第24話 勇者のくせにマナ行きだ

 勇者、吉田ユウジは退屈していた。


 異世界ミグリットにやって来た日、彼はこれまでの生活が大きく変わると思っていた。

 しかし、蓋を開けてみれば元の世界と同じ座学の毎日。


 この世界ミグリットについての知識は身につくが、淡白な日々。

 安全の保証された、のっぺりとした日常。


 そんな時間を過ごすことに、吉田は辟易していた。

 前の世界と変わったことと言えば、弱い魔物との実戦が一日に一度あるくらいだろうか。


 暗い部屋で天井を眺めながら、彼は記憶を辿った。




 吉田が初めて相対した魔物は、橙色のスライムだった。

 手渡された長剣を持ってその体を掻き切ると、いとも簡単にその体は崩れていった。


 その次の日は、真っ黒な毛並みを持った犬のような魔物だった。

 スライムと同じように両断すると、力無く魔物は倒れた。


 生物の命を自分の手で奪うのは初めての経験だった。

 「こんなものか」と思った。


 鷲峰わしみねは魔物を倒すことに、最初は嫌な顔をしていた。

 だが、そのうち勇者であることの使命感に駆られて、剣を振るうようになった。

 彼なりに、心を押し殺しているのかもしれない。


 一方で、吉田には押し殺すための感情も湧かなかった。

 恐れも喜びもない、白紙の感情。 


 それ以上に吉田の胸中にあったのは、「ここで燻っている訳にはいかない」という、焦りだった。

 拝村がここを去ってからずっと、この焦りがわだかまっていた。



 拝村が去った次の日の朝、【始まりの神殿】は大きな騒ぎになった。


 異世界人を取り逃した。

 3人目の勇者はまだ見つかっていない。

 このままでは大損。

 

 そのようなことを騎士や僧侶は口々に言い合っていた。

 まるで、勇者を道具としか考えていないような口調。

 それらを聞いて、吉田はさらに教会への不信感を強めていった。


 吉田と鷲峰は、拝村の失踪が発覚してから別々の部屋に隔離された。

 それっきり、彼が鷲峰と話すことができるのは座学と訓練の最中のみとなった。

 だが、その時間も騎士や僧侶が付きっきりである。

 迂闊に情報を出せない以上、鷲峰と込み入った会話をすることが難しくなった。


 鷲峰と会話できないことが、さらに吉田の退屈を増幅させていた。

 彼は拝村が恨めしくなったが、自分も脱出を考えている手前、割り切るしかなかった。 



 拝村がどこに行ったかを僧侶に尋ねられた際、吉田は「分からない」と素直に答えた。

 その際、吉田は、拝村が見つかったとして、彼の待遇がどうなるのかを尋ねた。


 話を要約すると、3人目の勇者が見つからなかった場合は、拝村を3人目としてでっち上げるつもりだったらしい。

 3人目の勇者が見つかった場合についても聞くと、それに関しては口をつぐんで教えてくれなかった。



 ────イーラ教は信頼できない。

 吉田は確信していた。


 吉田は勇者として大勢の人の為になることなど、微塵も興味がなかった。

 かといって、元の世界に戻るつもりもなかった。


 不測の事態に備えて力を身につけること。

 元の世界では不可能だった、気ままな生活をすること。

 それが、彼の当面の目標だった。




「……ステータス・オープン」

 

 薄暗い自室で、吉田はポツリ呟いた。

 目の前に、とうに見慣れた青白色の画面が現れる。


名前:吉田ユウジ

レベル:10

HP:165

MP:490


 魔物を倒すとレベルが上がる。

 この世界は、本当にRPGそのままの仕組みで回っているように見えた。


 まだ、全然力が足りない。

 訓練で倒す魔物程度じゃ、レベルの伸びが遅すぎる。

 現状のステータスに歯噛みしつつ、人差し指をスライドさせた。



 ────【バフォメットの教典】。


 自身の固有魔法の名を、吉田は見つめた。


 相手の魔術をコピーし、それを混ぜ合わせることで新たな魔術を生み出す力。

 この固有魔法には、相手の使うことのできる魔術の種類や、その名前を知れるという副次的な力もある。

 彼は【バフォメットの教典】を使い、神殿の騎士や僧侶の魔術から、その力量を毎日のように測っていた。


 ────弱い。

 不自然なほどに、弱すぎる。

 それが彼の感想だった。


 それでも、少しずつ。

 彼は魔物を倒す以外に、騎士や僧侶から魔術をコピーして、それを混ぜることで自らの強化を図っていた。


 だが、それも頭打ちになりつつあった。



 問題1。

 混ぜ合わせる魔術には相性があり、せっかく育てた魔法でも、一発でオジャンになる可能性があるということ。


 拝村の固有魔法を十分に育てた火魔術と混ぜ合わせたときには、生み出した炎を少しズラすだけのものになってしまった。

 炎の勢いも、混ぜ合わせる前に比べてかなり劣っていた。


 吉田はこの事実に気付いて以来、出来るだけ似た種類のものや、相性の良さそうなものを混ぜ合わせることにしていた。


 ────拝村の【パラメデスの沈没船】、アレは相当にクセのある魔法だったな。


 吉田は拝村の固有魔法を思い出した。

 あの一癖も二癖もある固有魔法で未だ逃げおおせている拝村に、密かに吉田は感心していた。



 問題2。

 空き枠スロットが4つしかないこと。


 コピーした魔術や、混ぜ合わせた魔術は最大で4つまでしか保持できない。

 吉田はコピーした魔術がその持ち主の劣化版にしかならないことに、既に勘付いていた。

 そのため、この固有魔法のアドバンテージを活かすには、混ぜ合わせた魔術を積極的に使用していく必要がある。


 【バフォメットの教典】を成長させ、空き枠スロットを増やす。

 さらなる力のためには、それが必要だった。


 だが、【始まりの神殿】にいたままでは、レベルも固有魔法も成長が遅い。

 ────なにより、ここは信頼に値しないイーラ教の腹の中。


 明後日には、勇者が選定されたことを知らせるパレードがある。

 ……神殿から抜け出すなら、ここが期限か。


 吉田はそれまでに、脱出を済ませることを決心した。




 壁に耳を当て、混ぜ合わせた魔法のうち一つを発動する。

 痣のような、青黒い十字架模様が両腕に浮かび上がった。


 【蛆の十字架スタウロ・フォビア】。

 騎士の【身体強化】と、僧侶たちの闇魔法の様々な魔術をミックスしたものだ。


 闇魔法とは特殊魔法の一種だ。

 何かを代償として、強力な力を生み出すことを特徴とする魔術が多い。


 【身体強化】と闇魔術の合成によって、通常の【身体強化】には見られない特性が【蛆の十字架スタウロ・フォビア】には芽生えていた。

 

 その特性の一つが、強化する身体部位の集中だ。

 これにより、通常の【身体強化】以上に、効率よく身体の一部を強化することができるようになった。


 吉田は聴覚を集中的に強化する。

 骨伝導のように、神殿内の人々の言葉が壁を伝って吉田の耳に届く。

 彼は日課として、【蛆の十字架スタウロ・フォビア】を用いて情報収集をおこなっていた。

 

「勇者たちが転移者であることは、絶対に漏れないように」


「ロフェメ王国領西での魔素マナ濃度が上昇している件についてですが────」


「拝村ケイスケの件については、手の空いていた管区長エリアマスターに依頼しました」


「ハルト様の成長には目を見張りますな。

 いやはや、これが勇者という存在ですか」



「────やがて、吉田ユウジは教会に仇なす存在になることでしょう」



 最後に聞こえてきた言葉に、吉田は胸の詰まるような思いがした。

 明らかに聞き覚えのある声。


 女神、イーラ。



「明日にでも、麻痺か睡眠にでもかけて、ハルトから隔離すること。

 いいですね?」


「……その後のユウジ様の処遇については、如何なさいましょう」


魔素マナを吸い取って、【再利用】でいいでしょう」


 吉田はイーラの言葉を聞きながら、拳を握りしめた。

 爪が皮に刺さって、血が滲む。


 教会の都合に、自分が利用されること。

 それが、許せなかった。


 ────もう、誰にも邪魔はさせない。


 計画変更。

 今夜中に、ここを抜け出す。


 ゆっくりと、心の中でその言葉を噛み締めた。




 吉田は早速立ち上がって身支度を始めた。


 数日のうちに、数え切れないほどの素振りですっかり手に馴染んだロングソード。

 教会に支給された、容量以上に荷物の入る魔法道具の革袋。


 それらを手に取り自室を出た。



 扉を閉めてから、吉田はあることを思い出す。

 一つ、彼には気になっていることがあった。

 それを確かめるため、吉田は宝物庫へと向かった。




 宝物庫の前では、複数人の騎士が警備にあたっていた。


 そこに保管されていた貴重品のいくつかが、紛失していることが発覚したからだ。

 それが判明したのは、拝村が出ていってから数日後のことである。


「おぉ、ユウジ様、どういったご用件で?」


「────【狂い水アルコホリック】」


 挨拶を寄越した騎士を気にも留めず、吉田は魔術を発動した。


 【狂い水アルコホリック】。

 【バフォメットの教典】によって、様々な水魔術と投影魔法を混ぜ合わせた結果生まれたものだ。


 騎士たちの足元から静かに、黒い水が滲み出す。


「────ッ!? なんだこれは! 離せッ!!」


 タールのように粘性のある水に捕らえられた騎士たちは、暴れるように四肢をばたつかせる。

 しばらくして、彼らは気を失い音もなく倒れ伏した。


 【狂い水アルコホリック】は黒い水に囚われた者に幻影を見せ、それに恐怖を感じることを条件に、戦闘不能に陥らせる魔術だ。

 吉田はこの魔術を自分自身に試した時のことを思い出した。

 ……思い出してから嫌になり、努めてそれを頭から消し去ろうとした。

 彼にとってそれは、無理やりにでも忘れてしまいたいほど苦い思い出だった。



 宝物庫に入って、目当てのものを探す。


 神殿内の盗聴────もとい、情報収集に勤しんでいるとき、ずっと気になっていることがあった。


 宝物庫の方角から、ずっと小さな呼吸音が聴こえるのだ。

 昼夜問わず、一定に。


 恐らく、それは教会にとって都合の悪いもの。

 そう推測した吉田はその正体を確かめるため、こうして宝物庫に忍び込んだ。


 部屋の中を吉田は見渡した。


 ピンク色の液体で満ちたガラス瓶。

 臓器のホルマリン漬けのようなもの。

 黒ずんだ古い本。

 

 生物が入り込んでいるようなものは見当たらなかった。

 怪訝に思った彼は、再び【蛆の十字架スタウロ・フォビア】を発動する。


 聴覚を強化し耳を澄ませると、確かに寝息のような呼吸音が聴こえてきた。


 ────壁の中か。

 そう判断した吉田は、呼吸音のする方へと手を伸ばした。


 彼の右手は、壁に触れることなくすり抜けた。

 思い切って、身体全体を壁の中に入り込ませる。



 隠し部屋の中には、人がすっぽり収まりそうな大きさの棺桶が置かれていた。

 木製のそれは、黄金に光る鎖で何重にも拘束されている。


 ────ビンゴ。

 本命のお出まし。

 内心ほくそ笑んで、吉田はもう一つの魔術を発動した。


 彼の手から放たれたのは、黄土色の炎。

 灼熱に焼かれた鎖は、たちまち炭になって瓦解していく。


 【硫黄の火ファイア・オブ・ゴモラ】。

 幾つもの火魔術と風魔術、そして八芒星の僧侶が持っていたある特殊魔法・・・・・・を拝借して生成した魔術だ。

 強力な火炎のほかに、それに触れた魔法を打ち消す効果を持っている。


 鎖が完全に炭化したのを確認して、吉田は棺を開けた。

 棺の扉が重々しい音を立てて開く。


 その中を見て、吉田は驚愕の色を顔に浮かべた。


 ────棺の中で眠っていたのは、年幾ばくもない少女だった。

 

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