勇06 からっぽの魔王城

「おっ、勇者さん。ついに見えてきたよ! 魔王城のおでましだ」


 トンボが能天気に望見から指さす。"もう到着してしまったのか"

 しつこいほど鮮明によみがえる先刻のトラウマ映像のせいで、勇者はすっかり放心したまま歩いていた。エヴァンの惨死から少しも時間が進んでいないような、そんな気さえしてくる。もはや、彼女もトンボも、あの事故を蒸し返そうとはしなかった。話せば、また気分が悪くなって、吐き気を催してしまうだろうから。だから二人は、何事もなかったかのように、しいて明るく振る舞うようにしたのだった。


 顔を上げてみると、いつの間にか荘厳たる魔王城が目の前にそびえ立っていた。やや、古めかしいが、それでも威厳たっぷりなのは間違いない。道中で見かけたひしゃげた瓦礫や残骸は、城塞都市の一環だったのだろう。何百年か前までは、立派な城塞都市が栄えていたのだろうが、そこかしこに戦乱の爪痕が残され、形骸化した廃墟群となっていた。


「これはひどいね、この有り様からして、もうこの国の魔王様は打ち滅ぼされているかもしれないよ?」


「どうかしら。まだ決めつけるのは早計かもしれないわ」


 魔王城に近づくたび、空気中に漂う魔素は加速度的に濃くなっていく。この魔の瘴……気間違いない、魔界には今でも、魔王が潜んでいるという証拠だ。どれだけ入念に鳴りを潜めていようとも、勇者の敏感な鼻はごまかせない。


 トンボを前面に押し出して、勇者は慎重に荒れ果てたゴーストシティを散策した。灰燼と化した荒野の最奥にある魔王城に到着するまでは、決して油断してはならない。

 腰を低くして、鵜の目鷹の目で、四方八方に警戒を行き届かせながら、城の塔を目印に一歩、また一歩と進んでいく。やがて、都市の廃墟を抜け、二人は何事もなく、丘上の城塞まで到着してしまった。


「トラバサミやトラップ魔法に細心の注意を払って進んできたけど、そんなものひとっっっつもなかったわ。警戒して損した」


「たぶん、先代の勇者様方が、その身をもって数を減らしてくれたのかもね。ラッキーだったね、勇者さん」


 トンボは、勇者の背嚢の中から小瓶を抜きとると、そこに入っていた貴重な蜂蜜酒を、遠慮なしに一気飲みした。彼女も、過度に神経を張り巡らせていたために喉が渇き、つられて背嚢から密造酒入りの革袋を取り出す。


 その芳醇な密造酒は、彼女ののどを潤すばかりでなく、英気をも養わさせた。そして、今までの及び腰から一転、酒の力を借りて勇者は強腰になる。血流がよくなり、ぽかぽかしてきたので、勇者は着ていた鎧を脱ぎ捨てたくなった。


 酒の大胆さも混じって、勇者はすぐにでも敵と相見えたかった。しかし、いつになっても、魔物は現れなかった。エヴァンが言っていた通り、つい最近、この地で激しい戦闘があったのだろうか。もしも、ニンゲン側が魔物を滅ぼしたのなら、なぜ、いまも魔王の気配をピリピリと感じるのだろう。魔王がいるなら、魔物立っているはずなのに。それにしても――


 この魔王城はあまりにも無防備過ぎた。

 城塞の堡塁は打ち砕かれ、外部からの侵入を許さない強固な造り――になっていないし、狭間からは息を潜める弓兵がこちらを――狙っていないし、大きく口を開いた殺人穴も――見当たらないし、城門の落とし扉は――だらしなく開けっ放しになっているし、跳ね橋は――かかったままで、簡単に敵の橋渡しを許してしまっていた。


 なんのための落とし扉だろう。なんのための跳ね橋だろう。ひょっとしたらこちらの警戒心を解くための罠かもしれない。跳ね橋を渡り切った瞬間に、落とし扉が下ろされて、こちらの体を真っ二つにする算段なのだろうか。きっと、わたしが音を上げて帰ろうとしたところで、搦め手から獣人どもが槍を突き刺してくるに違いない。すかさず、上空からはドラゴンが炎を吐いてくるかも。だから、決して逃げるわけにはいかない。

 一歩踏み出すたびに湧いて出てくる猜疑心のせいで、頭がひりひりと痛み出した。


 もう一度手酌で一杯やったのち、勇者は鞘から剣を抜き放った。お古で刃の欠けた剣ではあるけど、やっぱり剣を握ると勇気がふつふつと湧いてくる。

 だが、待てど暮らせど魔物は現れなかった。何事もないまま、勇者は城内と城外を――なんと12時間以上も往復しつづける羽目になった。盾を構えてジリジリ身構えながら、はや半日が過ぎ去ったのだ。足腰が途方もなく痛いし、酔いが醒めて気分が悪くなってきた。


 そして、勇者はあっと間抜けな声を出して、天を見上げた。


 いつの間にか、天候が雷鳴轟きそうな暗闇から、一転して、ぽかぽかと暖かい晴天へと変わってしまったのだった。キーキーと渡り鳥たちが大空を飛んできて、優雅に勇者の真上を旋回した。さんさんと照り付ける日差しを見上げて、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなった。魔界って、こんなにのどかだったかしら。そもそも、ここは本当に魔界なの?


 太陽が照りはじめると、魔王城は、美しい廃墟の町へと様変わりした。空気は未だ魔素が濃くて息苦しいが、晴れ渡った青空には綿雲が点々と浮かんでおり、魔王城の小高い丘の上から一望できる景色は、武陵桃源のように絶景だった。


「勇者さん、僕たち、やっぱり勘違いしてたのかな。空が晴れ渡るなんて、魔界ではありえないことだよ……。少なくとも、僕が居住していた魔王城では、年中暗闇で覆われていたんだから」


 トンボはその中性的な声を引き攣らせて、もっともなことを言った。


 ここが魔王城じゃないとすれば、ここはどこなの? いいえ、ここは絶対に魔王城よ。わたしは魔王の気配を確かに感じた。でも……櫓や狭間から狙撃してくる弓兵も、真っ向から襲い掛かってくる白兵も、転がってくる鉄球も、はまったら串刺しの落とし穴も、厩舎につながれた軍用馬も、なにからなにまでなにひとつとして遭遇できない!

 やっぱり本当に、この国の魔物は絶滅してしまったのだろうか?


 勇者は発狂したくなる気持ちを抑えて、冷静に周囲を観察する。

 半壊していたり、鍵がかかっている施設を除けば、足を運んでいない施設はまだあった。


 ――主塔キープだ。魔王城で最も高い塔、しかしそれは恐らく、もともとあった城から切断されて、上空から落下して地面に突き刺さったもので、わずかに右に斜めっていた。いいのか、敵の本陣に乗り込んでしまっても……。本来は、敵の対象である魔王様がいるところなのに……。


 なぜ、本来城のてっぺんに備わった主塔キープが切断され、地面にぶっ刺さってしまったのかは、時代を遡らなくてはわからないが、あの塔の中に、間違いなく魔王は存命していることがわかった。

 勇者は一度、魔王その人であるアルマニマと接敵しているため、魔王が放つ特有の魔素を感知することができるようになっていたからだ。


 なんだか、得も言われぬ罪悪感を感じる。敵が入念に用意してくれたギミックやトラップをガン無視して、最終ステージに乗り込んでしまうような、無粋な罪の意識。勇者としてあるまじき愚行。本当にいいのだろうか。


「はぁー、敵が出てこないのは妙だけど、魔王は確かにあの塔の中にいるようだね。手下に守られず、塔の中に引きこもってるなんて、いったいどんな魔王様なんだ?」


 トンボが低空飛行で、げんなりしながら言った。

 

 天にまで届きそうな主塔の入り口は、地上に設置された備え付けのハシゴをのぼって、数メートル上がったところにあった。

 ハシゴをのぼり切り、勇者はそっと入口の両扉に手を掛ける。その瞬間、ビビッと全身に電流が走った。


 "このおびただしい魔素の量――間違いない。強力な魔族がこの塔のどこかにいる。それも、魔王アルマニマと同等、いやそれ以上の強力なやつが……!"


 魔王と相見えられると思うと、勇者は俄然活力が湧いてきた。数か月前に味わった、魔王アルマニマの心臓に、短刀を突き立てた至高の感覚を再び味わえると思うと、よだれがたまらず溢れ出てくる。

 "どうやら、一番乗りはわたしのようね。ごめんなさい、勇者の坊やたち。魔王の首を討ち取るのは、勇者ならぬ勇者のこのわたし。《薔薇の勇者》の尻馬に乗るわけじゃないけど、魔王を倒したら、この国を、わたしのリゾート地に変えてやるわ。 


 彼女は気持ちを昂らせて、せっかくなので、この地で大冒険を繰り広げてきた実際の"勇者"の心境に切り替える。そして、頭の中で独演をはじめた。


 "みんな、聞いてちょうだい。ここまで、わたしを信じてついてきてくれてありがとう。この旅は、嬉しくて楽しいこともあれば、苦しくて辛いこともあったよね? でも、みんながいたから、魔王城まで辿りつくことができた! これからわたしは魔王なにがしさんを倒して、この国に平和と安寧を取り戻すつもりよ! さぁ、決戦の準備はいい? たとえこの戦いで負けたとしても、悔いの残らないよう、全力を賭して戦い抜くことを、いまここで誓いあいましょう!

 まずは、わたしから。みんなと出会えて本当に良かった。みんなとの旅の思い出は、わたしの一生の思い出よ。ここにいるみんながいれば、きっと魔王を倒すことだって乗り越えられる。だから、この戦いが終わっても一緒に――


「ねぇ、扉に手を掛けてから、何分硬直してるのさ! さっさと入りなよ!」


 トンボが焦れたように、激しく噛みついた。勇者は涙目になった。


「はい」

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