第25話 ヴァンパイアナイト

「ん……ぅん……」


 棺桶の中の少女が眠たげな声を上げた。

 目を凝らすと、棺桶には縦横無尽に同じパターンが刻まれている。


 ────魔法陣だ。

 吉田はそれが少女を眠らせているものだと予想した。


 腰まで届きそうなほど金髪。

 陶磁器のように白い肌。

 西洋画に描かれていそうな少女が、今も棺桶の中で眠り続けていた。


 しかし、その容姿とは対照的に、彼女の羽織っているものは吉田の見慣れたものだった。

 ────赤と黒、二色で彩られた着物。


 やがて支えを失い、力なくゆっくりと向かってくる少女の身体を、吉田はそっと受け止めた。

 「見た目以上に軽いな」と彼は思った。



 彼女の顔を吉田が見つめていると、不意にその瞳が開かれた。

 潤った、鮮血のように紅い瞳。


「……こ、こは……?」


 小さく透き通った、見た目相応の声色。

 彼女の言葉に口を開こうとして────そのまま、吉田は聴覚を強化していたことを後悔した。


「え、ええええぇぇぇえッッ!?!? 

 ここは、こっこここはどこじゃぁあああ!? 

 わしは、儂はいずこ!?!?」


 キンキンと喚く少女を思わず手放すと、そのまま彼女は「へぶッ」と地面に倒れた。


 痛む耳を押さえつつ、「とんでもない拾い物をしてしまったな」と吉田は後悔した。




「うむ!! 儂こそはグローリア・ザレスカ、吸血鬼の始祖なるぞ!」


 少女────グローリアが一旦落ち着くまで、数分を要した。

 吉田は【蛆の十字架スタウロ・フォビア】を維持する以上に、既にげっそりとしていた。

 うるさい人が、彼が一番苦手とするものだったからだ。


 ひどい拾い物をしてしまったな。

 パンドラの匣を開けてしまったと、吉田は後悔した。


「主様! よくぞ儂をこの木箱から解放してくれた!! 褒めてつかわす!!」


「おう……ウン……」


 グローリアに肩を揺さぶられ、吉田の頭がガクガク揺れる。

 彼には、吸血鬼の名乗りに反応する体力も残されていなかった。

 

 ────その時、吉田の耳が幾らかの足音を捉えた。


 早速、警備の騎士に勘付かれたか。

 事を荒立てたからか、それとも。


 吉田は内心、追っ手と目の前の吸血鬼に舌打ちした。


「早速だが、追っ手だ。

 ……俺の背中に乗れ」


「……うむ? 儂の復活を祝う者ではないのか??」


 こんなに厳重に封印されているヤツが起きて、喜ぶヤツも少ないだろ。


 心の声を口に出さず、さっさと吉田はグローリアをおんぶして、宝物庫から飛び出した。




 素早くかぶりを振り、現状を確認する。


 右に3人、左に4人。

 初っぱなから囲まれたか。

 【蛆の十字架スタウロ・フォビア】だけでの突破は難しそうだ。


 そう判断した吉田は、片手を広げて魔法を発動した。


「【狂い水アルコホリック】ッ!」


 左右に黒い水を展開して、騎士と黒装束の男を拘束する。

 幻覚ではなく、足止めが目的だ。


 続けざまに、【蛆の十字架スタウロ・フォビア】によって脚力を集中強化。

 一陣の風のように、吉田はグローリアをおぶったまま駆け出した。


 脚を集中的に強化しているうちは、他の部位を強化することはできない。

 そのため、聴力などによる索敵は不可能になる。


 追っ手と鉢合わせることを覚悟で、吉田は神殿を疾走する。


「ほっ!! なかなかやるのぅ!」


 グローリアの声が背中からする。


 おぶわれているのに、呑気な身分だこと。

 吉田は心の中でそう毒つく。


「────じゃが、トロいの」


 彼女の言い分に、吉田が異を唱えようとした────その時だった。


 背中に軽い衝撃。

 グローリアが背を蹴って、吉田の後ろに着地した。

 軽やかな身のこなしに、彼は目を奪われる。


「主様、屈めいッ!!」


 グローリアの鋭い声に、反射的に吉田はスライディングの姿勢をとる。


 間もなく、曲がり角から騎士や黒装束が躍り出てきた。

 廊下に立ち塞がるように、5人も並んでいる。


「────【貫心包】!!」


 錦糸のような髪が揺らめく。


 グローリアの前には、いつの間にか5本の赤い槍が並んでいた。


 血のような赤色をした槍が放たれる。

 「槍が消えた」と吉田が感じた時には、既に追手の胸に深々と槍が刺さっていた。


 バタバタと、水袋を連続して落としたような音が廊下に響く。

 連続して、血の噴き出す音。


 吉田はこの時人生で初めて、人間の死を直視した。


 ────まぁ、こんなものか。


 それでも、彼の感想は魔物を倒した時と変わらないものだった。

 

「ふむ、寝起きのいい運動にはなったかの!」


 そう言って、グローリアが戻ってくる。

 そのまま、吉田の隣に並び立った。

 

「んっ……」


 ────そして、吉田の首元に齧り付いた。

 どきりとして、彼はグローリアを引き剥がそうとするが、ビクともしない。


 なんて腕力してるんだ、コイツ!

 そう思いつつも、吉田は抵抗虚しく少女に血を吸われ続けた。



「ん〜〜〜っっっ!! 甘露、甘露!」


 頬に左手を添えて、ほくほくした様子でグローリアは言った。


 その仕草だけだと、スイーツを頬張った可愛らしい少女に見える。

 だが、口の端に残った血液の痕がそれをハッキリと否定していた。


「き、気は済んだ、か……?」


 吉田も、彼女を拾った過去の自分を否定してやりたい気分だった。


「こんなに旨い血は久々じゃ! 不足なし!!」


「そ、そうか、よかった、な……」


「食事も済んだし、おんぶはもう良いぞ!」


 くるしゅうない、とグローリアは続けて言った。


 確か、吸血鬼の始祖がどうとか言ってたな。

 ……あの身のこなし、もう背負うのは必要ないか。


 吉田は彼女の発言や先程の戦闘を思い出し、彼女の身体能力の高さを認めるしかなかった。

 

「……今から全力で出口に向かうが、構わないな?」


「うむ、余裕、超余裕じゃ!」


 そんなグローリアの声に、吉田は力をこめて、地を蹴った。

 ────それこそ、少女から全力で逃げる勢いで。


「ふふふ、ふ、ふ、ふ!!」


 そんな彼を、慢心しきって気の抜けた表情でグローリアは追ってきた。

 今にも高笑いし始めそうなほど、口角が上がっている。


 実際、どのくらいの期間、彼女は封印されていたのだろうか。


 血の足りない頭でぼんやりとグローリアのことを考えつつ、吉田は神殿の出口を目指した。




 神殿の出入り口まで来て、「やっぱり」と吉田は思った。

 女神イーラ、騎士や魔術師────そして、もう一人の勇者、鷲峰ハルトがそこには居た。


「……来ましたね」


 女神イーラが吉田とグローリアを睨む。

 彼女の敵対的な視線に取り合わず、吉田は相手の様子を観察した。


 ────複数の騎士と魔術師、ともに普段神殿にいる者達とはレベルが違う。


 特に、チラホラいる赤衣を着た魔術師たち。

 これまで、神殿では一度も見かけることのなかった者たちだ。

 

 そして、その前方に立っている男の騎士。

 赤衣の騎士は、彼一人しかいなかった。


 アイツは、ヤバい。

 直感的に推し量ることのできるほどの、相手との力量差。


 そう感じた吉田はより警戒を強めた。

 

「オイオイ、どんなヤツが来るかと思ったら、小童の二人組かよ」


 先頭の赤衣の騎士が、蔑んだような声で言った。


 短く切り添えられた真紅の髪。

 歯をむき出しにして、闘志を隠そうともしていない。


 彼は既に抜刀している。

 燃え盛る炎ように、緋色に輝く刀身。

 

「……【朱聖】、油断は禁物です。

 彼方には吸血鬼の始祖もいるのですから」


 咎めるようにイーラが言う。

 【朱聖】とは、先頭の赤衣の騎士のことだろう。


「うむ!! 出迎えご苦労!!

 儂こそはグローリア・ザレスカ、吸血鬼の始祖なるぞ!」


 緊張の走る空気に我関せずと、グローリアは先ほどと同じ名乗りを上げた。


 コイツ、相当バカなのかもしれない……。

 吉田は頭を抱えたくなった。


 鷲峰は、俯いたままだった。

 拝村が逃げ出した時以上の暗い表情をしている。

 落胆というよりは、深く考え事をしているような様子だった。


「────ごちゃごちゃ細けぇことはいい。

 要はコイツらとやり合えばいいんだろ? イーラ様ァ?」


「……そちらの勇者は【再利用】の予定です。

 くれぐれも、内臓への負傷は最低限にお願いしますよ?」


 【朱聖】の慇懃無礼な口調に顔を顰めつつも、女神が問いかけに応答した。


「……グローリア、どのくらい相手できそうだ?」


「うーむ、そこらの赤いのと鎧の、全員くらいなら寝起きでも余裕じゃな!」


「それは心強いな。

 俺は【朱聖】とやらの相手をするから、その他を宜しく頼む」


「ふむ、心得た!!」


 言葉を交わし終え、吉田は【朱聖】に向き合った。

 火で炙られているかのような、ひりついた空気。


 ────こういう時の為に、俺は強くなろうとしたんだろ?


 吉田は自分に言い聞かせ、【蛆の十字架スタウロ・フォビア】で全身を強化した。


「────吉田くん」


 鷲峰がここで初めて口を開いた。


「僕がここで、君を止める」


 彼の瞳が吉田を見据える。

 それに呼応してか、【朱聖】が地を蹴った。

 

 鷲峰の言葉を皮切りに、戦いは始まりを告げた。

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禁種と忌子と黒猫と ギンコギンギン @kinkonnyaku

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