これは美少女ですか? いいえ、タヌキです。

向日葵椎

我こそは美少女

 嘘みたいに暑い日。灼熱のアスファルト。セミが奏でる愛のデスメタルをビージーエムに、大文字一歩だいもんじいっぽがコンビニから出て自宅へ向かっているときのことだった。

 後ろから呼び止める声がする。少女の声だった。


「おいそこの人。おーい、そこのおじさんってば」


 一歩は一度立ち止まったが振り返らない。一歩ももう三十路ではあるが、世界は三十路で溢れている。ここで振り返るのは誰か他の三十路に任せよう。一歩はそう考えて歩き出したのであった。

 するとその声の主は強引に一歩の前に立ちふさがる。


「ちょ! 今反応あったな! やった……ついに、ついに私のことが見えるやつを見つけた。ちょっとおじさんだが、まあ、この際関係ない」

「なんだこのタヌキは」


 声の主はタヌキだった。昆布をかぶって黒髪のようになびかせる、三頭身のタヌキが目の前で喋っている。


「我こそは美少女! このタヌキの姿は偽りである。なぜか突然こうなったんだが、すぐにでも元に戻りたい。協力してくれないか?」

「テレビか? ティービーショーなのか? カメラはどこだ。俺はこういうのにすぐに気づくぞ。お茶の間で馬鹿にされてたまるか!」

「違う違う、これは見世物じゃない。ついでに言うとこの暑さでお前がおかしくなったわけでもないからな。私は助けを求めているんだ」

「信じられるか! 昆布かぶったタヌキが喋るなんてファンタジーを簡単に受け入れられるわけないだろ……もう帰るからな。アイスが溶けちまう」


 一歩はタヌキを避けるようにして進む。


「待ってくれ! 報酬、協力してくれたら報酬もあるぞ。私はこの緊急事態にせこいことは言わないから期待してくれていい」

「はいはい、タヌキの腹踊りね。結構です。じゃあな」


 タヌキはまた一歩の前に立ちふさがる。


「私をお前にやろう!」

「いらん、タヌキ飼う趣味はない」

「私が元の姿に戻った時のことを考えてもみろ。すっごく美少女だぞ。それはそれは素晴らしい日々が待っているんだぞ」

「タヌキ界の美少女には期待してない」


 一歩はビニール袋からアイスキャンディーの包みを取り出して開けると、溶けかけているのを逆さに口へ入れて歩き始める。またしても避けられたタヌキは今度は並んで歩く。


「だから本当はタヌキじゃないと言ってるだろう……もう、タヌキでいいや。タヌキがかわいそうだと思わないのか。もうタヌキになって三日も何も食べていないんだ。腹をすかせたタヌキがこれからどうなるのかお前は心配じゃないのか? この暑さのせいもあってスタミナはもう底をつきかけてる」

「まあ……そりゃあ大変だよな。俺も今まで、何もかもがダメになったと思うような時期はあったし、そん時はそれなりに辛かった。もちろん人間のままだったからお前よりはマシかもしれないがな。よし、このアイスやるから頑張れよ」

「食べかけじゃないか! とは言ってもありがたい。いただこう。今まで駅前でどれだけの人に声をかけても気づかれなかったから、このコンビニ前に食べ残しでも落ちていないかと探しにきたところだったんだ。アメリカンドッグの棒にくっついてる生地くらいでもラッキーだと思っていたくらいだ」


 タヌキはアイスキャンディーを食べ始めた。


「思ったよりハードだな……よしわかった。一週間に一度くらいはジュースおごってやる。飲みかけじゃないやつな」

「感謝する。アイスおいしいなあ。心が満たされると空がきれいに見えるなあ。いやあ、私の存在を認識しなくなったまま忽然とどこかに消えてしまったママとパパは元気かなあ……」

「わかったわかった、飯くらいいつでも食わせてやるから、この灼熱のなかでその辛い話を続けるのはやめてくれ……ってお前、その姿!」


 一歩の隣で歩いていたタヌキの姿はいつの間に黒髪の少女になっていた。


「おわ!? なんだこれ戻ってる! なんでだ!? アイスのおかげか?」

「どういう仕組みだよ……ってあれ、またタヌキに戻ってるぞ!」

「え。うわわ!? どうしてなんだ!」

「アイスか!? アイスがよかったのか? ちょっと待ってろすぐに買ってくる」


 すぐに少女はタヌキの姿に戻ってしまった。頭の上の昆布も元通り。一歩は来た道を走ってコンビニに駆け込み同じアイスキャンディーを買って戻ってきた。


「悪いな! ではいただきます!」

「どうだ、戻りそうか?」

「わからん、あと頭がキンキンする!」

「ゆっくりでいいぞ」


 タヌキはアイスキャンディーをすぐに食べ終えた。


「ごちそうさま……どうだ? 戻ったか?」

「タヌキだな。タヌキのままだ。さっきのはアイスのおかげじゃなかったってことなんだろうか。それとも空腹で食べたのがよかったんだろうか」

「空腹の説で言えば今も腹は減っているからそれはない。それにさっきのは明らかにアイスを食ってからのことだ……もし違いがあるとすれば」

「あるとすれば、なんだ?」

「お前の食いかけじゃなかった」

「なんだそれ。ますますよくわからんだろ」

「いや、それしかない。ほら、よくある話だろう。魔法で姿が変わった王子とか、永遠に眠らされてしまった姫がアレで問題解決するのは」

「アレって、アレか?」

「接吻だな」

「まじかよ。食べかけのアイスで間接的にキスしたからって言いたいのか?」

「そうだ。そう考えれば私の姿が一時的にしか元に戻らなかったのも、間接的だったからという理由で納得できる」

「いやいやまさか……いやいや、ハハハ!」

「ハハハ、接吻しよう!」

「断る!」

「なんでだ!? いいだろ! ちょっとだけ、ちょっとだけだから! 先っちょ触れさせるだけでいいから!」

「誰がタヌキとキスするもんか!」

「だから人間だって言ってるだろ! さっきの姿見てなかったのか?」

「一瞬過ぎて覚えてないな」

「くっ、なんとかして今度はがっつり接吻しなければ……あ、なんかお腹痛い」

「おいおい、もしかして、アイス食い過ぎてお腹冷やしたのか」

「そうっぽい……これは、やばいやつだ。緊急を要するやつだ。どうしよう」

「タヌキだからそこの裏で――」

「ふざけるな! 心は人間だぞ! イタタ、どこかお手洗いに連れていけ、でなけりゃ死なばもろともだ!」

「うわ、このやろう脚にしがみつくんじゃねえ。タヌキじゃなくてコアラか!」

「イタタ、やばい出そうだ! もう限界だ!」

「待て待て待て待て! くっそ、もう家の方が近い、ちょっと走るからな!」

「おい!? 馬鹿馬鹿走るんじゃない! うわわ、揺らすんじゃない!」


 一歩は走った。空を見ることも忘れて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これは美少女ですか? いいえ、タヌキです。 向日葵椎 @hima_see

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説