アイヒマンの後裔

 植村さんは公務員だとうそぶいてみせたが、特別刑罰執行刑務官などろくな職業ではない。

 人権を剥奪されたクズを撲殺するだけの仕事だが、その精神的負荷は著しい。半分くらいの人間は半年も経たぬうちに辞めていく。俺は二年、植村さんは三年くらい続けているからこれでも長く勤めている方に入る。

 一昔前は死刑を執行する刑務官に対して手厚い精神的ケアを行っていたそうだ。そんなに手厚いケアをするとなれば予算が必要になる。だがクズを処理するのに金をかけるのはもったいない。そこでお偉方は現代的人権感覚に則って考えた。それならいっそすぐ駄目になっても損失の少ない人間を使えば良いと。

 だから特別刑罰執行刑務官は任期付でいつクビになるかわからないし、給料も平均以下。ろくでもない肉体労働だ。その代わりなろうと思えば落ちこぼれでも簡単になれる。俺の職業は特別刑罰執行刑務官だ。つまりはそういうことだ。

「一年超えると急に辞めなくなるらしいぜ」

 午前の仕事終えた後の定食屋で、植村さんが言う。今日のメインは鶏の死体の火炙りだった。

「へえ。そういう適性のあるやつだけが残るんですかね」

「知らねえけどまあそうなんじゃねえの」

「植村さんはこの仕事ずっと続けるんですか」

「給料が安いからな。なんかあれば辞めようかって思う」

「なんかって」

「ガキができるとか?」

「できる予定あるんすか」

「予定はないができるときはできるからな」

「うわー」

 植村さんらしいといえばらしい答えだった。飲み会で高らかにわめきちらす武勇伝を鑑みれば、うっかりガキができる日がくることになっても不思議ではない。

「というか仕事がきついとかじゃないんですね」

「クズをぶっ殺すだけだから別にそういうのはねえな。というかまた増えるらしいな」

「みたいですね」

 特別刑罰の執行対象に違法薬物の常習犯も含まれることが国会で決まった。一方で凶悪犯罪や政治犯罪は社会的重要性などを理由にきちんと捜査や裁判が行われているのだから皮肉なものだ。

 最近では適正社会の寄与に乏しいホームレスなども処分の対象にすべきだと論ずるコメンテーターもいるくらいで、これからの社会では適正社会に寄与できる資質ある人間であることがより一層求められるのだろう。

「ぶっちゃけああいうのってキモいからさ、いなくなった方が気分いいよな」

「あー」

 何を言っても嘘になりそうで、肯定も否定もできなかった。

 しなびた老婆に代金を支払い、作業所に戻る。この定食屋はあと何年続くのだろう。来月パタリと店がたたまれていても不思議ではない。そうなったら昼食をどうすればいいだろう。考えても詮無きことだ。

「最近誘われてサバゲーやったんだけどさー、これが結構楽しいんだよ」

 午後の仕事の準備をしながら植村さんが語り始める。サバイバルゲーム。電動ガンを持って突撃する植村さんを想像してみるとよく似合っていた。

「ガキになって楽しめるって感じ? なんか最近趣味あんの?」

「ないですね。なんとなくだらだらしてるだけで。あ、映画は配信で観ますけど。あれマジでコスパいいですよ」

「コスパかよ、大事だけどコスパかよ」

「コスパ大事じゃないですか。前にスロットやってたことありますけど、金は溶けるは時間は一瞬だわ勝てないわで、どちゃくそコスパ悪い上にくそストレスたまりますからね」

「スロットはもう全然勝てなくなったからなー。俺もやめたわ」

「やめるってアリですよ」

 植村さんが野球のように金属バットをスイングする。風を切る鈍い音につられ、俺もノリでスイングしてみる。重い。

 小説を書かなくなってから少なくとも一年は経っているが、後悔も執筆意欲も全くわかない。やはり生きていくのに小説を書く必要なんてない。飯食ってクソして寝れば事足りるのだ。あとはセックスもあれば上々というところか。ちなみにあれから何回か街コンとかを試してみたが、カノジョができそうな気配は微塵もなかった。まあ無理なのだろう。

 そういえば久しぶりに小説投稿サイトを確認したら、述田のべたさんが執筆を再開していた。戻ってきてくれてうれしいみたいなコメントに、これからガンガンがんばりますみたいな返事をする述田さんは、人生のクオリティを向上させることに、現実をまっすぐ歩くことに果たして成功したのだろうか。そうであったらいいなと思う。そうであれば小説を書くなんて愚行も適度な息抜きになるんだろう。

 そこで俺は自分の趣味ということにしたものを思い出す。

「あ、最近は散歩してます」

「ジジイかよ」

 ぐうの音も出ない。実際、所詮は暇つぶしだった。



  ×××



 まさか。心の底からまさかと驚いた。きっと彼も同じだろう。お互い目と口が無様に開いている。

 俺が請け負う対象にどこにでもいそうな小太りな男が含まれていた。それは述田さんだった。

 ここにいるということは何かしらの性犯罪をしたということになる。きっと痴漢か盗撮だろう。

「た、助けてくれ」

 述田さんがか細い声で懇願する。俺はすっかり困ってしまった。知り合いが対象となるのは初めてだった。

「知り合いですか」

 俺と述田さんの様子に気づいた佐野さんが問う。

「ええ、そうです」

「でしたら、これは植村さんに執行してもらいましょう。大丈夫です」

 佐野さんが機械的に頷き、植村さんを呼ぶ。

 流石のお偉いさんも顔見知りを直接処分しないようには配慮してくれるらしい。そういえば最初の研修でそんなことを言っていた気がする。今までこんなことなかったからすっかり忘れていた。

 これで万事解決かと思ったらそうもいかない。死の恐怖か何か知らないが、述田さんが拘束から逃れようと暴れだしたのだ。慌てて植村さんが一撃をくらわす。金属バットは述田さんの右肩にあたり、命を刈り取ることこそかなわなかったが、述田さんの動きを止めることに成功した。

 その機に乗じて、佐野さんが法的手続を履践する。述田さんの本名が辻口つじぐちまもるであり、やっぱり痴漢をしてここにきたことがわかった。

 述田さんはすすり泣きをしながら佐野さんの告知を聞いていたが、突如として「なんでだ!」と叫びだした。まあたまにこういうタイプの被処分者はいる。

「なんで俺がこんな目にあうんだ! お前らのやってることは殺人だぞ大量殺人だ! 仕事だの法律だのごたくをつけても殺人だよ悪なんだよ結局! どんな顔して生きてるんだこの悪党どもめ!」

 俺達三人は思わず顔を見合わせた。ずいぶんと聞き飽きた理屈だ。佐野さんが俺達を代表するように口を開く。

「仮に私達が悪党で、私達のなすことが単なる殺人だったとして、それで何がどうしたというのです。これは必要な悪だと社会が認めたのです。その罪をたまたま私達が担っているだけで、もしも私達がいなければ別の誰が担うでしょう。ババ抜きのババみたいなものです。社会の罪全てをまるで私達個人の罪であるかのように集約して断罪するのは実に不愉快ですね。もしも私達が悪いとしたら、こうして人を殺す社会を形成しているあなたにも等量の罪があるのですから」

「まー、痴漢するようなクズにごちゃごちゃ言う資格はないってことだよ」

「いえ……、いえ、まあいいでしょう」

 植村さんの物言いを訂正しようか逡巡した後、佐野さんがそのまま流すことを選んだ。

 俺も何か言った方がいい気がしたので、これまでのよしみから質問する。

「あの、何か他に言っときたいことあります?」

「…………期間限定のハンバーガーあったんだよな。食べとけばよかった」

 植村さんが金属バットを振りかぶる。

 それが述田さん最期の言葉だった。あとは無様な悲鳴だけだ。



  ××××



 最近の休日は配信サイトの映画をだらだら観るか意味のない散歩に行くかの二択だったが、今日はハンバーガーを食べに行くことにした。まあ述田さんへの供養にもなるだろう。本当になるのかはわからないがそういうことにしておく。

 高くなった不味くなったと散々たたかれていたはずなのに、最寄駅にあるファストフード店は結構なにぎわいを見せていた。述田さんが食べたかったであろう期間限定のハンバーガーは既に終了しており、仕方なくいつもあるハンバーガーセットを頼む。カウンター席に座り、コーラを飲む。大衆の味がした。ポテトフライをつまむ。大衆の味がした。ハンバーガーをかじる。大衆の味がした。俺はひとりだった。俺よりも優れた人間にも、劣った人間にも、善い人間にも、悪い人間にも誰かがそばにいるのに俺だけがひとりだった。

 ざわめきだけがやけに大きく聞こえる。そんなことが心に波風を立てるので、さっさと食べ終えて店を出ることにした。

 ここにいてもひとりだが、家に帰ればまたひとりだ。そんなくだらない事実が躊躇いを生み、結果として宛所不明の散歩に変わる。見覚えのない街並みも見覚えある街並みも俺にとっては何も変わらない。ただの街並みだ。視覚情報の羅列でしかない。

 曇天のせいか、昼間にもかかわらずやけに暗い。それでも歩き続けるといつしか小さな児童公園に辿りつく。いつも通り過ぎるあの公園だ。ベンチにはホームレスが座ってうつむいていた。年齢もわからなくなるほど小汚くみすぼらしい男だった。

 ふとホームレスが顔を上げた。公園を通り過ぎようとしていた俺と目が合う。何を思ったのかホームレスが俺に向かって手を振った。足を止め、思わず手を振り返す。ホームレスが顔をくしゃくしゃにして笑う。

 俺達は他人だった。俺達はひとりだった。それでも手を振れば、こうして振り返すことができる。それがなんだか嬉しくて、俺もくしゃくしゃに笑った。

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