令和2年1時間前

影宮さつき

最終回

気が付くと、まどろみの中にいた。

ここはどこだろう。そういえばサークルの先輩に誘われて、宅飲みをしていたんだっけ。先輩はこたつを挟んで目の前で倒れこんでいる。試しにゆすってみたが、幸せそうな笑みを顔に浮かべたまま全く目覚める気配はない。そういえば僕は先輩の住んでいるアパートの構造がどうなっているのかを知らない。これはいい機会だと思い、ひそかに部屋から出て、キッチン横にあるらせん状になっている階段から2階へと昇ってみた。

2階…と言ってもらせん階段と同じトタンでできている無骨なスペースに過ぎない…に上がった先、僕の目に映ったのは花壇と、一つのベンチ。そういえば先輩の部屋はこんな感じだったと本人から聞いたことがあるような気がする。部屋に水気は一切なかったが、微妙な白熱灯による照明と部屋自体の塗装によって輝く壁の蒼は、見る者に川の潺を連想させた。らせん階段は1階から2階、2階から屋根裏部屋で別にあり、ベンチの奥にある屋根裏部屋への階段から気が付けば先輩が白く大きな物体を降りてきていた。おもむろに先輩がそれを2階のトタンに置いたとき、自分は初めてそれが背もたれのないベンチだと理解した。だが先輩は1階で寝ているはずでは?目の前の彼はいったい誰―


そう考えたとき、ちょうど「目が覚めた」。今の自分は実家に帰省中の身、畳と掘りごたつのある今で、熱気に当てられ眠っていたのだ。ふと時計に目をやると23時5分を示している。初夢は話題になるが「終の夢」というのは意外とみな話題にしないのは不思議だな、と感じた。一方でうすら寒さも覚えた。夢で見た「先輩」とは入学以来の付き合いであり、現実でも確かにサークルで仲がいい、一定の交友関係をもっている間柄「のはずだ」。しかし実際にはどうだろうか。先輩の部屋に入ったどころか、それがどこにあるのかさえ知らないのだ、自分は。他の知り合いがその先輩が酔いつぶれただとか酒カスだとかそういう話題を振ってくる中、そういえば自分は先輩の酔った顔を写真ですら見たことがない。2年弱関わっていながら未だにその程度の交友関係にとどまっているものを「仲がいい」と称してしまってよいのか?そして自分は交友関係の「輪」から明らかに外れている、のけ者の存在なのではないか?それを知っていながら自分を守るために心が嘘をついているに過ぎないのではないか?今の自分には分からなかった。それに先輩のことを悪く言う気にもなれない。大晦日〆切の課題をやっていなかったの昨日連絡が来ていた。今頃再履の課題に追われているはずだろう。

「シャワーでも浴びて目を覚ますか…」

実家のシャワーは下宿先のそれとは比較にならないくらい水圧が強い。髪を伸ばしている身としてはその勢いで髪が一気に押し付けられ見た目上ストレートパーマになるのが便利でならない。一方ドライヤーは下宿先のそれに比べ大分貧弱である。髪の毛を完全に乾かすのに下宿先のでも30分以上かかる現在の自分にとって実家のそれで髪を乾かそうと試みるのは拷問に近く、実際大学進学後の帰省で髪を完全に乾かし切ったことはない。「埒が明かない…」今日も途中で打ち切った。


帰省中にあてがわれた自室に時計はない。なぜなら本来この場所は物置であり、人がいることを想定してはいないからだ。その割にはエアコンやテレビなどが存在しているのは、高校時代一時期自分の部屋がここであったことに由来する。作業用に持ち込んだパソコンで時計を確認する。気が付けば令和2年五分前になっていた。世界五分前仮説の人間たちの新年と新世界は今この瞬間につくられたのだろうかといういらん疑念を抱えつつ、あるはずのタスクに何も手を付けずぼーっと画面を見つめる。外には珍しく静寂(と、少しの救急サイレン)が広がっている。この地区の除夜の鐘にも苦情が入ったのだろう。「ゴーン」はどこにもいなかった。煩悩と言えば昨日言ったコミケ3日目の戦利品も親フラを恐れてろくに開封ができていない。

そして時計は0:00を迎えた。タスクと煩悩を抱えたまま、なにも気持ちを新たにできずに、おめでたい人間のように僕はこうつぶやく。

「ハッピー・ニューイヤー」

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令和2年1時間前 影宮さつき @itmti

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