第11話 4人の男達


 クラークの第一階層の前半部分に位置する大森林。そこは言わば、クラークのファーストステージとも呼べるような場所である。しかし、だからといってその攻略難易度が決して易しいわけではない。そこは紛れもなく世界一の大迷宮であるクラークを構成する一部であり、数多のモンスター達が闊歩している非常に危険な場所であるのだ。

 そんな大森林にて、4人の男達がその表情に暗い影を落としていた。


 「はぁ……はぁ……どうしてこんなことに」


 息を切らしながらそう声を漏らしたのは、クラインという名前の男だ。

 クラインは暗い茶色の髪の毛をぼさぼさに伸ばしており、長年着用し続けているのであろう古びた衣服を身に纏っている。頬は栄養不足を訴えるように痩せこけていて、顔つきには覇気が欠片も感じられない。一言で言ってしまえば、クラインはみすぼらしい男であった。

 なお、クラインを除いた他3人の男達も似たような有様であり、その様相からはまともな生活感が感じられない。彼らは、外周区で生活を送っている人々なのだ。

 無法地帯である外周区であるが、そんな中にも複数の組織が存在している。その多くは、“マフィア”と呼ばれる荒くれ者の集団だ。彼らは徒党を組むことで、外周区での食料や寝床を巡る争いを優位に進めているのだ。

 クライン達は、“ブッチャー”という名のマフィアの構成員である。否、構成員であったという方が正しい。


 「くそっ!あの女のせいでこんなめに!」

 「騒ぐんじゃねえよ。みっともない」

 「はんっ。冷静ぶってるがてめぇも同じ穴のムジナだろうが?」

 「そうだ。俺達は全員、スターシャにしてやられたんだよ」


 他3人の会話を聞いていたクラインは、スターシャという名前を耳にしてその顔を歪ませる。彼らは全員、スターシャという1人の女の罠に嵌ってしまったことで、こうして意図せずクラークへと足を運ぶはめになってしまったのだ。


 クラインは、元々は商人の息子である。

 両親がガレリアの外周区にて雑貨屋を経営しており、彼がまだ幼い頃は売れ行きも順調で、慎ましやかではあるが幸せな生活を送っていた。

 しかし、そんな生活が終わりを迎えることとなったのは彼が12才の頃である。時の流れによって移り変わる消費者の需要をうまく捉えることが出来なかった両親の力不足により、店が潰れてしまったのだ。

 僅かな元手で新たな商売にも挑戦した両親であったが、そのいずれもうまくいかずに、彼らはとうとうスラムである外周区での生活を余儀なくされてしまうこととなった。

 商売に失敗して、一家丸ごと外周区に堕ちる。ガレリアでは珍しくもない話である。その後外周区での過酷な生活に耐えられず、子供であるクライン1人を遺して両親揃って先に逝ってしまったのも、これまたよくある話であろう。

 クラインは孤児となり、1人きりで外周区を生き抜かなければならなくなった。その時既に20歳になろうかとしてクラインだが、心根の穏やかな彼が1人で外周区を生き抜くのにも限界があった。

 そして、彼は生きるためにマフィア組織であるブッチャーに入ったのだ。

 荒事など好まないクラインだが、代わりに組織の雑用を必死になって行うことでその立ち位置を守ってきた。とは言え、マフィアの本文はやはり力だ。力を持たないクラインの組織での扱いは、決して良いものであるとは言えなかった。クラインは、心身をすり減らしながら何とかブッチャーの一員として暮らしてきたのである。

 そんな折、最近になってブッチャーに加入してきた女がスターシャであった。彼女は外周区の人間とは思えない程見目麗しく、また愛想も非常に良かった。そのため、組織の男達は皆すぐに彼女の虜となってしまう。

 外周区において、見た目のいい女がその尊厳を保ちながら生きていくのは難しい。むしろ、生きていくために強い男に積極的に自分を売り込むのが、力の持たない女達の生きていく術だとすら言える。そんな背景を考慮すれば、スターシャは直ぐに組織のボスの女にでもなるのが自然な流れであっただろう。

 しかし、彼女はその優れた話術と処世術によって、ボスは愚か組織の誰にもその身体を許すことはなかった。魔性の女とでも呼べるような、天性の才を有していたのだ。結果的に、簡単に誰かのものにはならないスターシャを、男たちはますます求めることとなる。

 クラインも、そんな男達の1人であった。

 だが、彼はブッチャーの中でも下っ端と呼んで差し支えないような人物であり、彼自身も自分にスターシャが靡くことはないだろうと考えていた。この気持ちは憧れにとどめていようと決意していたクラインの心は、ある日スターシャが泣きそうな顔で話しかけてきたことで大きく揺さぶられることになる。


 『お願い。助けてクライン。あなたしかいないの』


 悲痛な面持ちで、クラインの腕に縋りつくスターシャ。腕に感じる柔らかい感触に胸がたかぶるのを感じながら、彼は彼女に事の詳細を尋ねる。

 スターシャによると、彼女は最近組織のボスに無理やり関係を迫られていて、いよいよ逃げられそうにないらしい。今までは持ち前の話術で何とかやり過ごしてきたが、それにも限界が訪れたとのこと。そこで彼女は、クラインに自分を助けてほしいと訴えかけてきたのだ。


 『ど、どうして俺に?』

 『あなたのこと、ずっと見ていたの。他の男達とは違って、あなたはとても優しい人だって知っているわ』


 自分は、臆病な男である。それが、クラインが自分自身に下している評価だ。1人で生きていく力がないためブッチャーに入ったものの、腕に覚えのない彼はずっと組織の下っ端であり続けているのだから。

 しかし、スターシャはそんな彼のことを優しい人だと称してくれた。彼女の言葉を受けて、クラインの胸には長い間忘れていた喜びという感情が沸き上がる。


 『あなたはとっても優しい人だから、荒くれ事には向いていないだけなのよ。そんなあなただから、私は……』


 スターシャはそう言ってクラインの両手を握ると、顔を赤くして俯いてしまった。彼女の何ともいじらしい態度に、クラインの胸の鼓動は急激に高まっていく。

 

 『クラインっ』


 スターシャは意を決したようにして、クラインに正面から抱き着いた。女性特有の柔らかい感触と、鼻腔を突き抜ける甘い香りがクラインに襲いかかる。彼は自身の胸の高鳴りがピークに達すると同時に、凄まじい勢いで下半身に血液が集まっていくのを感じとった。頭がくらくらとして、うまく思考が働かない。その勢いのまま彼女を押し倒してしまおうかとしたクラインに、スターシャの言葉が制止をかける。


 『私、ボスが財産を溜め込んでいる場所を知ってるの』


 クラインの耳元でそんな言葉がささやかれた。


 『クライン、それを盗み出してくれない?』


 スターシャの囁きに、クラインの表情が固まった。

 盗む?ボスの財産を?

 それはクラインにとってはあまりに無謀で、現実感の伴わない提案だった。

 

 『クラインがそれを無事に盗み出せたら、2人でここから逃げ出しましょう。そして、街に行って2人っきりの生活を送るの。こことは違う、ちゃんとした生活をね』


 クラインはゴクリと唾を飲み込んだ。

 スターシャの言葉が実現すれば、彼にとってそれ以上のことはないであろう。だが、その行動には当然リスクが伴う。失敗すれば、自分の命はないことは明白なのだ。あまりに大きなリスクを前に、クラインはすぐに頷くことができない。


 『お願いクライン。あなたがそうしてくれないと、私はボスに無理矢理……』


 目尻に涙を浮かべながらスターシャが発した言葉が、最後の引き金となった。


 『……分かった。やるよ。何としても、俺がボスの財産を盗み出して見せる』

 『本当っ!?嬉しいっ!』

 

 クラインはスターシャと、彼女ともに過ごす未来を手に入れるために、組織を裏切ることを決意したのだった。

 その後すぐに、クラインはスターシャの立てた計画を実行に移した。計画は、スターシャが気を引いている間に根城を抜け出したクラインがボスの財産を盗み出し、その後同じようにこっそりと組織を抜け出したスターシャと合流するというものだ。

 だが、大きな決意を胸に現場へと赴いたクラインが目にしたのはボスの財産などではなかった。そこにあったのは既に事切れていたボスの死体と、クラインと同じように困惑の表情を浮かべている3人の構成員だったのだ。

 一体何が起こっている?

 そこにいる全員がそんな疑問を抱いていると、一際大きな声が鳴り響く。


 「見ろ!あいつらがボスを殺した反逆者どもだ!」


 そんな声の発生源に目を向けたクラインが目にしたのは、自分達を睨み付けているたくさんのブッチャーの構成員達だった。


 「裏切者を逃がすな!殺せ!」


 中心となって声を張り上げているのは、組織のナンバー2であったギルベスという名の男である。そして、その隣に寄り添うようにして、スターシャがこちらに冷ややかな目を向けていた。


 「くそっ!逃げるぞ!!」


 ボスの死体のそばで唖然としていた男の内の1人がそう声を張り上げると、他の者達も慌てて走り出そうとする。

 だが、クラインだけは事態が飲み込めずにそこに立ち尽くしていた。


 「スターシャ?どうして……」

 「馬鹿が!俺達は騙されたんだよ!!」


 クラインの呟きに、男が答える。


 「おい!そんな奴放っておけ!!このままじゃ殺される!」

 「ああ!!」


 3人の男達が自分を置いて走り去ろうとしたところで、クラインもようやくそれに追随した。

 振り返ると、ブッチャーの構成員達が武器を片手にクライン達を追いかけてきている。その後ろでスターシャが冷たい笑みを浮かべているのを目にして、クラインはようやく自分が騙されていたことを実感するのであった。ボスの財産など、初めから存在しなかったのである。

 

 そうして組織の人間に追い回されるようにして、クライン達はクラークの中まで逃げ込んできたのだ。迷宮にでも入らない限り、彼らが逃げ切ることは不可能だったのである。

 碌な装備もないままに、大森林で悲痛な面持ちを浮かべる4人の男達。


 「スターシャはどうして俺達を陥れるような真似を?」


 クラインの言葉に対し、無精ひげを生やした男が鼻で笑うように返した。


 「んなことも分かんねえのか。ギルベスをボスにするために決まってんだろ。大方ボスを殺したのはギルベス自身だろうが、その罪を俺らに擦り付けて奴が新しいボスになろうって魂胆だろうな」

 「……スターシャは何でギルベスの味方をしたんだ?」

 「まあ、正直ギルベスの方が優秀だったのは確かだからな。ギルベスに取り入って、奴にボスになってもらった方が都合がいいとでも思ったんじゃねえのか?最近ギルベスを支持する勢力が組織の中で大きくなってきちゃいたが、まさかこんなことになるとはな」


 クラインは、自分以外の3人の顔を見渡す。彼らは全員、台頭してきたギルベスのことを好意的に捉えていない連中であったのだ。恐らく、ギルベスはボスを殺した罪を彼らに擦り付けて追い出すことで、自身が統治しやすい環境を作り出したかったのだろう。

 だが、クラインは納得いかなかった。


 「どうして俺まで……」


 ここにいる他3人の男達が、ギルベスのことを快く思わない発言をしてきたことはクラインも知ってる。彼らは全員、優秀な手腕によって組織内の派閥を拡大させていたギルベスのことを妬んでいたのだ。

 しかし、クラインに関しては一度もギルベスの悪口など言ったことがない。そもそも彼は、ギルベスを妬む余裕すらない下っ端だったのだから。


 「はんっ。役立たずだからついでに捨てられたんだろ」


 クラインの言葉の意味を理解したうえで、無精ひげの男がそう答える。

 男の言葉に、クラインは更に顔をしかめることとなった。

 役立たずだから。本当にそんな理由で、ついでとばかりに組織から捨てられてしまったのだろうか。自分のことを優しい人だと言ってくれたスターシャの顔を思い出し、彼の心がズキズキと痛んだ。


 「余計な話をしてる暇はねえ。考えるべきはこれからのことだ」

 

 落ちついた雰囲気を身に纏っているロン毛の男がそう言うと、3人の男たちは話し合いを始める。クラインは蚊帳の外で、彼自身も会話に混ざろうという気分にはなれなかった。


 「恐らく、まだクラークの出口付近には奴らがうろついているだろうな。すぐにここから出ていくわけにはいかない」

 「ほとぼりが冷めるまで、しばらくは迷宮の中にいなきゃなんねえってことか。クソっ、こんな危険な場所で何日も過ごさなきゃならねえなんて冗談じゃないぞ!」


 ロン毛の男と無精ひげの男の会話に相槌を打つようにして、半目の男が答えた。


 「確かに、俺達は碌に装備も揃ってないしな」


 荒くれ者のマフィアの構成員であった男達は、一応剣をその腰にぶら下げてはいるが、それが迷宮でどの程度役に立つのかは分からない。クラインなどに関しては、最早武器も持っておらず丸腰であった。

 そこで、ロン毛の男が自分の懐から何かを取り出す。


 「一応、こんなものは持っている」


 男が取り出したのは、一丁の拳銃と“索敵レーダー”だった。

 索敵レーダーとは、探索者シーカー達が索敵の際に用いる周囲の生体反応を感知できるアイテムであり、価格に応じてその性能は異なる。男が取り出したのはボロボロの索敵レーダーではあったが、本来であれば外周区の人間が手にできるような代物ではない。また、拳銃についてもそれは同様である。

 高価なはずの品物を2つも所持していることへの疑問に答えるように、ロン毛の男は口を開いた。


 「ボスの持ち物だ。騙されたことに気づいた瞬間、急いでボスの死体の懐をまさぐらせてもらったんだよ。その時に手に入れたんだ」

 「はんっ、ちゃっかりしてやがる。だが、これで少しは希望が見えてきたな」


 正規のルートで手に入れた物ではないであろうが、懐に拳銃と索敵レーダーを忍ばせていたのは、流石はマフィアのボスと言ったところだろう。


 「レーダーを使って、モンスターとの接触をなるべく避けるぞ。このボロボロのレーダーの機能がどこまで信用できるのかは分からんが、まあそこは言っても仕方ないだろう」

 「使い方は分かんのか?」

 「……一応、前に使っていたからな」

 「はんっ。おめえ探索者崩れだったのかよ」


 探索者は、いつ破滅してもおかしくない職業だ。

 そもそもが命がけであるという大前提もさることながら、生きて帰れたとしても魔石や宝物トレジャーを手にすることができなければ高額な必要経費の採算がとれずに、その身をスラムに落としてしまう者も多いのである。


 「そんなことはどうでもいいだろ……ん?」


 ややむすっとした態度で答えたロン毛の男が、その手に握っていた索敵レーダーを眺めて何やら反応を示した。


 「どうかしたのか?まさかモンスターが近くに?」

 「いや、探索者だ。それも、1人みたいだな」

 「ソロの探索者か?中々珍しいな……チャンスか?」

 

 男達が顔を見合わせる。

 クラインだけは、彼らの意図が分からずに首を傾げた。


 「そうだな。4対1だ。奇襲を仕掛ければ、勝機は十分にあるだろう」

 「お、襲うのか!?」


 3人の会話を静観していたクラインが、驚いたように声を上げる。そんな彼に、ロン毛の男が答えた。


 「探索者なら、何かしら魔石や装備を所持している可能性が高いだろう。魔石はここから無事に抜け出した後の資金源になるし、装備もここをやり過ごす助けになる。迷宮を1人で平然と歩けるような探索者の実力は懸念点ではあるが、仲間とはぐれた、或いは死別したという可能性も十分にある。もしかしたら、運良く生きているだけの世間知らずかもしれない。いずれにしても、リスクを恐れて逃すには惜しい機会だろう」

 「そ、そうか。そうだよな……」


 クラインはしどろもどろに言葉を返した。

 彼は、人を殺したことがないのだ。外周区のマフィアならば、人を殺めた経験などあって然るべきであるとすら言える。だが、争いごとに疎い彼は今まで荒事に表立って参加することが少なかったのだ。

 クラインは勝てるかどうかなどという心配以前に、人を殺すことに対する恐怖心を覚えてしまう。だが、彼らに異を唱えるようなことをすれば、足手まといだからとこの場で殺されてしまうかもしれない。

 彼は震える手をグッと握りしめた。

 自分は絶望的な状況の中にあるのだ。人の心配など、している余裕はないだろう。そう自分に言い聞かせて、なんとか震えを止めようと試みる。

 クラインがそうしている間にも、3人の男達の話は進んだ。


 「それで、具体的にはどうする?」

 「対象を取り囲むようにして待ち伏せしよう。なるべく気づかれないように心がけるが、相手も探索者だ。何かしらの索敵手段を持っている可能性が高い。気づかれなければそのまま奇襲でいいが、気づかれた時には状況に応じて臨機応変に対応する。話が出来そうな相手なら、味方のふりをして近づいて警戒を解かせた後に、後ろから攻撃してもいいだろう。指揮は俺が取る。いいな?」

 「……まあ、それがいいか」

 「分かった」


 元探索者であるロン毛の男の問いかけに、無精ひげの男と半目の男が順に答えて、クラインもこくこくと頷いた。

 その後、ロン毛の男の指示によって4人はそれぞれ散開し、探索者を待ち伏せする。


 彼らに徐々に近づいて来たのは、散弾銃を手に持った黒髪の青年であった。

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