☠ Ⅱ ☠

 午後の麗らかな陽射しに背を向け、玖朗はダンタリオンの図書館へ続く路地裏をトボトボと歩いていた。時折、腹の虫がけたたましく鳴き叫ぶ。その度に玖朗は背中を丸め、腹をさすり、哀愁漂うため息を吐き出す。

 書類の整理が終わったのは、時計の針が午後二時を指し示す頃合だった。歓喜と解放感に打ちひしがれていると、激しい空腹に襲われた。思えばこの三日間、ろくなものを食べていないことを思い出す。あまりの忙しさに、食事は琥珀が差し入れしてくれた栄養バーを機械的に詰め込むだけ。それでは腹の虫も鳴くワケだ。

 琥珀さんの店に行ってパーッと食べましょうよ、と玖朗が提案するも、仁と灰音に却下されてしまう。

 何でも、この後すぐに外で打ち合せがあり、すぐに出かけなければいけないとのことだった。正式なバイトに昇格したことだし、玖朗も同行したかったのだが、どうにも『調律師団』からの依頼らしく、首輪を持たない玖朗は留守番をする他なかった。

 仕方がないとはいえ、のけものにされたことに若干疎外感を覚えながら、下階の喫茶店の戸を叩く。しかし運の悪いことに、臨時休業の看板が吊るされていた。

 このまま不貞寝でもしてやろうかと思ったのだが、三日間の徹夜のせいで体は麻痺しているらしく、やたらと目が冴える。それに、空腹感が寝ることを許してはくれなかった。

 寝ることも、食事を摂ることも出来ない玖朗は、とりあえずダンタリオンの元へと向かっているという次第である。

 あわよくばダンタリオンのところで何かを食べさせてもらえないだろうか、と踏んでいた。

「土地勘のない僕が一人で入っても、ゲテモノ料理屋にしか行き当たらないだろうしなあ」

 ここは人外魔境の〝怪物街〟――出される料理もさぞエキセントリックなものに違いない。もっとも、外界の料理をリーズナブルに取り扱う琥珀の店が特殊なだけなのだが。

「せめて、せめてどこか良い店を教えてほしいけど……ダンテさんも『迷い家』通いだし、他の店知らなそうだなあ……」

 仮に知っていたとしても、ダンタリオンは悪魔だ。その舌に合うような店とは十中八九、そういう店だろう。

「つーか、悪魔もフランケンシュタインの怪物も人狼も納得させる料理ってなんだよ琥珀さん。すげえよ……」

 そんなことを考えながら歩いていると、道の先からこちらへ向かって来る人影を見つけた。

 ひょろりとした四肢にスタイル抜群の八頭身。黒のシックなスーツと真っ白なネクタイを絞めた、路地裏の似合わない紳士だった。ただし顔は丸くのっぺりとしており、目や鼻、耳などのパーツが一切なかった。この街では珍しくもないただの〝怪人〟だ。

 特に感慨もなく、顔なしの紳士とすれ違おうとしたが――彼は行く手を阻むように玖朗の前に立ち塞がる。退いてくれる気配もなく、また横をすり抜けようとすると、さっと移動してきて邪魔をする。

 瞬間、玖朗に嫌な予感が走る。

 ――カツアゲか?

 こんな紳士的な風貌をしていても、やはり見た目では判断出来ないなあ、などと考えながら、玖朗は財布を取り出し、紙幣を自ら差し出す。以前、財布ごと持って行かれた経験を活かしての対策であった。

「……いや、私はカツアゲなどではない。というか、何だその洗練された金の差し出し方は。もっと躊躇いとかはないのか」

「慣れました」

「……そうか」

 紳士には表情がなかったが、戸惑っているのは何とあなしにわかった。

 カツアゲじゃないのならなんなのだろう、というかどこから声を出してるんだ。いや、そもそも〝怪人〟に道理を求めること自体がナンセンスか。

 危機感の欠落した玖朗の脳みそが、ぼんやりとそんなことを考える。

 しかし、

「ああ、やはり君が最近この周囲をうろつきまわっている吸血鬼だね? いやあ、写真にも写らないから探すのに苦労したよ。君を見たっていう色んな人から特徴を聞き出してね、こんなモンタージュを作るしかなかったんだ。存外、似ているだろう? 顔はないが、似顔絵を描くのは得意なんだ」

 胸ポケットから取り出された玖朗の似顔絵を見た瞬間、背筋が粟立った。

 継接ぎ似顔絵モンタージュとは思えないほどに精巧な、限りなく玖朗に近い顔が、そこに描かれていた。そんなものを易々と描いてしまう紳士から、言い知れぬ不気味さが滲む。

 ただのカツアゲ目的のチンピラじゃない――もっとヤバい何かだ。

 直感的にそう感じ取った玖朗は、踵を返し、走り出すが、すぐに歩を止める。

「……!?」

 眼前にいたハズの紳士が、いつの間にか背後に回り込み、両の手を大きく広げていたのだ。

「私に一度見つかってしまえば、逃れることは不可能だよ」

 紳士が空に人差し指をかざすと、空間がぐにゃりと歪み、黒点が浮かび上がる。ちょうど彼一人が通れそうな大きさの、夜空のように微細な光を放つ穴。そこへ腕を突っ込むと、ずるりと飲み込まれ、肘から先が消えてしまった。

 玖朗の意識が不可解な黒い穴に向いていると、誰かに肩を捕まれた。誰だ、と思いながら振り返ると、紳士が出現させたものと同じ穴が穿たれ、そこから痩せ細った腕が伸びていた。

「陳腐な空間移動術さ。おかげで交通費は浮くがね、ふふ」

 肩を掴む細指は、骨に食い込むほど強く握りしめられており、玖朗を逃がす気はないという強い意志が感じ取れた。

「一緒に付いて来てくれるね? なァに、目的地へは一瞬で到着するさ、手間は取らせないよ。聞きたいことを、聞くだけだ」

 表情もなく、無貌の紳士が肩を揺らしながらくつくつと笑った。


 黒点を抜けると、そこには暗闇が広がっていた。暗室を照らすのは蝋燭のか細い灯火だけで、四隅がどこまで続くか把握も出来ない。

 ゆらゆらと揺れる火が浮き立たせるのは古今東西、ありとあらゆる時代の拷問器具の数々であった。

 ファラリスの雄牛から三角木馬、運命の輪、イバラ鞭、石抱、果ては鉄の処女アイアンメイデンまでもが所狭しと鎮座していた。どれもこれもが赤錆びており、血生臭さが拭いきれていない。

 ごくり、と玖朗が生唾を飲み込む。これから先、自分がどのような未来を辿るのかを想像してしまったのだ。

 しかし、

「安心していい。君にはこのような荒っぽい拷問器具なんて使わない」

 玖朗の後に続いて黒点から姿を現した紳士が、コミカルに人差し指を立てながらそう言った。彼が通り抜けるや穴はたちどころに塞がり、空間の歪みは消滅する。


「吸血鬼相手では、この程度の拷問じゃあ足りないだろう?」


 紳士の細指が弾かれ、乾いた音が暗室に木霊する。それから瞬き一つの間も置かず、黒点が玖朗の四肢に覆い被さった。先ほどのように穴はどこかへ通じているというワケではなく、ただただ、玖朗の手首、足首に重なっているだけだ。だが、どうあっても拳や足が穴から抜け出すことはない。完全に身動きを封じられた。

「ぐっ……」

 無貌の紳士を睨み付けていると、部屋のどこかからぞんっ、という何かが切断される音が響き、次にズズン、という重厚なものが地面に投げ出される地響きがした。唯一動かせる首を巡らし、音のしたほうを見ると――堅牢強固な鉄の処女が、綺麗に袈裟切りにされていた。断面は非常に鋭利で、水圧カッターでもここまで美しく切り裂くことは不可能なように思われた。

「抵抗したり、私の質問に答えなければ君もあの乙女と同じようになる。だから言葉は選んで答えてくれよ?」

 紳士は靴裏で床のタイルを蹴りつけながら、身動きの取れない玖朗の前に躍り出て来る。真正面に立つと、腰を綺麗に四十五度折り、顔を玖朗に近づけてきた。表情がないにも関わらず、そののっぺりとした顔面はとても威圧的だった。

「六日前に六番区を君が駆けずり回っていたのを、多くのものたちが証言している。しかし、君のことを知っているものは誰もいなかった。猫や犬、鴉を隷属化させていたことから、吸血鬼であるということが大まかにわかった程度だ。つまり、君の身元を証明してくれるものは誰もいなかったワケだよ、吸血鬼クン。この街は『楽園』であると同時に『監獄』だ。しっかりと調べれば身元は割れるハズなのだが、君の情報は一切手に入らないんだよ。そんなやつを怪しまないワケがないだろう?」

 腰を真っ直ぐ伸ばし、勿体付けるようなゆっくりとした足取りで、玖朗の周りを紳士が歩き始める。

「巷に最近出回っている覚醒剤クスリ、『ブラッディロア』。それの主原料は吸血鬼の血だ」

「……クスリ?」

「そうだ。しかもただのクスリじゃあない。どのような原理かは知らないが、投与すると〝怪人〟の潜在能力を刺激し、普段の何倍もの力を引き出せるブーストだ。副作用は高い依存性と、ブーストに伴う激しい〝衝動〟の暴走。依存者の末路は良くて廃人、最悪の場合、〝衝動〟に突き動かされるだけの〝怪物〟に成り果てる。我々としても困るんだよ、そんなものを流されると」

 何となく、この無貌の紳士が何を言いたいのかがわかってきた。それと同時に、玖朗の全身からべっとりと絡みつく油汗が滲む。この状況は、非常にまずい。

 恐らく紳士は『ブラッディロア』というクスリを流しているもの、あるいは組織の敵対勢力なのだろう。何よりまずいのが、玖朗を出所だと勘違いをしている点だ。

 玖朗の背後で、一層高らかに靴音を打ち鳴らし、紳士は歩みを止めた。

 そして威圧感のありったけ込めた声色で、問う。

「さて、改めて質問だ……――君は何のために、六番区を奔走していた?」

「……僕は、逃げ出したティンダロスの猟犬を捕まえるために六番区を走り回っていた」

「そういう偽装工作じゃあないのかな? 君がゴロツキやチンピラと接触していたとの話もあるんだ。それの釈明は? 猟犬の情報を聞き出していた、では無理があるな。それではそうだな、例えば、チンピラたちにはクスリを売るために接触していた、とか」

「なっ……」

 紳士は質問の形を取っていながら、すでに自身の中に答えを持っていた。

「こじ付けだ! 僕は本当に依頼で猟犬を追っていたんだ! チンピラにはただ絡まれてただけだ!」

「ほう! あくまでも依頼と言い張るかね。ではどこの誰の依頼で、君はどこに身を置いて依頼を受けたのかな? 名無しの吸血鬼クン」

「所属は『KID』……『Killing Dead』! それに僕は名無しじゃない、白木玖朗だ!」

 『KID』の名を聞き、それまで演技がかった動作をしていた紳士がピタリと止まる。それから数秒の後、微かに肩を振るわせ――暗室に笑い声を大反響させた。

「ふは、ふははは! よ、よりにもよって『KID』か! 語るに落ちたな! あそこは『調律師団』に許可証を発行された仁氏と大神嬢の事務所だぞ!? 君のようなものが所属しているなどという話は聞き及んでいない!」

「……?」

 朗々と語る紳士のセリフに、玖朗は違和感を抱く。ほとんど直感的なことだったため、どこが、とは正確には言えないが、彼の言い回しは妙なものだった。しかし会話は刻一刻と流れていく。ただでさえあらぬ容疑をかけられているのだ、一々気にはしていられない。

「なら確認してくれ! きっと仁さんが僕の身元を証明してくれるハズだ!」

「……ジョークも繰り返すとつまらなくなるぞ。もう戯言は十分だ」

「戯言じゃないんだってば!」

 いくら反論を捲くし立てようとも、紳士は聞く耳を一切持たない。彼の誤解をどうにかするのは不可能なようだ。

 ならば、どうにかしてこの場を脱しなければ。

 こんなことになるのなら《血因能力》よりも霧化能力を練習しておくのだった。

 秒を刻むごとに、室内の空気が重力を増して行く。じわじわと油汗が背に滲み、心臓がけたたましく鳴る。

 やがて緊張が最高潮にまで達すると――、

「あークッソ、軽く呷っただけだから大丈夫だと思ったのに、小便が近ェでやんの。ここだだっ広いからトイレ行くのにも億劫なんだよな――……って、何やってんだ、クロウ」

 玖朗の屈辱や後悔、憤り、それら全てを台無しにするようにして、酔いどれの仁が暗室のドアを開けて入ってきた。

 張り詰めた空気を全て無に帰する、素っ頓狂な仁の問いかけ。それには玖朗ばかりか、尋問を行っていた顔なしの紳士までもが凍り付く。

「何やってんだ、じゃないッスよ仁さん! 仁さんこそなんでここにいるんですか!? もしや僕を助けに来てくれたんですか!?」

 四肢を拘束されたまま、身を捩りながら玖朗が叫ぶ。

「はァン? 何言っちゃってんだ、お前。別に助けになんて来てねェよ。つゥか、お前がここにいること自体知らなかったしよォ」

「……あの、仁氏? この吸血鬼とはお知り合いなので?」

 それまで尊大な態度を取っていた紳士が、急に及び腰になって仁に質問を請う。

「あン? 知り合いも何も、『KID』の新しいバイトだよ。今日は首輪付きしか参加出来ねェ依頼だから、事務所で留守番させてたハズなんだけどなァ。おっかしいな、酔っ払って連れて来ちまったか?」

 歳のせいでアルコール弱くなったかなー、と呑気なことを仁がぼやく。

「わっ、我々『調律師団』はそんな報告聞いておりませんよ仁氏!?」

「あー、そうだっけ? 言い忘れてたかもしれん。すまん」

「あっ、なっ、なあっ……」

 体を強張らせながら、ついには固まってしまう紳士。

「……えっ、今、我々『調律師団』はって言った?」

 仁の登場によって明かされる様々な事実に、玖朗の脳みそが追いついて行かない。

「うにゃあ。仁、いつまでトイレに行ってるのにゃ。というか、トイレはそこじゃあないにゃ」

「さっさと打ち合せを終わらせて寝たいんだから、早くしてよ」

 ひょっこりと、外の明かりが差し込むドアの隙間から、灰音と琥珀が顔を覗かせる。暗室で拘束された玖朗、拘束したまま固まる紳士を見るや、首を傾げた。

「なんでこんなところにクロ坊が?」

「何してるのよ、あなた」

 それこそ、玖朗が聞きたい問いかけであった。

「あの、仁さん……ここはどこなんでしょう」

「どこって――十三番区の最上階層、『調律師団』の詰め所」

「……ッ!?」

 仁の口から語られる新たな事実は、玖朗の脳をオーバーヒートさせるには十分なほどに衝撃的なものだった。

 玖朗と紳士は二人、暗室で言葉もなく固まっていた。

 後からやって来た三名は、そんな二人を不可思議そうに見ていた。

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Killing Dead!!!-喰祭の儀- 藤村銀 @fujimuragin

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