第8話

 駅員さんと会う手はずは真田さんがしてくれた。場所は『ムーンストーン』。手作りのロボットが鎮座しているテーブル席で、真田さんと桃香さんと三人で楽しそうに話している。BGMにかき消されて会話の内容までは聞こえないけど、駅員さんが笑っているのは伝わってくる。

 駅員さんに話しかけるタイミングは決まっていた。桃香さんがシンデレラを注文し、それをあたしがテーブル席まで運ぶ。

 グラスを桃香さんの前に置いて、しばらくその場に留まる。緊張してしまい鼓動が速くなっている。テーブルから離れないことを怪訝に思ったのか駅員さんがあたしに視線を向け、そして硬直した。

「きみは──」

「夢村月海といいます。夢の村に月の海でゆめむらつぐみ。自己紹介なんていまさらですよね」

 駅員さんの顔は蒼くなっていた。あきらかに戸惑っている表情。

 ワンテンポ遅れて雪乃さんがテーブル席に近づき、あたしの隣に並ぶ。

「こちらが雪乃さん。緑が丘駅の伝言板をずっとブログに書いていた、もうひとりのつぐみです」

「どうもです」

 雪乃さんが軽く頭をさげる。

 駅員さんは言葉を失ったままだった。息子さんとその恋人との談笑の時間を、突然の闖入者が壊したのだから無理はない。

「まずは謝ります。伝言板のことで誰かに迷惑をかけるとは思ってませんでした」

「それはうちも。迷惑をかけるのは不本意やし、伝言板に書くんはもうやめます」

 あたしは深く頭をさげた。駅員さんに謝ることは事前に決めていたことだった。伝言板に書きこまないことも。もっとも桃香さんが滋賀に帰れば自然に止まるのだけど。

「注意されたのは、どうしてあたしだけなんですか?」

 顔をあげてから疑問を投げかける。返事はなかった。駅員さんは「それは……」と口ごもっている。

「話してあげなよ」

 真田さんに促されて、ようやく「ああ」と声をあげた。

「きみたちが憎かったんだ。大切なものが壊されたような気がして。ただ、この子は智宏の恋人だから声がかけづらかった。それだけだよ」

 ゆっくりと駅員さんは話しはじめた。

 近い将来、緑が丘駅の伝言板は撤去される予定になっている。駅員さんもこの伝言板には思い入れがあり、撤去されるのはさみしく思っていたのだという。

 亡くなった奥さんと交際していた頃、伝言板を待ち合わせで使っていた。今とはちがい携帯電話もメールもなく、ポケベル(といっても、あたしはその存在すら知らないけど)もなかった時代。場所や時間をかなり具体的に指定しても、予期しないトラブルで落ちあえないときもある。

 だから駅員さんたちはひとつのルールを決めた。待ち合わせをするとき、駅の伝言板に必ずメッセージを残すこと。伝言板をみれば、相手が先についているかはわかる。なにかの用事があってその場を離れることがあっても、相手も必ず伝言板をみるので、その後の合流もしやすくなる。

 小さなルールだけれど、ふたりにとってはとても大切なこと。交際を続ければ、伝言板に書きこむ回数も増える。駅員さんにとって伝言板の思い出は、そのまま奥さんとの思い出につながっていた。

 本来の使い方で思い出を積み重ねていた駅員さんからしたら、あたしたちの利用方法はよくないものに映り、奥さんとの思い出まで土足で踏みにじられたように思えたのだ。

「私はただ妻との思い出を、静かに看取りたかっただけなんだ」

 話の終わりに駅員さんは静かにそうつぶやいた。

 あたしは想像をしてみた。

 今のように誰もなにも書きこまない伝言板ではなくて、言葉にあふれた以前の伝言板。何人ものひとの想いが書きこまれ、そのひとの数だけの物語があっただろう伝言板。廃棄物で埋め尽くされた月面ではなく、ちゃんと聴衆がいる地上で響く歌声。

 静かに看取りたいというのは、まぎれもない本音にちがいない。思い出が美しければ美しいほど歌姫の姿も美しいはず。

 廃棄物で埋め尽くされた月面で、たったひとりの聴衆になるのは本当にしあわせなのだろうか。誰もいない月面で、ひとりしかいない観客の腕のなかで亡くなる歌姫。それは美しい光景ではあるけれど同時にとても悲しい光景だ。

「伝言板や真田さんのお母さんの話、もっと聞かせてもらえませんか?」無意識のうちに言葉にでていた。「雪乃さんは今、駅の伝言板を題材に舞台をやろうとしているんです。たぶん作劇の参考になると思うんです。それと、」

 雪乃さんに目配せをする。意図を察したのか、呆れたように肩をすくめた。つぐみもひとがいいよね、と目がいっていた。あたしもそう思う。けれどこのひとのよさが、あたしらしさなのだろう。

「舞台にもぜひいらしてください。ひとの想いは記録して残すことはできないけど、言葉や物語にして託せます。形はちがうけど、わたしもつぐみも緑が丘駅の伝言板には思い入れがあります。その物語になります。だから観にきてください。人知れず消えていくのはあの伝言板だって望んでいません」

「伝言板の望みか。面白いこというね」

「今の時代、駅の伝言板なんて月で歌うようなものです。誰にも見向きされず聴くひとなんて誰もいません。いたとしても空気振動がないから音は聴こえません。存在意義のないものなんです」

「確かに」

 相づちを打つ駅員さんの声は悲しみの色を帯びていた。大切な思い出が忘れ去られていく存在だと再認識するのは、やはりつらいものなのかもしれない。

「けれど」と雪乃さんは言葉を続けた。「あまり知られていないけど、月にも大気があるんです。地球のそれとは比較にならないほどとても稀薄な大気ですけど。月の歌を響かせるために、わたしは大気を作りたいんです。舞台はその試みなんです」

 月を大気で覆う、それはたぶん夢物語でしかないだろう。そんな子供じみた幻想を信じてしまうのは、いくつかの小さな奇跡を知っているから。言葉で埋め尽くされているシモキタ伝言板。あたしと桃香さんの会話からはじまった緑が丘駅の伝言板。時代の流れで廃れていくはずのものでも、ひとを集めることはできた。

 雪乃さんの舞台も小さな奇跡のひとつになるはずだと信じている。規模はそれほど大きくないかもしれないけど、必ず誰かの心に響く。小さな奇跡が積み重なればやがては月を覆う厚い大気になり、歌の響く星になるはずだ。いつかは月にもひとが集まるかもしれない。いつかは月の歌が地上にとどく日がくるかもしれない。そんな夢物語をあたしは信じたい。

「月の大気を作りたいか。本当に変わっているね、きみたちは」苦笑いをする駅員さんは、どこかうれしそうでもあった。「わかった。約束するよ、きみたちの作る舞台は観に行くよ。ただ、私からもひとつ条件をだしていいかな」

「なんですか?」

 次の言葉を待つ。

 しばらくして照れたように告げられた言葉に喜んでうなずいた。

 きみたち以外の伝言板の物語も作ってほしい。月の歌を私にも聴かせてほしい──。

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月の歌 ひじりあや @hijiri-aya

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