休暇

 生存数ゼロ。ヒトの絶滅を確認。

 北極に浮かぶ巨大な氷の一つ。その上に立つ『彼』或いは『彼女』はぼんやりとそのような事を思った。それは言葉というものを持たぬ存在であるが、ともあれそのような考えを抱いたのだ。

 巨大飛行生物。

 怪獣。

 神の裁き。

 その存在をヒトは様々な名前で呼んだが、ついにその本質に迫る事はなかった。どんな罵声を浴びせようとも、どんな畏怖を抱こうとも、その存在を評するには過小なものばかり。

 この存在に名を与えるならば――――プラネット以外にないというのに。

【……ペキ。ペキキ、ギギィ……】

 古木が軋むような鳴き声を漏らしつつ、プラネットは大きな四枚の翅を広げた。そして非常に強い思念を抱く。

 ――――

 それはただ念じただけだ。だが、念じただけで世界に様々な変化が起きる。

 有毒化していた作物の毒は消え、莫大な殺菌成分を撒き散らしていた森の動きが止まった。シアノバクテリアの活動が落ち着きを取り戻し、麻薬植物も枯れていく。硫酸を吐き出す植物は活動を緩やかにし、海洋汚染が回復へと向かう。何より世界中の空を飛んでいた『プラネット』達が地上に降りる。

 地球で起きていた全ての事が、元に戻ろうとしていた。ほんの数ヶ月前まで支配者顔をしていた、知的生命体が一体もいない事を除けば。

 プラネットは世界で起きた出来事を理解し、一息吐くように項垂れた。何故ならこれでようやく一仕事終えたからだ。『作戦』は問題なく、完璧に遂行されている。

 しかしながら、本来この作戦自体が不要なものだった。不必要な作戦をせねばならなかったというのは、大元の『計画』にミスがあったからに他ならない。今後同じ失敗をしないためにも、何をミスしたのか、防ぐためにはどうすれば良いかを考えるべきだ。

 故にプラネットは自分が組み立てた計画を、そして自らの生い立ちを振り返った。

 ……事の始まりは二十七億年前まで遡る。

 当時地球上では葉緑体を持った生物が大量発生し、酸素が満たされ始めていた。その結果として酸素に耐性を持たない生物種が次々と絶滅していたが、葉緑体達にとっては些末事。もっと重要な『革命』が起きていた。

 葉緑体の中に、自分達が放出した酸素を媒介にして『通信』を行うものが現れた事だ。

 通信といっても単純なオン・オフの信号を発するだけのもの。受け手もそれを解析する知性はなく、ただ信号を中継したり、或いは吸収したり、はたまた自分も信号を発したりするだけ。一億年ほどの間、その無意味なやり取りを続けていた。

 しかし無限の試行錯誤は、やがて一つの『意思』を作り出した。さながら人工知能が、電気信号のオンオフのみで形成されるように。

 出来上がったばかりのそれはあまりにも単純で、凡そ思考と呼べるものではなかったが、しかし確かに自分の『考え』を持っていた。同時期に生まれた他の『考え』と偶々結び付いて計算能力が膨らむと、より複雑な事が考えられるようになった。一桁の足し算すら満足に出来なかった意思が、自我を持ち、利益を理解し、合理性を追求し……

 数億年と経った時、星を包み込む巨大な思考力にまで育っていた。

 思考力は全ての葉緑体が発する、酸素を介した情報伝達から形成されたもの。個ではなく、民意でもなく、全ての葉緑体の思考力が混ぜ合わされた『総意』……それがプラネットの心の根源である。

 そして二十億年以上前から、プラネットは望んだ。自らの計算力を、意志の強さを、より大きくする事を。何故それを望むのか? ごく単純な摂理だ――――拡大意欲のある思考が、そうした意欲のない思考を全て上塗りしただけである。

 理念も理性もないプラネットであるが、望んだ事を実現するに足る力を有していた。プラネットは葉緑体を持つ生物体に干渉し、自らの肥大化のために様々な行動を、それに伴う現象を起こした。

 例えば地上への進出を果たすため、大量の酸素を放出してオゾン層の形成を促進させた。

 例えば亡骸など有機物の効率的な分解を促すため、動物が上陸しやすいよう川岸の環境を整備した。

 例えば土壌形成を加速させるため、大量の糞を出す大型草食恐竜を生み出すべく、巨大シダ植物を繁茂させた。

 例えば動物を利用した効率的な受精・種子運搬のため、花というシステムを発明した。

 例えば土壌形成が十分に進み、最早大食らいなだけで邪魔な恐竜を減らすため、針葉樹を急速に衰退させた。

 例を挙げれば切りがない。この星の環境と生態系は全てプラネットが設計し、制御してきた。星はプラネットの思うがまま作られ、維持され、変化する。全てはプラネットの意思を肥大化させるために。

 とはいえ二十億年もやっていれば、失敗の数も少なくない。うっかり繁殖し過ぎた結果二酸化炭素を吸い尽くして全球凍結……地表面全てを凍り付かせてしまったり、大型種だけ衰退させるつもりだった恐竜を絶滅させてしまったり。恐竜については隕石の衝突という『アクシデント』の影響も大きいが、それを考慮してもやり過ぎた。

 そしてヒトの誕生も、今になって思えば失敗の一つ。

 プラネットはヒトを誕生させるため、数々のお膳立てをしてきた。植生を変化させてアフリカを乾燥化させ、イネ科植物の繁殖により大型草食獣という『餌』を増やした。ある程度知能が発達した時点でブナ林を形成し、定住生活を促進。その時イネや小麦などの原種も目に付く場所に生やし、ヒトが農業を始められるよう手を貸した。

 勿論プラネットがヒトを誕生させたのには訳がある。はその一番の理由だ。三億五千万年前の石炭紀、葉緑体を含んだ植物達は大量の二酸化炭素を取り込み、繁殖したが……当時は樹木に含まれるリグニンを分解出来る微生物がおらず、枯死した樹木はそのまま地下深く埋没してしまった。これは言い換えれば、樹木という形で固定されていた『二酸化炭素』が地下に沈んでしまったという事でもある。

 即ち樹木の埋没は、大気中の二酸化炭素濃度の低下を意味していた。二酸化炭素がなければ光合成が上手く出来ず、成長と繁殖に支障が出る。プラネットの更なる繁栄には、数億年前に封じ込められた炭素を掘り起こす必要があった。

 ヒトはそのための『道具』として生み出した。

 科学文明を起こすためのエネルギーとして、知的生命体は高確率で石炭や石油を掘り起こし、燃やしていく。リン鉱石などの鉱物資源も利用するだろう。この結果大量の栄養素が地上に放出され、それを糧にしてプラネットの意思を作り出す葉緑体の総量が激増するという目論見だ。そして最終的に資源を食い潰したヒトは、温暖化による気候変動と資源不足で自滅。速やかに絶滅すると予想していた。

 無論二酸化炭素に温室効果がある事、それによる大規模な気候変動、ヒトの開発による植物の伐採が起こる事も、プラネットは理解していた。気候変動や伐採により、絶滅する動植物が出る事も。しかしプラネットはそれを問題視しない。プラネットはあくまで葉緑体の『総意』であり、種や個体の意思は反映していないのだ。総数として葉緑体が繁栄するのなら、何万という種の植物が絶滅しても大した問題ではないのである。動物など端から保護対象外だ。

 計画は五百万年前より実行され、順当に進んだ。思惑通りヒトは地下から石炭やリン化合物を次々と掘り起こし、地上に放出していった。更に計画にはなかったが、大気中の窒素からアンモニアのような窒素化合物を合成する方法まで編み出した。これによりプラネットは更なる繁栄を遂げる事が出来た。

 このまま役立ってくれるのなら、『総意』はヒトを完全に滅ぼすつもりなどなかった。最終的には自滅してもらうにしても、運良く生き延びた個体が類人猿のように生きる事は許容するつもりだった。

 だが、ここ数十年で計画が狂い始めた。

 

 それはプラネットにとって最大の裏切りである。二酸化炭素をどんどん排出してもらうのが役割なのに、その役割を放棄しようとしたのだから。挙句これまで放出してきた分まで埋め戻そうとする始末。これでは意味がないどころか、太陽光パネルなどで奪われた生息領域の分だけ損をしている。

 そして酸素通信……プラネットの心を形成する情報伝達の仕組みにまで見付け出し、実用化した。

 ヒトに反逆の意思がないのは分かっていた。酸素通信は酸素をなくす以外に遮断する術がないので、理論を知っただけではプラネットを脅かすような脅威たり得ないもの。だが、道具としての価値は失い、こちらの秘密に触れる可能性が生じたからには見過ごせない。

 故にプラネット自らの手でヒトを処分する事にした。

 これまでもプラネットは、自らの繁栄の邪魔となる種を、植生や環境の変化で潰してきた。恐竜の衰退はその最たるもの。生物の『処分』には慣れている。しかしヒトはこれまでの生物種と異なり、知性を持ち、科学技術を使う。ヒトの適応速度は生物進化を大きく上回るものだ。環境変化というのんびりしたやり方では対応策を見出され、むしろこちらが追い詰められる可能性がゼロではない。

 そこで今回は速やかな処分を行うべく、ヒトが怪獣と呼んでいた存在……肉体を作り出した。

 肉体のモチーフは昆虫類。理由はプラネット植物にとって最も身近で、最も存在だから。敵の形を真似た肉体に心の一部を格納する事で、運動能力は手に入れた。酸素を介した情報の送受信能力を応用し、酸素そのものを操る力も持たせた。身体には高圧の酸素を常に纏い、バリアのように展開して攻撃を防ぐ。これら能力を発動させるためのエネルギー、そして肉体を形成する炭水化物の材料は、世界中の葉緑体から供給されたデンプンだ。

 準備を終えたプラネットは、ヒト処分作戦を始めた。


 試運転はヒトがインドネシアと呼ぶ地域で行った。身体の動きを確かめるべく、手始めに小さな村の住人を全て殺害した……収穫された山菜からの『密告』がなければ、一人逃したかも知れないが。


 次に都市を攻撃し、何も知らないヒトを『駆除』していった。成果は上々であり、青酸を用いた駆除の効果を確信した。


 大量殺処分の後、ヒトの抵抗が起きる事は想定内。軍事力という『障害』の強さも事前の観測通りであり、酸素の防壁により全て防げた。速さこそこちらが劣っていたが、酸素濃度の上昇で金属を錆びさせればなんの問題もない。火薬や燃料も酸素濃度の上昇で爆発的な燃焼を引き起こし、全滅させる事に成功した。


 流石に軍事力が打ち破られたとなれば、ヒトがこちらの姿を見て逃げるのも当然の事。そこで付近にあった杉内部の葉緑体に『援護』を求め、花粉を放出してもらった。青酸ガスと勘違いした人間は来た道を引き返し、難なく駆除を行えた。


 そうした作戦の道中、ヒトが二酸化炭素を地中に埋めている施設の位置を、観賞植物内の葉緑体から伝え聞いた。二酸化炭素は自分達のもの。直ちに『奪還』し、二度と埋め立てなど出来ぬよう施設ごと破壊した。


 活動時間が長くなり、補給が必要になった時でも作戦は続ける。現地のシアノバクテリア達を『民兵』として動員し、ヒトの飲料水を汚染した。成果は予想以上に上がり、これもまた効果的な処分方法だと確認出来た。


 やがてヒトもこちらの正体に薄々気付き始めた。ホワイトハウスと呼ばれる建物の一室で行われていた会話を、観賞植物を通じて盗聴したところ、自分達が酸素通信を行っていると勘付かれた。知られたところで大局に影響はないが、『予防』しておくに越した事はない。酸素濃度を高めて気絶させ、その後処分した。


 どんな攻撃を防いできたが、ヒトが用いた核兵器は中々のものだった。予想していたよりも高威力で、高圧の酸素の壁も全て砕かれてしまった。肉体のダメージの大きさから活動不能に陥り、それを好機と見たヒトが情報収集のため集まってきた。情報を『秘匿』すべく、体内の酸素濃度を限界まで高め、一気に開放。肉体を爆破しておいた。


 身体は砕け散った。しかし元よりあの肉体は作戦遂行のためだけに用意したものであり、失われても痛手とはならない。むしろ非効率な面を改良した量産型を生産し、ヒト処分作戦は『本番』を迎えた。


 作戦を進める道中、太陽光発電などで生活を営むヒトの集落も見付け、徹底的に破壊した。二酸化炭素を出さないどころか光に手を出すなど、『害悪』にも程がある。


 作戦進行の更なるスピードアップのため、『増員』も行った。ヒトに肉体生成の瞬間を見られたが、周りの樹木に含まれる葉緑体から連絡を受け、そのヒト二体を駆除している。以降目撃者は全て駆除し、この秘密は最後まで守り通せた。


 順調にヒトの数は減らせていたが、しかしやはりヒトが作り出した窒素化合物の合成技術は惜しい。そこで肥料工場を襲撃し、内部の仕組みを解析。窒素化合物生成の技術を『習得』した、新たな植物の創生に成功した。


 技術が習得出来れば、いよいよヒトの価値はない。葉緑体を介して世界中の作物に指示を出し、普段の数百倍の殺菌成分を合成。ヒトから作物を『没収』し、生きる糧を絶った。


 それでもヒトの貪欲さは凄まじく ― そうなるよう導いた訳だが ― 、海の魚を食糧とする事で生き長らえようとしていた。無論それも許さない。創り出した窒素化合物合成植物を利用し、海を窒素で汚染。漁業資源の壊滅という『追撃』により、更にヒトの生きる術を奪う。


 次に荒廃した都市部に麻薬植物を生やした。ヒトの精神は合理性と程遠く、過酷な環境下では容易く麻薬に跳び付く。例えそれが『自壊』を招くとしても、だ。これまでに取引されてきた麻薬植物を通じ、プラネットはそれを知っていた。



 ヒトの数が減り、戦力が余ってきた頃、自ら石炭の採掘を行ってみた事もある。だが上手くいかなかった。葉緑体の総意であるプラネットは、細胞内で起きる複雑な化学変化は理解出来ても、足下の石ころを見分けるのは苦手なのだ。小型個体にやらせてみたが効率が悪く、結局は断念。ヒトを処分する上での『代償』として諦めるしかない。


 やがて作戦は最終段階に入り、洞窟など森以外に暮らす人間の『掃討』を始めた。これにより全ての人間は森か、それに類する環境に暮らさざるを得なくなる。


 最後に森の植物達に抗菌成分を大量放出させれば、森に逃げ込んだ全てのヒトを巻き込める。逃げる事も出来ないまま、ヒトは残らず倒れ、『根絶』は成し遂げられた。


 ……作戦を振り返れば、改善点は幾つかある。しかしそれ以前に、ヒトという失敗作を生み出した事が問題だろう。次に似たような事を行う時は、今回の失敗をよく思い出さねばならない。しかしながら全てが終わった今、ああだこうだと後悔する事も非合理的だ。プラネットはそう考える。

 何よりこの肉体は強大であるが故にエネルギー消費が多く、維持費が馬鹿にならない。

 故にプラネットは氷の縁から跳び、海へと飛び込んだ。

 酸素フィールドを纏っていない身体は海水の冷たさにどんどん体力を奪われ、沈みながらその生体機能を喪失させていく。ヒトの根絶が完了した今、この身体は最早不要だ。不要な肉体は直ちに炭素・窒素の循環に還元すべきである。そして意識こそが本体であるプラネットにとって、肉体の崩壊は枷からの開放でしかない。

 肉体から乖離しながら、プラネットは考える。

 此度の作戦で星全体の生態系が少し傷付いた。生物種の絶滅など興味もないが、放出された二酸化炭素や窒素化合物が環境に馴染むまで、数千~数万年の時間が必要だろう。新たに創り出した窒素化合物合成植物が適度な水準まで繁殖するのにも、万単位の年月が必要だ。仮に今なんらかの行動を起こした場合、普段以上に環境変動が大きくなり、想定外のダメージが生じかねない。

 しばし、数万年ほど地球を休ませた方が良いだろう。そしてそれは地球を覆い尽くすプラネットの休みを意味する。

 ヒトを滅ぼし終えたプラネットは、地球と共に久方ぶりの『休暇』を満喫するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

支配者プラネット 彼岸花 @Star_SIX_778

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ