第9話 爆撃機 re
多脚の戦闘車両である〈ヴィードル〉が廃墟の街を進んでいく。六本の脚の間にある球体型のコクピットは、旧文明期の優れた技術で振動がなく、全天周囲モニターを通して見る風景にも揺れは感じられない。
瓦礫や障害物が少ない道路を進むとき、試しにレバーを全開にして高速で移動したが、シートに身体を押し付けられるわずかな抵抗を感じるだけで、操縦者の負担が少ないことに変わりはなかった。
「すごい乗り物ですね」と、ミスズが感心しながら言う。
「そうだな。シートが固くて尻が痛いのを
座っている位置を調整するが何も変わらなかった。
「やわらかいクッションが必要ですね」
ミスズも同意してくれる。
遠い昔に墜落し、今ではツル植物に覆われてしまった巨大な宇宙船の横を通り過ぎて、斜めに
球体型のコクピットは脚の間で回転し、常に搭乗者の姿勢を水平に保ってくれるため、傾斜がきつくなっても操縦席の環境に変化はない。それでいて全天周囲モニターに表示される映像は、しっかりとヴィードルの前面を基準に表示してくれているので、視界が悪くなることもない。
「ほぼ垂直に壁を上っているのに、
ミスズの言葉にうなずくと、コンソールを操作する。
「次は高所からの落下テストをしよう」
「最初は低い場所から始めませんか?」
『ミスズは高いところが苦手?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
ミスズもイヤーカフ型のイヤホンを通してしっかりカグヤの声が聞こえている。
「えっと……怖いというか、高い場所に上った経験がないので」
ミスズの声は、彼女が所持している情報端末を介してカグヤに伝わるようになっていた。ちなみにヴィードルのシステムもカグヤと接続されているので、彼女から送られてくる情報もしっかり全天周囲モニターに表示されていた。
『大丈夫だよ』と、カグヤはミスズを安心させるように言う。
『不安事はさっさと解消したほうがスッキリして気持ちがいいものだよ』
二人の会話を聞いている間に、ヴィードルは建物の屋上に到達する。私は落下するのにちょうどいい位置を探して屋上を移動する。
「本当に飛ぶのですか?」と、ミスズは不安そうに言う。
「飛ぶよ。いざってときに使えないと困るからね。ちゃんと機能のテストはする」
操縦桿から手を放すと、薄い銀紙のような
手の動きに連動して、ヴィードルのマニピュレーターアームが動いた。興味深いことに手首を回転させようとすると、アームもくるくると回転してくれた。もちろん私の手首は一回転して元の位置に戻らない。人間の手首の関節はそのようにできていない、それは機械だからこそできることだった。
ヴィードル前方のマニピュレーターアームを器用に動かして、移動に邪魔な瓦礫を退かしていく。コクピットに搭載されているセンサーによって、腕の動きをリアルタイムに認識し、ヴィードルのアームに反映しているので動きは正確だ。
手袋型デバイスを装着するのは、指の細かな動きを衣類等の障害物で誤って検知されることなく、忠実に動きを再現するために必要だった。最後に頼りになるのは、やはり枯れた技術なのだろう。
建物の屋上には、文明崩壊の混乱期に投下された爆弾の衝撃を物語るように、道路に敷かれた旧文明期の劣化がほとんどない特殊なアスファルトの破片が転がっていた。それらは爆発の衝撃で屋上まで吹き飛んできたモノなのだろう。
建物屋上の端から身を乗り出して、数十メートル下の光景を覗き見る。雑草に覆われた道路には、落下の障害になるような
「ミスズ、準備はいいか?」
私の質問に彼女はうなずいてみせた。
「よくないけど……大丈夫です」
『さっさと飛んじゃって、レイ』
カグヤの声を聞きながらヴィードルを後方に移動させると、一気に加速させて屋上から飛んだ。一瞬の浮遊感のあと、ヴィードルは凄まじい速度で落下していく。
ミスズの抑えるような小さな悲鳴を聞きながら、私はコンソールディスプレイに視線を向ける。〈重力場生成装置作動〉の文字が青く表示されると、ヴィードルは姿勢制御を自動的に行い、音もなく地面に着地した。ヴィードルの脚の先に生じた小さな重力場によって、落下の衝撃が相殺されたのだ。
「こいつはすごい。ミスズ、今の見たか?」
思わず、感情が溢れる。
「何が起きたのか分からなかったけど、すごいです!」ミスズは黒髪を揺らした。
『重力場を生成して落下の衝撃をなくしたんだよ。旧文明期の技術力は、
カグヤの浮かれた声を聞きながら、私はコンソールディスプレイをチェックする。
重力場を生成する際に消費されるエネルギー量は多かったが、この機能を
「限定的に重力場を発生させる……物理法則を無視しちゃうようなことも、旧文明期の技術は可能にするのですか?」
ミスズの質問にカグヤは得意げに答える。
『もっとすごいこともできるみたいだよ』
カグヤが得意げに言う理由は分からなかったが、確かにものすごいことが行われている。もちろん私にはそれが動作する理屈も原理も分からない。重力場生成装置は完全なブラックボックスだった。カグヤですら動作技術について知らなかった。ヴィードルに取り付ける際も仕様書を探し求めて危険を顧みず、何度か人擬きに殺されそうになりながら廃墟の軍事施設を探索して回ったほどだった。
放棄されていた端末を探し当て、何重にもかけられたセキュリティーを突破して、なんとか仕様書をダウンロードするころには、喜ぶ気力も残っていなかった。けれどハッキリと結果を出すことができた。努力した甲斐があったのだ。
何度か建物に登っては飛び降りて、それを繰り返し楽しんだあと、私はヴィードルを路肩に止めた。
キャノピーを開くと私は振り返る。
「次はミスズの番だ」
「私が操縦するのですか?」
ミスズは困惑しているのか、困ったように下唇を噛んだ。
「もちろん。ミスズもヴィードルを操縦できるようにならなければ、もしものときに困るだろ」
「……そうですね。わかりました。やってみます」
後部座席に座ると、ミスズのサラサラとした綺麗な黒髪を見ながら操縦方法を教えていく。あらかじめマニピュレーターアームを操作するための手袋も装備させる。手元の操縦桿は攻撃の際に射撃制御にしか使われないので、手袋が邪魔になることはないだろう。
スロットルレバーと足元のペダル、それと身体の重心移動だけでほとんどの操作が完結するヴィードルの抜群の操作性で、ミスズはあっと言う間に操縦を覚えていった。
「ミスズは操縦のセンスがあるな」
『レイよりずっと
「
ミスズの操縦で巨大な建設用機械人形が絡みつく建物をヴィードルは器用に登っていく。屋上に到達するのにさほど時間を要しなかった。
「
ミスズの言葉に私は同意する。どこまでも続く紺色の海。視線を動かすと、旧文明期が残した数々の巨大建築が目に飛び込んでくる。
崩壊し所々横倒しになった高速道路の高架橋が続く先には、遠近感が狂っているのかと錯覚するほどの巨大なピラミッド型の建築物があった。それは戦時下の爆弾の影響でいたる所に大きな穴が開いていた。
遠くに見える高層建築群の一角に、巨大な砲身を空に向ける建物が並んでいた。それは敵軍の爆撃機を撃ち落とすために戦争初期に建てられたモノだったと聞いている。カグヤが言うには建物内部は大量の砲弾を収納していて、敵機からの攻撃による誘爆を防ぐための壁は旧文明期の鋼材で強度が確保されているらしい。
ちなみに撃ち出される砲弾の衝撃波は、周囲の建物に影響を与えなかったとされている。
「レイラ、あれはなんでしょうか?」と、ミスズが空を指差した。
「無人の爆撃機だな」
モニター表示されている景色が自動的に拡大表示される。
「本当だ……飛行機です!」ミスズの声が弾む。
「飛行機を見たのは初めてか?」
「はい! すごいですね、あんなに大きなものが空を飛んでいるなんて……えっと、でも爆撃機ってことは、あの飛行機はどこかに爆弾を落としに行くのですか?」
『落としに行く機体もあるよ』カグヤが説明役を引き受けてくれる。
「戦争は終わっていないのですか?」
『全部じゃないけど、機械たちの戦争は終わっていないみたいだね』
「人工知能が戦争を継続しているのですか……?」
『人工知能ほど優れた意思決定はなされていないけど、
「止められないのですか」
空のずっと高い位置を飛ぶ爆撃機を眺めながら、私はミスズに言った。
「無理だろうね。まず俺たちはあれが
「アサルトロイドですか?」
「戦闘用の機械人形だ。軍の基地には必ず配備されている。過去にスカベンジャー組合が腕利きの傭兵たちと合同で仕事をしたことがあった。目的は在日米軍の基地だったが、帰ってきたのは後方に待機していた兵站組だけだった」
「そうですか……」
ミスズの琥珀色の瞳は、遥か遠くの空を行く爆撃機に向けられた。
『うん?』とカグヤが疑問を口にする。
『レイ、人の反応がするよ……ううん、違う。これは人擬き?』
モニターに表示されている地図に目を向けた。ヴィードルの動体センサーに反応し、地図上に赤い点が表示される。点滅する赤い点は、我々がいる建物のすぐ下を通過していた。
ミスズはヴィードルの頭を地面に向けるようにして建物の壁面に張り付いた。すると、ずっと下の道路に黄色いレインコートを着た子供が走っていて、その後を追うように四足歩行する人擬きの姿が見えた。
「レイラ、子供が襲われています!」
「ミスズ、待て――」
私が何かを言う前に、ミスズはヴィードルを操作し壁を蹴り空中に飛び出していた。
そのまま子供と人擬きの間に着地すると、ミスズはヴィードルの脚で人擬きを蹴り上げた。ボロ布を着た人擬きは衝撃で吹き飛び、地面でもんどり打つと、血を吐き出しながら素早く体勢を立て直した。
「カグヤ、キャノピーだ!」
私は座席後部からライフルを取り出すと素早く構える。
キャノピーが完全に開く前に撃ち出された弾丸は、開いていくキャノピーの間を通ってヴィードルに迫っていた人擬きの口内に入り、
人擬きはそのまま見当違いの方向にフラフラと走り、壁に激突して止まった。
私はヴィードルから飛び降りると、立ち上がろうとする人擬きの頭部に銃弾を撃ちこむ。一発、二発、三発目を撃とうとして指を止める。人擬きの頭部は顎の上からなくなっていた。その人擬きは全身の皮膚が無く、ヌメリを持つ赤黒い
ヴィードルに戻ろうとして振り返ると、ヴィードルに乗っていたはずのミスズの姿が見えなかった。どうやら人擬きに追われていた子供を保護しに向かったみたいだった。
子供……?
どうして子供がこんなところに……?
私は駆けだし、後ろから抱き着くようにしてミスズを抱えると、カグヤの遠隔操作で近くまで来ていたヴィードルに飛び乗った。
「カグヤ! 全速力だ!」
キャノピーが閉まると同時に、ヴィードルは私の身体をシートに押し付けるほどの加速をする。
「レイラ、子供が――」
ミスズの言葉に私は思わず声を荒げる。
「あれは子供なんかじゃない!」
振り返ると、子供らしきモノがありえない速度で走りながら我々を追いかけて来るのが見えた。
黄色いレインコートのフードが風でめくれると、銀色の光沢を放つ頭蓋骨が現れる。その瞳は赤く発光している。
「守護者……」ミスズのかすれた声がした。
「俺たちは釣られたんだ。カグヤ、壁だ」
「ミスズ、ベルトだ!」私に抱えられたままだったミスズは、素早く私の下に潜り込むと、カチャカチャと音を立てながら、急いでベルトを装着した。「俺が落ちないように身体を押さえていてくれ」
私の意図を察して、カグヤはヴィードルを適切な位置に移動させ、そして勢いをつけて壁面を蹴り空中に飛び上がる。
浮遊感に私は顔をしかめながら、追跡してくる守護者を睨む。操縦席から放り出されないように、ミスズは抱きしめるようにして私の身体をしっかりと固定してくれていた。そのミスズの体温を感じながら、私はライフルのボルトハンドルを操作すると、冷静に引き金を引いた。
弾丸は足に命中して、守護者のバランスを崩して瓦礫の間に転がり落ちる。
「カグヤ、逃げるぞ!」
後部座席に移り振り返ると、子供型の守護者が顔に奇妙な笑顔を張り付けたまま立っているのが見えた。その笑顔には違和感を持った。金属でできた頭蓋骨の表情が読めないから、そう感じたものなのかもしれない。
しばらくして周囲の安全確認ができると、私は息を吐いてシートに深く座り込む。
「ごめんなさい」と、ミスズの落ち込んだ声が聞こえた。
「謝らなくていいよ」私は本心から言った。「今回のことは不確定要素が多すぎた。ミスズのことは責められないし、その気もないよ」
「はい……」
周囲の索敵を行いながらしばらく無言で進むと、雑然とした廃墟から抜け出し、急に視界が開ける。
人工的な建物が作り出す灰色の世界から、あたりを
背の高い雑草が風に揺れていて、その間を奇妙な昆虫が飛んでいた。
「もうすぐ鳥籠に到着する」と、私は落ち込んでいるミスズに声をかけた。
「レイラは……」と、ミスズは言葉を口にした。
「戦うことが怖いですか?」
ミスズの質問の意図について考えようとしたが、すぐに諦めて彼女の質問に返事をした。
「怖いよ。とてもね」
「嘘です。私の知る限り、レイラはいつでも勇敢に戦っています」
私はミスズの様子に驚く。
「嘘じゃないよ。むしろ戦うことを恐れないって言う奴がいたら、そいつこそ嘘つきだと思っている」
「どうしてですか?」
「傷を負えば死ぬほど痛いし、それこそ死ぬ可能性だってある」
「私も痛いのは
「死にかけたことがあるんだ。痛みに意識が
祈る神も持たないのに、と私は情けない声で笑う。
「でもまぁ、人間は痛みを忘れるように出来ているからかな。気が付くと、また
「私も怖いです。レイラに迷惑もかけてばかりで……」
「
ミスズは頭を振る。
「止めてもいいんだぞ。言っただろ、ミスズの面倒くらい見られる」
一瞬、家政婦ドロイドと拠点にいるミスズの姿を見たような気がした。けどそんな気がしただけだった。
「やめません。生意気かもしれませんが、私はレイラと対等になりたい。何かをしてもらったら、同じことをしてあげたい。ううん、それ以上のことだってして見せます」
「そうなれたらいいな」
『そうだね』と、カグヤも言う。
『応援するよ』
そのときだった。ふと視線を感じて私は振り返る。
倒壊した建物の間、瓦礫が散乱する道路の真ん中に人が立っているのが見えた。モニターを操作して映像を拡大すると、古ぼけたロングコートに、赤色のお面を装着した奇妙な人間の輪郭が見えた。頭部には特徴的な二本の鹿の角、腰には――私は目を疑ったが、日本刀を差していた。コンソールを操作すると映像をさらに拡大させた。
『あれは守護者だね』とカグヤが言う。
衣類の間から見える金属の骨格は真っ白だった。
「さっきの子供が追ってきたのでしょうか?」
ヴィードルを反転させたミスズの問いに私は頭を振る。
「いや、あれは違う個体だ」
守護者は廃墟の街を指差すと、瓦礫の間に消えていった。
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