第17話 大切なもの

 ゆっくりと瞼を開く。

 目を覚ましたレオンの視界に映ったのは、見覚えのない真っ白な天井だった。薬品の香りがほのかに漂い、彼の全身を心地のよい柔らかさが包み込んでいる。


 「……ここは?」


 レオンの呟きに答える者はいない。

 

 「シルバー……?」


 いつもなら真っ先に声を掛けてくるであろう存在がいないことに気づき、レオンは慌てて体を起こす。

 彼の服装は見覚えのない部屋着のようなものへと変わっており、右手には指輪シルバーが着けられていなかった。

 状況の掴めないレオンは、キョロキョロと周りを見渡す。

 そこは白い壁と天井に囲われた部屋であり、彼の寝ていた柔らかいベッド以外に目ぼしい物は何も存在しない。


 「確か、大森林で群れと戦って……」


 レオンが自身の記憶を手繰り寄せていると、部屋の扉がガラリと開かれる。

 ビクリと体を震わせたレオンが目にしたのは、驚きの表情を浮かべているアレクであった。


 「レオンさん!目が覚めたんですね!」


 アレクはすぐにその表情を嬉しそうなものへと変化させると、レオンの下へと駆け寄ってくる。


 「アレクか……ここは?」

 「壁外区の病院です。レオンさん、2日間目を覚まさなかったんですよ」

 「2日間も?」


 驚きの言葉を漏らしたレオン。

 アレクの説明によると、レオンは出血多量でかなり危険な状態であったらしい。処置が少しでも遅れていたら、命はなかっただろうとのことだ。


 「確か、俺はあのモンスターを倒した直後に気を失っちまったんだよな……?アレクがここまで俺を運んでくれたのか?」

 「ええ。その辺りのことは後程詳しくお話しますが、まずは病院の者を呼んできます。一応、体を見てもらった方が良いでしょうから」


 そう言って部屋を出ようとしたアレクを、レオンが呼び止める。


 「アレクっ、俺の持ち物はどうなった?」

 「ご安心ください。レオンさんの所持品は全て、病院が管理しています。ディーペストの名前で保管しているので、きちんと取り扱われていると思いますよ」

 「指輪もあるか?右手の中指に着けていたやつだ」

 「指輪、ですか?……ああ!確かにありましたね」

 「今すぐに持ってきてくれないか?大切な物なんだ」


 レオンの真剣な表情を見て、アレクも真剣に頷いた。


 「分かりました。すぐに持ってきますね」


 部屋を出ていったアレクを見送り、レオンはそわそわとして様子でベッドに腰掛ける。普段の彼は入浴時にも就寝時にも、手放すことなく常にシルバーを身に着けていた。そんな存在が自分の手元にないと、どうにも落ち着かないのだ。

 右手中指をさすっているレオンの下に、長い時を待たずしてアレクが戻ってきた。


 「先にこれを持ってきました。すぐに看護師も来ます」


 気を利かせて急いで駆けつけてくれたのであろうアレクから、レオンは銀色に輝く指輪を受け取る。

 それをそのまま指に通すと、直ぐに聞き慣れた声が彼の頭の中に響き渡った。


 『システム起動。ユーザー情報を確認。……ユーザー、レオン。…………おはようございます。マスター。無事に目が覚めた様ですね』

 『……ああ。ばっちり目が覚めたさ』


 シルバーと言葉を交わして、レオンはようやく安心したような笑みを浮かべる。そんな彼の様子を見て、アレクはレオンがこの指輪を余程大切にしていることを理解するのだった。

 その後レオンは、遅れてやって来た看護師による簡単な問診を受けた。幸いレオンの体に異常はないようで、大事をとって今日1日は安静にした後、翌日に退院する運びとなるらしい。

 看護師が病室から出て行くと、改めてアレクが床上のレオンに向かい合った。


 「レオンさん、まずは改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。一度目の群れとの戦闘。道中の護衛。そして、二度目の群れとの戦闘。そのいずれを取っても、レオンさんがいなければ僕たちがこうして生きて帰ることは出来なかったでしょう」


 アレクは深々と頭を下げる。

 彼の言動を受けて、レオンはポリポリと頭を掻いた。


 「あー、まあ、全員無事に帰れたなら何よりだ。それより、俺が倒れた後のことを教えてくれよ。あの後は何事もなかったのか?」

 「ええ。レオンさんがあの巨大なモンスターを倒してくれたおかげで、キエンの群れは一目散に逃げだしていきましたから」

 「でも、俺は意識を失ってたし、ミーネも足を怪我したままだったろ?よく無事に地上に帰れたな」

 「そこは正直、運が良かったですね。群れが退いた後、僕とダイタンでレオンさんとミーネを担いで、一目散に地上に向かって走りつづけました。レオンさんの容体は一刻を争う状況でしたし、あれ以上迷宮に留まることには危険しかありませんでしたから。前日にかなりの距離を稼いでいたことが幸いして、モンスターに遭遇することなく出口にたどり着いたんです。あれほど死に物狂いで走ったのは初めてだったかもしれませんね」


 アレクは苦笑を浮かべる。


 「そうか。……迷惑をかけたな」

 「とんでもないです!先程も言いましたが、レオンさんがいなければ僕たちはそもそも死んでいたでしょうから。僕では、あのモンスターを倒せていたか分かりません」


 群れのボス的存在だった巨大なモンスター。

 その恐ろしい姿を思い出したのか、アレクはぶるりと身震いする。


 「俺も運よく倒せただけだ。敵が油断を見せてくれなければ、死んでたのは俺の方だったろうな。……あのモンスターの魔石はどうなったんだ?」

 「あの場ではとても魔石を回収する暇はありませんでしたが、僕たちが地上に帰還してからすぐに、報告を受けたディーペストの探索者シーカー達が現場に向かいました。そこで無事、魔石は回収できたようです。死体を見た探索者達にも見覚えのないモンスターだったようで、やはりあれは新種のモンスターだったのかもしれませんね。……あぁ、勿論、魔石の所有権はレオンさんにあります。現在はディーペストが保管してはいますが、退院すればレオンさんの手元に渡ると思いますよ」


 アレクは嬉しそうな表情を浮かべる。魔石が無事にレオンの下に届くことを喜んでいる様だ。

 そんな彼の様子を見て、レオンは大げさだなという感想を抱いた。

 未発見である新種のモンスター。そんな存在の魔石を手にすることがどれほどの意味を持つのか、レオンは理解していないのだ。


 「それと、レオンさんの入院代は当然ディーペストが負担します。探索で消費した弾丸等の必要経費も、約束通り補填させてもらいますね」

 「至れり尽くせりだな」


 思わぬ好待遇に驚いたレオンだが、アレクはそこでどこか暗い表情を浮かべる。


 「いえ、そんなことはありません。もう1つ約束していたギルドとの報酬交渉についてなのですが、レオンさんには退院後3日以内に、ディーペストの壁外区支部に足を運んでいただく必要があります。それに、その場に僕は同席できないようです。申し訳ありません……」


 アレクの態度を、レオンは不思議そうに見つめる。


 『マスターの活躍を考えれば、ディーペスト側からマスターを尋ねるが筋ですからね。アレクはそのことを憂いているのでしょう』


 アレクの申し訳なさそうな態度の理由が分からないレオンに、シルバーが補足を行った。


 『なるほど。まあ、確かに考えてみればあっちから来てくれてもいいよな。でも、そこまで気にするようなことか?』

 『交渉事において、それを行う場所は結果に大きく左右します。ディーペストの本拠地で交渉を行うことは、ディーペスト側に有利に交渉が進みやすいということなのですよ』

 『ふーん。そんなもんか』

 『最も、図太い神経を有しているマスターにはあまり効果が期待できませんがね』

 『……褒めてるんだよな?』

 『肯定。それはもう褒めていますとも』


 その後、レオンとアレクはしばらくの間話を続けた。

 アレク以外のパーティメンバーもレオンに感謝しており、特にミーネなんかはより深い感謝の気持ちを抱いていること。後始末に追われて今は来られないが、後日必ず全員でお礼に来ること。ディーペスト内で例のマナ溜まりの調査が計画されていることなどが、アレクの口から告げられる。

 諸々の話を終えたアレクは、そろそろお暇しようと席を立った。


 「レオンさん。本当にありがとうございました。交渉の席に僕たちが同席することはどうしてもできないのですが、せめてレオンさんの活躍をギルドに強く訴えておきます」

 「別にいいよ、そこまで気にしなくて」

 「いえ。レオンさんは命の恩人ですから」


 改めて深々とお辞儀をしてから、アレクは病室を後にした。


 「大げさなやつだな」


 苦笑してアレクを見送り、レオンはベッドに横になる。


 『明日退院できるみたいだし、明日はそのままディーペストの支部とやらに行くか?』

 『肯定。早くて困ることはないでしょう』

 『交渉の時のサポートは頼むぞ。反感を買わない程度に、最大限巻き上げてやろう』

 『勿論、シルバーが全力でサポートさせて頂きます。ただ、交渉は報酬額についてだけには留まらないかもしれません』

 『どういうことだ?』

 『金銭報酬の額についてなど、わざわざ自らの本拠地に招き入れてまで行いたい案件ではないはずなのです。よっぽど交渉を有利に進めたい、何かしらの理由があるのでしょう』

 『……心当たりは?』

 『恐らく、魔石についてかと』

 『あー、なるほど』


 レオンもある程度の察しがつき、納得したように頷く。


 『マスターから、魔石の所有権利を譲り受けたいのだと推測します。アレクはあのように言っていましたが、ディーペストとしては貴重な新種の魔石をみすみす手放したくはないはずです。アレクが嘘を言っている様には見受けられませんでしたので、彼には魂胆が知らされていないのでしょうね』

 『魔石、か。そうなった場合、俺はどうすればいい?』

 『相手はガレリア最大の探索者ギルドです。頑なに要求を突っぱねれば、マスターに大きな不利益を被ることが予測されるでしょう。最悪、事故に見せかけて闇討ちなんてことにもなりかねません』

 『そこまでか……』

 『あの魔石には、それほどの価値があるのです』

 『じゃあ、魔石は素直に渡した方が良さそうだな。何か癪だけど、別に意地でも自分の物にしたいわけじゃないし』

 『肯定。懸命な判断かと。とは言え、魔石の対価は最大限ギルドから搾り取ることと致しましょう。シルバーがサポート致します』

 『ははっ。頼むよ』


 ベッドの上に寝そべりながら、シルバーとの念話を行うレオン。

 すると、病室の扉にコンコンとノックの音が響く。

 看護師でも来たのかと考えたレオンだが、扉を開けて入ってきたのは彼の見知った2人の女性達であった。


 「レオンさん!目を覚ましたんですね!!」

 「よ、よかった……」


 病室に訪れたのは、マリーとリンであった。

 マリーは受付嬢の制服を身に纏っており、仕事帰りにそのまま駆けつけてくれたのであろうことが窺える。

 リンはレオンとデートをした時程のものではないが、以前の彼女と比べればよっぽど女の子らしい服装をしていた。今日はコンタクトではなく眼鏡を掛けており、その奥に見える目元からは僅かに涙が浮かんでいる。


 「2人とも、どうしてここに……?」


 予想外の来訪をうけ、レオンは驚いた表情を浮かべて上体を起こした。


 「そんなの、お見舞いに来たに決まっているじゃないですか!私もリンも、すっごく心配したんですからね!!」


 語気を強めるマリーの言葉に、リンもコクコクと頷く。


 「……そうか。心配してくれたのか」


 誰かに心配される。

 そんな日が来るとは思っていなかったレオンは、じんわりと胸が温かくなっていくのを感じた。


 「も、もうお体は大丈夫なんですか?」

 「ああ。さっき見てもらったけど、どこも異常はないらしい。明日には退院できるみたいだ」

 「そうですか……良かった……」


 リンは心底ほっとしたような表情を浮かべた。


 「リンったら、レオンさんが病院に担ぎ込まれたって聞いてからすごい慌てっぷりだったんですからね。顔を真っ青にしちゃって、レオンさんが死んじゃう~って泣いてたんですから」

 「ちょ、ちょっと、マリー!」


 リンは恥ずかしそうに顔を赤くしてしまった。

 そこまで自分の身を案じてくれていたことを知り、レオンは更に胸が熱くなる。


 「悪かったな、心配かけて」

 

 レオンの言葉に、リンは笑顔で頷く。


 「レオンさんっ。こういう時は、ありがとうですよ!」

 「……そっか。ありがとう、リン」

 「い、いえ、そんな……」


 リンは照れ照れと顔を赤くして俯いた。


 「レオンさん?私もすっごく心配したんですけど?」


 いつもは垂れ下がっている眉を吊り上げ、マリーは頬を膨らませた。


 「ああ、悪い。マリーもありがとうな」

 「もうっ、私はついでですか!…………レオンさん、本当に心配したんですからね?」


 明るかったマリーの表情に、陰りが差す。


 「この仕事をしていると、たくさんの探索者さんと知り合います。乱暴な人も多いですけど、みなさん根はいい人ばかりです。……でも、二度と会えなくなってしまった人もいるんです」


 マリーは、その顔をグッとしかめた。


 「私と挨拶を交わしてから迷宮に向かった探索者が、そのまま帰らぬ人となる。何度も顔を見合わせた相手が、ある日突然来なくなるんです……。その時の気持ちは……とても……とてもつらくてっ」


 溢れそうになる涙をこらえるようにして、マリーは言葉を続けた。


 「私はっ、レオンさんには絶対にそうなって欲しくないです!だから……だから、本当に良かった」


 マリーは、ついにポロポロと涙をこぼし始めてしまった。

 レオンは、今までに感じたことのないような感情を抱く。自分を想って泣いてくれる人が、確かに目の前に存在しているのだ。

 探索者となってたくさんの金を得たことにより、安全な寝床と美味しい食事、それに連なる豊かな生活を手に入れたレオン。

 だが、彼は気づかぬ内に、それ以上に大切なものを手に入れていたのかもしれない。


 「……マリー、ごめんな。心配かけた。リンにも、改めて言わせてくれ」


 レオンは、今までに見せたことのないような柔らかい笑みを浮かべた。


 「2人とも、ありがとう」


 レオンのその表情を見て、マリーとリンは一瞬キョトンと顔を浮かべる。

 だがすぐに、それは明るい笑顔へと変わった。


 「「どうしたしまして!」」


 その後、レオンはしばらくの間2人と話をしていた。

 今回の探索のあらましを語り、マリーとリンが興味深そうに相槌を打つ。そんなやりとりをしばらく行っている内に、徐々に外が暗くなってきてしまった。


 「そろそろ帰りますね。もう大丈夫とは言っても、安静にしてなきゃダメですよ!」


 小言を発するマリーに、レオンは苦笑いを浮かべる。


 「それじゃあ、レオンさん。また」

 「ああ。またな」


 病室を後にする2人の背中を見送り、レオンは再び横になった。


 『…………』

 『寂しいのですか?』

 『んなわけないだろ。……ただまあ、少し静かにはなったな』

 『マスターには、シルバーがついております』

 『そうだな。……ありがとよ』


 軽い調子でシルバーに礼を述べるレオン。

 柔らかい感触に全身を包まれ、彼は眠気に襲われる。長い間寝ていたとはいえ、レオンにはまだまだ疲労が残っていたらしい。


 『おやすみなさい。マスター』


 シルバーのその言葉を聞き、彼は眠りについた。




 翌日、レオンはディーペストの壁外区支部へと向かっていた。

 病院から返却してもらった装備一式を受け取り、それを一旦宿に置いてから交渉へと赴いた形だ。

 シルバーの示すルートに従い、ガレリアの街を進む。

 レオンの宿泊している宿からはやや遠い場所に位置していたギルド支部に、やがて彼はたどり着いた。


 「ここか」


 想像していたよりも大きな建物を前にして、レオンは呟く。

 

 『勝手に中に入っていいのか?』

 『肯定。中で用件を伝えればよろしいかと』


 シルバーの言葉に従い、建物内へと足を進める。

 扉を開けた先では、受付嬢らしき女性がにこやなか笑みを浮かべていた。


 「ようこそ。こちらはディーペスト壁外区支部です。ご用件をお伺いします」

 「えーと、アレク達と交わした報酬の約束に関する件なんだけど」

 「と、おっしゃいますと……レオン様でございますか?」

 「そうだ」

 「お手数ですが、探索者板シーカータグを拝見してもよろしいでしょうか?」


 受付嬢に促され、レオンは探索者板を差し出す。


 「……はい。確認いたしました。レオン様、お待ちしておりました。すぐに担当の者が参りますので、しばしの間お待ちください」


 受付嬢はそう言い残して席を立った。担当者とやらを呼びに行っているようだ。


 『これから来る奴が、俺との交渉相手ってことになるのか』

 『肯定。どのような人物が来たとしても、シルバーがうまく事を運んで見せましょう』

 『頼りにしてるよ』


 少しの間手持ち無沙汰に佇んでいたレオンだが、やがて先程の受付嬢が1人の人間を伴って戻ってくる。


 「お待たせいたしました。彼女が、本日のレオン様の担当者となります」


 受付嬢が紹介した人物をレオンが目にした瞬間、彼はその胸に大きな衝撃を抱くことになった。

 

 『マスター?どうなさいました?』


 これ以上ないほどに大きく目を見開いているレオンに対して、シルバーが不思議そうに問いかける。

 だが、衝撃の最中さなかにある彼はシルバーに言葉を返すこともできない。

 栗色の髪を靡かせ、背筋をピンと伸ばし、全身から凛とした雰囲気を漂わせている女性が、一礼の後に口を開いた。


 「はじめまして。私が、今日レオンさんを担当させていただくサリアです」


 かつて、レオンが外周区で目にした探索者。

 彼が探索者となるきっかけを作った女性が、そこ立っていたのだ。

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