第4話 魔法ブレンド

 デミタスの滞在しているという兵舎前へと連れられてきた深陽は、食事にありつくべく大鍋の前に並ぶ。

 深陽よりも背幅のあるデミタスの背後で、周囲の様子を窺った。

 既に周囲に座り込んで食べている兵らの数も少なくはないのに、声は囁くように交わされており静かといってよい。


 食事の支度をしてくれた近所の住人だという誰もが、擦り切れたような衣服を身に着け、くたびれきったような顔つきで、食事をよそう顔に笑顔の一つもない。沈鬱な空気にあてられて居たたまれない気持ちになる深陽だが、あのような酷い戦いの後では仕方のないことなのかもしれなかった。

 そもそも手伝いに来てくれているということは、身内の誰かが属しており、酷い怪我を負っていたり亡くしていることも考えられる。


 しかし疲労の中にあっても、中身を零さないよう兵の一人一人にしっかりと手渡していく姿から、感謝の気持ちは伝わってきた。

 それだけ、今回の件は異例だったのだ。


 深陽が椀を受け取ると、不思議そうな視線を向けられたが、すかさずデミタスが深陽を大げさに紹介する。それは場の全員にも向けられているような大声だった。

 ぽつぽつと労いと感謝の言葉を貰って、ますます深陽は身の置き場に困るような面持ちになりつつ、そこらの木材に腰かけた。


 匙の一つもなく、椀からそのまま啜る。ひどい風味に深陽はむせていた。

 初めは食事の用意をしてくれる者に対するデミタスの物言いを失礼に感じたものの、言われた通りに確かに美味くはなかった。それどころか灰色のべっちゃりとした粥のようなものは、えぐみが強く、日本にいた普段ならえづいていたかもしれない。

 だが、空腹の余りに食べきっていた。

 明日の食事がどうなるかも分からないのだ。慣れておくべきだろう。


(せめて、食後の珈琲が飲みたい)


 せめてというには贅沢な希望だが、それだけ深陽の日常にあった存在だ。

 そこであることを思い立ち、深陽は空いた椀を借りて地面に置くと、例の呪文を唱えた。

 翳した手から黒い熱湯の塊が落ちる。


「飲むのか!?」


 迷わず椀に口を付ける深陽にデミタスは叫ぶ。

 深陽は舌へと感覚を集中させた。


(どう考えても、ただの珈琲だ)


 そこそこ美味い。

 が、自宅で深陽が淹れた、自分で楽しむ分には問題ないという程度だ。

 マスターの味には遠く及ばないし、指示されたとおりにマスターの吟味した豆と道具を使って深陽が淹れたものほどもない。

 実際、味に覚えがあった。とにかくただ珈琲が飲みたいときに手抜きで煎れるにはちょうどよい、スーパーの安売りで買った大袋の豆の味だ。


 興味深そうに見ていたデミタスに差し出す。


「疲れが取れるよ」

「信じられん……魔法で作られたものを、口にできるなんて」


 恐る恐ると言った様子で、デミタスは暗い液体を口に含む。

 次には頬を緩ませた。


「渋みがいいな。ただ、麦酒を煮たようで……飲みたくなる」


 照れたように感想を零すデミタス。

 酒の方が好きらしい。


「しかし、驚いたな」


 デミタスの知る魔法の話が始まる。そうして聞いた話によれば、ここでの通常の魔法は事象の小規模な再現であって、決してこの世のものと直接に触れえるものではないようだ。

 魔触媒を介して火を灯したとして、そのままでは火を模しただけに過ぎない。魔法使いが制御することにより、外界へ干渉させる。それが熱だったり、灯りといった結果ということだ。そして、長くはもたないという。


 言われてみれば、深陽が喚び出したものは、香りも地面に染み込んだものも残ったままだった。

 ならば、どこかから珈琲そのものをワープさせているのだろうか。

 さして娯楽の趣味に幅はない深陽だが、少ないながら触れたゲームの中に、どこかから実物を呼び出すというものがあったはずだ。


「……召喚、魔法」


 どうにか思い出した単語を呟く。


「ほう、それがミヨウの魔法なのか」


 驚きや不信は見られない。

 魔法使いにも種類が色々とあるのだろう。

 そろそろ、そこからは注意を逸らそうかと、謎珈琲の味へと話を移す。


「砂糖でもあれば、もっといいんだけど」

「そんな上等なもんはおいそれと手にできんよ!」


 デミタスは目を丸くして、申し訳なさそうに説明した。

 砂糖どころか蜂蜜などの甘味料は、簡単に手に入るものではないらしい。

 ブラック無糖も嫌いではないが、できれば様々な味を楽しみたい深陽にとっては辛い世界のようだ。とにかく今は金がない。


 どうにか、この召喚魔法で稼ぐことを考えた方がよさそうだった。

 しかし、不安もよぎる。

 通常の魔法でさえ媒介するものが必要だというなら、なんの贄もなく実体のあるものを無限に呼び出せるものだろうか。

 喚び出して、よいものなのだろうか。

 己の寿命を削っているのでは、という想像を頭から振り払った。


 ただ、深陽の知る安っぽい味ということは気にかかる。


「しかし、こりゃすごいな。疲れが取れるどころか、頭がすっきりしてきた」


 言いながらデミタスは、周囲を見て手を挙げかけ、何かを叫ぼうと開いた口は動きを止めた。

 気まずそうに深陽を見て頭を掻く姿で、皆にも振る舞いたいのだと理解した。


「いいよ。食事と宿の礼ってことで」

「それは、すでに貰ってる」

「なんなら明日の分も。それに、できればこの辺の事情をもう少し教えてもらえると助かるし……あ、忙しいとは思うけど」

「とんでもない! そんなことでよければ幾らでも使ってやってくれ!」


 先ほどデミタスが、旅の魔法使いで手助けしてくれたのだと深陽の活躍ぶりを大げさに語っており、すぐに集まった兵らは興味深げに椀を受け取る。

 深陽は兵だけでなく、食事を用意してくれた人たちにも味わってもらうことにした。

 元の世界と同じく、苦み渋みが好きな者には受けが良く、苦手な者は口元を歪める。

 皆に振る舞い終えて、そんな様子を眺めつつ深陽は、もう一杯だけと呪文を唱えた。立ち昇る湯気が頬を撫で、深陽は目を瞠る。


(香りが、違う……!)


 それは深陽が店で、マスターに倣いながら淹れた香りを思い起こさせた。

 熟練度が上がり、魔法の威力、いやグレードが上がったのだろうか。


(うまい……うまい、けど。こんな腕の上がり方は嫌だ!)


 大いなる存在の悪意を感じないではいられない深陽だった。


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