勇04 スリルフェチ

 逆巻く海の中で、勇者は小舟の船尾にどっかりと座り込んだ。


「さて、わたしたちも小舟を動かしましょう。魔力の追い風で船を推進させたいから、あんたも手伝って」


『手を貸したら、今度は何をくれる?』


 さきほどのクイズを見事、言い当てたトンボは、固い瓶の中でクッキーを頬張りながらもごもごと言った。

 こちらがお願いごとをすると、必ず何か見返りを要求してくるので、なんとも可愛げのない妖精だったが、恨めしくも、トンボは彼女より数段優れた魔力に恵まれているので、ここは交換条件に乗るしかなかった。


「協力してくれたら、その瓶詰めから出してあげるわ」


『ほんと? やりー! 乗った!』

 

 もともとは、瓶詰めに入っていたハチミツを飲み干した罰として、閉じ込めていたわけだから、それほどこちらに損失はない。

 狭い空間から解放され、自由の身となった妖精は、くるくると上昇すると、彼女の兜の頭立てに乗っかる。そして、両手を突き出して、短い呪文を詠唱した。その途端、小舟は野生馬の早駆けのようなスピードで、海面を走り抜けていった。


「どうだい、勇者さん。波風が気持ちいだろう?」


 瓶詰めから脱出し、上機嫌になった妖精は、テレパシーに頼らず、小さい口を動かして意気揚々に叫ぶ。


「ええ、最高の気分よ! ……いえ、待って、やっぱりちょっと速すぎる……!」


 勇者は向かい風に吹っ飛ばされないよう、小舟の側面をがっちりと両手でつかむ。トンボは嫌がらせで、わざと最大斥力で小舟をすっ飛ばしていた。ときたま方位魔法で、島の方角を確認して、凄まじい向かい風に煽られながらも、海一辺倒の景色が変化するのを、二人は根気強く待ち続けた。


「ねぇねぇ、勇者さん。見えてきたんじゃない? あれ、例の島国だよね!」


 長時間にわたる航行の末、顔を上げると、前方に雄大な大陸が広がっていた。

 新大陸。まさしく、新たなる冒険のはじまりを告げる景勝。上空の黒雲からは雷鳴がとどろき、島国特有の迫力と威圧感には圧倒された。海岸はギザギザの尖った岩と断崖に覆われ、闇夜の空には、海鳥一匹見当たらなかった。


 二人がこれから上陸する島国は、数世紀前から"鎖国国家"の名で知られており、その大陸に足を踏み入れたら最後、二度と故郷に帰還することができないと噂されていた。そのため、人口、首都、土地の面積等、まったく情報が入ってこず、冒険家たちの間では、そこは魔の大陸と恐れられていた。

 しかし、この世の不変の理として、ひとつの大陸につき必ず最低ひとりの魔王が存在するもの。魔王という称号を持つ者が存在する限り、勇に長けた者は、歩を進めなくてはならない。ほかの三流勇者たちに後れを取らないためにも。


「やーっと、着いたよ。まずは宿屋を探さないと。いや、酒場に行くのもありかなー。きみはどうする? ぼくは好きにするー!」


 投錨地らしき場所が見当たらなかったので、二人は小舟を入り江の桟橋に接岸させて、未知なる大地に上陸して陸地を見回した。


 浜辺には、見たこともない生物がうようよしていた。

 甲羅がおっさんの顔に見える人面蟹。星の中央にぽっかりと刺々しいお口を開けて人語を話すお喋りヒトデ。一見、ナマコのように見えるが、じつはナマコに擬態して通りがかったものに飛び掛かり吸血する蛭、ナマコモドキ。

 そのどれもが、勇者の国ではお目に掛かれない新種ばかりだったが、魔物というには及ばず、高度な魔素により異常な進化を遂げた生物たちだった。


 浜辺について、勇者は首を傾げた。なんだか様子がおかしい。魔素が立ち込める禍々しい風土。草木は立ち枯れやせ細り、いつの間にか空は邪悪に染まった暗闇に覆われている。人声ひとつしないこの景観……彼女には身に覚えがあった。

 "そうだ、思い出した。これは魔界そのものよ!"


「驚いたわね。わたしたちの上陸先、まさかの旅の終着点よ! 間違いない、魔界に漂着したんだわ!」


「それってつまり……ぼくたち、もう旅路のクライマックス目前かい? ははっ、信じらんないね。幸か不幸か、もうすぐこの国の魔王様にお目にかかれるわけだ」


 この国におけるはじめての村、はじめての都市、はじめてのダンジョン、はじめての仲間という大事な過程をすっ飛ばして、はやくも物語の山場を迎えてしまった。せめて、この国の正式名称だけでも、知ることができたらよかったのに……。


「こうなったら仕方ないわね。さっさと魔王を倒して、故国に帰りましょ。勇者は只今、熱いシャワーをご所望中なの」


「ああ、言われてみれば、海水でベドベドになっていたことに、今頃気づいたよ。大丈夫、すぐに帰れるよ。あのアルマニマ様より厄介な魔王は、この世にはもう存在しないだろうから」


 魔王アルマニマは、この世界に君臨するどの魔王よりも強かった。歴戦の名だたる勇者たちですら、彼の名前を聞いただけで縮み上がり、逃げ出してしまうほどである。

 しかし、『若葉の勇者』という一億年に一人の逸材が誕生してから、その常識は根底から覆えされた。後にも先にも、魔王アルマニマを打ち滅ぼせるのは、彼女だけだろうと、故国の民草は口々に褒め称えたものだ。


 だからこそ、勇者にとって、この大陸の魔王がどれほどの猛者だろうと、恐るるに足らずというわけである。

 二人は協力して、よいしょよいしょと船の積み荷を荷揚げすると、大きな荷物は放置して、最小限の必要な物資だけを背嚢に詰め込んで、新大陸を歩き出した。貿易ガレー船の船長さんからもらった光虫カンテラを、背嚢の革帯に吊るして、手で持たずとも辺りを照らせるようにする。光虫たちは、この島国の膨大な魔素に興奮して、激しく飛び跳ねていた。


「トンボ、感知魔法をお願い……ってそうだった。この国では、魔法は一人につき一つまでだったわ、最悪……」


「ねぇ、勇者さん。その眉唾ものの宗教の戒律、本当に厳守するわけ? ぼくたち異国者だよ? 無視しちゃっていいんじゃない?」


「"郷に入っては郷に従え"って言うでしょ? ルールを無視した結果、魔力が逆流して体が爆発しちゃったらどうするのよ」


「その話もいかにも嘘くさいけど。まあ、風船が破裂するさまを見るのは楽しいけど、自分が破裂するのを見るのは嫌だからね。わかった、ぼくも使わない」

 

 どうやって自分が破裂する様を目視するのか、勇者はつっこみたくなったが、それよりも上陸してから気になっていたことに彼女は言及した。


「それにしても、静かすぎるわ。魔物の声がしないもの。もうすでに、わたしたちの存在が、魔物側に感づかれているかもしれないわね。じゅうぶんに警戒して!」


 勇者は魔物の気配の感知に全神経を集中させた。

 魔界では、魔族以外の侵入は許されない。魔界の領地を堂々と歩く権利があるのは、あくまで魔物たちなのだ。やつらは、闇の中から狙いを定めて、襲撃し、捕獲し、骨の髄まで獲物をしゃぶり尽くすだろう。この地で正しき心を持つ者はみな、やつらの胃袋の中で溶かされる結末を迎え入れてしまう。その分、彼女の神経は静電気を発するくらいピリピリしてきた。そして、彼女は全身でその緊張感を楽しんだ。


「おぉ、そうよ、これよ! この空気だわ。この息を吸うのも躊躇されるような重苦しい雰囲気。この重圧感……たまらないわね!」


 大きな武者震いとともに、勇者の心臓の鼓動が、ドッドッドッと早鐘を打ちだす。


「ああ、はじまった……勇者さんの"スリルフェチ"」


 トンボはうんざりするように首を振った。


 "スリルフェチ"……危険なことに手を出し、首を突っ込むのが大好きな性格。それは彼女の最大の長所であり、短所でもあった。

 勇者がスリルの虜になったのは、物心つき始めた七歳の頃。箱入りのお嬢様だった幼き頃の彼女は、何不自由ない暮らしに飽き飽きして、外の怖ろしい世界に強い憧憬の念を抱いていた。


 ある日、母親の目を盗んで城館から抜け出し、『絶対に入っちゃだめだからね森林』という、逆に入りたくなる有名なダンジョンに足を踏み入れたのが、すべてのはじまりだった。そこでは、子供を食べる魔女や、猛毒の毒針を持つ昆虫、集団で狩人を襲うウェアウルフなど、まさしくスリルいっぱいの危険な体験と出会うことができた。

 その森で彼女が体感した狩られる側の緊迫感、幾度となく訪れる命の駆け引き、一秒先からやってくる死の誘いが、勇者の……そして生物としての本能を開花させていった。

 ダンジョンの最奥で得られる財宝は、デザートとして彼女に甘美な達成感を十二分に与えてくれた。貴族の大家の一人娘として生まれた彼女は、金貨に飽き飽きしていたものの、ダンジョンで目にする財宝は、同じ金貨でも格別に煌びやかに見えた。


 それから、あの森で経験したゾクゾクする感覚と、財宝を入手するたび得られる達成感が病みつきになってしまい、彼女はついに、スリルと財宝の両方の獲得できる危険を孕んだ職種に就いてしまった。それからは同じ志を持った仲間と共に危険な死地に赴いては、各地で猛威をふるう怪物の討伐に身をやつしていたため、いつしか人々は、仲間を大勢引き連れ、各地の魔境で人々に猛威をふるう魔物たちを討伐してくれる、勇敢なる英雄、"勇者"と彼女を讃えるようになっていったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る