第7話 各々の焙煎度
深陽の胸の内に、これまでの日常だった朝の思考が溢れ出す。
カフェオレには、酸味が少ない深煎りの豆が合う。
珈琲は濃い目に仕上げるのがポイントだ。通常、計量スプーンですりきり一杯のところを山盛りにし、湯を注ぐ速度を落として、じっくり目に淹れるだけで牛乳に薄まることなく風味が残る。
自宅で気軽にエスプレッソ気分を味わえないかと編み出した貧乏テクだ。もちろん味は別物だが、カフェオレ用に落ち着いた。
夏はあえて浅煎りのモカやキリマンジャロブレンドを合わせるのも良い。
高級なブルーマウンテンなどはもてはやされているが、深陽は個人的に敬遠している。ストレートが良しとされているものだから、汎用性のなさが一番の理由だ。率直に言えば懐との兼ね合いである。
勉強用を省けば、気分に合わせて幾つもの豆を揃えるような金はないし、保管場所にも苦労する。現在の自分に扱える範囲で厳選しなければならない。
今考えるべきは、普段使いの朝用カフェオレについてだ。
睡眠中に失った水分や栄養の補給、目覚ましにちょうどよい一杯――。
甘み付けは、急激に血糖値を上げないよう未精製の砂糖を使用する。後を引かないコクのある黒糖が最上だ。
量を控えるため、あら塩をほんの指先ほど摘まみ入れることで、甘さが引き立つ。
――ここまでが、下準備だ。
乾燥スイートキャロット粉末を小さじ一杯。ほんのりと自然な甘さを醸しつつ栄養素も増す。
そして、最も重要なものがある。
黒糖に人参で甘くなりすぎるバランスを中和し、珈琲の渋みを損なわずに引き立ててくれる一品。
(それは…………青汁!!)
無論、青汁ならなんでも良いわけではない。生臭さの勝つ液体青汁はダメだ。
そこで、先の人参同様に粉末青汁の出番である。
さて、青汁自体にも種類がある。
もしフレーバーにハチミツを加えるならば、合わせるなら圧倒的にケールに軍配が上がる。互いの風味の癖が良い塩梅に混ざりあうのだ。
だが深陽は渋い方を好む。
となれば、青汁は大麦若葉100%でなくてはならない!
見た目も抹茶ラテのように健康的な色合いだ。
余裕があれば、さらにフレーバーを加えたい。
カプチーノならばシナモンスティックを添えるように、深陽は極自然に冷蔵庫から取り出した生セロリを一本差す。
彩りが華やかさを増して目にも優しく、ぱりっとした瑞々しさが舌の上で複雑なハーモニーを奏でる。
もう忙しい朝に、食事抜きで珈琲だけでは体に悪いなどと言わせない一品。
バリスタを目指すならば、独自のメニューの一つや二つはあるべきだろうと考え抜いて作り上げた、おぞまし……自信作である!
素敵なモーニングタイムを思い描いて口元が緩み、そこで、物思いから覚めた。
幾ら深陽がここで力説しようとも、それらはないのだから。
椀から顔を上げれば、深陽の言葉を待ってか黙して待つ、デミタスとデカフェィネと目が合った。
深陽の手元に興味津々な様子のデミタスに椀を差し出すと、もう彼は戸惑うことなく口にする。
「うむ、なるほど。これが応用したものか。腹にたまりそうだ。味は、初めのやつが俺は好きだな」
がははと笑いつつデミタスは、興味をそそられたらしいデカフェィネへと椀を回す。
「まあ……初めての味わいです。不思議な風味ですが、なんだかほっとしますね」
現実でも、珈琲は苦手だが珈琲味は好きだという者もいる。恐らくデカフェィネは、そちらのタイプなのだろう。
(現実でもってなんだよ。これも、現実じゃないか)
気落ちするのを遮るように、つい問いかけていた。
「……野菜とか、分けてもらえるところはあるかな」
待ちかねたように、顔をほころばせて二人が言葉を重ねる。その詳細は、深陽の希望を容易く折った。
生野菜を食べる習慣はなく、使うのは煮物くらいのものらしい。甘い人参などないどころか、普通の人参さえ筋張ってアクが強いようだ。
当前ながら、青汁などない。
(なんて……なんて、過酷な世界なんだ!!)
深陽は胸の内で吠える。
(こうなったら、農業改革するしかない!)
思いあまってそんなことを考えてはみたが、一般的な学生に過ぎない深陽にその手の経験はなく、知識すら怪しいものだ。
(いや、それだと暮らす前提だな……)
やはり、命の危険はあろうとも、帰るための唯一の手掛かりを目指すべきなのだろう。
深陽は、毅然と頭を上げる。
「癒しの神殿に行く!」
自然と力のこもった拳を固め、旅の準備を進めると、デミタスに告げていた。
「もう旅立つのか!」
思わず出たといったデミタスの声には、単純な驚きではないものが滲んでいた。焦りのようなその違和感が、深陽を正気に引き戻す。
しばらくは街に滞在して、人々に魔法で手を貸すような話をしたのは深陽の方ではあった。
金の問題は、魔法使いということで融通は利きそうだと知れたが、不安は別にもある。今後どう行動するにしろ、この地の常識を知らない。それを、デミタスとの縁に恵まれたのだからと、この機会に学ばせてもらおうとも考えていた。それは、デミタスにも伝わっていただろう。
しかし彼との話の中で、さっそく見過ごせない事実を知り、この世界の魔法使いらしく修行の旅へ出る理由も得た。
とはいえ、すぐに旅立つなら無知のまま。この後、別の街を過ぎることがあったとして、誰もが人が好いとは限らない。
なにより、これでは、必要なものさえ手に入れば用はないといった無礼な人間に映るだろう。
己の態度を振り返って深陽は、気まずさを誤魔化すのも兼ねて、相手の思惑を見極めるべく慎重に笑みを作る。そうして窺うようにデミタスを見れば、視線を落として顎に手を当て、真剣な面持ちで黙り込んでいる。何事かを考え込んでいるようであった。
目の前で、そのような態度なら、不穏な企みがあるというのではないのだろう。
そこでようやく、デミタスに深陽を助ける利があるのではと思い至る。
デミタスの深陽への厚遇は、魔法使いの地位が悪くないというだけではないのだ。魔法使いの旅を邪魔するべきではないといった空気は感じられたものの、禁じられていないならば引き留めてはならないわけでもないだろう。
滅多に魔法使いの訪れない辺境の街だという。そこに、恐ろしい出来事が起こったばかりだ。兵士の立場として、力を借りたい。少しでも長く、滞在して欲しいと考えてもおかしくはないのだ。
強く引き留められたなら、どうすべきかと身構え、デミタスの出方を待った。
「……そうか」
やがて、小さな呟きが漏れ聞こえた。
硬い雰囲気を探るように見ていた深陽へと、デミタスは応えるように視線を上げ、口を開いた。
「その旅、同行させてもらえないか」
深陽は困惑する。
旅立ちを待ってほしいならば理解も出来るが、逆の望みだ。意図を確かにするべく、黙して続きを促した。
「護衛としての腕は、そこそこだと自負している。まあ、昨晩の動きで、見せた通りだ」
深陽は戦闘の審美眼など持たないが、見事な動きに助けられ、感心したのは事実である。
しかし自分が心細いからと、軽い気持ちで護衛など頼めるものではない。
安泰な地位を捨ててまで、会ったばかりの人間に付き合って命をかけるかもしれない旅に同行するなど、どういう了見なのだろうか。
訝しむような深陽の視線に、真正面から鋭い視線が返る。
「自分自身の手で、掴みたいんだ」
それは、先ほど聞いたデミタスの境遇。
立派で有名な父と常に比較される立場。
それは深陽が考えるよりも深く、デミタスの心に陰を落としていたのだ。
「なにも、この街で身を立てるだけが道ではない。もしも、魔法使いの使命を助け、神の神殿を踏破し、無事に戻れたなら――」
それも一つの、栄光の道だというのだ。
親の影響に抗いたい。それは誰しも通る道なのかもしれず、わずかな間の後、深陽は承諾の頷きを返していた。
「ありがたい! 決して迷惑はかけない!」
「あ、あの!」
破顔し弾むデミタスの声は、別の声にかき消された。
うっかり忘れかけていたデカフェィネだ。
「私も、連れて行ってくださいませんか」
これには深陽も面食らっていた。
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