勇07 ばんくるわせ

 たてつけの悪い、おごそかな木製の扉がギシギシと軋みながら開いた。

 勇者は光虫カンテラをかざして、扉を半開きにしたまま、慎重に室内の様子を覗き見る。頭の上から、トンボも真似して覗き見る。


「ぱっと見、この階層には、だれもいないわね。思い切って、声をかけてみる?」


「魔物が律儀に返事をしてくれると思うかい? さぁ、なかに入るよ」


 トンボはそういって、無遠慮にほこりっぽい塔の内部へと侵入していく。それもそうねと重い鎧をがちゃちゃいわせながら、勇者も土足で入場した。


 ――あら、部屋に灯りが。

 最初は、たいまつの灯火かと思ったが、よく見たら、その光源は移動しているため、燭台のような設置物でないことがわかった。

 灯りの正体は発光ヤモリだった。一階の大ホールは発光ヤモリの住処と化しており、室内全体を明るく照らしていた。この爬虫類は、温血動物が棲むところに寄り集まる動物で、世界中に広く分布している。彼らが放つ魅惑的な緑色の光は、体内の毒物が皮膚越しに輝き見えていることを意味し、もしもあのヤモリを喰らえば、どんな巨人だろうとわずか半日で死に至るそうだ。

 取りも直さず、温血動物がいるということは、この主塔には、自分たち以外のだれかがいるということではないか?


「トンボ、近くに魔物の気配を感じたら、すぐにテレパシーで伝えて」


「もうとっくに感じてるよ。いつ飛び出してきてもおかしくないくらいにね」


 トンボはくんくんと鼻を上下させながら、周囲を注意深く窺った。

 大ホールは、四囲の壁が石造りの広々とした円形の一室だった。各所にある蜘蛛の巣や、壁のひび割れから推察するに、だいぶ老朽化が進行しているらしい。暖炉は荒れ果て、額縁の絵は破り捨てられ、燭台は根っこから折られている。床には、ひどく毛羽立った絨毯が、無造作に敷かれていて、何らかの汚れが付着していた。ほこりっぽい空気や張り巡らされたクモの巣、食べ物のすえた臭いとで、何度もむせそうになった。


「ひどい臭いだねぇ。腐敗具合からして、これらはかなり前に調理されたものだよ」


「料理のメニューは、魔物らしさ全開のフルコースだわね」


 勇者は丸テーブルに置かれた食指が全く動かない料理の数々を眺めた。

 毒々しい色をしたキノコのクリームスープ、溶かしたチーズを垂らした血染めのリンゴ、緑色のパウダーがまぶされたクッキー、脳みそらしき物体のスライス、煤けて焦げた蟲みたいなお菓子。ハーブの匂いがする濁ったアイスティー。


 ぜんぶ食べかけ&ぜんぶ腐りかけ。

 粗餐の周囲を哨戒するように、ぶんぶんと蠅や蚋が飛び回っている。

 飛んでる蠅と間違えたふりをして、トンボを叩き落とせたら、どれだけ面白いかという雑念を振り払って、勇者は周囲を見回した。


「うーん。トンボ、二階と地下なら、あんたどっちを選ぶ?」


 円形の壁を巡らせた螺旋階段が、人がひとりやっと通れるほどで、地下と二階に続いていた。

 たいてい、塔の地下というのは囚人を幽閉するための牢獄があるものである。そして、二階は城主の居間か寝室である事が多い。


「魔王を討伐したいなら二階。そして、ぼくを無慈悲にも投獄したいなら地下だね」


 彼女は大変迷ったが、熟考の末、小差で二階を選択することにした。

 音を立てないよう、息を殺して、壁に巡らされた螺旋階段を上がっていく。


 二階の部屋は、光源が一切ないため、鎧戸から差し込む日の光に頼らざるを得なかった。まあ、空は晴天だから普通に内部の様子はバッチリうかがえたけれども。

 天蓋付きの湿ったベッド。となりには大人の腰ほどまである木造の机がある。ほかにもタンスにナガモチにシャンデリアに……ベッドの上で寝息を立てている無防備な生物がいた。間違いない、魔素の気配からして、ベッドで寝ているやつは、魔族の血統を持つものだ。

 

 "見つけた。魔族の頂点にして絶対的支配者――あれがこの国の魔王様ね!"

 目と鼻の先で、魔王が粗末な毛布にくるまって寝静まっている。これほど奇襲を掛けられるチャンスは、滅多にないだろう。相手が文字通り"覚醒"する前に、はやいところ息の根を止めなければ。

 しかし、ベッドにクマのぬいぐるみが置いてあったり、木彫りのお姫様の人形が飾ってあるのは引っかかったが、据え膳食わぬはなんとやら、妙な気の迷いは起こさず、お命を頂戴したいところである。


 彼女は万が一のために、人形の後ろに隠れるよう、トンボに目配せで合図を送る。そして、鞘からお古の剣を抜きはらい、鞘を裏手に持ったまま、ゆっくりとベッドに忍び寄った。そいつの無防備な体は、羽毛布団ですっぽりと隠されていた。


 それにしても……異様に背丈が低いではないか。正直言って、これでは子供サイズだ。頭からつま先まで距離を目測してみたが、ドワーフと同等の身長しかない。寝息を立てているし、だれかがこの毛布の下で寝ていることは疑いないのだが。


 今すぐにでも毛布をはぎ取って、ご尊顔を確認してやりたい欲求にかられるが、奇襲失敗のリスクを負いたくはない。ベッドの脇までそっと近寄って、勇者は剣先を下に向け、両手で柄を握りしめながら、ゆっくりと剣を持ち上げる。

 すると、寝苦しくなったのか、毛布がもぞもぞと動き出して、小さな二つの手が、毛布を押しのけた。その瞬間、彼女は面食らった。


 ――子供だ!

 はっきりと顔は見えなかったが、寝ていたのは、人間の年齢で言うと5歳くらいの幼児だ。かすかにすーすーと寝息が聞こえてくる。"まさか、この幼い子供が、この国の魔王なの……?"


「そこまでです!」


 次の瞬間、殺気に満ちたどす黒い声が、勇者の背後から発せられた。

 振り返って、慌てて剣を構えると、閉じていた衣装箪笥がゆっくりと開き、暗闇の中から禍々しい妖気を放った魔族の男が現れた。


「二人目の魔王!?」


 ベッドのやつとは異なり、身長は成人男性のそれよりも少し高い。

 紫のもしゃもしゃ髪の下に、片方のレンズが割れた丸眼鏡を掛けている。鋭く湾曲した二本の角が頭部の両脇から突き出ていて、ブルーベリー色の肌には、魔族特有の入れ墨が全身にかけて浮き出ていた。三白眼の目は、般若のように吊り上がっており、山羊のような横長の黒い瞳を有している。口は耳元まで裂けており、不気味に笑みを浮かべているように見えた。


「こんばんは。まずはその武器を下ろしていただけますか?」


 悪魔のような男は、タンスから優雅に跳び下りると、勇者の剣を指さした。

 これはどういうことだろう。ベッドで眠っている幼い幼児より、タンスのなかに隠れていた男のほうが何百倍も強い魔素を放っている。


『あいつ、タンスに隠れている間、ずっと魔力をシャットアウトしていたらしい。

だからぼくらは、あの男の存在に気がつかなかったんだよ。こりゃ相当な魔力の使い手だね』


トンボが人形の後ろに隠れながら、すかさずテレパシーを送ってくる。


「……いいわ。てっきり、ベッドで眠っている方が魔王かとばかり思ってたけど。それじゃあ、あなたが正真正銘の……この国の魔王で間違いないわね?」


「ええ、僕がファルディラ教国の魔王です。魔王ヴァルドランと申します」


やはり、この男が魔王なのか。じゃあ、このベッドで眠っている幼児はいったい……。


「はてさて、旅の御仁……こんな廃墟同然の当魔王城に何のご用ですか? 失礼ですがあなたは……窃盗が目的の夜盗? それとも人攫い? どちらにせよ、娘は渡しませんよ」


 "娘……?"勇者は腑に落ちた。"そうか、ベッドの眠り姫の正体は、魔王のご息女なのか。正直に答えたいところだが、せっかく勇者の身なりで来たのだ。答えは勇者らしくシンプルに答えよう"勇者は慎重に口を開いた。


「いいえ、そのどちらでもないわ。三日前、あなたの暗殺を依頼する差出人不明の文書が届いたの。わたしはその依頼を遂行するため、ここへやってきた。だから、わたしが欲しいのは、あなたの首、ただそれだけよ!」


 ――キマった……。

 勇者は剣先を男に突き付けて、バッチリと決めポーズをとる。シーンと静寂が流れた直後、魔王の身体が噴火前の火山のようにプルプルと震えはじめた。


「嘘だ」


「えっ?」


「嘘ダァァァァァッ!」


 突如、魔王は目を見開き、絶叫を上げて、勇者に掴みかかった。


「目当ては娘なんだろう? 娘は渡さんぞ、この腐れ外道がァァァァッ!」


「ひいいいいっ!」


『なんだこいつ!』


 勇者は魔王の豹変した態度に度肝を抜かされ、思わず剣を取り落としてしまった。

 そして、成人男性の全体重が、彼女の身体にのしかかってきて、頭からベッドの上に押し倒される。魔王はなりふり構わず、彼女の鎧の襟首を掴んで、ぐわんぐわんと上下に激しく揺さぶった。


「娘は渡さん! 娘は渡さん! 娘は渡さん!!!」


 魔王は、怒りで正気失い、額の血管を怒張させる。

 組み伏せられた勇者の顔面に、勢いに乗った魔王の新鮮なつばを飛んできた。


「ちょっと、誤解もいいところよ! トンボ、なんとかしなさいよ!」


『いやだね! 半狂乱の魔王に手を出すのは、さすがに元最高幹部だったぼくでも願い下げだよ!』


 トンボは人形の後ろにじっと隠れて、ここでも日和見を決め込むようだった。

 魔王は一通り怒りを爆発させると、怒りから悲しみへ感情をシフトチェンジして、今度は彼女の胸に顔をうずめて、しくしく泣きはじめた。


「僕たちがあなた方に何をしたっていうんだ。ただつつがなく、平穏無事に娘と暮らしたいだけなのに……」


 男に押し倒されるのも、本気で怒りをぶつけられるのも、胸元でわんわん泣かれるのも、初めての経験だったので、勇者はすっかり鼻白んで、戦意が喪失してしまっていた。


「パパ……どうしたの?」


 だしぬけに、勇者の頭上近くで、布団がもぞもぞと動き、あどけない声が聞こえた。そして、勇者ははっと息を飲み込む。さきほどまで、勇者が殺めようとしていた魔王――世にも可愛らしい魔の幼き者がそこにいた。

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なりすまし勇者の魔王城再建計画 植田メロン @wonka_meron

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