最終話 私と彼と並木道
その後、ニュースで、惨殺事件の犯人が捕まったことが報道された。
犯人は町内に住む三十代の男性で、地元の工場で働く真面目な人だったらしい。
彼が犯行に走る原因になった出来事があり、今年入ってきた新人達が元不良グループの仲間同士で、気の弱い彼は私を殺そうとした日まで、ずっと苛められていたらしい。
上司に相談しても受け入れてもらえず、ずっと悩んでいたらしいのだ。
なぜあの女性を襲ったのかというと、殺人事件を起こした夜に彼女とぶつかり、彼女から「気をつけなさいよ」と怒られた。
その一言で、今までの
犯行に使われた凶器は、護身用に持っていたナイフで、とっさの犯行に使われたそれは、彼の自宅で血まみれのまま発見されたという。
彼の部屋からは、もう一つの証拠が見つかった。
それは殺された小松綾香さんの写真で、隠し撮りのものが壁に何枚も貼られていたらしい。
そこには私の写真も貼られていて、机の正面には、ナイフで×印をつけられた写真が二枚飾られていたという。
男は、ずっと前から小松さんを知っていたことを白状した。
毎朝すれ違う彼女が幸せそうで、ずっと羨ましく思っていたこと。
順風満帆な様子で会社に向かう姿に殺意を覚えたことなどを話し、護身用のナイフはネットで購入したと言った。
私のことはつい最近知ったようで、次はこの子を殺そうと、殺害する機会を狙っていたらしかった。
私が惟任さんと並木道に行ったときに、彼も近くにいたそうだけれど、その時は偶然にも惟任さんがいたので殺せなかったらしい。
それからもずっと、あの並木道で待ち伏せしていたのだという。
私とぶつかったあの夜は本当に偶然で、彼にとっては運が良く、私にとっては運の悪い、一方的な再会になってしまったようだ。
捜査で全ての裏が取れ、彼が犯人だということは確定したけれど、私への殺人未遂については報道されなかった。
それは、名越さんが気を利かせてくれたらしく、捜査はするけれど、発表は控えてほしいと、上司に進言してくれたそうだ。
おかげで目立つことはなかったけれど、次の日には顔が腫れ、切れた口の端が熱を持ち、蹴られた全身が痛んで一歩も動けなくなってしまった。
病院で診察を受けたら、骨に異常はないと言われたけれど、酷い打撲のため、しばらく学校を止むようにと強く言われてしまった。
そのおかげで堂々と学校を休めたので、少しラッキーだった。
私が休んでいる間に、学校でも変化があったと聞いたのは、お見舞いに来てくれた香苗からだった。
まず、妹が転校することになったというのだ。
理由はわからないけれど、転校する日まで学校を休み、お別れ会にも出席しなかったという。
父の件でそうなってしまったのだろうかと思った私に、お見舞いに来てくれた香苗は「気にしなくていいよ」と言ってくれた。
けれど、妹からあんな事を言われた後なので、気になってしょうがなかった。
私が学校を休んでからというもの、妹はずっと不機嫌で、クラスメイト達に強く当たり散らしていたらしい。
それから間もなく転校する事が決まったが、もともと薄い付き合いだったのか、お別れ会に出席したのは、数人のクラスメイトだけだったそうだ。
あまり評判が良くなかったようで、取り巻きみたいな人達も転校すると聞くやいなや、あっさりと離れていったというのだから、笑えない。
「自業自得なのよ、あの子は。いっつも人のこと見下してたし、あなたのことだって、ずっと悪く言ってたんだから。それを知って怒鳴り込んだけど、もう転校が決まってたから、けっきょく怒れなかったわ」
妹の本音を聞けて、すっきりした気持ちもある。
けれど、やはり嫌な気持ちのほうが強く残っている。
香苗が代わりに怒ってくれたことで、救われた部分は大きかった。
次に、学校の対応が大きく変わった。
これまで学校は、血の繋がった親、あるいは戸籍上の親であれば、生徒との面会を認めてくれていたらしい。
けれど、父の一件で母に怒られたらしく、親が離婚している場合、面会を制限するという規則が追加されたというのだ。
私が早退した日に、母は学校で校長先生と会い、戸籍上は父親でも、現在は他人である男を娘に会わせたことを非難した。
すると学校側は、実の父親ならば大丈夫だと思ったと答えたという。
それに対して母は、父がどういった人間なのかを語り、先生達を納得させると、すぐに対応を見直させたというのだからすごい。
父が私を殴ったことは、妹のところに怒鳴り込んだ香苗の暴露でバレてしまい、クラスメイトだけでなく、おそらく全校生徒に知られたことだろう。
その事を知って、香苗は謝ってくれたけれど、それより先に妹の口から、父が来たことや私の悪口などを聞いていたという匿名の証言があったので、クラスメイト達は私の早退で気づいていたかもしれない。
全校生徒に対しての説明もあったという。
クラスごとに、名前を伏せたまま事情を話し、お互いに複雑な状況だということを理解させた上で、無闇に問い詰めてはいけないと注意されたらしい。
私も妹も、嫌な思いをしないようにとの配慮だったらしいけれど、これについては効果がなかったと香苗は言っていた。
むしろ、噂好きの人やデリカシーのない人が、面白半分に想像を膨らませてしまったようで、転校前の妹に話を聞く人の姿を何人も見たと聞かされたのだ。
噂を気に入らなかった妹が、両親に頼んで転校を決めたのだろうか。
それとも、立場を悪くした父達が考えたのだろうか。
いいや、そんな面倒なことをするくらいなら、親しい人達には都合の良い言い訳をして、私の家に怒鳴り込んできそうだ。
香苗も転校の理由は知らないようなので、けっきょく分からずじまいだった。
そして一番変わったのが、香苗との距離だった。
今までは、当たり障りのない会話をして距離を置いていたけれど、妹の件で何を思ったのか、これまで以上に心配してくれるようになった。
本人は、「友達なんだから普通でしょ」と言ってるけれど、毎日お見舞いに来てくれるし、授業のノートやプリントも持ってきてくれて、これまで出来た友達よりずっと親切だった。
その事を彼女に話すと、呆れた顔で、「今までどんな人と友達だったのよ」と言われてしまった。
けして友人が多いわけではなかったけれど、こっちに引っ越してくる前は、女子のグループらしい付き合いはしていたと思う。
トイレはいつも一緒だったし、筆記用具もお揃いにして、リーダー格の子が良いと言った物は、たとえ高価でも買って見せ合っていた。
本当は好きじゃなくても、みんなに合わせて好きと言っていたし、みんなに嫌われたくなくて、いつも誰かに合わせていたような付き合いだった。
私にとって彼女は、これまで会ったことのないタイプの人だった。
一緒に何かしなくてもいいし、好き嫌いをハッキリと言い合えるし、親身になって相談に乗ってくれたりもする。
これが本当の友達なのだろうか、と考えてしまったことは内緒だ。
お見舞いにと持ってくれたプリンを食べながら、とても楽しい時間を過ごせた。
また明日ね、と言って帰って行く彼女を見送りながら、温かくなる胸を押さえる。
気恥ずかしい気持ちを誤魔化すように、上下の唇を強くくっつけて、足早に部屋へと戻ったのだった。
怪我が治るのには、一週間以上もかかった。
久しぶりに登校した日には、先生達だけでなく、クラスメイト達からも心配された。
すでに妹は、家庭の事情ということで転校していて、彼女が座っていた席は、とっくに無くなっていた。
それを寂しく思ったりはしない。
席があった場所には別の人が座っていて、教室は少しだけ広く感じた。
犯人逮捕によって、通行止めだった未舗装道路は通れるようになったけれど、私は毎日あの並木道を通っている。
時々は、木に寄りかかって考え事をしている惟任さんに会うけれど、彼は私が挨拶しても、視線を向けるだけで答えてはくれない。
彼と再会したのは、怪我が治り、登校を再開した日だった。
並木道はどうなっているのかと思い、怖い気持ちを我慢して行ってみると、彼は桜の木を見上げながら立っていたのだ。
まさか居るとは思わなかったので、驚いてしまったけれど、私はすぐに駆け寄った。
通報してくれたおかげで命が助かりましたと伝え、お礼を言って頭を下げたが、彼は何も言わない。
顔を見ても、黙って私を見つめるだけだ。
「……あの、私の顔に、何かついていますか?」
「いや……気にしないでくれ」
あれから毎日、朝になると同じ場所で会うのだけれど、やはり彼は何も言わない。
彼がどうして再び事件が起こるとわかったのか、なぜ事件が起こるタイミングが合ったのか、それについて聞いてみても、彼は答えてくれなかった。
とても不思議な人だ。
もう少しで冬がやってくる町で、飽きもせずに、一本の桜だけを見つめる人。
今日も挨拶をするけれど、やはり彼は答えない。
名越さんから何度か自宅に電話があった。
そのたびに心配されて、励まされたりもしたけれど、犯人の事情聴取が終わると一度だけ自宅に来て、これからの裁判について話してくれた。
犯人の裁判が始まるまで、まだまだ時間がある。
裁判が始まっても、刑が確定するまではもっと時間がかかる。
長い付き合いになりそうだね、と苦しそうで悲しそうに笑った彼は、また困った顔をして帰っていった。
父はというと、妹の転校で仕事を変えたのか、それとも異動になったのか。
あるいは、今の仕事を辞めてしまったのか。
家族揃って、別の町に引っ越したという。
彼女達から謝罪はなかったが、学校での暴行は殺人未遂の件もあるため、母と祖父がマスコミの対象にならないようにと、今のところは表沙汰にしないつもりだ。
祖父は訴える気満々だったので、不満そうだったけれど、母は泣きながら悔しそうにしていた。
それでも、私はその判断をよしとしている。
裁判を起こしたところで、あの人達が素直に謝罪することはないだろうし、殺人未遂の件を出してきて、また私を悪く言うことだろう。
いずれは決着をつけたいが、今はただ、静かに過ごしていたい。
祖母の写真の前で手を合わせながら、心からそう願った。
あっという間に過ぎた数年の日々の中で、わずか数日の間に起こった出来事は、あっという間に落ち着いた。
あれほど騒いでいた人達も、犯人が裁判を受けると知ると、また別の話題を見つけて騒がなくなった。
私の知らないうちに騒動は終わり、また静かな日々に戻っていく。
日常が戻ってきたのだ。
物足りない気持ちはある。
何かが変わった気もする。
けれど、それがどうしてなのかはわからない。
殺されかけた時に出会った半透明の男性が、何者かもわからないまま、時間はゆっくりと足早に過ぎていく。
私の周りが落ち着いても、ニュースではまだまだ事件の話をしている。
犯人の犯行動機や、捕まった経緯を説明しているくらいだけれど、マスコミが落ち着くまではもう少し時間がかかりそうだ。
実は、名越さんにも誰にも、話していないことが一つだけある。
あの日助けてもらった、半透明の男性についてだ。
あれは幻覚だったのか。
それとも、本当にいたのか。
それは今でもわからない。
見間違いだとは思えなくて、惟任さんと再会した時に、決めたことが一つだけあった。
何も言わない惟任さんと別れて、並木道を歩いていくと、穏やかな風が吹く。
あの時は吹き荒れていたことが嘘のように、冷たいだけの風は私の髪を揺らしながら、ゆっくりと撫でるように吹き去っていく。
順にイチョウの葉を落としながら、風は静かに通り過ぎていった。
またいつか会えますか。
もし会えたならば、きちんとお礼を言いたいです。
近くに立つ桜の木に心の中で話しかけても、もう風は吹かなかった。
彼のことは、再会するまで誰にも言うつもりはない。
人ではないという証拠を額に持った彼は、きっとまた、この場所に現れると思うのだから。
だから今は、待つことにする。
今日は快晴で、少し雨。
空を見上げて、私は笑った。
鬼の道 逢雲千生 @houn_itsuki
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