第3話 バリスタ違い

 戦場は、見た限りでは酷い有り様だった。

 辺り一面が燃え落ち、様々な大小の異形もまた、その中に転がっている。炭化したものばかりではない。生焼けの肉片が重なり合って、目を背けたくなるようなものもある。


「喉の乾くにおいだな」


 しかし本来なら悪臭に満ちている筈が、なぜか緩和されているようだと、側に立つ兵の呟きで知れた。

 焦げたような臭みの合間に、芳ばしい匂いが漂っている。

 その匂いは、深陽にとっては馴染みがあるものだが、兵の口からその名は上がらず、どこか不思議そうな面持ちだ。少なくともここでは珍しいか、存在しないものなのかもしれなかった。


 促されて深陽は、ひとまず壁の内側へと下りる。

 内側とはいえ門前は、崩れ落ちた石片で無傷とはいかなかったらしく、人々が忙しく立ち働いていた。後から下りて来た兵も、他の兵と合流し、怪我を負った者らに手を貸しながら人波に紛れていった。

 戦いが終わったからと休めるわけではないのも当たり前なのだろうが、深陽は、目に映る光景に現実味があるということにこそ現実味を感じられず、途方に暮れて足を止めた。なんせ行く当てもない。

 ぼんやりと見渡せば、石作りの建築物が連なっている。海外の映画で見たように、昔の西洋的な作りの街だった。それも素っ気なく、綺麗に整っているわけでもない。立ち尽くして眺めていると、ただ物寂しさが募る。


「おいあんた、怪我はないか」


 声をかけてきたのは先ほどの兵だ。他に手を貸すために戻ったのかと思えば、一段落ついたのか、わざわざ深陽を呼びにきてくれたらしい。


「おかげさまで」


 応戦中は鬼気迫る形相だったが、落ち着けば、ただの人の好い青年だった。

 しかし、今さらながらとても日本人には見えない。そもそも恰好も、街並みもそうなのだ。目にしたすべてが時代錯誤な光景だが、言葉は通じている。なにより、大がかりな装置でも操るのは無理だろう異形の群れによって生々しい生命の危機を感じたのはつい先ほどのことだ。


 深陽は、自分がおかしな場所――たとえば異なる世界へ渡ってしまったのだと、受け止めざるを得ない。

 そうでもなければ正気を保てるとは思えなかった。目の前で人が死ぬようなドッキリなどあって欲しくはない。

 今さらながらにこみ上げてくる恐怖も、人との会話が抑えてくれる。心の底から言葉が通じることに感謝していた。


「その黒い服は、隣国の魔法使いだな。うちから要請を出していたのか?」


 とはいえ、兵は純粋に深陽を気にかけてくれたというのではないようだ。一時共闘した相手とはいえ、深陽は突如、危険な場所に現れた不審者である。口調は柔らかであったが、尋問めいた質問に深陽はしどろもどろに答えた。


「……いや、たまたま立ち寄ったところで、びっくりして……」


 内心では目が泳いでいる慌てっぷりなのだが、幸いといってよいものか、深陽自身が思うほどにはそういった感情は表に出ない。しかし性格を知る友だちには、よくからかわれたものだった。

 だが初対面の兵には、それが謙遜とでも思えたらしく、魔法使いであるという心証を強く与えてしまったらしい。


「なんと、旅の途中だというのに我らに手を貸してくれたというのか!」


 まるで感動したように男は顔を輝かせる。そこにはすでに疑いの一片も見当たらない。

 態度を改めて兵は頭を下げる。


「感謝の言葉もない……本当に助かった。魔物が森から溢れるなど、滅多にないことでな。兵の数が足りなかったんだ」


 あまりの態度の変わりように深陽は面食らい、恐縮してしまう。


「熱湯掛けただけだし」

「とんでもない! 中央に集めねばならず、端は手薄にせざるを得なかったのは見たろう。なんとも急なことで油を用意する暇もなくてな。あのままでは、あそこから侵入を許していた」

「こっちこそ。援護してもらえなければ……魔法? 使う前に死んでたよ」

「ならば、お互い様だな! だがあんたには利のない戦いだったんだから、やっぱりこちらの方が助けられたことには変わりない! ははは!」


 豪快に笑いながら肩を叩かれ、深陽はつんのめった。


「俺はデミタス。この街に滞在中に何かあれば頼ってくれ。今晩の宿は決まってるのか?」


 名乗る男に深陽は少し悩み、男に倣って「ミヨウ」と名だけを伝える。

 それから到着したばかりで宿も何も決まっておらず、ついでに言えばこの国の金もないと正直に伝えた。

 見も知らない街で、しかも得体の知れない異形の現れるような場所で野宿するなど恐ろしく、軒先にでも泊めてくれないかと土下座する勢いで頼む気でいたのだ。


「修行の旅の最中なんだろ。魔法で手を貸してくれるなら、どこの街だって金なんか取らないさ。しかも、俺たちはすでに大きな借りを作ってる。兵舎に空きがあるんで、そこで良ければすぐ案内できるぞ。宿ほど快適じゃないがな」


 デミタスの提案に、深陽は一も二もなく肯いていた。


 壁沿いに歩きはじめたところで、急にデミタスは真顔になり、手を前方に突き出して呟く。


「バリスタ」


 何も起こらない。


「やはり詠唱だけ真似したってダメか! がはは!」


 今度は照れ笑いが響く。何がしたかったのか。


(詠唱……まさか)


「あの、でかい矢はなんて呼んでるんだ?」

「設置型大矢か。あれがどうした」


 そのまんまだった。どうも専門用語は漢字で表されているようだ。

 というより理解の仕方がそうなっているのだろうか。

 すぐに疑問は追い払った。妙な国の言語習得なんて苦労などしたくはない。


 それより、ひどい事実に気付いてしまった。


 デミタスが言及した通りに、深陽は黒い服を着ている。

 シャツは白だが、黒いベストに黒いズボン。

 手から出た茶色い液体と、心が落ち着く芳ばしい香りは、間違いなく珈琲。

 だが、どうにも世界観に合わない。

 深陽は、居るかも分からない上位存在に対して胸中で叫んでいた。


(ぜってーバリスタ違いだろ!!)


 それにしてもおかしなことだった。

 働いている先は、今どき一杯立てのこだわり、という名の半ばマスターの趣味の店だ。狭い店で、カウンターとテーブル席の合間は、ウェイターが一人動ける程度。客は、ほとんどが常連で、中年とも呼べない歳に差し掛かろうかというマスターが、一人で珈琲を煎れるだけでも十分回っている。

 バイトの上がりには、深陽にも珈琲を煎れて労ってくれる。これがまた格別にうまい。


 要するに、深陽は飲む専門ということだ。


 少しずつ覚えようとしている最中ではある。それでも、まだまだ自分の腕よりも、豆や道具の品質に助けられているに過ぎないレベルだ。

 マスターからは、それ以前に問題があるような態度を取られているのが気にはなっているところではあるが。

 ともかく、今はまだ堂々とバリスタと宣言できる身の上ではない。

 強力な兵器を召喚するはずが、なんの駄洒落因果か職業バリスタが召喚されたのだとしても、深陽ではおかしなことになるのだ。


 簡単に街の説明などをしてくれるデミタスに、曖昧に相槌を打ちながら歩いていたのだが、心ここにあらずとなっていた深陽の意識を大きな声が引き上げる。


「おっと話は後だ。今日は食事当番どころじゃないからな。近所の奴らが食事を振る舞ってくれるらしい。無くなる前に確保しよう。不味いがな!」


 指差す方を見れば、横に広い大きな小屋といった建物の前にある広場に、焚き火と大きな鍋から湯気が立ち昇るのが見えた。

 周囲には椀を手に、思い思いの場所に座り込む鎧姿がある。


 たとえ手違いだったのだとしても。

 実際に、この場にいるのは深陽自身だ。

 どこかの誰かに対するクレーム文を考えるよりも、今はこの状況をどうにか乗り切らねばならないだろう。

 相変わらず豪快な笑い声をあげるデミタスの後に、遅れないよう付いて行った。


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