに確認させてもらったよ。小銃の携帯は許可するが、この鳥籠では無闇に銃を抜くなよ。子供が多い、なにかあってからでは遅いからな」
「了解した」
「そうかい」
女性は鼻を鳴らすと、私とミスズを検問所の先に通した。
先行していた医療班の人間は、出迎えに出ていた鳥籠の住人から歓待を受けていた。集落の人間は若者が多く、皆の表情に喜びが見て取れた。医療組合の人間はどこの鳥籠に行っても、人々に感謝され喜ばれる存在だった。我々が所属するスカベンジャー組合とは大違いだ。
診察のための簡易的なキャンプを設営していた組合の班長にクレアを預けると、私はミスズを連れて集落の探索に出かける。ちなみにクレアの機嫌は嘘のように直っていた。
集落を歩いていると、幼い子どもを胸に抱く若い親子の姿を多く見かけた。
「すごい人だかりでしたね」と、ミスズは歓待の様子を思い出しながら言う。
「医療組合や適切な医療品がない鳥籠での生活は大変だからな」
「……そうですね。私は東京にある旧文明期の施設で育ったので、幼い子どもたちが簡単に亡くなる世界なのだと知りませんでした」
「栄養失調も原因だけど予防接種なんてない世界だからな、風邪がきっかけで亡くなる子どもが多い」
「大変な世界です。そう考えると、地下施設の生活が退屈なものだと
「立場が変われば、物の見え方も変わるか……」
「……はい」
我々は立ち止まると、柿色の輸送コンテナを改造して、その中で商売している若い男性の店に近付く。
「いらっしゃい、何をお求めで?」と店主は言う。
「ここではなにを売っているんだ?」と、店主に問い返した。
「広場にある旧文明期の施設で入手できる雑貨だよ。掃除道具から筆記用具まで、ほしいモノは大抵この店で手に入るよ」
「電子機器は……さすがにないか」
「悪いな、兄ちゃん。電子機器はないんだ。もちろん銃器もここでは手に入らない。けど他の品は御覧の通りさ」店主は品物を自慢するように両手を広げた。
店内に並べられた商品をミスズと見て回る。店主が言うように、たしかにすごい品揃えだった。すでに文明の崩壊した世界だと思えないくらいに品揃えが豊富だった。
「すごいですね。これも全部、鳥籠の地下にある旧文明期の施設から入手しているのでしょうか?」と、ミスズは感心しながら言う。
「ジャンクタウンにある軍の〈物資備蓄施設〉と同じような施設が、ここにはあるのかもしれない」
「販売所で入手できるのに、どうしてこの場所で商売をするのでしょうか?」
「施設に入場するための資格を持てるのが、鳥籠の一部の人間と商人だけなんだよ」
「そうなのですか。それはちょっと残念です……」と、彼女は下唇を噛む。
「施設を見学したかったのか?」
「はい。旧文明期の施設がどうなっているのか、少し気になって」
「ジャンクタウンにある軍の販売所と
「いえ、それは遠慮しておきます。トラブルは遠ざけたいです」
ミスズはそう言うと、私の背後に視線を送った。我々は鳥籠に入ってから、警備隊の人間にずっと監視されていた。
「そうだな。トラブルはごめんだ」
我々は適当に売り物を見て回り、飲料と〈国民栄養食〉を買ってその場を離れた。
「レイラは栄養補助食品が本当に好きなのですね」
「そうでもないよ」と、私はブロック状の食品を口に含んだ。ザクザクとした食感がして、口の中の水分が奪われていく。
それから我々は住民の診察を開始した医療班の側に待機すると、彼らに危険が及ばないように周囲の人間の監視を始めた。医療組合の人間が被害に合うことはほとんどないが、それでも大切な人間を亡くした人が逆上し、組合の人間と揉め事を起こすことは少なくなかった。
不自然な態度を見せる人間が現れるたびに、私はワザと銃を手に取って、怪しい人間に対して武器の存在を
■
額にかかる雨粒に気がつくと、私は薄暗い空を見上げた。
高層建築物は暗い雲に覆われていて、今にも土砂降りの雨が降り出しそうになっていた。
「レイラ、雨です。ヴィードルからレインコート取ってきますね」
ミスズの言葉に私は頭を振った。
「俺が行くから、ミスズはこのまま監視を続けてくれ」
その場にミスズを残すと、鳥籠内に設けられたヴィードルの駐車場に向かう。しばらく歩いて、その場に立ち止まる。振り返ると、鳥籠の警備隊長である女性が私のあとについてきていた。
「俺に何か用があるのか?」
「銃を所持している兄ちゃんが一人で歩いていたからね、少し気になったんだよ」
女性の言葉に肩をすくめると、そのまま歩き出した。
「ずいぶんと厳重な警備をするんだな」
「それなりの理由がある」と女性は言う。
「資金を得るのに苦労しないで済む旧文明期の施設を守るためか? それとも若い住人が多く暮らす集落を守るためか?」
「両方重要なことだよ。それに苦労もしている。施設の品物だってタダで手に入れられるわけじゃない」
「どうだかな」
「そもそも私たち警備員は雇われの傭兵じゃない。みんなこの鳥籠に家族がいるのさ、だから危険な警備任務を続けられる」
「そう? どうでもいいけど」
「ずいぶんな物言いだね。あんたは人間嫌いなのか?」
「他人を信用できないだけさ」
カグヤにヴィードルの後部コンテナを開放してもらうと、レインコート代わりに使用している
「スカベンジャーにしては、高価な装備を持っているんだね」
女性はヴィードルのモジュール装甲を
「腕のいい相棒がいるおかげさ」と私は言う。
「あのお嬢ちゃんがかい? 冗談は止してくれ」
私は外套を
「どうしてあんたが医療班の警護任務を?」
彼女の言葉に肩をすくめる。
「さあな。人手不足なんじゃないのか」
「人手が足りていないような状況で雇った人間を、医療組合は簡単に保証するのかい?」
「なにが言いたい?」
「組合に信用されるほどに、あんたは腕がいいんだろう?」
私は頭を横に振る。
「無駄だ。何かを頼んだところで、あんたたちに何ひとつ協力できない。だから先に言っておく、俺になにも頼むな」
「妙な連中が鳥籠の近くある廃墟に
私は立ち止まると、溜息をついた。
雨脚は強まり、ミスズに外套を届けたかった。
「俺は組合に所属する一介のスカベンジャーだ。できる事と、できない事がある。もちろん人殺しは専門じゃない。それに、俺は医療班の側を離れるつもりはない」と、私はうんざりしながら言う。
「医療班の護衛は私たちが引き受けるよ。警備には自信があるんだ。だからあんたは何も心配する必要がない」
「おかしな話だ。警備にそれほどの自信があるのなら、妙な連中やらにも対処できるんじゃいのか」
「相手はレイダーギャングじゃない」と、彼女は癖毛のある黒髪を揺らした。
「なら人擬きか?」
「違う。不死の化け物や巨大な昆虫でもない」
「イカれた機械人形か」
「たしかにあれは機械の身体をもっているな」
「機械の身体……相手は〈守護者〉なのか?」
彼女はコクリとうなずいた。
旧文明期の鋼材でつくられた骨格を持つ人間に似た守護者の姿が頭に
『守護者のことなら、少し気になるかも』
カグヤの言葉について考えながら歩く。
『けど』と、私は声に出さずに返事をする。『守護者は基本的に人間に無害な存在だ。俺たちがわざわざ出て行って、話をややこしくする必要はないと思う』
『どうして無害だと思うの?』
『連中が
『それはそうかも。でも話が通じる守護者がその場にいたら、この間のことについて聞けるかもしれない』
『俺のことを〈不死の子供〉って呼んだことか?』
『そう。それ』
広場に到着すると、女性は急かすように私に質問した。
「依頼を引き受けてくれるのかい?」
「守護者が危険な存在だっていうのは、分かっているな?」
私の言葉に、女性は茶色の目の端でこっそり笑った。
「それなりの報酬は約束する」
「なんの報酬ですか?」
ミスズは私から外套を受け取りながら
「仕事の依頼をしていたんだよ」と、女性が答えた。
「でも私たちは医療班の護衛で来ていて、この鳥籠からは離れられませんよ」
ミスズはそう言うと、綺麗な黒髪を揺らした。
「それなら大丈夫。お嬢ちゃんは鳥籠で私たちとお留守番するから」
「お嬢ちゃんって……本当なんですか、レイラ?」
「本当さ」と、女性は続けた。「鳥籠の近くに
「守護者ですか? そんなの危険です。行きませんよね、レイラ?」
私は外套のフードを深くかぶると、大きな
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