第10話 鳥籠 re


 鬱蒼うっそうと生い茂る樹木の間を掻き分けるようにして、薄暗い森を進む。急に環境が変化したことにミスズは戸惑とまどっているようだったが、無理もない。巨人の墓標にも似た高層建築群の側に、亜熱帯のジャングルを思わせる森が存在しているなんて誰にも想像できないのだから。


 ヴィードルの防弾キャノピーに昆虫が張り付くたびに私は驚き、いちいち反応していたが、ミスズは昆虫が平気なのか、三十センチはありそうな巨大な甲虫の気味の悪い姿を興味深く眺めていた。


「ミスズは昆虫が苦手じゃないのか?」

「施設で虫を見かけることは、ほぼありませんでしたから……苦手と言うより、珍しいです」と、彼女はあっけらかんと答えた。


「なんとも羨ましいことだ」

「レイラにも苦手なモノがあるのですね」


「以前、人擬きの大群に追われているときに、草陰に隠れたことがあったんだけど、そこに大量の昆虫にムカデがいて……」そのときのことを思い出しただけで、昆虫が首元をうような不快感がして身体からだが震えた。


「ムカデですか?」と、彼女は首をかしげる。

「施設の資料室で写真を見たことがある程度ですね」


 ちらりと視線を動かすと、赤黒い光沢を帯びた八十センチほどのムカデの姿が見えた。それは数えきれないほどの脚を動かしながら、樹木をゆっくりと登っていた。


「それなら、本物がすぐそこにいるよ」と、私はムカデから視線を外しながら言う。

「……レイラ、あれはダメです。もはや怪物です」


「意見が一致してよかった」

 ヴィードルの装甲によって、ムカデとの間にへだたりがあることに私は感謝した。


「この森にいる虫はすごく大きいです。資料で見ていた昆虫やムカデは、もっと小さかったような気がします……なにか理由があるのでしょうか?」


 後部座席からミスズが首をかしげる様子を見ながら、私は質問に答えた。

「周辺一帯で使用された新型爆弾の影響なのか、それとも生態系に変化を与えるなにかが――それが何かは見当もつかないけど、生物を変化させるような出来事が旧文明期にあったのかもしれない。森の深いところには、もっと大きくて恐ろしい姿をした昆虫もいるみたいだ」


「それはかかわりたくない種類の生き物ですね」

「たしかに」


 道なき道を進み、しばらくすると街道に出ることができた。実際には街道ほど立派なモノではなく、獣道というやつだった。土がむき出しの地面は整備されていないし、行商人の大型ヴィードルが残したわだちには水溜まりができていて、その周囲には蚊などの羽虫が大量に発生している。それでも昆虫型の変異体がいないだけ、快適に移動できる道だった。


 その獣道に沿って進むと、樹木を伐採したあとに残された切り株だらけの場所に出る。開けた視界の先に、灰色の高い壁に囲まれる鳥籠の姿が見えてくる。壁の補強のために廃車やヴィードルの錆びついた車体、それにツル植物が絡みつく航空機の翼が壁に沿って複雑に積み上げられていた。この鳥籠を人々がジャンクタウンと呼ぶ由縁は、そんな姿からきているのかもしれない。


 防壁の向こうからは、人々の生活が生み出す人煙の柱があちこちから立ち昇っていた。我々はそれを眺めながら、鳥籠の唯一の出入り口である入場ゲートまで向かう。普段は多くの人間で賑わい、露店ろてんの周囲には廃品を押し付けるようにして売ろうとする浮浪者の姿も見かけるが、今日は人気ひとけがなく、露店の店主たちはひまそうにしていた。


「それじゃ、ジャンクタウンのゲートについて簡単に説明するよ」

 ヴィードルを降りると、入場ゲートの側まで歩いていく。

「あの……あれって旧文明期の遺物ですか?」


 ミスズが指差した先に金属製の円柱が立っているのが見えた。人の背丈ほどある柱に近づくと、その一部が変形して内部に収納されていたコンソールがあらわれる。


「人々が〈鳥籠〉と呼ぶような場所には、旧文明の施設が多く残されているんだ。だからまぁ、鳥籠は遺跡みたいなモノだし、その装置も遺物で間違いないと思う」


「遺跡ですか?」

 彼女が首をかしげると、艶やかな黒髪がサラサラと揺れる。


「ミスズが暮らしていた施設だって、旧文明期の遺跡みたいなものだよ。自覚なかった?」

「そういえば、全然ありませんでした……」


「廃墟との大きな違いは、現在まで稼働している設備が残されているってことだ」

「現在の人々が、管理しているのですか?」


 ミスズの言葉に私は頭を横に振る。

「いや、管理はシステムによって行われている。文明崩壊直後に人々が急造した施設もあるみたいだけど、ほとんど旧文明期に建てられたモノだ。そういった施設に難民が押し寄せて、勝手に住み着いたのが鳥籠だと言われている」


「それなら、ジャンクタウンも難民たちの手によって形作られていった鳥籠なのですか?」


「そうだな」私はうなずくと、壁から迫り出すようにして建てられた監視所の出来損できそこないを指差した。「だから多くの建物が、廃墟の街から掻き集めてきたガラクタや廃材でつくられている」


 その監視所の一部にも旧文明期の鋼材が使われているようだったが、それ以外のほとんどが錆びた鉄板と木材で出来ていた。ちなみに森からやって来る人間を監視しているはずの警備隊員の姿は監視所になかった。仕事をサボっているのだろう。


「そう言えば、大事なことを忘れてた」と私は切り出した。「ミスズにひとつ頼みがある」

「なんでしょうか?」と、ミスズは首をかしげた。


「人前では、カグヤと大っぴらに話をしないで欲しいんだ」

「カグヤさんと話をしない……ですか?」


 困惑するミスズに私は言う。

「人体改造やら人工知能が珍しくない世界だけど、それでもカグヤの存在は特別なんだ。彼女から得られる支援や知識は、その道の人間ならどんなことをしてでも奪い、手に入れる価値のあるモノなんだ」


「だから秘密にしないといけない……?」


「そうだ。もちろん俺からカグヤを取り上げることなんかできない。たしかに俺はカグヤとつながっていて常に情報を受信しているけど、カグヤの意思で接続を切れば悪用されずに済む。それでもそれを知らない人間は、俺の頭をかち割ってでもカグヤの秘密を探ろうとするだろう。そういう人間はいくらでもいる。だからミスズには注意してもらいたい」


「わかりました。まかせてください」と、彼女は理解を示してくれた。


『それじゃ今から鳥籠の説明をするね』

 カグヤの言葉にミスズはうなずいた。


『人擬きや変異体、それに危険な略奪者たちからの襲撃を心配することなく、安全に暮らせる場所が鳥籠なんだ』

 ミスズは黙ったままコクリとうなずく。


『誰が〈鳥籠〉って言い出したのかは分からない、うわさでは遠い昔に守護者のひとりがそう呼んでいたって言われているけど……とにかく旧文明期の施設の周囲に、人間が暮らす安全な集落がある場所が〈鳥籠〉だって理解してくれたら充分だよ』

 ミスズはもう一度、深くうなずいた。


『私たちが今いる〈ジャンクタウン〉にも、旧文明期の施設がいくつか存在する。たとえば種と肥料があれば、時期や環境を問わずに農作物を作り続ける〈食糧プラント〉がある。難民たちがやってきた入植初期には、人間の死体を肥料として使っていたとかなんとか』


 カグヤの言葉にミスズは驚いて目を見開いた。彼女の施設では生野菜は食べられなかったのかもしれない。


『そしてもうひとつ、軍人に装備を供給するためにつくられた販売所がある。この施設は地下にある核防護施設の入り口に設置されている端末で、現在も利用することができるんだ。人々を収容するために建設されたシェルターは、今も封鎖されていて出入りできないけどね。


 文明崩壊後、その地下シェルターに収容された人間はいないって言われてる。だから本当はシェルターなんかじゃなくて、物資が保管された大規模な倉庫だったのかもしれない。その証拠に、端末を操作してお金を支払えば、軍の装備が際限なく手に入れることができるんだ』


 ミスズは口元を押さえて大袈裟おおげさに驚いてみせた。


『ちなみにミスズがおいしい、おいしいって言って食べてたレーション。日米共同開発の〈戦闘糧食十七型〉こだわり牛丼味も、その施設で購入したものだよ。消費期限については聞かないでね。私にも分からないから』


 ミスズは真顔になると、顔を青くしながら私を見つめる。


 やれやれ、と私は頭を振る。

「いいかい、ミスズ?」と、私は幼い子供をさとすように言った。「カグヤと話をしても問題ないんだよ」


「うん?」と、彼女は首をかしげる。

「情報携帯端末を使って遠く離れた人間と話をしたり、データを受信したりすることは普通に行われているんだ。だからカグヤと話をしたくらいでは、その存在が知られることはない」


「そうなのですか?」

「ああ。だからミスズは大袈裟に身構えなくてもいい。俺はただ、カグヤの情報について慎重になってもらいたいだけなんだ」


「わかりました」と、彼女はうなずいた。

「あの……それで、消費期限のことは本当なのですか?」


 やれやれ、と私は頭を振った。

「気にするな。おいしいに罪はない、お腹も痛くならなかっただろ?」


「はぁ……そうですね。確かにおいしかったです」

 ミスズは何だか納得していないようだった。


『ミスズ、いい? 最後にとっておきの情報があるんだ』と、カグヤは得意げに言った。『鳥籠を囲むようにして立つ高い防壁と、このゲートは旧文明期の遺物なんだ』


「壁も全部ですか?」

『そうだよ。鳥籠の住人が廃材で補強して大事にしているけど、大事にされるだけの理由がちゃんとあるんだ』


「補強なんてしなくても、並大抵の武器では小さな傷すら付けられないんだけどな」と私は付け加える。


「そうですね」とミスズは壁を仰ぎ見た。

「森が誕生するような、そんな巨大なクレーターをつくる爆弾の衝撃にも耐えたのですから」


『IDカードをコンソールに差し込んでみて』


 ミスズが言われた通りにIDカードを円柱の端末に差し込むと、柱の上部が変形して、バスケットボールほどの大きさの球体が姿をあらわす。それがまぶたを開くように上下に開くと、赤紫色のレンズからレーザーが照射されて、ミスズの頭のてっぺんから足の爪先までスキャンしていく。短い電子音のあと、IDカードが端末から吐き出される。


『これでミスズも鳥籠に入れるようになったよ』


 私がスキャンされている様子を見ながら、ミスズは疑問の表情を浮かべる。

「こんなに簡単に鳥籠に入れちゃうのですか?」


「普通は入れない。IDカードは住民権そのものだから、普通は鳥籠になにかしらの貢献をした人間しか入場許可はもらえないし、鳥籠に住むことも許されない」


「だからこそ、IDカードに情報を簡単に書き込めるカグヤさんの存在は秘密にしなければいけない……」ミスズは真剣な面持ちで言った。


 カグヤの遠隔操作で近づいてくる無人のヴィードルを眺めながら私は言う。

「個人の情報登録は、鳥籠の議会が所有している専用の端末がなければできないんだ。でもカグヤは場所を問わず簡単にできる。でも問題は、それがカグヤの秘密のほんの一部ってことなんだ」


 ミスズがヴィードルに乗り込むと、我々は入場ゲートに向かう。

 ゲートに近づくと障害物として設置されていた瓦礫がれきが、クレーンから伸びる強靭なワイヤーで引き上げられていく。すると薄青色の膜状のカーテンがその奥に見えた。周囲の空間が揺らいでいるようにも見えた。


「大丈夫だよ」

 ミスズに声をかけると、彼女は半透明の膜に向かってヴィードルを進める。


「あの半透明のカーテンが、入場ゲートでもっとも重要なモノなんだ。生体情報が登録されていない人間は、膜状のシールドを越えられない」


「不思議ですね……あっ、でもヴィードルは通過しました。機械は大丈夫なのですか?」


「人が搭乗しているものなら、事前に登録しなくても認識して通してくれる。制限はあるけど、機械人形も鳥籠に連れて入ることができる。機体の登録は必要だけどね」

「なるほど」


 ミスズが感心しながら半透明の膜を眺めていると、前方から声が聞こえる。

「そこのヴィードル、止まっていないでさっさと前に進め!」


 ゲートの先は通行を制限するためのコンクリートブロックなどが並べられていて、その側にアサルトライフルを持った男が立っていた。


 男の背後には廃墟の街で拾ってきた廃材で組まれた陳腐ちんぷな掘っ立て小屋があり、その中では賭け事に興じる不真面目な警備員の姿が見えた。


 ライフルを持った男は背が高く、長い黒髪をひとつにまとめていた。女が放っておかないタイプの精悍せいかんな顔付きをしていて、迷彩柄の戦闘服にベージュのボディアーマーを装備し、首元にはシュマグとも呼ばれる深緑の首巻をしていた。


「誰かと思えばレイか……なにしに来たんだ」と、男は地面に唾を吐いた。

「なにって、家に帰るんだよ」私は溜息をつきながら言った。


「家ね……」男は鼻で笑う。「そいつはなんだ。女なんか連れ込みやがって、色気いろけ付いてんじゃねぇぞ」

「なんだっていいだろ」


 男が道を塞ぐと、私は「やれやれ」と頭を振った。

「なあ、ヤン。疲れているんだ」


「だめだ、レイ。その子を紹介するまで、俺はこの場から一歩も退かない」

 ヤンはライフルを背中に回すと、癖なのか、ボディアーマーの位置を下げるように首元に両手をかけて私を睨んだ。


「ゲートが通してくれたんだ。彼女は問題のある人間じゃない」

 私の言葉を否定するように頭を振るヤンの後ろから、別の警備員がやって来る。


「ヤン、暇だからって一般人に絡むなよ。……って、なんだ。レイじゃないか」

 ヤンの部下のひとり、リーと私は挨拶を交わした。


 リーは短い顎髭を指先でこすると笑顔になる。短く狩り上げた髪に、一見冷たいように見える細い目は彼の知的さを際立たせていた。ちなみに彼もヤンと似たような恰好をしていた。


「レイ、諦めてくれ。こうなったらヤンは梃子てこでも動かない」と彼は言う。

 私は肩をすくませると、ミスズを側に呼んだ。

「彼女はミスズで俺の妹だ」と、私は彼らにミスズを紹介する。


「ミスズです。よろしくお願いします」

 ミスズは戸惑いつつも頭を下げた。


 それから、と私は言う。

「ミスズ、彼は友人のリー。となりに立っているのはヤンだ。おんなたらしの不良警備員だから、あまり近づかないように」

 それでは、と私はミスズの手を取ってヤンの横を通る。


「ちょっと待て」と、ヤンはワザとらしく眉間を揉んだ。「妹って、いつレイに妹ができたんだ」

「そういう設定なんだ。わかるだろ。いろいろと複雑なんだ」


「いや、まったく分からねぇ。けど、まぁいいか。レイのことだ、問題になるようなことは何もないんだな?」

「ない」私はきっぱりと言った。


「わかった」ヤンはミスズに向き直った。

「俺はヤン、鳥籠の警備責任者だ。困ったことがあったら何でも相談してくれ」


 ヤンは急に凛々りりしい声でミスズに挨拶すると、彼女の手を取ろうとする。

 私はミスズの手を引いて背中に隠す。


「ダメだ。ミスズは俺の相棒だ。ヤンに手は出させない」

「てめぇ……俺からクレアを奪っておきながら、よくそんなことが言えるな」

「奪ったつもりはないし、クレアは誰のものでもないよ」

 私がうんざりしながら答えると、ヤンは顔を真っ赤にする。


「てめぇ、この野郎――」


「はいはい。そこまでですよ」と、リーが私たちの間に入る。

「レイ、ヴィードルは預けていくんだろ」彼はヴィードルの装甲を撫でながら言う。


「ああ、頼むよ」

「整備は……難しそうだね。こんなブッとんだヴィードルを整備屋のギークどもに弄らせたら、分解されかねない」


「こいつのすごさが分かるのか?」

 急に機嫌がよくなる私に、リーは少し戸惑う。


「あ、あぁ。分かる」そうだな、とリーは顎髭をなでた。

「それなら洗車だけさせるか」

 リーが手をあげると、警備隊の詰め所のとなりにある大きな倉庫から、次々と男たちが出てくる。


 オイルで汚れた作業着を着た感じのいい男性に、ヴィードルを起動するための鍵を渡す。私とミスズは生体情報が登録されているから鍵を持つ必要がないが、街の整備士などにヴィードルを預けるときは必要になる。だから鍵は常に持ち歩いていた。


 もちろん鍵を渡すのは信頼できる人間だけだ。ヴィードルはカグヤと接続しているため、特定の人間にしか動かせないがそれでも用心をおこたらない。〈重力場生成装置〉などの貴重な遺物が積まれている機体なのだ。


「IDカードを」

 男性が小さな端末を差し出すと、私はIDカードをかざす。すると端末の画面に支払いが完了したことが表示される。


「よし、あとは任せときな」男性は帽子を取ると笑みを見せた。

 ヴィードルに積んでいた荷物をミスズと一緒に降ろすと、整備士は機嫌よくヴィードルに乗り込み倉庫に向かって走っていった。


「あの、大丈夫なのですか?」

 ミスズは走り去るヴィードルを心配そうに眺めた。


「大丈夫だよ。低速での走行しかできないように機能を制限してある」

「そうですか」

 ミスズはホッとした表情を見せる。短い間とはいえ、ヴィードルを操縦したことで愛着が湧いたのかもしれない。


 ミスズにそう訊ねると、彼女は恥ずかしそうに言った。

「それもありますけど。家政婦ドロイドさんの機体になるかもしれないので……」


「あぁ……そういうことね」

 不機嫌なビープ音が聞こえたような気がした。


「それじゃ、俺たちはもう行くよ」と、私はリーに挨拶する。「ヤンも、またな」

「今度ちゃんと話を聞かせろよ」と、ヤンはまだ不貞腐れていた。


「分かってる。俺のおごりで酒でも飲もう」

 鼻を鳴らすヤンと肩をすくませるリーに、ミスズも手を振って答えた。


 しばらくすると、ミスズは遠慮がちに質問してきた。

「クレアさんっていうのは、レイラの恋人なのですか?」


「まさか」と、私は苦笑する。「恩人ではあるけどね」

「恩人ですか?」


「クレアはこの鳥籠で診療所を開いているんだ。俺はその建物の上階を借りて住まわせてもらっているんだ」


「借家のオーナーさんですか」

 ミスズの物言いに思わず笑みを浮かべた。

「まぁ、そんな関係だ。ミスズにも会ってもらうことになる」


 街の通りは人でごった返していた。トタンのあばら家の前にジャンク品を並べる商人がいれば、積み上げられたコンテナの前で裸に近い格好で売りに出されている奴隷を囲む群衆があり、そうかと思えば、新興しんこうのカルト教団の宣教師が世界の終焉について声の限り説いていた。


 ミスズは巨大な牙を持つ犬に似た大きな変異体に驚き、捕らえた人擬きを射撃のまとにして金を稼ぐ男に恐怖で顔を青くした。それらにいちいち反応するミスズを揶揄からかいながら歩いていると、我々は目的の場所に辿り着いた。


 商人たちが集まる大通りを進んだ先、掘っ立て小屋よりは幾分いくぶんかまともな建物が並ぶ区画に出る。目的の場所は診療所として使われる建物の上階だ。診療所ほど立派な作りではないが、元々医療品の倉庫として使われていた場所だけあって造りはしっかりしていた。


 錆びて変色した階段は、所々小さな穴が開いていて階段の下が見えていた。部屋の前につくと、引っかかり嫌な音を立てる扉を開く。ほこりっぽい部屋。スポンジの飛び出た赤色のくすんだソファー。ベッドの錆びたフレームの上には、せめてもの抵抗に買った場に不釣り合いな新しいマットレスが敷かれていた。


 錆びの浮いた小型の冷蔵庫は空で、壁の窓はガラスなどなく鉄板を上方に押し開けるようにして開く窓になっていた。けれどトイレはしっかりしていて、シャワーも浴びられるようになっていた。


 所謂いわゆる、ユニットバスというやつだ。そのユニットバスは自作だ。街で共同使用するトイレに我慢できなかったから、食糧プラントに続く下水の配管等の面倒で汚い作業をいとわず、自分で工事を行い手に入れた快適さだ。


 ちなみに使用される水は全て雨水だった。建物の屋上にあるタンクで貯めたものを使う。飲み水には適さないのでシャワーとトイレにのみ使用する。私は荷物を床に置くと部屋のあれこれをミスズに説明したあと、彼女を連れて部屋を出た。

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