第32話 光の先へ re


 あてもなく暗い道を進む。途中、足を止めて背後を振り返った。

 すると瓦礫がれきの道が、まるで巨大な怪物がったあとのように、赤黒くヌメリながら廃墟の街に続いているのが見えた。


 私は暗い空を見上げて、それから青白い月の下で手のひらに視線を落とした。手は震えていなかったし、血にれてもいなかった。私はホッとしたように息をつく。それから何気なく自身の胸に手を当てた。そして気がついてしまう。うまく説明できない。でも、とにかく私は心の一部を失っていた。


 廃墟の街に立つ私の身体からだは、まるで鉄屑でこしらえた機械人形のように、空虚で生命のぬくもりを欠いていた。ジャンク屋がスクラップをかき集めて、機械人形を組立て、かりそめの心を与えるように、私はまがい物の心で生きていた。


 それに気がつくと、私は急に苦しくなり、呼吸ができなくなるほどの激しい悪寒おかんに襲われる。何者かが私の心を持ち去り、そして私の命を奪い去ろうとしていた。


 そのことが急に恐ろしくなると、私は廃墟の街に背中を見せながら走り出した。

 自分自身の激しい息遣いが聞こえて、心臓が激しく脈打つ。瓦礫に足を取られて倒れてしまわぬように、大地をしっかりと踏みしめながら走る。


 無限の広がりを見せる廃墟の街を進んでいく。物陰からいくつもの光る眼が私に向けられていることに気がつく。腐臭を放つそれらは人の眼や昆虫の眼、それに機械人形の眼や人擬きの眼でもあった。


 けれど私にはソレを直視することはできなかった。それらの存在を認めてしまえば、その存在に真実味を与えることになる。それはやがてこの暗い世界を覆い、私の存在さえも、この死んだ街に取り込んでいくような気がした。私は悪意を含んだ視線をやり過ごすことだけを考えて、必死に廃墟の街を走った。


 どれほどの間、廃墟の街を走っていたのだろうか。


 やがて人の声が聞こえてきた。笑い声や懐かしい音楽、そして暖かな光。人が暮らし、命を育む世界の光だ。私の身体からだはゆっくりと浮かび上がっていく。まるで水中を漂うような浮遊感のなか、意識も浮上する。光の先に何が待ち受けているのかは、私には見当もつかなかった。



 ゆっくりまぶたを開くと、薄暗い天井が目に入った。窓から差す日の光のなかにちりが照らし出され、踊るように空中をキラキラと漂う。

 情けない声がれるくらい痛む上半身を起こすと、混乱する頭を整理していく。


 私が寝かされていたのは見慣れた部屋だった。ジャンクタウンにある診療所の二階に借りている部屋だ。胸元から腹まで包帯が巻かれていて、わずかに血液がにじんでいる。ふと思い出して肩と太腿の傷を確認する。同じように包帯が巻かれていた。痛みはあったが、傷口は塞がりかかっていた。


『おはよう、レイ』

 ひさしぶりに聞くカグヤの声に、私は思わず笑みを浮かべる。


「おはよう、カグヤ」

 なんとか立ち上がると、ふらつく足で洗面台まで歩いていき、口をゆすいで顔を洗った。


『二日間』と、カグヤが言った。『ずっと眠ったままだった』

 カグヤの元気のない暗い声に対して、私は何でもない風に言葉を口にした。


「心配かけたな」

『うん』

 ベッドに腰をかけて、ぼんやりと部屋の中を眺める。


「悪かった」

『うん』


「でも、どうすることもできなかった」

『君はいつか、その激しい感情に殺されるかもしれない』


「……そうかもしれないな」

『ううん、嘘。死なないよ、私が死なせない』

「ありがとう、カグヤ。今度からは気をつけるよ」


 私は深く息を吐き出すと、身体の調子を確かめていく。

『全身に行き渡らせたナノマシンが治療の助けをしてくれている。本当ならレイは死んでいた。でも、その特別な身体に救われた』


「ナノマシンっていうのは、便利なモノなんだな」と、私は素直な感想を口にする。

『それでもできないことがある。今回も多くのナノマシンが血液と一緒に失われた』


「それでよく持ちこたえられたな」

『レイの身体は特別性だから。ナノマシンもレイが栄養を取れば、体内で自動生成される。でも今回は外部の助けもあったから……』


 私は機械の身体を持つ守護者たちのことをふと思い出す。

「あの注射器か」


『そう。あのときレイとの通信が途絶えていて、なにが起きたか分からなかったけど――』

 言葉を詰まらせたカグヤに問いかける。


「けど?」

『レイとの接続が遮断されたとき、レイが死んだように感じられた』


大袈裟おおげさだな。今までだって、カグヤとの接続は何度も切ってきた」

『私は……レイの側にいられないから、だから繋がりがなくなるのは、レイの存在が私の世界から消えるのと同じ』


 どうしてだか分からない、けれど私はカグヤが感じていた不安を想像して、思わず涙が出るくらいに胸が苦しくなった。荒廃した世界を意識が覚めたその日から、ずっと二人だけで生きてきたのだ。もしもカグヤの存在が消えてしまったら、私は……。


「俺は消えたりしない、カグヤを残して何処どこにも行きはしないさ」

『うん。分かってる』


「それで」と、深呼吸しながらたずねた。

「あのあと、どうなったんだ?」


『エレノアからヤンに連絡があって、それでレイの無事が確認できた。レイとの通信はそこで元に戻った。接続が切れていたときの状況を知るために、レイのインターフェースに残されたログと映像を確認した。そしたら守護者たちが映っていた』


「そうだ。あのとき、俺は確かに彼らに救われた」

『あの注射器の中身は、医療用のナノマシンと栄養剤だった』


「そんなことまで分かるのか?」

『わかるよ。けど分からないこともある。レイの体内にあるナノマシンは、レイ個人に合うように体内で調整された特注品なの。それなのに、どうして外部から注射されたナノマシンが、拒絶反応を起こさずにレイの体内に適応して存在していられるの?』


「また旧文明期の、訳の分からない技術力ってやつか?」

『わからない。レイの血液を採取してナノマシンを培養していれば、難しいことじゃないのかもしれない。けどそれもおかしいでしょ?』


「どんな理由があって、守護者が俺のためにそんなことをするのか……」

『でもね、一番の問題はシカのツノを生やした守護者が言ったことだよ』


「……不死の子供」

『そう。彼の言うことが正しければ、レイは不死の薬〈仙丹〉を服用していた旧文明期からの生き残りになる』


「そんなことありえるのか?」

『わからない。文明が崩壊して少なくとも数世紀は経っているはずだから、旧文明の人類に生き残りはいないと思う』


「いや、生き残りはいる。現にこの世界には人間がいる。彼らだって旧文明期の人類の子孫だろ。そもそもカグヤが言う旧文明期の人間の定義ってなんだ?」

『不老不死の人間』


「薬がなければ、彼らだって普通の人間と変わらないだろう」

『だから分からないの。どうして守護者はレイのことを、そんな風に呼んだんだろう?』


 大きな音がして、部屋の扉が開くとミスズが入ってくるのが見えた。彼女は私の姿を確認すると、飛びつくようにして抱き着いた。


「起きたのですね、レイラ」

 私は痛む身体でなんとかミスズを押しやる。

「心配かけたな。でも俺はもう大丈夫だ。それよりミスズが無事で本当にかったよ」


 不安だったのだろう、ミスズの目からはせきを切ったように涙が溢れ出した。なんだか嬉しいような面映おもはゆいような、そんな複雑な気持ちで私はミスズに無事を説明し、看病してくれたことに対して感謝をした。


 ミスズが落ち着くのを待ってから、彼女にたずねることにした。

「それで、廃墟で別れてからミスズたちはどうしたんだ?」


「レイダーたちとの戦闘を継続しました。でも多脚戦車が現れて、無差別に攻撃を始めたので私たちは戦闘に巻き込まれないように、混乱した戦場から離れて状況が落ち着くのを待つことにしました」


「レイダーギャングはサスカッチとやりあったのか?」

「はい。あの……たぶんですけど、レイダーはサスカッチが私たちの仲間だと勘違いして、戦っていたのだと思います」


「あり得るな……。そのあとはどうなったんだ」

「カグヤさんからの通信で、戦場から離脱した大型ヴィードルについての情報が手に入ったので、リーさんたちと一緒にそちらに向かいました」


「そのとき、サスカッチの側に守護者はいたのか?」

「守護者ですか……? いえ、そのときは見ていません」と、彼女は黒髪を揺らした。

「それなら、サスカッチと守護者は別々に戦場にあらわれたのかもしれないな」


『多脚戦車のサスカッチはあのとき、たしかに暴走していた』と、カグヤは言う。『正確には、指揮権を持つものが不在で、与えられた任務を愚直ぐちょくに継続していただけなんだけど』


 私は咳込み、胸の痛みに顔をしかめる。

「守護者は車両や機械人形の種類を問わず、ネットワークを介して遠隔操作する術を持っているのかもしれないな」


「レイラ、まだ無理をしてはいけません。せめて横になってください」

 ミスズの言葉にうなずくと、ベッドに横になった。枕からはミスズの匂いがした。


「あっ」と、彼女は思い出したように言葉を口にした。「私、クレアさんを呼んできます。レイのことをすごく心配していたので、安心させたいです」

 慌ただしく出ていくミスズを横目に、私は重たい瞼を閉じた。



 しばらくして人の気配に目を開けると、クレアの横顔が目に入った。

 窓の外を眺める彼女の顔には痛々しいあざができていて、頬も腫れて唇も切れていた。彼女は私が目が覚ましたことに気がつくと、無理して微笑んで見せた。それから壁際に置いてあったイスをベッドの近くに運んできて座った。


「調子はどう?」と、クレアはいつもの調子で言った。

 私は感情を冷ますように息を吐き出した。


 クレアを傷つけた人間は死んだのだ。腸をぶちまけて、むごたらしく、そしてみじめに。だから落ち着け。全ては終わったのだ。


「まだ痛みはあるけど、でも大丈夫。死にはしない」

「そう? なら辛気臭い顔してないで、もっと喜んで」と彼女は笑顔で言う。


「そんな顔をしていたか?」

「してたよ。診察を待つ子供みたいに、不安で、今にも泣き出しそうな顔だった」


「まさか」

 私は上体を起こした。身体からだはひどく痛んだ。


「クレアはどうだ?」

「平気だよ。すこし殴られたけど、それだけ」


 それを聞いて安堵感あんどかんからか、全身の力が抜けていくように感じられた。

かった」


「うん、私はよかった。でも一緒にいた女の子たちのなかには、今も男の人が怖くて、組合の治療室から出られない子もいる」

 クレアは涙を堪えながらそう口にした。


「……そうか」

「レイたちが助けに来てくれた」


「大切な友人のためだ」

「だから、私は助かった」

「それだけじゃない。クレアが諦めなかったから、だから助かったんだ」


 クレアは頭を横に振る。

「運がかっただけなのかも……」


「強くあろうとしたからだよ。こんなことを言うのは、傷ついた他の子に悪いけど、きっとクレアが諦めていたら、その子たちと同じ目に遭っていたのかもしれない」


 クレアの堪えきれなくなった涙が、彼女の頬を伝ってこぼれる。

「私は強くなんてない」


「いや、強いよ。そうだな……」と、私は窓から差し込む日の光に目を向けた。「クレアは運がかったって言っていたけど、運があるっていうのは、例えば廃墟を歩いていて誰かが撃った流れ弾が頬をかすめて命拾いした。とか、偶然に立ち寄った廃墟の建物に、貴重な遺物があった。とか、そういうのが運だ。自分自身ではどうすることもできない、ことわりのなかで起きる出来事が運命だ。


 でも、この崩壊した世界でそう言ったことが起きるのはまれだ。俺たちが遭遇するほとんどの問題は、自分自身の力であらがい戦うか、あるいは諦めるか、その選択肢しかない」


「選択?」と、クレアは震える唇で呟いた。


「人擬きの巣に迷い込んだ人間が襲われるのは、それが運命だったからじゃない。生き残るための努力もせず、必要な情報を得ることをおこたった人間だから人擬きに襲われるんだ。分かるな? クレアは最後まで諦めなかった。レイダーに捕らわれながらも抵抗し続けた。それができたのは、絶望のなかにあっても生きる希望と、強い意志を持ち続けられたからだ。そしてそれは、クレアが強い人間だからできたことなんだと思う」


 クレアはとうとう声に出して泣き始めた。

 私は痛む身体からだをベッドに横たえると、クレアが落ち着くのを待った。


 次に目が覚めたときには、ヤンとリーが来ていた。

 私はリーに手伝ってもらいながら、汗や血液で濡れた服を着替えた。


 それから戦場でのヤンの自慢話を聞き流していると、彼は突然、思いつめた顔をして私に頭を下げた。

 ヤンは私に大きな借りが出来たと話した。いつか借りを返して、必ず償うと。


 けれど私はヤンに何も貸した覚えはなかった。

「お互いさまだよ、ヤン。それでも納得できないのなら、もしも俺とミスズに何かあったときには助けてくれ。そのときには、借りを返す。なんて冷たいことを言わずにさ」


 彼らが帰ってしばらくすると、イーサンとエレノアがやってきた。イーサンは草臥くたびれたいつもの背広を着ていて、ウィスキーのボトルを見舞いにくれた。私がいつものようにエレノアの美しさをたたえていると、イーサンが切り出した。


「あの日、俺たちは廃墟の遊園地に守護者の一団が接近することを確認していた。けどレイが連中に囲まれたときも、俺たちは怖くて動けなかった」


「俺が同じ立場でも、きっと動けなかったよ」と、私は素っ気無く言った。

 イーサンは頭を横に振った。


 それから適当な紙コップを拾ってきて、そこに持参したウィスキーを注ぐと飲み始めた。


「いや、相手が守護者だろうと、きっとお前さんは助けに動いてくれただろうな。レイはそういうやつだ」

「まさか」私は乾いた笑いで答えた。


「お前さんの側を離れた守護者は、あれから周辺のレイダーを全て狩り尽くした。おかげであの辺りは、ここらで一番安全な場所になった」


「どうして守護者は俺を助けたと思う?」


「それなんだが」と、イーサンはなにかを口にしようとするが、すぐに諦めて、琥珀色の液体と共に喉の奥に流し込んだ。「俺たちはもう行くよ。身体の調子が良くなったら、また酒場に会いにきてくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 ミスズと二人になると、彼女は甲斐甲斐かいがいしく私の世話をしてくれた。私はそんな彼女に遠慮しながらも、甘えさせてもらった。



「死にそうになったの、これで何度目?」

 ひとりになると、ふとそんなことをカグヤにたずねた。

『三度目かな』と、なんでもないことのようにカグヤは言う。


「いつまで続くんだろうな」

『痛みが?』


「生きる苦しみ」

『なにそれ? 死にかけて感傷的になってる?』


 私が黙りこむと、カグヤは大袈裟おおげさに溜息を吐いて見せた。

『どうなんだろうね……でも、あんなにいい仲間に囲まれて、それでもレイは不安?』

「仲間か……考えようともしなかったよ。なにもない暗い人生だったから」


『でも、光は差してる。そのことにレイは気がついていないだけなのかもしれない。だからね、そのうち自然に分かってくると思う。ミスズや、私のことを考えているうちに。それで気がつくの。この世界には自分の居場所があるって、光のなかに人生があることを』


 私はまぶたを閉じた。ひっそりとした冷たい暗闇の中に光を見出すことはできなかった。けれど、悪夢はもう見ない気がした。ミスズの心地よい鼻歌を聞きながら、私の意識は溶けだしていった。不安はなかった。次に目が覚めたとき、私は光を見つけられるのだから。


 この世界のどこかで、きっと。

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