第四話

   

 続けて数匹、同じ手口で殺したところで、

「それくらいでいいだろう」

 T氏が、僕の作業を制止する。

 そう、感覚としては『作業』だ。殺すマウスに対して心の中で、最初のうちは「ごめん」と謝っていたのに、いつのまにか何も思わなくなっていた。

 まだまだ生き残りマウスはたくさんおり、当然、それら全部を殺さないといけないのだが……。

 ここで『スタッフが美味しく』的な用途が出てくるわけだ。

 マウスにウイルスの接種をしたり、マウスから採血したり、脳サンプルの採取をしたり。この一週間で見せてもらえなかった段階も、T氏がいる間に学んでおく必要がある。どうせ今から殺してしまうマウスは、その教材として最適だった。これこそ有効活用というものだ。

「はい。では、次は……。注射の仕方ですか?」

「そうだな。それも慣れておきたいだろう?」

「もちろんです。……というより、『慣れる』以前に、まずは教えてください」

「ああ。こうやって左手でマウスを押さえつけて……。右手で注射器を用意して……」

 説明しながら実演するT氏。本当にウイルスを注入する必要はないので、注射器の中身は生理食塩水だ。

 先ほどの殺処分とは違って、マウスに麻酔を嗅がせたりはしていない。そこは実際の接種と同じにしないと、意味がないからだ。

 なので当然、マウスは注射を嫌がって、キーキー鳴いている。それでも無視して、その体内に生理食塩水を注ぎ込んで……。

「さあ、次はKの番だ」


 見よう見まねで、僕もやってみた。左手の下で暴れようとするマウスに、心を鬼にして注射針を突き立てる。

 最初の一匹目は「これ、本当に正しい部位に注入できているのだろうか?」と少し心配だったが、何匹か繰り返すうちに、コツが掴めてきた気がする。

 十匹以上この練習に費やしたところで、今度は採血。『採血』というと注射器で血を抜くイメージだろうが、相手がマウスのような小動物の場合、その必要はなかった。

 では、どうするのかというと。

 まず、後脚の辺りの体毛を少し乱暴に剃ってやる。この『少し乱暴に』がポイントで、髭を剃る場合のカミソリ負けみたいな状態を、わざと引き起こすわけだ。それで血が滲んできた部位に細いガラス管――キャピラリーチューブ――をあてがうと、毛細管現象により血が吸い出される……。

 と、言葉で説明すると簡単そうだが、いざ実行してみると。

「これ、思ったより難しいですね」

 重要なのはマウスの毛を剃る段階らしい。剃り方が悪くて『出血』ではなく『赤くなる』程度だと、キャピラリーチューブを当てても血が出てこない。また『出血』だとしても、周囲の剃り残しが多いと、血はキャピラリーチューブには入らず、マウスの白い体毛を赤く染めるだけ、となってしまう。

 きちんと一定範囲の毛を剃った上で、適度な傷をつけておく、というのがポイントなのだ。

「大変なのは最初だけさ。すぐに慣れる。……と言いたいところだが、慣れたはずの俺でも時々、上手く吸えない時あるからなあ。毛を剃り直せばいいだけだが……」

「二度手間になりますね」

「そうだ。扱うマウスの数が多いだけに、『二度手間』は鬱陶しい」

 そう言って、軽く笑うT氏。

 確かに、僕も「そんなところで無駄に時間を費やすのは嫌なものだ」と思った。


 しばらく作業を続けたところで、

「よし。採血はそれくらいにして、次は脳のくり抜きをやるか」

 再び、T氏からストップの言葉。

 思わずゴクリと、僕は唾を飲み込んだ。

 生きたマウスから脳サンプルを取り出すのは、注射や採血とは比べ物にならないくらいに、残酷なはず。

 とりあえず今度も、まずはT氏の説明と実演から。

「こうやって……」

 殺処分と同じく麻酔でマウスを眠らせてから、その首をT氏が切り落としたり、ハサミを操って開頭したり、中から脳だけをえぐり出したり……。

 冷酷にも思える仕打ちを、僕は黙って見届けた。なるべく心を空っぽにしながら。

「……と、こんな感じだ。まあ慣れれば、むしろ注射よりも採血よりも簡単なくらいだ。この場合、マウスは暴れないからな」

 T氏はそう言うが、今のを『簡単』と言えるのは、本当に『慣れた』からに違いない。そして、僕もそうなるのだろう。いや、ならないといけないのだろう。

「さあKも、やってみろ」

 T氏に促されて。

 席を替わって、マウスを飼育ケージから取り出して、麻酔で眠らせて……。

 ハサミに手を伸ばしたところで、

「あれっ?」

 変な声が出てしまった。

 キャビネット内に置いてあったハサミが、僕の手から遠ざかる方へと、スーッと滑ったのだ。

 ちょうど手が届くか届かないかくらいのタイミングだったので、

「……手にぶつかったかな」

 自分を納得させる意味で――同時にT氏への説明も兼ねて――、そう口にする僕。実際には触った感触などなかったが、そうとしか説明できないのだから。

 やや戸惑いながらT氏の方を見ると、彼の顔に浮かんでいたのは、困惑の色ではなかった。ゾッとしているような、血の気の引いたような表情だ。

 いや、不可解な現象に対して『ゾッとする』のは、わからないでもない。だが、それにしても大げさな感じがする。

 むしろ僕としては、ハサミが滑ったことよりも、T氏の態度の方が不思議だった。

「……Tさん、どうかしましたか?」

「ああ……。何でもない」

「何でもない、って顔色でもないような……」

「いや、すまん。ちょっと、昔見たホラー映画を思い出してしまってなあ。ほら、ポルターガイスト現象って言葉があるだろ。人がいないところで、物が勝手に動くような話……」

 そんなフィクションと、今の現実を重ねられても困るのだが。

 とはいえ、ありえない『フィクション』を持ち出してくれたおかげで、かえって僕は、心が軽くなった。

「そういう冗談、やめてくださいよ。今夜は二人だからいいですけど、今後、僕は一人で動物実験するわけですからね。深夜に幽霊が出るなんて話、ちょっとシャレになりません」

 僕もT氏も科学者だから、オカルト話なんて信じていない。そう思った上で、冗談には冗談で返したつもりだったが……。

 なぜかT氏は、僕の『幽霊』という言葉に反応して、ブルっと体を震わせる。しかも、本当にこの部屋に――86号室に――幽霊でもいるかのように、周囲を見回していた。

 そんなT氏の挙動に、僕は気づかなかったふりをして、今度こそ右手でハサミを掴む。そしてマウスの首を、チョキンと切り落とすのだった。

   

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