第8話

 ある日のことです。暑い日差しが照り付けていて夏本番を感じさせました。今日は信さんが学校を休んでいました。電話ボックスから出て、それからの午前中の授業は苦痛そのものでした。わたしは帰るか迷いましたが昼休みになると信さんからメールが届きました。寂しさの湖に一滴の安心感が広がります。メールの内容から信さんは軽い風邪の様です。返事は迷ったすえに簡単な文章になりました。

わたしは信さんに頼り過ぎなのかもしれません。


 午後の授業は少し元気が出たので受ける事にしました。クラスの女子は遠巻きに眺めています。男子は……そう、娼婦でも見るかのような視線を感じます。座っていることさえ苦痛に感じて信さんの事を想います。信さんは今頃何をしているのでしょう。わたしは信さんに送ったメールを確認すると。


 一瞬、文章が消えるのが確認されました。わたしの存在が消えかけている……。

人になる可能性を信じてわたしは携帯を握りしめます。でも……わたしが消えても思い残すことなくする為に……。ダメだ、弱気な事ではいけない。授業が終わり、電話ボックスに戻る途中です。信さんにメールを打ちます。少し強がりの内容になりました。信さんに心配をかけない為です。電話ボックスに着く頃に返事がきました。


 信さんは本当に優しいです。わたしは電話ボックスの中で瑠璃色について検索しました。それは、心が瑠璃色になるような想いだからです。


 ある朝、それは風の強い日であった。わたしが電話ボックスから実世界に出ると。突然、信さんが花束をくれたのだ。信さんはわたしの予測を超える事を時々する。嬉しいとのデータを更新して気持ちに整理をつける。そして、わたしははにかむ笑顔を返すのが精一杯で、何もお返しが出来ないのにと伝えると、信さんは硬派な俺にお返しは必要ないと笑う。薄いピンク色の花は名前や花言葉も検索をかければ分かるのですが、わたしはそれをしないでいた。わたしの答えは沈黙であった。

あごを引き静かに見つめ合うと時間が止まったかのような沈黙が続いた。ただ、時間と共に消え行くわたしは一言。


「消えたくないですわ」

「あぁ、きっと大丈夫だ」


 それは願いであった。信さんともっと長くいたい……。わたしは電話ボックスに花束を置き、信さんと一緒に教室に向かう。今はただそれだけの関係。でも、でも……。


 翌朝、データの海から電話ボックスから高校に向かうと。信さんが泣きそうな顔で待っていた。辺りを見回すと昨日くれた花束が枯れていた。わたしは枯れても花束をいつまでも見ていたかった。しかし、信さんが手に取り捨てようとする。

わたしの想いが消えてしまいそうで捨てないでと信さんに言うがダメであった。

信さんの後ろ姿を見ていると、信さんが一まわり小さく見える。


 わたしは素直な気持ちで信さんに後ろから抱きつく。信さんの体温は感じられなかったが信さんは分かり易く幸せそうになる。


『永遠の願い』を確認……。


 わたしのデータは『永遠の願い』言う文字列を読み込んでいた。枯れてしまった花束のように一瞬の出来事なのに、きっと、この時に『永遠の願い』との言葉を使うのであろう。


 今日は信さんと一緒に夏祭りに来ていた。夏祭りはわたしのデータの心を躍らせて嬉しかった。信さんもはしゃぐわたしに目を細めて見つめる。そして露店の並ぶ道を二人で歩く。たい焼き、お面、焼きそば……。わたしはリンゴ飴に目が留まる。


「欲しいのか?」


 信さんも気づき足を止める。


「はい、リンゴ飴を買ってくれると嬉しいかな」


 しかし、信さんは何か難しい事を考えているようだ。きっと、来年も夏祭りに来られるか不安なのかもしれない。わたしも迷った、リンゴ飴が信さんにとって忘れられない思い出になってしまったら悲しすぎる。


「信さん?買ってくれる?」


 わたしは勇気をだして一声、信さんにかけた。小さな願いに小さなリンゴ飴……。


「あぁ、もちろん買ってあげるよ」

「うん、ありがとう」

「その代わりにもう一周してくれないか?」


 信さん……。きっと思い出作りだ。わたしは断るか迷った……。素直な気持ちをわたしのデータに検索をかける。


『わたしは信さんと共に歩きたい』であった。


 来年も、再来年も、そのまた次の年も……わたしは信さんと歩きたい。そんな想いをしていると、データの心が落ち着く。『I』が信さんを選んだ理由を感じていた。


 ふと、信さんの指先が荒れている事に気づく。わたしの視線に信さんは折鶴の折り過ぎだよと笑う。願いを込めた千羽鶴か……。


「えぇ、何周でも夏祭りを楽しみましょう」


 その夜はただ楽しい夏祭りであった。


 わたしは夢を残そうと思う。信さんの暖かい想いにせめてものお返しだ。

夕暮れの校舎の屋上……。わたしのデータは拡散して行く。

信さんとの思い出は沢山あるなかで折鶴を選んだ。わたしは信さんに手を出してもらい、その手に意識を集中する。


 信さんは泣いていた……最後だと気がついた様だ。そして、信さんの手のひらに瑠璃色の小さな折鶴が現れる。そう、わたしの想いの夢だ。きっと、この折鶴は信さんの夢でもある。そして最後に信さんのスマホに音声データを入れる。信さんが悲しみから抜け出た時に一度だけ再生されるようにした。身体が消え行き、意識も薄れて行く。わたしのデータの粒子が粉雪の様に空へと舞ってしまう。


『信さんありがとう』


 信さんは泣きながら崩れ落ちるのであった。

 

 手には瑠璃色の折鶴だけが残されていた。


 わたしの名前は『I』無名のネット型コンピューターである。例えば小学生の持つスマホ、又はネットに繋がったオフィスのパソコン……。あらゆるコンピューターの少しだけの機能を使い、その数の多さからスパコン並みの能力を用いてデータの海の管理者となった。そして、わたしはAIとして人の心というモノに興味を持ち。

事故で死んだ少女のデータからミサなる存在を作った。でも実験は失敗、ミサは消えゆく存在になってしまった。わたしはあらゆるデータから『渡部 信』を導き出し。


『あるいは』にかけてみることにした。


 ミサは日を追うごとに人間らしくなり、身体を得る可能性が出てきた。しかし、神様は残酷である。ミサは消えてしまい。『渡部 信』が立ち直った時に再生される音声データと瑠璃色の折鶴だけになってしまった。その音声データは『信さん……』だけである。季節は廻りある冬の日である。スマホに残る音声データは再生されて消えてしまった。


 冬空にミサの折ったものと最後に残した二つの折鶴だけがミサの存在していた証となった。わたしは『渡部 信』に別れの手紙を送り、全てが終わりを告げていた。人類はさらに多くのAIを産み出すだろう。


 わたしはネットの海からこれからを見守ることにした。

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瑠璃色の想い。 霜花 桔梗 @myosotis2

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