勇05 悪しき土地の洗礼
「それで、勇者さん。この新しい国でも、人々を騙して、勇者として名を馳せるつもりかい?」
勇者は勢いよく振り返った。遠心力で、背嚢にぶら下がっていたカンテラが、振り子のように揺れた。
「人聞きの悪い言い方しないで。みんなが勝手に勇者って呼ぶんだから、勇者でいいのよ。どこにいったって、わたしの本職は、人々に公言できるようなものじゃないんだから、この国でも勇者として真人間を装うのは当然の理でしょ?」
「はーん、だから、そんな勇者然とした装備をしてるんだねぇ。ご苦労なことだよ」
この新たなる旅の為、勇者が用意してきたのは鍛冶屋で一番安く売っていた数打ち物の剣と盾。そしてお古の騎士の防具一式。兜と鎧とマントは、もちろん勇者らしさを醸し出すための見せかけに過ぎない。アジトにいた時は、いつも身軽に動ける毛皮の下着だけを身に着けた軽装であった。
猛獣の毛皮からつくった背嚢には、密造酒がいっぱいの革袋と、空腹をごまかせる乾燥ハーブ。塩漬けの肉、大麦の固いパン、それとお菓子たっぷりの布袋。彼女のツガイの愛刀が二本に、ピッキング用のテンションとロックピック。就寝と収納を兼ね備えた折り畳みテントと毛布も入っている。
かなりの軽装備であるが、基本的に必要なものは実地で拝借してしまえばいい。というのが彼女なりの流儀であった。現地調達はサバイバルの基本だと、有名な著書にも書いてあったから。
「ふんふん、魔素の瘴気の強さからすると、もうそろそろ魔王城につくはずだよ。やけにゴールが近くないかい? それに、僕らの前に立ちはだかる魔物もいまのところゼロ。なんだか不穏な空気だよねぇ」
トンボは鍛え抜かれた嗅覚で周囲を嗅ぎまわり、空気中を漂う魔素の流れを読み取った。しかし、進めど進めど、魔物の一匹も飛び出してこない。こうも、敵が出現しないと、逆に不安になってくる。
「ひょっとして、この国に魔物は存在しないのかしら……」
「あはは! そんなことないよ『若葉の勇者』ちゃん! ほうら、こっちを見てよ! こっちだこっちー!」
やけに高揚として無邪気な声に虚を突かれて、勇者は振り向きざまにすらりと剣を抜いた。
そこには、苦しみもがく腕のような枝が飛び出た〈亡者の枯れ木〉の上に青いバンダナをつけた少年と青年の中間くらいの男がちょこんと座っていた。その記憶に新しい子供っぽい笑顔には見覚えがあった。
「あなた……大衆酒場にいた『青空の勇者』?」
「へぇ、僕のこと覚えててくれたんだ! うれしいなぁ。『若葉の勇者』ちゃん!」
〈亡者の枯れ木〉の脆弱な枝の上から飛び降りると、少年はふわふわと無重力状態のように悠然と地上に降り立った。
その同業の少年勇者は、鷹の意匠を凝らした打ち出し彫りのある青銅の小札鎧を着こなしており、指先に特殊な吸盤のついた手袋をはめていた。彼は澄み切った青色の瞳をぱちぱちさせてから、地面の石ころをひとつまみして、それを手の上で浮かせてみせた。
「近づかないで。妙な真似をしたら、ただじゃおかないわよ」
「ええ、そんな釣れないこと言わないでよー。みてみてー! 僕の魔法は見ての通り、重力を自在に操ることができる。だから、脆弱な枯れ枝の上に座っても枝は折れないし、この島へは空を飛んでばびゅーんと入国することができたんだ! ほーら、僕は自分の手の内を明かした。今度はきみたちが手札を見せる番だ。せっかくだから、どうやってこの島に来たのか教えてよ!」
なれなれしく近づいてくる『青空の勇者』の前に、トンボが立ちはだかる。
「わるいんだけど、お子ちゃま勇者様に対して、何も教える義理はないねぇ。まずはそっちから自己紹介をしてくれるかい? 二人は面識があるようだけど、ぼくはきみを知らないからさ」
トンボは獣のように歯を剥いて言うと、『青空の勇者』は面白がるように唇を湾曲させる。
「へぇ、ピクシーか。珍しいなぁ、初めて見たよ。やぁ、名も知れぬピクシーちゃん。初めまして、僕はバレリオン共和国の勇者、エヴァン・フォード。通称『青空の勇者』だよ。二年前に太古の魔王ドロガミを打ち倒した若き英雄なんだー! おっと、その物欲しそうな顔……当ててみようか? 僕のサインが欲しくなった? でも、悪いね、サインを予約している先客がすでに母国で三百万人を超えているんだ。ごめんねー?」
『青空の勇者』エヴァンは、茶目っ気たっぷりにそういうと、にこやかに笑う。トンボは顔を黒ずませると、それ以降、きっと口を真一文字に結んだ。今度は、勇者が進み出る。
「ねぇ、ここにいるのはあなただけ? ほかの勇者は見なかった? あなたの仲間はどうしたの?」
剣を握りしめながら、彼女は周囲をきょろきょろしながらたずねた。目につく限り、この浜辺にいるのは、かれひとりらしい。
「ほかの勇者はしーらない。あと、僕に仲間はいない。生まれてこのかた、僕はずっとひとりで冒険してきたからね。ところで、さっき言ってた魔物がいないとかどうとかいう話だけど、僕の見立てでは、間違いなく以前までこの国に魔物は存在していたよ。ほら、こっちの〈亡者の枯れ木〉の枝にぶら下がってる魔獣の骨がいい証拠さ」
エヴァンはぷかぷか浮きながら、今度は別の〈亡者の枯れ木〉に触る。その木には、縄で無造作に吊るされ、白骨化した獣の遺骸が数十近くぶら下がっていた。鼻から伸びた角、大きく湾曲した背骨、馬のような足等の骨格から、それは魔獣であることが推察できる。死んだのは四半世紀前のものもあれば、つい最近のものもあった。骨にはところどころ鈍器で打ち砕かれたり、剣ですっぱり断ち切られたていた。彼らは何者かに襲われ、木に吊るされたに違いない。
勇者エヴァンは〈亡者の枯れ木〉の白い樹皮をすりすりと優しく摩った。
「知ってるよね? 〈亡者の枯れ木〉は、死が多く存在する場所に生える縁起の悪い木なんだ。だから、この木には大勢の死者たちの怨念がこめられている。それもかなり立派に育ってね。樹齢はおよそ二百年程度だから、その間ずっと、死者の血を吸って大きく生長したんだろうなぁ。要するに、二百年も前から、この国には大きな死が蔓延していたに違いないってことさ」
勇者とトンボが何も言わずにいると、エヴァンはさらに話をつづけた。
「きっと、この魔獣どもはこの国にいる人間に狩られたんじゃないかな。かわいそうに。まあ、魔獣に遭遇したら僕も同じことをするだろうけど。焼いて、炙って、調味料をふりかけて、食べるとかね。あはは!
勇者が顔をしかめると、エヴァンは慌てて言い繕った。
「冗談だよ! 魔獣を食べたりするもんか。そんなことをするのは、狂人だけだ」
「ぼくから見れば、きみはじゅうぶん狂人に見えるけどね」トンボが辛辣に言った。「それよりも『青空の勇者』様。きみはどうしてぼくたちの前に現れたんだい? 親切にもわざわざぼくたちの疑問を解消するために、話しかけてきたわけじゃないんだろう? これは何かの罠ってことはないかい?」
トンボの談笑を許さない冷淡な追及に、勇者エヴァンは無邪気に笑った。
「鋭いね、ピクシーちゃん。じつはね、僕はきみたちにひとつお願いをしに現れたんだ。この先に魔王城があることは、勇者のきみなら重々承知のはず。このまま進めば、魔王の首級争奪戦は僕と君の一騎打ちになってしまうだろう。でも、それは避けたい。なぜなら、『若葉の勇者』さんはとってもビューティフルだし、ピクシーちゃんもすこぶるキューティクルだから、君たちを傷つけたくはないんだな。僕のこの気持ちが真実だって、わかってくれるよね?」
「だいたいはね。まあ、裏を返せば、手柄を独り占めしたいってことなんだろうけど。どうする、勇者さん?」
トンボはその小さな目で、勇者の大きな目をのぞき込む。
"やはり、そうきたか" といった感じだった。今回の魔王討伐競争は、いっけんただのゲームのようだが、実際は各国の勇者の沽券にかかわる名誉を賭けた勝負だった。この世界における魔王が次々と勇者に討たれて消滅していくなかで、この世に残存する魔王は、勇者の名を轟かせるための、希少なトロフィーといっても過言ではない。トロフィーは、飾れば飾るほど、勇者の箔を高めてくれるというものだ。
「もし、断ると言ったら?」
彼女は何の気なしに尋ねた。両手に剣を握りしめたまま。
「そのときは……実力行使かな。まあ、戦っても僕が勝っちゃうだろうけど」
エヴァンは笑顔を絶やさずにドスの利いた声で言った。
それから、周囲に散乱しているギザギザの小石をふわりと浮かせると、なるべく尖った方をこちらに向けて威嚇してきた。エヴァンの話を鵜呑みにはできない。もしも彼に仲間がいるとすれば、四方を囲まれて追い詰められてしまうだろう。 勇者は冷静になって、柄から手を離してだらりと垂らした。
よくよく考えてみれば、なんとも馬鹿げている話だと思った。なぜ勇者同士で争わねばならないのか。それも、どちらがはやく魔王の首を取るかどうかという子供じみたゲームで。勇者は急に馬鹿馬鹿しくなって、剣を下ろした。
「やめておくわ。ここでお互い全力を出し切って、収拾がつかないほど傷を負い、共倒れしちゃったら元も子もないでしょ?」
エヴァンは鼻白んだ様子で口をぽかんと開けると、すぐさま笑顔を繕った。
「あはは! なーんだ、まさか僕の凄味に怖気づいちゃった? 『若葉の勇者』ちゃんも、ふたを開ければかよわい女の子なんだねー?」
「勇者さん。もう我慢できない。この調子に乗ってる青二才に、少しだけお灸を据えてあげたいんだけど……」
気色ばむトンボを押し留める間もなく、勇者エヴァンは嬉しそうに目を細めた。
「おっ、まずは君が相手をしてくれるんだね? かわいいピクシーちゃん。さぁ、どっからでも、かかってきなよ! 犬みたいにわんわん泣かせてあげるからさ!」
「はて、泣きをみるのはどっちだろうね? これをみても、笑っていられるかい? 天の裁きをわが手に宿せ……! ≪ライト……」
そのとき、奇妙にも、勇者とトンボは同時に頭の片隅にあった記憶の扉を開いていた。親切にも貿易ガレー船の船長が教えてくれたあの言葉を……。"なんでもよぉ、その国で種類の異なる魔法を二つ以上行使した場合、体内を巡る魔素が暴走して、そいつ自身の肉体を破壊するらしい。あくまで、こいつは眉唾もののうわさだけどよ……"
うわさ……根も葉もないうわさだった。しかし、火のないところに煙は立たない。このうわさも、一概に事実無根と決めつけるのは早計ではないかと、勇者は思った。そして、トンボも内心では、そのうわさを恐れていたに違いない。
トンボは寸前で魔法の詠唱を中断して、はっと息を飲み込む。勇者も自分の鈍さを呪いながら、失念していたことを強く恥じた。この国では魔法は二つ以上使えない。うわさが真実なら、ここは慎重を期して、魔王と相見えるまでは切り札を温存しておくべきだ。以心伝心なのか、勇者もトンボも同じ考えに至ったたのだろう。お互いに顔を見合わせると、トンボは戦闘態勢を解除した。
「ん? なんだーなんだー? さては舌でも噛んじゃったのかな? ピクシーちゃん。それじゃあ、隙ありだ! 自己に眠りし魔の力を最大まで引きあげよ! ≪悪魔の抱擁≫!」
エヴァンは、ためらいもなく魔力強化系の呪文を詠唱する。島に上陸してから最初の呪文詠唱なのだろう。全身からおびただしい量の魔力が溢れ出ていた。
刹那、黄色い眼光を放つ大きな影が見えたかと思うと、それは彼を抱擁するようにして消えた。ひとつめの魔法に強化系を選んだということは、彼は知らないのだ。この国では種類の違う魔法を二つ以上行使してはならないことを……。忠告するべきだろう。このまま戦闘を続ければ、恐ろしいことになる。もしも、うわさが本当ならば……。
重力で浮かせた小石は、アイテムを使った見掛け倒しに過ぎないと勇者は見抜いた。なぜなら、一国を代表する勇者の本当の力はもっと図抜けたはずのものだから。これから、本当の重力魔法を撃ってくるはずだ。勇者は、すぐさま、休戦の申し出をしようとした。
だが、エヴァンは騎虎の勢いで、魔法を詠唱した。
「さぁ、受け止めなピクシーちゃん。僕のとっておきの大魔法を! そなたを無重力の世界へ招待しよう、≪グラビ――」
「待って! やめなさい、この国では魔法は二つ以上使うことは禁止されているのよ!」
彼女は『青空の勇者』の詠唱を遮って、声高に叫んだ。しかし、エヴァンは無邪気に笑うと舌を三回鳴らして指を振る。
「そんな見え透いたはったりが僕に通用するとでも? いまさら遅いよ。君たちは僕に火を着けたんだ。着火した灯を消すには、それ以上の火で応戦するしかないのさ! そなたを無重力の世界へ招待しよう、『グラビティ・ゼロ』!」
空中にぽっかりとワームホールのような異空間が発生して、勇者の体とトンボの体が吸い込まれそうになった。そして、二人の体が別次元へ飛ばされそうになった瞬間――その異変は起きた。
『青空の勇者』の魔法が徐々に弱まり引っ込んでいく。まるで場面が巻き戻しされていくかのようだ。やがて、エヴァンの指先の血管が紫色に変色していき、その紫の筋は体中への伝播した。それから、目や鼻、口から紫色の血が蕾のように噴出したところで、彼はようやくその異変に気がついた。
「え、なっ、なにこれ……血……?」
大魔法は強制的に解除され、ワームホールは消え去り、勇者とトンボは引力から解放された。呆然事実とした二人は、死にゆく彼に掛ける言葉も見つからず、ただ眼前の身の毛もよだつような情景に目を奪われていた。
『青空の勇者』の皮膚は獄炎で炙られるかのように、赤く腫れあがり、糜爛して、体内で昇華した紫の液体に全身を溶かされていった。
「い……痛い……たすけ……て……」
やがて、ボロ布のように皮膚が剥がれて、変色した紫の血液が、割れた水風船のように穿孔した穴から噴き出した。まるで、凶悪な猛毒に一瞬で侵されてしまったかのように、あっという間に『青空の勇者』は紫色のただの肉塊へと変貌を遂げた。
深々とした静寂が訪れる。その紫の血は、皮膚は愚か、骨まで溶かしており、あの無邪気な顔面はすっかり砂利の中へ消え去ってしまった。遺された青いバンダナだけが、風に吹かれて虚しく地面を転がっていく。
「あのバレリオン共和国の英雄、『青空の勇者』が死んだの? こんなにもやすやすと……」
生き残ったほうの勇者は、死人の強烈な異臭に鼻と口を押さえながら、一歩また一歩と後ずさる。
若き英雄の変色した紫の血が〈亡者の枯れ木〉の根に沁み込むと、その枯れ木の枝がみるみる伸びていき、一面に草花を咲かせた。それは怖ろしいほど美しかった。季節外れの早咲きの木の前で、勇者は抜き身の剣を鞘に納めた。
「エヴァンの血は……甚だしいほど〈亡者の枯れ木〉のお気に召したようね……。まさか、枯れ木に花を咲かせるなんて……」
「いやぁ参ったなぁ。例のうわさは真実だったとは。勇者さん、どうやらぼくたちは、とんでもない未開の島国に上陸してしまったようだね」
トンボは自嘲するような笑みを浮かべながら、同時に憐みの目を『青空の勇者』だった肉塊に向けながら言った。
地図に載っていない島国の洗礼は、何も知らなかった彼女らの魂に、深々と大きな爪痕を残した。
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