俺達の証明

ささやか

凡庸な労働

 述田のべたさんがもう小説を書くのはやめると言い出したので、箸が空を切りうまく唐揚げをとることが出来なかった。「え、マジですか」と面白みもクソもないことを言ってしまい、唐揚げをとる機を逸してしまった。もしもこの場面が小説になったら確実にカットされるくだりだろう。

 述田さんは真剣な顔でマジだよとうなずいた。

 離れたテーブルにいる酔っ払いがわめく下ネタと笑声が述田さんのかすれ声を塗りつぶし、俺達の会話の無価値性を酷薄に証明していた。述田さんが小説を書くのをやめようがやめまいが地球は回り続けるのだ。

 俺と述田さんは、同人小説家と称するのもおごがましいような小説を書くことが趣味の一般人だ。小説投稿サイトに細々と投稿し、たまにもらえる感想に一喜一憂している。そんな矮小な存在だ。

 だから述田さんと知り合ったのも当然小説投稿サイトを介してのことだった。述田さんが俺の小説に感想をくれたことをきっかけに、Twitterでも相互フォローしあい、同じ関東圏に住んでいることがわかってからは二人で飲みにいくようにもなった。創作を趣味にするだけあって、俺も述田さんも読書を趣味にしていて、好きなものについて語れる相手がいることを楽しんだ。

「え、どうしてやめちゃうんですか?」

「どうしてかあ……」

 述田さんはハイボールでのどをしめらせ、それでも不明瞭なうめきをあげる。小太りな体型とあいまって、まるで家畜がうなっているようだった。

「なんというかさあ、あれだよ、ほら、なんかさあ、このままだと駄目かなあって思って」

「いや、それを言うなら俺だっていつも駄目だ駄目だと思って生きてますよ」

「それはそうかもしれないけれど、あるじゃん色々」

「色々って?」

「たとえばさあ、そっちはまだ二十台だけど、俺なんてもう三十六なわけじゃん? 三十六歳とか、俺の父親俺がもう小学生なんですけど! それでも俺は独身なうで恋人なしなわけですよ。給料も安いし、シミのついた汚い天井ばかりが見えるわけですよ。だから小説を書いてもなんにもならないなら小説を書いてる場合じゃなくて、もっと自分の人生を生きなきゃなあって思ったんだよ」

「あー、まあなんとなくわかりますけど。でも小説を書かなければ人生を生きられるんですかね?」

「いや、それはわからないよ。でも少なくとも執筆の時間を就活や資格勉強や婚活にあてれば、人生のクオリティは向上するわけでしょ。どうせ俺の小説なんて、自分で言ってて悲しいけど、何かお金になるわけでもないし、公募にひっかかる気配もないし、それなら別のことしたほうが効率いいじゃない」

「効率はいいかもしれないですけど」

「効率なんかにとらわれちゃいけないなんてのはさ、結局十分余裕があるから言えることなんだよな。何かしないと、何かしないとな」

 述田さんの顔は酒精で赤らんでいたが、その瞳はどこまでも醒めていた。



  ×



 というわけで、どうやら述田さんは創作活動を本当にやめてしまったらしい。小説投稿サイトにある述田つもりのページを確認しても、それまでは月に一度は必ず更新していたのにもかかわらず、ここ数か月は何も更新されていない。Twitterのつぶやきもめっきり減ってしまい、述田さんはインターネットの向こう側に行ってしまったようだ。

 俺はといえばダラダラと小説を書いたり書かなかったりTwitterでつぶやいたりしながらインターネットに揺蕩い、愛すべき日常とやらを謳歌していた。もちろん俺は汚れた不燃ゴミな日々を微塵も愛してやいなかった。勤労、勤労、勤労。実に結構なことだ死ね。

 実際のところ、社会人になってからの人生において一番大きなウェイトを占めるのが労働だ。週七日のうちの五日、さらにその十時間程度を労働に費やしているのだからまあ実に遺憾に当然だとも言える。

 満員電車で生もの貨物としてすし詰めされ、職場に到着したら人間としての労働を強いられる日々だ。そしてこの満員電車における人間性の付け剥がしが俺の仕事を生産する。

 職場に着いてからタイムカードして、更衣室で作業服に着替える。俺の勤務する作業所は比較的小さな作業所で、実際に作業を行う職員は俺と先輩の植村さんだけだ。俺が着替え終えるかという時に植村さんもやってきた。

「おはよう」

「おはようございます」

「いや、まいったよ。ちょうど乗ってた電車に痴漢がいたみたいでさ。そのせいで遅延しちまった」

「顔とか見ました?」

「遠目だったけど、太ってたかな」

「どこにでもいますね」

「どこにでもいるな」

「そういえば植村さんもどちらかというと」

「認めたくないが太っているな」

「となると今朝の痴漢とは……」

「俺じゃないからな」

「ですよねー」

 そんなくだらないやりとりをしているうちに植村さんの着替えも終わったので、使い慣れた金属バットを手に作業場に向かう。既製品とは異なる芯まで詰まった重みが俺達の右手に宿る。

 佐野さんは既に搬入を済ましており、作業場には八人の男が拘束されていた。どいつもこいつもろくな顔をしていない。そのうちの一人が拘束から逃れようと必死で暴れている。馬鹿なやつだ。そんなに強い意志があるならそもそも道を踏み外さなければよいのだ。

 法的手続に則り、佐野さんが本人確認や適用法規の告知などを行った後、俺達の出番がくる。すすり泣く者、暴れる者、無表情に待つ者、様々だが結末はみな同じだ。

 人間の有する普遍的権利という人権の定義が近代哲学における定義であるとされてからしばらく経つ。現代哲学では人権とは適正社会を保つことに寄与する者に与えられる権利であるとされ、社会もそれに従って変化していった。そのうちの一つが性犯罪者の裁判を経ない駆除だ。

 特別刑罰執行刑務官という正義を掲げ、振り下ろせばぐしゃりと鈍い音がした。それは労働の音だった。

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