第3話 見つけた re


 網膜に投射されているインターフェースで、遊園地の上空を旋回していた〈カラス型偵察ドローン〉から受信している映像を確認するが、周辺一帯の廃墟に変化はなく驚くほど静かだった。


『それで、どうするつもりなの』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、私は声に出さずに返事をする。

『まだ分からない』


 視界の隅に表示されている〈汚染状況〉を示す数値を確認したあと、私はガスマスクを外した。


「あなたは人間なのですか?」

 若い女性はそう言ったが、彼女の声は震えていて聞こえづらかった。


「人間だよ……いや、君が人体改造手術を受けた人間を、人間と定義しない差別主義者でなければ、俺は間違いなく人間だ」

「改造手術……?」


 彼女のつぶやきを無視して私はたずねる。

「なぜ人間じゃないと思ったんだ?」

「あの……えっと、瞳が赤く光ったからです」


 周囲が暗かった所為せいなのかもしれない。伸縮した瞳孔どうこうがわずかな光を発したのが彼女に見えたのだろう。眼球を覆うナノレイヤーの働きで、濃紅色の虹彩こうさいを持つ瞳孔が金色の光を放つことがまれにあった。理由はわからなかったが感情的になると、その頻度は高まるようだった。


「連中の仲間じゃないんだろ、どうして捕まっていたんだ?」と、私は彼女に訊ねる。「いや、そもそもあんたは何処から来たんだ?」

「東京の……えっと、東京の〈第十七地区防護施設〉の――」


 東京?

 東京は文明崩壊の混乱期に――詳しいことは知らないが、海の底に沈んだとされていた。女性は混乱しているのか、わけの分からないことを口にしている。


『ねぇ、レイ。それって、いろいろと大変で急がなければいけないときに質問しなくちゃいけないような大切なことなの?』

 カグヤの言葉を否定するように頭を振る。それから女性にあとで話を聞かせて欲しいとだけ言った。


「分かりました」と彼女はうなずいた。

「俺は組合に所属するスカベンジャーだ。あんたはレイダーには見えないけど、助けは必要か?」


 私がそう言うと、彼女は自分の手足に掛けられた鉄のかせを煩わしそうに動かす。

「……助けは必要です」


 食人鬼の狂った集団に捕らわれている間に、彼女がどのような目にあったのか私には想像ができないけど、顔面蒼白になりながらも彼女は気丈にうなずいて見せた。恐怖からか唇が微かに震えていて、それ以上の言葉は出てこないようだったが。


「俺はレイラ。あんたの名前は?」

「……ミスズ」


 名前を聞けば彼女について何か思い出せるのかもしれない、そんな風に考えていたが、やはり彼女について思い出せる記憶を持ち合わせていなかった。他人の空似なのかもしれない、現に彼女も私のことを知らないようだった。


 ミスズからはチグハグとした妙な印象を受けた。精鋭の軍人のような恰好をしていながら、一方では遠目から見ても分かるほどに現在の状況におび身体からだを震わせている。〈鳥籠〉の外に出るような勇気がある人間には到底思えないのだ。


 けれど食人鬼に捕らわれていながらも、生きることを諦めていないその眼差しからは、戦士としての素質が十分にあることがうかがえる。少なくとも私が知る多くの臆病な人間よりも彼女は勇敢なのだろう。


 ミスズを驚かせないように、なるべく穏やかな口調で彼女に話しかける。

「俺はこの施設を占拠せんきょしているレイダーたちと交戦中だ。君を助けるために出来るだけのことはやってみせるけど、自分の命は自分自身で面倒を見てくれるか?」


「助けてくれるのですか?」と、ミスズは私に問いかけてくる。

「もちろん。できるだけのことはするよ、だから自分自身の身を守るように行動してくれるか?」


「はい」

 ミスズは顔面蒼白のまま、拳を強く握って見せた。


 希望は捨てていないし素直だ。緊急を要する場合、無駄なことを考えず素直に指示に従ってくれる人間は貴重だし、それだけで生き残る確率も高くなる。


「貴方が信頼できる人間なのかは分かりません、でも私はこの場所に残る気はありません」


 それもそうだ。と、私はうなずいた。

「それなら、少しだけそこで静かに待っていてくれ」それから、と私は言った。「今まで諦めずに、よく頑張ったな」


 放置されたままの機械人形に近寄ると、屈みこんで機体を眺めた。

 問題は制御チップだ。


『カグヤ、チップの場所は分かったのか?』声を出さずにカグヤにく。

『うん。それより彼女のこと、本気で助けるつもり?』

『そのつもりだよ。いくらなんでも、こんな場所に置き去りにはできない。そうだろ?』


 カグヤと話しながらミスズに視線を向ける。彼女は自身の身体を守るようにして胸の前で組んだ両足を抱きしめ、私に視線を向けていた。まるで肉食獣に睨まれた気の毒な小鹿のように、彼女の身体は震えている。


『使い物になりそうに見えないけど……』と、カグヤは言う。

『そりゃそうだろう。食人鬼で溢れた場所に捕らわれて、いつ殺されてもおかしくない状況にいたんだ。生きることを諦めていないだけ上出来じょうできさ』


 機械人形の胴体を引き起こすと、背中側についている制御パネルを露出させるためにナイフの柄でカバーを叩く。焦れば焦るほどカバーを外せない。


『待って、そのやり方じゃいつまでたってもカバーは外せない。落ち着いて』

 カグヤの言葉で私は自分の愚かさに気がつく。戦闘を想定した〈アサルトロイド〉の装甲が、軽く叩いただけで外せるわけがない。どうやら私は自分が考えていたよりも、冷静さを欠いていたようだ。慣れないハプニングの所為せいなのかも知れない。


 カグヤの指示通り制御パネルへのカバーを外す。メンテナンスを容易にするためなのか、思っていたよりも簡単に取り外せた。


『レイの視線を通して回路基板をスキャンするから、全体をゆっくり視界に入れて』

 素直に指示に従って視線を動かしていると、カグヤの不満そうな声が聞こえる。

『本当に彼女を助けるつもりなの?』


『この場所に彼女を置いてけぼりにしたら、むごい最期を迎える。あるいは、死んだほうがよかったって思うような生かされ方をするのかもしれない』

『でも、レイの柄じゃない』


『俺をどんな人間だと思っていたんだ』

 途端にカグヤは黙り込む。スキャンした画像と、データベースからダウンロードした設計図を照らし合わせるので忙しいのだろう。


『見つけた』

 しばらくしてカグヤがそう言うと、回路基板に差し込まれていたチップの輪郭が青色の線で縁取られる。私はカグヤの指示通り細長い小さな制御チップを傷つけないように基板から外した。


 そして静電気対策が施された電子機器保管のための小さな容器をバックパックから取り出して、その中に制御チップを収める。容器は丁寧にバックパックの衝撃緩和材が敷き詰められているポケットにしまう。このチップのための遠征だ。失くすわけにはいかない。


 それからミスズを拘束するために使用されていた鎖を切断するための工具を荷物から引っ張り出し、バックパックを背負い彼女のもとに向い鉄の鎖を切断した。施錠された建物に侵入するためだけに使っていた重いだけの工具だったが、人助けに使えるなんて考えもしなかった。


 ミスズが立ち上がるのを手伝うために手を差し出す。彼女は一瞬、私の手を取るのを躊躇ちゅうちょしてみせたが、私は構うことなく手を握り、彼女を立たせた。

「ありがとうございます……」


 ミスズはスラリとしていて、意外と背が高かった。平均よりもずっと背の高い私より、頭一つ分ほどの差しかなかった。座っていたときには気がつかなかったが、足が長くスタイルがよかった。


 ベルトポケットに挿していた予備のハンドガンをミスズに渡す。

「使い方は知っているな」

 私の言葉に彼女はうなずく。


「そいつを持って俺についてきてほしい。指示には必ず従うように」

 ミスズは慣れた手付きでハンドガンの弾倉を抜いて残弾を確認する。


 ふと思い出し、バックパックから水筒を取り出す。

「水だ、飲むか?」

 私が訊ねると、彼女は真っ青な顔で唇を動かした。

「飲みたい……です」


 水筒を受け取ろうと腕を伸ばすが、両手でしっかりと握られているハンドガンに気が付き、ミスズは一瞬考えたあと、思い出したように腰のホルスターに拳銃を収め、水筒を受け取った。


『この子、本当に大丈夫かな?』

『わからない』と、私はカグヤの質問に答えた。

 生きてこの場所から脱出したいなら、大丈夫じゃなくてもやらなければいけない。

「バックアップは任せたよ」と私はカグヤに言う。


「バックアップ……ですか?」

 ほうけた表情で見上げてくるミスズに、私は頭を振って答えた。

「こっちの話だ」

 それから崩壊している天井を睨んだ。


『なぁ、カグヤ』と、瓦礫に埋もれた機械人形を見ながら言う。『状態がさそうな警備用ドロイドは動くと思うか?』

『確認するから、一体ずつ触れていって』


 カグヤの指示通りに、私は機械人形に触れていく。手のひらに感じる軽い痛みに我慢しながら、接触接続によるハッキングを試みる。


 手で触れただけで旧文明期の装置や、機械人形を操作できる理屈は分からなかった。一度カグヤに質問したことがあって、丁寧に説明してもらったこともあったが、やはり私には理解できなかった。


 旧文明期の技術力は私が知る技術体系とは信じられないほどの隔絶があり、魔法としか思えない事象も多くあった。


 建物を飛び降りたときに、落下の衝撃をなくすために使用した〈重力場生成グレネード〉も、そういった旧文明期の技術力の一端を垣間見ることのできる代物だった。

 とにかく、電気的な接触を介してカグヤが接続してくれる。今はそれを知っているだけで充分だった。


 痺れる手を何度か握っては開いて、手の動きに違和感がないことを確かめた。それからハンドガンの弾倉を抜いて残弾の確認を行う。機械人形のシステムをハッキングできれば、戦力として使えるかもしれない。旧式の警備用ドロイドを起動して、略奪者たちと戦わせる算段だ。


 そして廃墟の遊園地に、もうひと騒動を起こす。敵が集結している現状、脱出のタイミングは限られている。だから使えるものは何でも使うつもりだ。


 突然、天井の大穴から略奪者らしき女性の声が聞こえる。

「馬鹿野郎! 奴の狙いは地下の武器庫だって言っただろ。どうして誰も確認に来ない」


 私は身を低くしハンドガンを構えると、いつでも動けるように近くに待機していたミスズに声をかける。

「今から戦闘に入る。できるだけ身を隠して、音を立てないようにして指示に従ってくれ」


「えっと……分かりました。やってみせます」

 ミスズはその外見通り、それなりの戦闘訓練をしていたのか、彼女の動きはなかなかどうしてさまになっている。私はミスズと共に移動して、鉄筋が飛び出している瓦礫の陰に身を隠すと、外に続く天井の大穴に向けて銃を構える。


 天井の穴から、地下の様子を確認する黒く薄汚れた女性の顔が見えた。自分自身に銃口が向けられていることに気がついた女性は、驚きに目を大きく見開いたが、私は容赦ようしゃなく発砲した。


 頬に銃弾を受けた女性は、糸の切れた人形のように前のめりに倒れると、そのまま瓦礫の上を転がり落ちてきた。射撃の際、引き金は必ず二度引くことにしていた。銃弾一発で確実に殺せるなんてことは考えていない。常に、確実にことを成すように努める。殺さなければ次に殺されるのは自分自身になるのだから。


 施設の上空を旋回していたカラスの映像を確認する。

 どうやら外にいる略奪者たちは、彼らが武器庫と呼ぶこの場所に集結しているみたいだった。こちらに向かって駆けてくる何人かの略奪者の姿が見えた。

 と、目の前で仲間を殺された略奪者たちが出鱈目でたらめな射撃を行う。


 私は瓦礫に身を隠して銃弾をやり過ごす。略奪者たちが放った数発の銃弾は、彼らの仲間だった女性の死体にも食い込んでいく。

「まだ待機だ、いいな?」


 ミスズの返事を待たず、今度はカグヤに質問する。

「機械人形はまだ動かせないのか?」

『もう少し待って』


 身を乗り出して射撃を行い、すぐに隠れる。

『急いでくれ』

『分かってる』と、カグヤが言う。


『時間をかけ過ぎだ。このままじゃ爺さんになっちまう』

 ハンドガンからサブマシンガンに持ち替えると、天井の穴に向かって適当に掃射する。握る力を加減したサブマシンガンは、射撃の反動で手の中で踊るようにして弾丸を吐き出していく。


 威嚇射撃のつもりだったが、瓦礫を伝って下りてきていた略奪者に命中する。禿げた頭部をペンキで緑色に染めていた略奪者は、我々が身を隠していた瓦礫の側まで転がり落ちてくる。酷い臭いのする男は肺をやられたのか、陸に引き上げられ空気を求めて溺れる哀れな魚のように死んでいった。


「またやられたぞ、一体どうなってるんだ!?」

 叫ぶ略奪者に向かって容赦なく銃弾を撃ち込む。今度は上手く身を隠したのか、仕留めることはできなかった。


「糞、糞、糞! てめぇはただじゃ殺さねえからなぁ!」

 略奪者たちの怨嗟えんさの声を聞きながら、私は弾倉の装填を行う。


『接続確認。警備用ドロイド動くよ』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、私はすぐに動いた。


 ミスズに指示を出し部屋の奥、開放したままにしていた扉の先に彼女を向かわせる。敵に対する何度かの制圧射撃のあと、私も奥の部屋に駆け込む。


 埃っぽい部屋に顔をしかめながら金属製の大扉の先にミスズを走らせると、扉に仕掛け爆弾を設置するためにその場に残る。


 バトンのような円筒をベルトポケットから取り出し、それを扉のすぐ脇にある左側の壁に設置する。壁に設置した筒の先、出っ張っている部分を引っ張ると円筒の先端と一緒に糸が出てくる。それは注意深く観察しなければ分からないほど細い糸だった。私は引っ張り出した筒の先端を扉の右側の壁に設置する。


 一見何もないように見えるが、扉の前に通された糸に引っかかると同時に円筒が爆発し、敵を無力化してくれる仕掛けになっている。罠の設置を終えると、私もミスズのあとを追って大扉の先に向かう。重い扉を閉じようとしたが、開ききった扉はその場に固定されていてビクともしなかった。


「カグヤ、そっちはどんな感じだ」

 階段を駆け上がりながらカグヤに訊ねる。

『警備用ドロイドを四体、敵味方問わず動く生物全てを攻撃対象に設定して起動した。今は地下に侵入してきたレイダーたちと交戦中だよ』


『レイダーとまともに戦えそうか?』

『古い機体だし、武器は腕に取り付けられた出力の弱いテーザー銃だけだから、全然ダメだね。ある程度の時間が稼げれば上出来かな』


「行き止まりです……」と、階段の先に困り顔のミスズが立っていた。

「自動開閉だったんじゃないのか」

 カグヤが私の疑問に答える。

『レイダーたちが来るかもしれないから、動かないように設定しといたんだよ』


「気が利くんだな」と、私は皮肉を言う。

『出来る女は嫌い?』

「まさか」


 声に出してカグヤと話していたからなのか、ミスズが不思議そうな表情で私を見つめる。私は肩をすくめ、それから上方に伸びるようにして開いていく出入口から頭だけ出して周囲に敵がいないか確認する。


「大丈夫そうだな……。なぁ、ミスズ。この先の部屋には大量の死体が吊るされているけど、問題ないよな?」

 ミスズはコクリとうなずくと、黙って私のあとについてくる。


 地面に埋まるようにして閉じていく出入口から大きな破裂音が聞こえる。扉に設置した罠に略奪者が掛かったのだろう。


「カグヤ、今閉じた出入口も動かないように設定できるか?」

『もう設定しておいたよ』

「助かる」


『あっ!』

「なにか問題が?」


『警備用ドロイドとの接続が切れた。全機やられたみたい』

「役には立ってくれた」

 敵のいない静かな廊下を進み、施設の外に繋がる出入口の前で立ち止まり姿を隠す。


 窓から空を仰ぎ見て、雲ひとつない青い空を飛んでいたカラスを視界に捉える。そしてカラスから受信する映像を確認する。


 付近一帯に敵の姿はなかったが、もう一度焦らず映像を確認していく。周囲の建築物に敵の姿がないことを確認すると、ミスズに合図を出し倒壊した建物の一角を目指して一気に走り抜ける。


 網膜に投射されているインターフェースに地図を表示させると、脱出するときのために事前に設定していた移動経路を確認しながら、廃墟の遊園地から出来るだけ遠ざかっていった。

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